明日の世界が邪魔をする 2
彼女を落ち着かせてから、近くの中華料理屋さんに入った。
席について、カタコトな店員にラーメンセットとチャーハンセットを注文する。
厨房では異種言語が飛び交い、客は無言でラーメンをすすっている。向かい合わせに席に座り、「大丈夫?」とミオリに尋ねた。
「平気です。慣れてますから」
「いじめられてるの?」
「……そういうわけではないです」
「服、びしょびしょだよ。寒いだろ」
「そうですね……」
ミオリの瞳は暗く沈んでいた。もしかしたら自分のこれから先の未来に絶望しているのかもしれない。
彼女は小さくカタカタと震えていた。
コップに注がれている温い水に口をつけ、喉を潤してから、僕は続けた。
「僕に出来ることがあるなら、なんでも言ってくれ」
「……私に構わないでください」
「それ以外ならなんでも叶えてあげるよ」
「あなたはずっと変わりませんね」
自嘲ぎみに少女は鼻を鳴らした。「みんな変わっていったのに」
「みんな?」
「一つ、嘘をつきました。私は時間を任意に戻すことが出来ます。ある時点でループするといったのは嘘です」
「……ああ、感づいてたよ」
「ゲームの、セーブみたいなものなんです。それまではいくらでもリセットが出来る。しばらく経つと戻せる地点が上書きされていきます」
「えっと」
彼女は無言でテーブルに備え付けられていたアンケート用紙とボールペンを取り出した。
アンケートの裏の白紙にとんとペン先を押しあてて、グリグリと黒丸を作る。そこから線を一本ひいて、一周させるように黒丸にペン先を戻した。それを何回か繰り返す。
「先に進まなければいくらでもセーブポイントからやり直せます。だけど」
二重三重と不器用な楕円を描いていたペン先がスッと伸び、直線を作り出し、その先でグリグリと別の黒丸を作り始めた。
「この黒丸まで来たら、一番最初の黒丸には戻れません」
二番目の黒丸でまた歪な楕円を何重にも作り始める。ジャン・レノンの眼鏡みたいだ。
「ずっとそれの繰り返しです」
「オートセーブ……みたいな感じか」
「……なんですか、それ?」
自身の能力をセーブに例えたくせに、ゲームには詳しくないらしい。
「一定時間やある地点についた時点で勝手にセーブしてくれる機能のことだよ」
「よくわかりませんが、きっとそういうものなんでしょう」
なるほど彼女の能力については納得したが、そうすると別の疑問が出てくる。
「なんで、君はわざわざ辛い時間を繰り返してるの?」
「……」
僕の質問と同時に空気の読めない店員が料理を運んできた。カタコトでメニューを読み上げ、伝票を置いていく。
僕らは小さく手を合わせて、「いただきます」と箸を持った。
料理はそこそこ美味しかったが、僕らの間に会話は無かった。
店内に流れる曲は一昔前の邦楽で、僕はこの甘ったるい歌詞が嫌いだった。
すっかり料理も食べ終わり、爪楊枝で歯茎の掃除でもしようかなと考えていたところ、ミオリが掠れるような声で教えてくれた。
「私が時間を繰り返す度に、私の未来は悪い方へと転がっていきました」
「……なに言ってんだよ」
心底そう思った。
「時間を戻せるってことは、過去を変えられるってことだろ」
「変えた先の未来が良いものとはけして限らないんです。例えば本当は私、清輪学園の生徒だって言ったら信じますか?」
「……」
彼女の着ている制服は近所の頭がいいとはいえない高校のものだ。高い偏差値の清輪高校とは比べようもない。
「未来を変えようとすると必ず望んだものにはならないようになっているんです」
「どういうことだ」
「この能力に初めて気付いたのは小学生二年生の時でした。パパが誕生日プレゼントに漫画本と野球ボールどっちがいいかと聞いてきました。当時好きだった少女漫画の続きが気になって私は漫画を選びました。だけど最終巻があまりにもつまらなかったんです。予定調和で胸踊ることのない展開に、後悔しました。こんなことならボールを選んでおけばよかったって。そう思いながら寝たら、パパが私にプレゼントの内容を聞いてきた日に戻っていたんです。私は迷わずボールを選びました。パパとキャッチボールをするのは楽しかったし、漫画と違って飽きが来ませんでしたから。だけど、私の誕生日から数日後にパパは私のボールを踏んで、足を滑らせました。片付けが苦手でだらしなかった私がボールを階段に放置していたから。夜遅くお休みのキスをするために二階の子供部屋に上がろうとしたパパを私の無知が殺したのです」
捲し立てるように彼女は言った。
「もし、当初の選択の通り、漫画本を選んでいればパパが死ぬことはなかったのに」
「……戻せないのか? 望んだ未来になるまで過去をやり直すことはできないのか?」
「無理です。戻せるポイントも前に進んで行きますから……その時はいい結果でも長い目でみたら、悪路なんです」
「そんなことないだろ。時間を戻せるんだぜ? うまく使えば君の人生は実り多いものになるはずだろ」
「そもそもにして私の力が万能なら、母に恋人ができたときにもっとちゃんとした男になるようにコントロールしてます」
母親の恋人……ヨシイのことだ。何者かは知らないが、人間的にできた男とは言いがたいだろう。
「母の古い友人らしいです。あの男と付き合い出してから母は派手になって、夜に遊びに出ることが多くなりました。今日もこれから……」
いいかけて、口をつぐみ、ミオリは静かに首を降った。
「いえ、なんでもありません」
かける言葉が見つからなかった。
「受験にしてもそうです。普通にやっていれば清輪に入れたのに」
悔しそうに握りこぶしを作る。
「……なんで……」
「受験日に友達が車に牽かれたんです。それを防ぐために時間を戻して、身代わりになった私は遅刻して、受験に失敗しました」
「……それは……気の毒だったけど、命を救えたのならよかったじゃないか」
「助けた彼女は、今日も笑いながら、私にバケツの水を被せてきました」
「……」
彼女の瞳は絶望に沈んでいた。
何て言えばいいのかわからない。
「彼女が清輪に受からなかったのは私のせいなんだそうです。事故に合った私に付き添ったから、試験に間に合わなかった、って。結果的に見ればその通りです。けど、……ほんとうは逆なんですよ」
力無く笑った彼女の服は乾いていた。
「……なら、なんで君はこの時間を繰り返しているんだ?」
「……」
「前の周回なら僕が殺人犯になって終わりだったじゃないか。なんでわざわざ時間を戻した」
料理が運ばれてくる前にした質問を、改めて僕はした。
少女は無言になって、伝票をつまむように持ち上げた。
「自分の幸せだけを願うなら、戻さないで、先に進めばよかったんだ」
「……」
少女はなにも答えない。唇を真一門字に引き結んだまま摘まんだ伝票を見た。
「僕のことは気にせず自分の幸せだけを願えばいいんだ」
「行きましょう」
「おい。話は終わってないぞ」
立ち上がった少女は鞄から財布を取り出し、中身を確認し、下唇を噛んだ。どうやら手持ちが足りないらしい。
「奢ってやるからちゃんと話をしよう」
「あ」
ひったくるように伝票を奪い、会計を終わらせる。




