45話:東北への石油輸送作戦4
しかし、JR東日本の会津若松駅長だった渡辺光浩さんが「おい、DE10を用意しとけ」と部下に指示を出した。DE10は中型のディーゼル機関車で、ローカル線の客車牽引のほか、駅構内の貨車運搬などに多く使用される、予備的な機材だ。山道で石油列車が動けなくなったら、後ろからDE10で押して脱出する。DD51の運行に合わせ、26日早朝から運転士を待機させ、暖機運転までしておけという指示だ。
今回の石油輸送は、背景に政府の意向があるものの、基本的にはJR貨物の仕事だ。JR東日本は磐越西線のインフラを管理、提供しているにすぎない。1987年の国鉄民営化前は1つの会社だったが、今は違う。非常時とはいえ、それぞれの枠の中で分業すべきだ。JR東日本としては磐越西線の緊急修理などで既に十分な役割を果たした。JR貨物からの要請がない状況で、JR東日本が機関車を待機させる必要はない。
しかし明日、列車が止まってJR貨物から要請が来てからDE10を用意すれば、運転士や整備士の確保など準備に丸1日かかる。被災地に石油が届くのが1日遅れるだけ。そうじゃない。非常時だからこそ、一秒でも早く届けろ。鉄道マンの魂がそう言っている。明日の待機を運転士に告げるため、受話器を握る社員の顔にも決意が宿っていた。3月26日午前4時過ぎ、会津若松駅のプラットホームを出発した石油列車。
DD51を運転するJR貨物の遠藤文重さんには、窓越しにDE10が見えた。「ああ、準備しているのかな。そんな話はなかったけど」。遠藤さんのつぶやきに、同乗していたJR東の職員は何も答えなかった。会津若松駅を出てすぐ、みぞれが大きくなった。同日未明、日本石油輸送・JOTの石油部、渡辺圭介さんは会津若松駅付近にいた。JOTは石油元売り最大手のJXグループなどが出資する石油輸送専門の企業だ。
JXとJR貨物の間に立ち、被災地向けの臨時石油列車の機材調達などにも深く関わってきた。渡辺さんはその日、震災後初めての休暇だったが、磐越西線ルートでの石油輸送を自分の目で見届けたいと自費で現地に駆け付けていた。目の前の踏切を予定時刻通りに通過した石油列車初便を見送って、安堵のため息をついた。携帯電話のメールで、上司で当時の石油部長の原昌一郎さんに「今、列車が通過しました」と伝えた。
メールに起こされた原さんは「了解」とだけ返信した。待っていた友人の車に乗り込む渡辺さん。「次はどこに行く?」「猪苗代湖畔のポイントに先回りしよう」。曲がりくねった山道を四輪駆動の車が進む。山間部に入るとみぞれは雪に変わった。「タイヤはスタッドレスだよな」。渡辺さんの問いに友人は「そうだけど、あんまり積もると走れないからね」と顔を曇らせた。会津若松駅を出発した石油列車は広田駅、東長原駅を通過。
ようやく白み始めた空の下、目を凝らすと線路脇にはかなりの積雪が見て取れた。深い霧で視界が悪い。大粒の雪が舞い始めた。出発してまだ30分もたっていない。これから本格的な山道に入るというのに。磐梯町駅付近に差し掛かったとき、運転席の空転ランプが初めて点灯した。機関車の馬力が車輪とレールの摩擦を超えて空転し始めたのだ。
遠藤さんはすかさずスピードを落とし、レールに車重をかけていく。戦いが始まった。猪苗代湖畔駅近くに先回りしたJOTの渡辺さん。待てど暮らせど石油列車がやってこない。「止まったのかもしれない」。その不安は的中する。




