紅より赤く、藍より青し
『紅の秋企画』参加です
なんで画号を書かないかって?そりゃあ女が描いたと知れたら売れないからさ。
下手すりゃ捨てられるか、弁償しろって怒鳴られる。
だから大概は親父の名を書いてるよ。
こんなに上手なのにって?嬉しいことを言ってくれるねえ、小僧さん。
でもねえ、世間じゃそれが当たり前なのさぁ。気にしないでくれたのは、親父と兄弟弟子達とわずかな友人達くらいだったさ。
その兄弟弟子達も天保の改革の締め付けで、大半が筆を折っちまう事になっちまったけどねえ。
知ってるかい、小僧さん?お上はあたしらが贅沢をしなけりゃお上の懐が潤うって思ってんのさ。だけどね、絵に描いた着物すら質素にしたって、お金なんか貯まるわけがない。
若い娘さん達にしてみれば、一度でもいいから紅を差して綺麗な晴れ着を着て嫁ぎたいと思うもんさ。
でもそれが御法度ならば絵で我慢しようと思うものさね。だけどそれすらも禁じられたら、たまったもんじゃないさ。
紅い着物は絵ですら禁止とされたんじゃあ、心が荒むさね。
だから裾からチラリと覗く程度に紅を差して、そこで色気を醸し出すのさ。
「紅の色使いは俺より上だ」ってね。親父があたしに言った初めての褒め言葉だったよ。
色気と言われてもピンとこない?
あはははは!ごめんごめん。まあ小僧さんならそうだよねぇ。
でもあたしにしてみりゃあ、微妙な言葉だけどね……。
ほら、あの山の紅葉を見てごらん。
紅葉って言ってもさあ、一色だけじゃないんだよ。
練色、萱草、黄赤に黄丹。蒸栗、鉛丹、蜜柑色。鬱金に照柿、洗柿。柿色、枯れ草、白茶に淡黄、女郎花に赤白つるばみ。赤朽葉、黄朽葉、青朽葉に唐紅。
時々見える緑は煤竹、松葉、千歳緑……。
秋のお山にゃあ、沢山の色で溢れてるのさ……それをひっくるめて『紅葉』なんだよ。
一色だけなんてまだまだじゃないか。かえって自分に頭にきたね。
なんとか精進を重ねて『美人画書かせたら敵わねえ』って言葉を親父から分捕ったけどね。
それでも女じゃダメだったのさ……。
ありがと、小僧さん。
あたしも腐った時期があってねぇ……アレは確か離縁した時だった。
絵師と結婚したはいいが、相手はやたらと絵師である事を鼻にかける奴でねぇ。
あたしが料理も洗濯もダメなクセして夫の絵を貶すもんだから、「女が口出すな!」って怒って離縁されたのさ。
「売れない絵しか描けないのに生意気だ!」ってね。
あたしが言うのも何だけど、あたしの方がずっと上手いんだよ?
だけど女ってだけで絵師とは認められない。売れない。
凹んだねぇ〜。
一時家でゴロゴロ腐ってたら、馬琴先生が『万葉集』って本持ってきてね、ある歌を教えてくれたのさ。
作者のところには『読み人知らず』って書かれててね……馬琴先生があたしに言ったのさ。
「この歌を詠んだ奴ぁ、身分が低かったか後に罪人になった奴かと言われてる。
それでも一千年過ぎても歌は残ってる。
それはな、この歌が誰よりも読んだ奴の心を打ったからだ。
おめえは女だ。絵師ではやってけねえ。
それでも上手え。北斎の真似でもなく誰かの真似でもなく、おめえだけの絵を描ける奴だ。
なら描けばいい。名前が残らなくても一千年残る絵を描き上げろ」ってね。
ガツンときたね。
その時気づいたのさ。
あたしにとって絵を描くってのは、人が息をしたり魚が泳ぐってのと同じなんだってね。
当たり前の事なのさ。あたしの命なのさ。
だから描くのさ。例え無款でも親父の名でも、あたしのだって言える絵をね。
この世にゃ絵師はごまんといるんだよ?
もしあたしの描いた絵が一千年でなくても二百年残ったら儲けもんさね。
それくらいの価値があるなら、後の誰かがあたしのことを探り当てるさ。
さて、休憩は終わりだ。
小僧さん、あたしはこの天井画を描き上げるが、これが後々残るかはおめえさん方次第なんだよ。
寺で火事とか虫に喰われたとかしたら、この絵は残らねえ。女が描いたとバレて外されるかもしれねえ。
この絵が気に入ったなら、愛しんでおくれ。
頼んだよ。
主人公:葛飾応為
葛飾北斎の娘栄。当時は女絵師は公には認められなかったので、父の助手をしていた。無款であったり父の名で肉筆画を出してもいた。
当時の浮世絵は主要人物を書いた後は、色塗りや背景や小物などは弟子達と分担していた。
葛飾北斎の晩年の作品は、構想は北斎が作り彼女が描いたものが多いと推測されている。
※1 滝沢馬琴:
江戸時代後期の読本作者。著作として『南総里見八犬伝』『椿説弓張月』がある。葛飾北斎とは友人だった。
書いてから気付いた……『紅の秋企画』なのに、題名以外『紅』が無い。Σ(゜д゜lll)