暗がりの舞台にアンコールを 2
「はじめはヨシイに殺されました」
杉江の香典をコーヒーと紅茶に変えることにした。近くの喫茶店に入り、僕は彼女から眉唾な話を聞くことになった。
「ヨシイは母が付き合っている男でイライラするとよく私を殴りました。母は止めません、ヨシイが好きだから」
紅茶をすすり、彼女は寂しそうに呟いた。
「些細なことでヨシイに殴られた私は、きっと死んでしまったんです。意識が飛んで、ああ、もう無理だな、って思ったら……二日前戻っていたんです」
戻る。
時間の矢は常に一方向で、それが逆を向くなんてあり得ない。
生まれたての赤ん坊だって知ってる事実だ。
「それから私は彼に殺されないように必死に抵抗を続けましたが、結果はすべて無駄でした」
「ごめん、話が見えない。どういうことなんだ」
「きっかけは暴力だったんです。あの男が私の右頬を殴った瞬間、戻るんです」
「……」
コーヒーの湯気が揺蕩う。
店内に流れるジャズが現実感を希薄にしていく。
通常ならば。
正常な思考を持つものならば、彼女の言葉を信じるなんて、どだい無理な話だろう。
手垢がついたフィクションの設定と、一笑に付すのが普通な反応だ。
しなしながら、僕はたしかに彼女の言葉を知識ではなく経験として知っている。
「僕が……おかしくなったわけじゃないんだな」
はじめは自分の記憶を疑った。
夢の光景が自然すぎて、現実にあってもおかしくない、と感じるのはよくあることだ。
てっきり、そういうのだと思っていたが、ミオリと話してはっきりした。
僕はたしかに戻ったのだ。
「……戻った瞬間はいつも暴力の中でした。つまり今日ですが、とっさに庇って頬を殴られないようにするのが私のできる最大限の抵抗です。……たまに失敗しますが」
痛々しい青あざをそっと撫でてから少女は続けた。
「それからは繰り返しです。どんな行動をとっていようと時間が巻き戻るんです」
「……SF映画みたいだ」
「はい。でもこんなことは始めてです。巻き戻る前のことを覚えている人に会うのも」
「キミには時間を戻す前の記憶があるんだよね」
「はい」
「何回繰り返してきたの?」
「……三回」
思ったよりは多くなかった。