受け継がれる師弟の絆
迎えが来たと連絡があったのでホテルの入り口に向かう。
入り口の自動ドアが開くとそこには非常に格好いい、おしゃれな車が止まっていた。
「乗ってください。」
窓を開けて氷見さんが言う。
「はい。では」
あ、最後に黒羽二冠に挨拶しないと。
「黒羽二冠、さようなら。明日、明後日は現地には来れませんが道場や家でしっかり観戦します。」
「ああ。さようなら。この玲王戦は根に汗握る熱戦になるだろうから楽しみにいていてほしい。」
「はい。わかりました!」
大きくお辞儀をして私は後部座席のドアを少し引くとあとは自動で開いた。
「そういえばどこに行けばいい?」
「椿木駅までお願いします。駅の駐輪場に自転車を置いていますので。」
「ああ。わかった。」
氷見さんはカーナビに目的地を入力して、黒羽二冠と氷見さんが短く会話した後
車はゆっくりと走り出した。
「この車、とっても格好いいですね。」
「そうだろ! ずっと憧れの車でスゲー欲しかったんだよ。新人戦の優勝賞金で買ったんだ!」
私が何気なく言うと
氷見さんがぱあっと笑顔になり目をキラキラさせ、車の外装やスペックなど上機嫌に話していた。
嬉しそうに語る氷見さんの話を聞いていると全く車に詳しくない私も楽しくなった。
その後、車の話が落ち着き沈黙の時間が続いた。
そこで私は気になっていたことを氷見さんに聞いてみた。
「あの、氷見さんはどうして黒羽二冠の弟子になったのですか?」
「きっかけは小4のとき、俺が生活していた施設の所長が将棋好きで
黒羽先生がボランティアで指導に来たことだ。」
へぇ、そうなんだ。
氷見さんのいた施設に黒羽二冠がボランティアで指導に来たことがきっかけなんだ。
……施設? 施設とは。
施設の意味がわからず黙っていると
「俺の両親はろくでもねぇ奴らで4歳から児童養護施設に入ってたんだ。」
「すみません。言いづらいことを言わせてしまって。」
「別に過去のことだ。気にしてねぇよ。施設で黒羽先生に将棋を教えてもらって以降
俺は将棋に打ち込んでいった。本を買う金がなかったから毎日、学校の図書室や図書館で
将棋の本を読んでいた。
運がよかったのはアマ四段の所長がたまに対局してくれたことだな。
んで1年後には所長より強くなった。」
すごい。十代でプロになる人はレベルが違う。
将棋を初めてたった1年でアマ四段以上になるなんて。
しかも、ネットや道場で将棋を指さずに書籍と所長との対局だけで……
信じられない。
「驚いた所長が黒羽先生に俺のことを話したみたいである日、黒羽先生が施設に訪れて俺と2枚落ちで
対局したんだ。結果は俺がギリ勝った。」
「小学生で黒羽二冠に2枚落ちで勝てるなんて恐ろしいです。」
「そのときは嬉しかったが、奨励会に入ったあと、棋譜を再現したら3回詰みを見逃してくれていたがな。
でそのあと先生に"プロになりたいか"って聞かれて、たりたい。
って答えたら、定期的にボランティアで指導に来てくれて小学校卒業と同時に内弟子になった。」
「すごいですね。黒羽二冠。」
「ああ。他人の俺に小遣いや奨励会の費用も全部出してくれた。先生は俺の恩人でヒーローなんだ。」
あまりにもドラマチックな話にただただ驚嘆するしかなかった。
以前、島崎さんが話してくれた由利先生と黒羽二冠の逸話を知っていると
黒羽二冠の氷見さんへの献身は納得できる。
由利先生と黒羽二冠、島崎さんとの絆。黒羽二冠と氷見さんの絆が
脈々と受け継がれているんだな。
その後、将棋談義をしているうちに椿木駅についてしまった。
最初は緊張したが今はこの時間が終わってしまうのが寂しい。
「今日はありがとうございました。」
車を降りる前に最後の挨拶をする。
「礼を言うのはこっちの方だ。」
「ふふ。氷見さんは黒羽二冠のような素敵な師匠になると思いますよ。優しいですから。」
氷見さんは私の優しい師匠になるという言葉には何も言わず一通の便箋を私に差し出した。
「これは?」
「中を見ればわかる。じゃあな。」
私は車を降りて遠くなっていく氷見さんの車を見送った。
家に帰って便箋を開封すると氷見さんのネット将棋アカウントIDとメールアドレスが記されていた。
うーん。一将棋ファンでしかない私がプロと対局できるようになっていいのだろうか……
しかし、プロ棋士と指導対局することにより将棋の腕を磨けるのは確実だ。
相沢さんといい、女流アマ名人戦といい
新生青葉将棋道場になってから私の将棋世界はどんどん広がっていってるなぁ。
非常に嬉しい。でもちょっと不安。
日曜日は青葉将棋道場で島崎さんやお客さんと一緒に玲王戦第7局を観戦した。
振り駒で黒羽二冠が先手、雪野将王が後手になり、戦型は相矢倉で雪野将王が
工夫の研究手を披露して黒羽二冠が長考する展開になった。
そして1日目は異例のスローペースで終了した。
「島崎さん、玲王戦1日目はスローペースでしたね。」
「うん。そうだね。今のところ雪野が主導権を握っているけど
黒羽先生がこのまま土俵を割る訳がない。嵐の前の静けさ。だと感じるよ。」
明日はついに勝負が決する2日目。どんな将棋になるのだろう。




