明日の世界が邪魔をする 4
くだらない世界とか批判する前に自分がくだらない人間だってことは気付いてた。
公園のベンチに腰かけて、秋風に揺すられる樹々の葉音に耳を澄ませる。
ミオリは時折鼻を啜ったが、概ね静かな夜だった。
温かいココアを自販機で買って、カイロ代わりにしながら、僕らは広くて高くて暗い空にぽっかりと浮かんだ半月を見上げた。
言葉はいらなかった。
ただずっとこうしていたかった。
少女の温もりを左肩に感じながら寝れたらどれだけ幸せか、と考えてしまった。
プルタブを押し開け、中味を啜る。口内に甘味と温かみが広がった。
もし、彼女にリスクがないなら、延々と繰り返すのも有りなんじゃないかと一瞬考えてしまった。
円環で僕らは二人だけ生きるのだ。
それを想像してみる。「ねえ」と彼女に声をかけ、「このままずっと、同じ時間を繰り返して、いろんなところに行かないか?」と提案してみる。彼女は恥ずかしそうに頷いて僕らは目を合わせて笑い合う。
それは至極幸福なことに思えた。
口に出して提案しようかと一瞬迷ったが、毎回ばか騒ぎを味わうのは精神的に参っちゃうよな、と考え直すことにした。ああいうのはたまにやるからいい。だから、僕は別の提案をした。
「明日さ。商店街で仮装イベントがあるんだ」
「明日、ですか?」
しゃくりまじりに呟いて彼女は小さく「そうか、ハロウィン」と呟いた。
子供たちがドンキホーテでコスプレを仕上げ「トリックオアトリート」と町を練り歩くのだ。
「よかったら、それを見てから、一緒に旅行に行かないか?」
「旅行ですか?」
「ああ、今度こそ。箱根にさ。ゆっくり温泉にでもつかりながら」
「いいですね。それ」
「ああ、最高だろ?」
時間を繰り返さなくたって、僕らは色んな所に行ける。
変わらない運命も長い目で見ればそう捨てたもんじゃない。
例え僕が殺されても、ヨシイは警察のお世話になって、ミオリに暴力を振るうことがなくなるはずた。
そう思うと嬉しくなって、僕は死にたくはなくなった。
解決策はなにも浮かんでいないが、もう少しだけ、
「行きたいように、生きないとね」
ミオリとだけ、生きたいと思った。
彼女は暴力の待つ家へ帰っていった。
母親に料理を作るために。
夜遅くになって、ヨシイが帰ってきて、ミオリの母親はそれを出迎える。
夜勤でもないのに帰宅時間が遅いことを咎めたことで口論になるらしい
よくあることと少女は力無く笑った。飯が不味いからまっすぐ帰宅する気を失うとヨシイが言い、それに賛同した母親に叩き起こされて、深夜に買い物に行くように言われる。それが一番はじめだったとミオリは言った。
そのまま逃げてしまおうと画策したところで、ばれてトンネルの下で殴られていたら、通行人に止められ、逆上したヨシイがソイツを刺すのだそうだ。
刺されて死ぬのが僕の運命である。
聞いても、ところどころ意味のわからない話だと思った。
まあ、なんでもいい。
僕はミオリを助けて、先に進む。
残り一本になったマルボロに火をつけて、煙を吐き出す。
今日から禁煙するから、神様どうか彼女が幸せに暮らせますように、と爽やかな秋風を濁らせて僕は祈った。
日付が変わるころ、彼女と初めて言葉を交わしたトンネルへ僕は向かった。記憶は朧気だが、時間的にはちょうどいい頃合いだろう。
薄汚れた壁にはスプレーで落書きが描かれ、不明瞭の吹き溜まりを思わせた。
「……」
誰もいなかった。
孤独が恐怖を引き連れて僕の思考を鈍らせる。
どういうことだ。
吹き抜ける冷たい風が、国道を行くトラックの走行音を運んでいた。
しばらく待っても誰も来なかった。
犬の散歩をする人も、深夜徘徊するする人も、夢遊病患者も、誰一人として通らない。
草木を寝る丑三つ時、とはよくいったものだと、携帯の時計を見て、ため息をついた。
約束していたデートをすっぽかされたような、そんなやるせなさが倦怠感になって、僕の足を重くした。
破れかけのポスターが風でバタバタと音をたてている。
このまま夜明けまで、銅像のようにここに突っ立っていようかと思ったが、国道のほうがやけに騒がしいことに気がついた。サイレンの音が響いている。
国道沿いのアパートは赤色灯に照らされ、まるで火事のようになっていた。静かな夜が嵐に飲まれたような景色だった。
夜中だというのにサイレンに叩き起こされた人たちがザワザワと野次馬になって、集まっている。
「下がってください!」
と若い警察官が集まった人たちを必死に誘導していた。
アパートの前にはパトカーと救急車が一台ずつ待機していた。
「女の子が刺されたらしいよ」
スマートフォンを自由の女神のように掲げた男性が横の女性に囁いていた。
「いてぇよー! 早く医者連れてこいよぉー!」
声が響いてアパートから血まみれの男が出てきた。歓声に似たどよめきが起こる。
「だから、せーとぼーえだっていってんじゃねぇかよ! いいから早く医者連れてこいよ!」
涙目で首もとを押さえている。血が滴っていた。
暗くてよくわからないが、赤色灯りに照らされた男はヨシイだった。
警官が彼に付き添ってアパートの階段を降りてくる。
「なんだよおめぇら! 見せもんじゃねぇぞ!」
ヨシイがパトカーに乗ると同時に、開けっ放しだった扉から、担架を持った救急隊員が二名出てきた。
白いシーツに隠されたナニかを何とも言えない表情で運んでいる。
嫌な予感がした。
「あ……」
嘘だ。
頭をぐるぐると単語が巡る。
ミオリは僕に嘘をついた。
あれほど、あれほど、言ったのに。
キミは自分で決着をつけようとして、
失敗した。
「ミオリ……」
誰か嘘だと言ってくれ。
階段を歩く振動で、担架を覆っていた白い布から小さな手首が垂れた。冬枯れる柳のように、力無く揺れる手首には、いくつもの絆創膏が貼られていた。先程までたしかな温もりがあったその手を見た瞬間、警察の制止をふりきって、僕は彼女に駆け寄っていた。
「ミオリ!」
止める声と怒号を無視して、僕は白い布を剥いだ。
「あ……」
血だらけの少女の表情は、少なくとも穏やかさとは無縁な怨嗟にまみれたものだった。
薄く開かれた瞳に光はない。
「あああああ!」
喉が裂けて、血の味がした。
どうにかなるもんじゃないとわかっていたが、それでも僕は叫び続けた。
認めたくなかった。
やり直したかった。
こんなのは望んだ終わりかたじゃないと、叫んだ。
羽交い締めにされても、現実を認めたくなくて、叫んで、子供のように喚いて、発狂し、意識が遠退いた。
「熱っ!」
指先にタバコの灰が当たって、僕は意識を取り戻した。汗が夜風に冷やされ急激に体温を失っていく。
「今のは……」
夢?
いや、
「戻ったんだ」
バカな。
あり得ない。
そもそもミオリの黒丸は二日前の昼間、僕に杉江の不法連絡が届くタイミングのはずだ。
握った手のひらに血が滲んだ。
だから、
スマホの画面を確認してみる。
十月三十日の二十時三十分。こんな中途半端な時間じゃないはずだ。
つまりさっきのは夢だってことだ。
それにしてもあまりにリアルな……。
右手の人差し指と中指の第一関節に火傷の痛みが残っている。
「っ……」
ミオリじゃないのに、戻れるはずがないんだ。
ミオリじゃないのに。
自問自答のなか、所在無げに去っていく少女の小さな背中を思い出す。それはつい数分前の出来事のはずだ。
「……そうか」
この黒丸は僕のものだ。
なにが原因でなにが正解かはわからないけど、こんなのは絶対に間違っている。
このまま先の未来は暗黒だ。
それを知った僕は、未来を変えるために今を変えなければならない。
いま何かしなければ。
それがわかって、僕は勢いよく立ち上がり、駆け出した。
彼女の家は知っているし、彼女の企みも知っている。そしてそれが失敗するってことも。
何度でもやり直してやる。
何百やってダメだって、僕は何回だって、彼女を助けてみせる。
少女の住むアパートが見えてきた。
築何十年も経っているようなボロいアパートだ。クリーム色の外壁は所々塗装が剥げている。
数時間後に二階の橋の部屋で事件が起きる。
鉄製の階段は静かに上ろうとしても靴音をカンカンと響かせた。
浅く深呼吸をして、一番橋の部屋の前に立つ。覚悟を決めて、僕はノックもせずに扉を開けた。
冷たい空には半月が浮かんでいた。




