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秋は日暮れて 2


 目が覚めたとき、外は真っ暗になっていて、時計の短針は深夜をさしていた。

 中途半端な時間で寝たから中途半端に目が覚めてしまったらしい。

 冷蔵庫を漁ってみたが、ろくなものが無かった。襲い来る空腹には逆らえず、仕方がないので財布を持って外に出た。

 贅沢は出来ないが、先週の短期バイトの給料が残っているで、しばらくは食うに困らない。


 コンビニで本日の夜食と明日のお昼のカップ焼きそばを二つ買った。

 幸いなことに明日は必修科目がないので、一日中のんびりすることができる。

 友達が死んでも、日常に変化はなく、今がやがて過去になり、杉江もいつか思い出に変わる。

 彼とは親友とまではいかないと思っていたが、少しだけ、いや思った以上に寂しかった。


 肌寒い夜風に身を縮ませながら歩くと、薄ほんやりとした街頭に照らされた陸橋が見えてきた。下が歩行者通路になっている小さなトンネルだ。切れかけた蛍光灯が不気味に点灯を消灯を繰り返している。

 中から怒鳴り声が響き渡った。

 ビックリして声がした方を見てみると、男と女がゲラゲラ笑いながら、うずくまった人物を蹴飛ばしていた。

 男はタンクトップで、これ見よがしに腕に刻まれたタトゥーをアピールしている。女の方は髪を茶色に染めているが、根元が黒く、プリンみたいになっていた。

 寒いのに元気一杯だな。と目を合わせないようにして、歩みを進める。

 遠回りして帰ることはできるが、けっこうなタイムロスになってしまうし、こちらがちょっかいをかけなければ絡まれることもないだろうと、トンネルに足を踏み入れた。

 薄汚れた壁にはたくさんの落書きが描かれていた。

「ちょっと」

 話しかけられたのかと思ってヒヤリとしたが、横目で見てみると、茶髪女がタトゥー男の肩を咎めるように掴んでいた。やましいことをしている、という自覚はあるらしい。

「あ?」

 不機嫌そうに男は低い声をあげて、振り向いて僕を睨み付けた。お預け食らった犬のような視線だ。

 なんか文句でもあるのかよ?

 と頭悪そうな薄っぺらな目が語っている。

 どうぞご勝手に。と視線を無視して僕は前を向いた、

 その一瞬、うずくまっていた塊と目があった。深く黒く濁った瞳。

「あ」

 思わず立ち止まっていた。

 膝を抱えていたのは、図書館の少女だったからだ。


「なに見てんだよ?」

 動きを止めた僕に、ドスのきいた声で男が声をかけてきた。

「やめなよ」

 茶髪女が慌てて、男の二の腕を強く掴む。

 ああ、しまったな。

 脳は足を動かせと命令を下しているが、すくんでうまくいかなかった。

 正義感を振りかざしたわけじゃない。ただ動けなくなって、僕はうずくまる少女を見ていた。

「なんか言いたいことでもあんのか」

 男が声を荒らげる。

「つまんないことしてんなよ」

 反射的に答えていた。ああ、よせよせ、と後悔する一方で饒舌に舌は動いた。

「その子を蹴飛ばしてなんの意味があるんだ」

「ああ?」

 男は反論するでもなく濁った声をあげて、僕に向かって歩み寄った。

 ポケットにはスマホが入っていたし、冷静になれば警察に任せるべき事柄なのだろうけど、どうやら僕も頭に血が昇っているようだった。

 一方的な顔見知りとはいえ、少女の怪我が増えるのを見過ごせなかったのだ。

 気がついたとき、胸ぐらを掴まれた。太い腕だ。持っていたコンビニのビニール袋を落としてしまった。

「関係ねぇだろ? ああ?」

 至近距離で睨み付けられる。

 ごもっともな意見だったが、息苦しいので反射的に手を払いのけたら、それが彼の逆鱗に触れてしまったらしい。

「てぇなぁ!」

 弾かれた右手を男は後ろポケットに突っ込み折り畳みナイフを取り出して、これ見よがしに僕に向けた。

「なめてんじゃねぇぞ、ボケが!」

「やめなって! 危ないよ!」

「うるせぇ、黙っとけ!」

 茶髪の女は遠くから男に声をかけるだけで、具体的な行動はとろうとしていなかった。一応私は止めましたからね、というポーズがほしいのかもしれない。

 さすがに武器を持ったゴロツキと相対すべきではない。

「殺されたくなかったらさっさと失」

 ほぼほぼ反射的に、僕は男の右手を蹴りあげていた。隙をついた、といっても過言ではない。

 カランカランとトンネルに金属が落ちる音がこだまする。後方に落ちたナイフに目をやらず、言葉を遮られた男は不機嫌そうに蹴られた右手を見た。

 予想以上にうまくいった。こんなドラマみたいに武器をはたき落とせるなんて思わなかった、とビックリしていたら、頬に衝撃を感じた。

 間抜けなことに、殴られたと気づくまで数秒かかった。

 矢継ぎ早に攻撃が来た。途中から、あまりの痛みに目をつぶってしまった。

 そしてどの生物もそうするように、自分を守るため、僕はその場に丸くなった。

 ダサい。まったくもって言い訳が出来ない。

 すぐに後悔した。こんなことなら無視して家に帰ればよかったと後頭部を踏まれながら考えた。

 口内に血の味が広がった。

 どれぐらい待てばタトゥー男は僕という対象に飽きてくれるのだろうか。

 薄れ行く意識でぼんやりとそんなことを思い始めた時だった。

「キャアアアアアア!」

 トンネルに金切り声が響き、僕の後悔は終わりを告げた。

「え?」

 暴力はやみ、変わりにベチャリと温かな雨が降り注ぐ。

 間抜けな声をあげながら、顔をあげると、男の頸動脈から赤いシャワーが絶えず吹き出していた。

「な」

 開いた口がふさがらない。現状を理解しようと脳と目玉を動かすが、あまりにも非現実的な光景にうまくいかなかった。

 ただ、事実だけをありのままに描写するのならば、先程まで壁の隅でうずくまっていたはずの、Tシャツ姿の少女がナイフを持って立っていた。

「ひ、ひぃ!」

 茶髪女が引き付けに似た悲鳴をあげて、バッグを落として駆け出した。交番を目指して走り出したのかもしれない。

「ミ、オ……てめぇ……っ」

 男が小さく呟いて、そのまま倒れた。ガツンと後頭部がアスファルトとぶつかる音がした。どくどくと血が流れ続けている。


 顔をあげると、こちらを見下ろすように僕を見つめる少女と黒い瞳と目があった。

 彼女の手に握られたナイフからポタポタと血が滴っている。

「……」

 明滅を繰り返す蛍光灯が映画フィルムのように血だまりを照らし出していた。

 喉が乾いて言葉が出せないが、善良なる一市民として、ポケットに入っているスマートフォンで救急車を呼ぶべきだろう。

 いや、この場合は警察だろうか、ぐるぐると色んな考えが巡る僕の混乱をはらすように少女は小さく、

「お腹すきました」

 と呟いた。


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