7話:軍国主義、日本を離れてヨーロッパへ1
その後、安田亀吉は、日本で軍国主義が台頭して、嫌な世の中になって来たと、日本の将来に不安を感じた。そこでジェームズ加藤に、日本を出て安全な所へ移住したいと言い、どこの国が良いかと聞いた
「ジェームズが、米国は、アジア系の移民の待遇が悪くて駄目。」
「スイスは永世中立国を標榜しているが、寒いし住環境が良くなく食糧事情も良くない。」
「スペインは内乱があり平和とは言えない。」
「消去法で、ポルトガルなんか良いのでは、と言った、」
「寒暖の差が少なく日本との長い歴史もあり日本の同じで海に囲まれている。」
「スイスよりも食糧事情も良いかも知れないと告げた。」
「もし政情不安や、紛争が起これば、スイスに逃げると言う手もあると話してくれた」。
そしてフランクリン商事へ行って、社員に聞いたりして、よく調べてくることを約束してくれた。1週間後、ジェームズが、やってきた。
「やはり、前話した1番にポルトガル、2番がスイスで、もしヨーロッパで商売を続けて生活するとしたらフランス南部しかないと教えてくれた。」
「金はスイス銀行に預けて、スイスかポルトガルで、ひっそりと暮らす。」
「商売しながら生活するならフランス南部と安田亀吉が言った。」
「リチャードが、金は、円でなく、金・ゴールドに替えた方が、安全だと教えた。」
「もし亀吉さんが、本気で移住したいなら、三井物産の本居康智という友人がいる」
「彼に渡航の手続きや、面倒な事も頼むと良いと語った。」
「そして、彼との面談の手続きを取ろうかと言ってくれたので、お願いした」。
翌週1917年6月16日に中華街の高級中華料理店の個室で面会した。
「ジェームズが、安田亀吉を三井物産の本居康智に紹介した。」
「挨拶後、三井物産の本居康智が、亀吉に移住希望と、その理由もジェームズから聞きましたが、個人的な情報を教えていただきますが良いですかと聞くので亀吉は、了解した。」
「まず、お金はいくら、お持ちですかと聞かれ40万円と答えた。」
「家族の人数と年齢、家族4人、息子2人・23歳と21歳、奥さん・42歳、仕事は小さな商事を経営、借金はなし、持ち家もなしと告げた。」
これで、内情は、わかりましたと本居康智が言った。
「いつ頃、日本を離れたいと聞くので、安田亀吉は第一次大戦終了後に出かけたいと答えた。」
「パスポートは手続きを開始し3ケ月で手続き費用は35円ですと言ったので了解した。」
「また、費用は、全て三井銀行に預け入れて下さいといわれた。」
「ヨーロッパへ到着後、持ち金の大部分を英ポンドに替えた方が安全でしょうと言われた。」
「ヨーロッパに行けば、英ポンドか、または、ゴールド・金を安い時に購入して財産を保全するようにした方が良いと教えてくれた。」
アメリカは、伝統的な孤立主義の外交原則を守り、大戦勃発当初は中立を表明した。その一方、イギリス・フランス・ロシアには盛んに武器や物資を援助し、実質的には、連合国に大きく肩入れしている状態であった。
ウィルソン大統領は第一次大戦に連合国側に立って、参戦を決意、1917年4月に議会の同意を得てアメリカ合衆国の参戦に踏み切った。アメリカ軍がヨーロッパ戦線に派遣されたことによって戦局は決定的に連合軍有利に転換した。