道場は初級者にはハードルが高い
金曜日の営業終了後はおとな将棋教室だ。
初めて三カ月ほど経つが常連さんがたまーに来てくれているだけで新規のお客様はゼロ。
だったのだけど先日、一度体験したいと電話があり今日来ていただける予定だ。
「今日、教室に新規のお客さん来てくれるんですよね!? 楽しみです!!」
「青葉さん。いいのかい? 帰らなくて。教室が終わるのは9時半だし帰ったら10時前になってしまうよ。」
「大丈夫です。友達なんて塾で家に帰るの10時半とかになるみたいですから。私は早い方ですよ。」
「青葉さんは塾に通ってないよね?」
「通ってないです。お母さんに期末テスト450点以上取らないと塾に通わせるって言われて、頑張って勉強したら464点取れて回避できました!!」
「464点はすごいね。青葉さんは努力家だね。」
「そういうわけじゃないんですけど道場に来る時間が減らされる。となると話は別です。」
お客さんが来るまで他愛のない話を楽しんでいた。
「今回来る方は男性の初級者ですか。」
「電話で話を聞いた限りではそうだね。」
「今現在、青葉将棋道場には定期的に来てくれる男性級位者さんはいませんね。」
「まぁ、道場は教えてくれる場じゃなくて戦いの場だから敷居が高い。初心者、初級者がボコボコに負かされて心が折れて将棋を辞めてしまう人もいるからね。」
「どうしても、お客さんが固定化されて初心者の入りづらい雰囲気なりがちですからね。今度、初心者さんが来たら私か島崎さんがまず相手をするのはどうでしょうか。」
「それはいいね。今度からそうしよう。それに女性級位者向けの教室や大会は多くなってきたけど男性級位者向けの教室や大会はあまりないからね。」
「よし。私たちがパイオニアなりましょう!! 近いうちにここでも級位者大会やりたいですね。」
「そうだね。秋の企画は級位者や大会ににしよう。」
「級位者といっても1級と10級では4枚落ち以上の差がありますから、細かくクラス分けしたいですね。その為にはもっと道場の知名度を上げて集客力を高めないといけませんね。」
「うん。さっきも言ったけど、初めての大会で完膚なきまでに負けてしまって将棋を指すのが怖くなって、最悪の場合辞めてしまう人もいるからね。」
「リニューアル以前より知名度は格段に上がっていますよ!! SNSのフォロワー開設3ヵ月で200人以上になって、雪野将王のイベントも募集から1週間も経たずに満席になって島崎さんの働きには頭が下がります。」
「参加した人全員が楽しめるイベントにしたいですね。考えていかないとですね~。」
「みんながみんな大満足する。なんていうのとても難しいけど、そこを目指し続けるのが経営者して指導者としての務めだからね。」
「島崎さんのそういう真摯なところ素晴らしいなぁって思います!!」
「ありがとう。フォロワーが増えたのは奨励会時代に仲の良かった棋士が拡散してくれたおかげだよ。」
道場の扉が開き20代半ばくらいのスーツ姿の男性が見えた。
「すみません。先日、電話した高村というものですが……」
「お待ちしていました。高村さん。こんばんは。どうぞお掛けになって下さい。」
「こんばんは!」
「こんばんは。よろしくお願いします。」
高村さんは島崎さんと私に向かってあいさつと会釈をして席に座った。
「今日はお越しいただきありがとうございます。私はこの青葉将棋道場の席主の島崎と申します。」
「高村さん、将棋を初めてどのくらいですか?」
「初めて半年ぐらいの初心者です。棋力はわかりません。今までネットや書籍で勉強していました。あとネット将棋も少々。」
「はい。実はこうやって対人で対局するのも初めてです。」
「そうなんですね。では一度対局してみましょうか。
駒落ちでも、平手でも振り飛車、居飛車、戦型指定。
対局じゃなくても棋譜解説や詰将棋、必死問題等
なんでも高村さん希望をおしゃってください。」
「では、平手で今の棋力がどのくらいかをみていただいていいでしょうか。」
「わかりました。よろしくお願いします。」
駒を並べて終えると高村さんが私の方を向いて。
「あの、こちらの方は対局したいんですか?」
と言った。
「この人は生徒さんじゃないんですよ。」
「私は青葉蜜柑と申します。先代席主の孫で島崎さんの副席主です。」
「え!? どうなんですか。てっきり教室の生徒さんかなと。すみません。お若いのに立派ですね。」
「いえいえ。よく島崎さん指導してもらっているので生徒みたいなものです。」
その後、両者お願いしますとあいさつをして対局が始まった。
私に見られていたら高村さんが集中できないと思い雑務処理をしに事務室へと向かった。
メールをチェックや雪野将王のイベント参加者暫定名簿の製作と時間が過ぎていった。
よし、私にできる範囲の作業は終わった。
時計を見ると9時10分をまわっている。
そろそろ指導対局も終わるころだろうから島崎さんと高村さんのお茶を用意しておこう。
少しすると道場から声が聞こえるようになった。対局が終わった感想戦にうつったのだろう。
私も道場に行って感想戦を覗こう。
「あの、お茶をお持ちしました。」
2人の前にお茶を置く。
「ありがとう。」
「ありがとうございます。」
「よく勉強されていてとても初めて半年とは思えませんでした。定跡も知っていて最後の三手詰もしっかり詰まされてびっくりしました。今現在の棋力は9級くらいですかね。」
「ありがとうございます。課題点はどういったところでしょうか?」
「そうですね。あえて言うと僕の手の面倒を見すぎですね。
例えばこの局面やる手がなくて金銀両取をかけた時に受けじゃないですか。あれは、ほっといていいんです。どちらかは取られますが、まだ美濃囲いが固いので取らせている間に攻めた方がいいですね。
あ、あとこの局面、銀打ちで受けられたじゃないですか。ここは歩打ちで十分ですね。
銀は攻めのエースですから。」
「確かにそうですね。でも攻められると恐くて受けてしまうんです。」
高村さんはうんうんと首を振りながら島崎さんの話を熱心に聞く。
「慎重なことはとても大切なことです。駒の価値は指すうちに自然と身についていきますから。」
「今日はありがとうございました。終了時刻を過ぎても丁寧に教えて下さって勉強になりました。」
「いえいえ、また何時でも来てくださいね。」
「はい。よろしくお願いします。」
「あの、今月の第4日曜日にプロ棋士の雪野将王招いてイベントがあるのですがいかがですか?」
「雪野将王って将棋界の王子と言われている棋士ですよね。 参加します!」
「では、参加者名簿に入れておきますね。料金は3000円で当日いただきます。」
「おもしろ企画や豪華プレゼントも予定していますので楽しみにしていてください。」
「楽しみにしています。ありがとうございました。」
高村さんが帰り、道場を軽く掃除をして私たちも帰る時間に。
「雪野将王のイベントまであと10日ですね。道場の飾りつけもより強化しないと!」
「イベントの話なんだけど昨日の夜、雪野から電話がかかってきて来週の月曜日に打ち合わせもかねて道場に来るって。」
「てっきり当日の打ち合わせ思ってました。」
「ごめんね、あいつはその場の思い付きで行動してしまうやつだから……」
「いえいえ。前もって来てくれるなんて嬉しいです。前もっての打ち合わせの方がよりいいイベントになると思いますし。」
来週の月曜日か確かに急だけど楽しみだな。と私は胸を弾ませた。