暗がりの舞台にアンコールを 3
家へ帰ろうとする少女を呼び止めて、僕は自宅に招待した。
わざわざ暴力が待っている家に帰るのはアホのすることだ、といったら苦虫を噛み潰したような表情をされた。
彼女がいつも図書館にいるのは、暴力から逃げるためらしい。学校は学校で居場所がなく、かといって家にも居場所がないので、彼女は図書館に逃げ込んだのだ。昼夜逆転の生活をしているヨシイの生活リズムに巻き込まれ、彼女は足りない睡眠時間を図書館で補った。
記憶のなかでは二度目だが、僕は初めて女の子を自宅に上げた。
律儀におじゃましますと言って彼女は脱いだばかりの靴を丁寧に揃えた。
「でもまあこの世界ならキミは殺人犯じゃないし、大手を振って歩くことができるね」
「……そうですね」
正座状態で借りてきた猫のような表情のまま彼女は小さく頷いた。
「コタロウさんは私の話をあっさり信じてくれるんですね」
「そりゃ、記憶があるしね。今やってる番組だってどうなるかオチがわかるんだ」
テレビ画面にはしょうもないクイズが写し出されていた。正解は一番。
我ながら順応性の高さには驚いている。
「まあ少しだけだけど未来がわかるのは楽しいよ」
ミオリは黙りこくって俯いた。
「優しいんですね。私はその優しさに漬け込んで、あなたを、……巻き込んでしまいました。ごめんなさい」
「そんなん気にすることじゃないよ。好きでやってるんだ」
「……ずっと……」
顔をあげた少女の瞳には涙が滲んでいた。
「ずっと……」
「ん?」
「……こんなことが、ずっと続くなら、私は……っ、もう」
二日後の昼に時間が巻き戻る。特に行動しなければそういう未来になるのだろう。
彼女はなにをしても過去に戻ってしまうと言っていたが、なにぶん僕はまだ二週目だ。物事を楽しむ余裕がある。
「青春が終わらないなんて羨ましいな」
「……?」
「青春は若いやつらにはもったいない、ってバーナードショーが言ってたぜ」
「……誰ですか?」
「よく知らないけど詩人らしい」
杉江の葬式に出る気分でもないし、香典をポネットマネーにするので、お金の余裕もある。懐が豊かになれば精神的にも余裕が出てくる。罰当たりかもしれないが、二回も憂鬱な気分になるのもいただけない。
「ま、そんなことよりさ、明日はどこへいこうか」
思い詰めた表情のミオリは遮って僕は言葉をぶつけた。
「……何言ってるんですか?」
「ん? どうせ巻き戻るならいろんなところに行くべきだよ」
僕の提案に少女は虚をつかれたような表情をした。
「な、なんていうか楽観的ですね」
「そう? 一般的な思考だと思うけど」
「……帰りますよ。私は。……巻き込んでしまってすみませんでした。どうか、もう私には構わないでください」
「なんでまたわざわざ殴られに行くの?」
「帰らなきゃ余計殴られるからです」
「バックレて二度と会わなければ関係ないじゃん」
目を丸くして、少女は掠れるように呟いた。
「……たしかにそうですが」
「箱根にするか」
温泉に行きたいといつか言っていたような気がする。
水飴のようにゆったりとした時間が流れる。穏やかだ。
とくに多くを話したというわけではない。
僕らの間に会話は少なく、ただ一緒に下らないバラエティー番組を眺めていた。
ただそれだけなのに、僕はちょっとした多幸感を得たのだ。我ながらちっぽけな感性をしているな、と思った。
「私、いますごいドキドキしています」
ミオリは室内の照明が落とされると同時に言った。
「外泊なんて初めてですし、帰ったら怒られるな、って思うんですけど、……すごく楽しいです」
「まあ……嫌なら逃げればいいと思うよ。どうせ無かったことになるなら、やりたいように生きるべきだ」
夜更かしせず、0時前に床につくのは久しぶりだ。
彼女のタイムスリップに巻き込まれたのは事実。とはいえ、いまだ半信半疑で、大それた行動はとれなかったが、避難所ぐらいにはなれる。
人殺しの罪で投獄されそうになったのだ。いまさら未成年者略取で罪に問われようがどうでもいい。
「もっと、はやく、……いろんなことにチャレンジすべきでした」
彼女は最後にそう言って、健やかな寝息をたてはじめた。
ずいぶん眠るのが早い。寝不足だったのだろう、今日ぐらいはゆっくり寝させてあげようと思った。