秋は日暮れて 3
世の中にはサイコパスと呼ばれる罪の意識を感じない特異な性質の人がいるらしいが、そのあとの僕たちの行動はまさしくそれに近いものがあった。
トンネルで男を殺した少女と傍観していた僕は、ひとまずシャワーを浴びることにしたのだ。
自宅に女の子を招くのは初めてだったが、初体験がこんなカタチになるとは予想外だった。
「先に浴びていいよ」
と、僕が言うと少女は少しだけはにかんで、「一緒にはいりますか?」と冗談めかして言った。
丁重にお断りをし、ウェットティッシュで自身にこびりついた男の血を拭う。
なにも事情を聞いていないが、壁一枚隔てた先で水音をたてている女の子は殺人犯だ。
ティッシュについた赤黒い血液を見て、これからのことをぼんやりと考えていたら、女の子が小さくバスルームの扉を開けて、
「服を貸してくれませんか?」
と湯気とともに恥ずかしそうに声をかけてきたので、上下のスウェットを貸してあげた。
少女と交代するようにバスルームに入る。自分が入る前にタイルが濡れているのは始めての経験だった。熱いシャワーを浴びながら、全部が夢だったらどんなにいいかと考えた。僕が望む変化はもう少し穏やかで、こんなバイオレンスなものではない。
残念なことにお風呂を上がっても少女はそこにいて、脱衣場から出てきた僕に、彼女はふわりとシャンプーの香りを振り撒き、恭しく頭を下げた。
「色々とありがとうございます」
「これからどうするの?」
つむじを見ながら僕は訪ねる。
「服を洗濯させてもらえると助かります」
「それは構わないけど」
ゴウンゴウンと音をたてて回転する返り血まみれのTシャツをぼんやりと眺めていたら、彼女は無表情に呟いた。
「なにも聞かないんですか?」
至近距離でみる女の子は思った以上に華奢で、ちょっと押したら倒れてしまいそうなほど儚げだった。
「言いたいなら聞くけど」
「いえ、なんでもないです。ごめんなさい」
なに対して謝っているんだろうとぼんやり思っていたら、お腹が鳴った。
お湯を沸かして即席焼きそばを食す。
名前も知らない殺人犯の女の子と顔を付き合わせて、箸を動かす。
「……警察には行かないの?」
彼女の事情が気にならなかったといったら嘘になるが、聞いたところで、できることは限られている。
少女は下唇を尖らせて、ゆっくりと頷いた。
「あなたこそ、通報しないんですか?」
「キミが猟奇的殺人犯なら警察呼ぶけど、そうには見えないからね。それに、キミは僕の命の恩人だから」
「……わかりませんよ。これからあなたを殺して金品を奪うつもりかもしれません」
「それならそれで仕方ないね」
久しぶりに食べるカップ焼きそばは美味しかった。
「ずいぶんと変わった思考をされてるんですね」
「よく言われるよ。でも、自首しないなら、これからどうするつもりなのさ」
「……べつに、なにも」
少女はもぐもぐと焼きそばを噛み、ごくりと喉をならしてから、続けた。
「なにもしません。お金ならありますし。てきとーにぶらぶらします」
そう言って彼女は床の上に置かれたピンクのバックを手繰りよせて、中の財布を取り出した。それは茶髪の女の落とし物だった。
ちらりと見えたがお札がかなりありそうだった。
「無計画だとすぐに捕まるよ」
「それならそれで構いません」
自分で言ってて少し驚いた。僕は彼女の逃走を助けたがっている。
「そうか。……」
小さくうなずいて、箸を置く。
ご飯を食べ終わると、彼女はトロンと眠そうに目を半分閉じていた。時間は夜中の3時を迎えている。
ご馳走さまのあとにお休みなさいを言って、僕らは夢の世界へ旅立つことにした。
僕はソファーで、彼女はベッドで寝ることになった。
腹はふくれたが眠気はない。半端な時間に寝たので、目は醒めていた。
ぼんやりと明日のことを考えることにした。
なりゆきで家に泊めたが、彼女を匿うことは出来ない。
僕にだって人生があるし、これ以上殺人犯を保護するのは法律的にアウトだからだ。
「……」
と、考えていたらところで、杉江の言葉が頭をよぎった。
「自由を奪う権利は誰にもない」
捨て鉢になったはずの人生に僕はまだしがみついていたいらしい。
ふと暗くなった部屋にすすり泣きの声が微かに聞こえてきた。
薄暗闇で目を開けて、彼女の小さな背中を見やる。
震えながら泣いていた。
なにがサイコパスだ。彼女は十分に人の心を持っていた。