17話:1960~70年代の米国
1960年代のアメリカは公民権運動、人種差別、女性解放問題が激しくなり、暴動、抗議行動など、多くの紛争が起きていた。また、ケネディと冷戦でキューバにソ連が攻撃用ミサイルを設置しているとの情報を得て、一触即発のキューバ危機を迎えたが、ケネディの必死の外交により解決された。
また1962年からベトナム戦争に入り、1965年の北爆開始で泥沼にはまっていった。1968年3月にはキング牧師がメンフィスで狙撃されて亡くなり、6月にはジョンFケネディの弟のロバート・ケネディもロサンゼルスで銃弾に倒れ、殺害された。1960年代のアメリカは波乱の時代であった。
一方、ハワイの安田姫子の家では1960年代に入り、長男とトムと次男のリチャードはジュニアハイスクールに通い始め、長男のトムは成績優秀で常にトップの成績で、将来は、お医者さんになりたいと考え、ハワイ大学医学部をめざし、日夜勉強をしていた。一方のリチャードは計算が速く、決断も早く、手先が器用でコンピューターと経済、投資、相場に興味を持っていた。
1965年にトムがハワイ大学医学部に入学して、1969年にトムはハワイ大学医学部を卒業し、研修医として、病院で医療活動を始めた。1967年にリチャードは、サンディエゴのカリフォルニア大学サンディエゴ エクステンション(UCSD)に合格して経済学を専攻した。
1970年代の日本経済は60年代年率10%を越える高度成長期から、1972、1973年の第一次オイルショックで、戦後初のマイナス成長となり、苦戦した。それを見て、1970年代はアメリカに時代になると予感した安田正吉は、安田竜男と共にニューヨークへ飛んで、安田商事ニューヨーク支店を設立して、アメリカ人の社員を10人雇って商売を始めた。
まずは、日本車、高級絹織物、陶磁器、漆器を仕入れて、そのうちに日本の中古車の輸入販売も行った。その当時オイルショックでガソリン代が高騰していて、燃費が良くて頑丈な日本車がよく売れた。しかし、車のメーカーは系列店を持っており、入り込めないので、中古車販売で輸入と販売をはじめた。これが当たって、大きな商売に育っていった。 1970年代に入ると、安田商事の運営は、安田正吉が社長で安田竜男、安田浩二、安田二郎が、それぞれ、副社長として活躍していた。
一方1971年8月のニクソンショックで米国での金本位制からの離脱は円高に誘導して米国の商売をしやすくするものだと考えて、これからアメリカ主導の時代になると予感し、西海岸にサンディエゴに支店を作り、南部マイアミ支店、西北部にシアトル支店を出して、総勢30人を雇って、米国中心で売買を行う事にした。