13話:第二次世界大戦の開戦と終戦
やがて、豪華な日本の織物、陶磁器をそろえてフランス、スイス、イタリアの富裕層に売れていくようになった。かくして数年で安田商事の安田勝一と勝二は、三井物産とフランスの富裕層、さらには欧州の富裕層との関係を揺るぎないものにした。その後1923年に、安田勝一は笠戸商店と別れ、独立して安田商事として10人の社員を抱えて営業活動を続けた。
そして安田勝一を新社長に安田勝二を副社長にして三井物産との絹織物や陶磁器の貿易の担当を息子たちと現地で採用した従業員たちに託して安田亀吉は83歳と奥さんの安田衣子52歳が一線を退いた。安田勝一が日本の織物担当で、勝二が陶磁器担当となって売りまくった。
同じ1923年に長男の安田勝一がフランス人のハンナ・21歳と次男の勝二も地元の可愛いフランス人女性とマリア・21歳と結婚した。翌年に1924年6月6日に長男、安田正吉、1925年11月22日に長女、安田金子、1927年9月11日に次男の安田浩二が誕生した。一方、安田亀吉の次男、安田勝二の家でも1924年8月16日に長女、安田姫子が、誕生した。
1926年9月9日に長男の安田竜男、1928年8月11日に次男の安田二郎が生まれ、安田家が10人となり、商売も順調だった。1924年4月に安田勝二がマルセイユからパリに移り住んで、安田商事パリ支店を立ち上げて従業員8人を雇った。そして、ロンドン支店と競い合う様にして日本の絹織物や陶磁器、漆器、銀食器などを販売して、オランダ、ベルギーも訪問していった。
1924年4月に安田勝一がイギリスへ行き三井物産ロンドン支店でイギリス国内で日本の絹織物や陶磁器、漆器、銀食器などを販売していく話をすると、三井物産の担当者がフランスでの成功例を聞いていたようで協力してくれる約束をもらい市場開拓のためにロンドン市内にアパートを借りてイギリスの貴族、元貴族、富裕層、事業主の顧客を同行訪問して販路拡大を手伝ってもらった。
そして、徐々に注文をもらえるようになり地元ロンドンで社員を募集して6人雇って安田勝一が安田商事ロンドン支店を開設して積極的な営業活動の末、1926年にはフランスと同程度の売上を上げる様になった。その後、ロンドンとパリ支店が競い合って売上を上げてきて事業が拡大していったが1930年代に入るとヨーロッパ、イタリアとドイツでファシストが勢力を伸ばして来た。
やがて1935年には戦争が近いと感じて安田勝一はロンドン支店を閉めて、安田勝二もパリ支店も占めて、2人ともマルセイユに戻った。 1935年以降は営業活動ができず、社員たちも一時解雇という形で1936年から安田商事は開店休業状態になり、今までの利益を切り崩して生活していた。
1933年11月12日に、安田亀吉は89歳、奥さんの安田衣子56歳でスイス、レ・マン湖の畔の老人施設に入った。その知らせを聞いた、安田姫子は、たまらず、スイス、レ・マン湖のほとりの老人施設に行き、近くにアパートを借りて、安田衣子と共に住むようになり、頻繁に安田亀吉の所へ行った。
やがて、1945年3月18日、安田亀吉はスイス、レ・マン湖のほとりの老人施設で妻の安田衣子に看取られて101歳で、その生涯を閉じた。残された安田衣子と老人施設を出て、近くのアパートで2人で暮らし始めた。その後、安田衣子が、もし、私に何かあったらと言い、亡き安田亀吉から預かった遺産の20万フランと、346kgの金塊をプライベートバンクに置いてあるので管理して欲しいと言われ、了解した。