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19話:米国株の売買開始

 1980年1月に金価格が価格上昇押してきたのでを1トロイオンス31.1g、890ドル/31.1gで346kgを売り990万ドル得て、小説の印税3億円と990万ドルとなった。その後、個人でもアメリカ株の売買を始めた。1980年4月14日に投資予算200万ドルでAMDを1株2.38ドルで72万株を171万ドルで購入した。


そして残高が29万ドルになり、1980年11月24日に全株を6.92ドル、総額527万ドルで売り、残金が527万ドル。その後、また、AMDが下がってきたので1981年9月21日に1株2.6ドルで160万株、416万ドルで買い、残金が111万ドル。1981年9月24日に700万株を1820万ドルで購入した。


 そこで、リチャードが、一度、安田商会を退社して、リチャードが、会社立ち上げて、顧問契約を結んで、投資アドバイスする形にしたいと良い、売買利益の5%を報酬として欲しいと提案すると、役員会にはかって、数日中に答えると安田正吉社長が言い、数日後、報酬を利益の5%として、投資顧問契約を結ぶと連絡が入り1982年1月1日から、この契約を結んだ。


 その後、安田正吉社長が、投資部門の利益に驚いて1983年1月1日から投資部門の予算を5千万ドルから1億ドルに引き上げる事にした。1980年代は「メイド・イン・ジャパン」が世界的に評価され、日本が本当にすごい時代になった。更に、円安・ドル高傾向の追い風を利用し、家電製品や半導体等のハイテク分野でも世界の市場、特にアメリカを席巻していった。


 具体的にはソニーウオークマン、パナソニックVHSビデオ、任天堂のファミリーコンピューター、車はトヨタ、ホンダ、ニッサンで、その勢いのすごさで、「エコノミック・アニマル」と呼ばれるほどだった。これに目を付けて、安田物産橫浜支店に大学を卒業した若い、安田健一、安田哲一を派遣して日本の製品でも特に付加価値の高い物や高級品を選び出した。


 その特長を書いたパンフレットを作成し、高性能、高価格商品の販売に注力していった。円安も手伝って高額商品の売れ行きは順調で、どこが優れているか、どう使うべきかなどを詳しく書いた、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、イタリア語の小冊子を、安田物産の購入者に配って回った。


 その後、1975年までに、安田健二、安田哲二、安田太郎、安田秀夫、安田恒子、安田富子が続々と大学を卒業して安田物産に入社し、安田秀夫と安田恒子と安田富子の3人は日本のまだ知られていない良い商品を発掘するために、日本全国を歩き回り、高級メガネ、絹織物のカバン、バッグ、ハンカチ、ネッカチーフ。刃物、ハサミ、漆器、木工製品など多くの商品を探しあてた。


 そして安田商事の顧客に詳しい冊子として、外国語の翻訳して、ヨーロッパ、アメリカの富裕層に送ることにより、売上が上がり利益も増えた。特に1980年から85年の円安の時には、安田ファミリー総力を結集して、日本の良いものを世界中に、売りまくり、年間の純利益が50億円を越えるまで増えた。


 しかし、とにかく、出張、資料作り、上客の接待、訪問販売活動に忙しい毎日を送っていた。その後、プラザ合意で円安是正で先進五ケ国・米、英、ドイツ、フランス、日本が協調介入して無理矢理、円高方向にしたため、日本の優秀な商品も値段が上がり、今まで程の売上を上げられなくなった。

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