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04●“自然界”対“人類文明”……戦うのは善と悪でなく、二つの正義


●“自然界”対“人類文明”……戦うのは善と悪でなく、二つの正義


 たとえばこの物語を、作品公開時に色眼鏡で見られたように、プロレタリア革命の讃歌であると仮定してみましょう。

 そうだとすると、グルンワルドは民衆が団結して倒すべき“ブルジョワの豚”ということになります。

 しかしグルンワルド個人は、人類から何ひとつ搾取しているわけではありません。

 彼が自分の欲望のために、人類を奴隷にして強制労働を課すわけでもなく、上納金や年貢米を取り立ててもいないのです。

 大カマスが魚を奪って食ったり、鼠が村を襲って穀物を食ったりしてはいますが、これらの手下たちから獲物を横取りするようなことはしていません。

 グルンワルドと手下たちの関係は軍隊的で、人使い、いや獣使いの荒さはブラック企業並みですが、あくまでグルンワルド個人に限れば、他者の労働の成果を搾取して私腹を肥やす悪代官ではないのです。


 それならば、なぜグルンワルドは人類の村々を滅ぼしていくのでしょう。

 そのことが彼にとって、どのようなメリットがあるのか。

 じつは、作品の舞台となる村の生活文化に、農耕は描かれていません。

 人々は川の魚や森の獣を獲って、生活を維持している(RAE19頁)のであって、作品の時代の“東の村”の人間たちは、まだ農耕を知らない狩猟採集民族なのです。


 これを、グルンワルドの側からみればどうなのか。

 村の人間たちは、森の獣たちの食糧を手当たり次第に横取りする泥棒なのです。

 グルンワルドが暮らす大自然から資源を搾取しているのは、人類に他なりません。

 とりわけ魚は、燻製で保存食にするため、大量にごっそりと奪い去ってしまいます。

 その分、自然界の獣たちは飢えるしかありません。

 大事な子分である大カマスの腹を満たすには、村の川下に住まわせて、遡上する魚を人間よりも先に獲得するしかない……そのようにグルンワルドが配慮したのもうなずけます。

 自然界の生物が、これまでと同じように食べていくために、グルンワルドは、非力(強がってるけれど、本当はあまり強くない)なのに、やむを得ず立ち上がったのではないか……そうも取れるのです。


 とすれば……

 人類こそ、それ以外のすべての生き物にとって脅威であり、悪辣な簒奪者。

 これが増殖し、世界を支配すれば、自然界の秩序と生態系は滅びてしまうであろう。

 そのことを予測した自然界の生き物たちは、いつしか集まり、団結して、“冬将軍”のグルンワルドをかしらに据えて、自然界の果実を搾取する人類を実力で排除すべく、共同戦線を組織するようになったのではないでしょうか。


 そう考えると、グルンワルドの位置づけは、鷲や狼やカマスや鼠や梟やリスなども含めた自然界の共同体を守るために、人類に対して自衛戦争を挑む正義の指導者ということになります。

 強大な侵略者に対抗して戦った、例えば第二次大戦中のヨーロッパのレジスタンスやパルチザンの指導者みたいなものですね。


 ともすれば、一致団結するプロレタリアなのは、グルンワルド陣営の方かもしれません。


 しかもグルンワルドは、その対価として誰からも金品を搾取することがありません。

 いわば、無償のボランティアで自然界を守る善玉の親分……といった役割を務めているだけであり、東の村の村長やドラーゴのように、私腹を肥やしてはいないのです。


 いや、もちろん、グルンワルドは冷たい奴ですよ。プライドが高く尊大で、愛想のない悪魔ですよ。しかしこころざしは意外と純粋で、豆腐なら冷奴みたいな、シンプルで潔いところがあるのではないかと思うのです。

 なぜなら、彼は彼なりの“正義”を貫いているからなんですね。

 ドラーゴみたいなウソツキから賄賂をもらってブレたりしない。


 大自然の生き物たちが満足して生きるため、環境を破壊する人類を滅ぼす。

 これはやはり、ひとつの正義です。

 その正義を、滅私奉公的に遂行しているのです。


 これを、悪魔と呼ぶべきでしょうか?


 グルンワルドは最初から、人類に対して、自分は悪魔であると威張り散らしたのではなく、人間たちが恐怖のあまり、彼を勝手に悪魔と呼びならわすようになったことを利用して、悪魔を自称するようになったのではないでしょうか。


 そう考えると、『太陽の王子ホルスの大冒険』の表層的な子供向けストーリーにおける、善悪の構図はじわじわと逆転するではありませんか。


 “ホルスを代表とする人類が絶対的な正義で、悪魔グルンワルドが絶対悪である”とする子供向けの図式は崩壊し、実はグルンワルドこそ、悪しき侵略者である人類から自然界の生態系を守るべく立ち上がった正義の英雄であり、戦うエコロジストである……という大人向けのストーリーが姿を現してくるのです。


 もちろん村人たち人類側も、文明を発展させて、幸福を追求する権利はあるのですから、そのために、敵対する悪魔を倒す……というのも、ひとつの正義です。

 ホルスは、人類文明の正義に組みします。

 ヒルダは、自然界を代表するグルンワルドの正義に組みします。


 ならば、この物語は“二つの異なる正義の対決”です。

 それまでのディズニーアニメもそうだったと思いますが、子供向け漫画映画は、おしなべて、“善と悪”の対決、すなわち“勧善懲悪”であり、必ず“善”は勝利して、全世界幸せいっぱいのエンディングを迎えたものです。


 しかし『ホルス……』では、“子供向け”とされる表向きの構図は“善vs悪”の対決を見せながら、“大人向け”の視点に立ってながめると、“正義vs正義”の図式が表裏一体になっていることに、気付かされるわけです。


 まさに、大人の鑑賞眼に耐える傑作に仕上がっているのです。


 さて、グルンワルドの本質は“冬将軍”であります。

 冬という気候そのものが、彼の正体です。

 山も森も川も雪と氷に閉ざされる冬こそ、人間たちの狩猟採集活動が停止し、自然界の生き物たちが人類の魔手から守られる季節となります。

 “冬将軍”はある意味、自然界の生き物たちの守護者でもあるのです。


 ここで気になるのは、グルンワルドという名前に秘められた意味合いです。

 グルンワルドとは、由来をドイツ語として解すれば“緑の森”という意味になります。

 本稿とは無関係ですが、映画『オリエント急行殺人事件』(1974)で人物名のグルンワルドを“緑の森”と訳する場面があります。

 悪魔グルンワルドの名前が意味するところは“緑の森”。

 これは、『ホルス……』の監督や脚本家が忍ばせた暗号なのでしょうか。

 悪魔グルンワルドが武器とする雪や氷の成分はH2O、すなわち水、雪解けの水は大地をうるおして緑の森をはぐくみ、多くの生き物たちを養う住み家を提供します。

 “冬将軍”は、大自然の生態系の、重要な一部分であるといえるでしょう。

 雪と氷で村を滅ぼしてはいますが、環境汚染はゼロなのです。もともと水ですから。


 悪魔グルンワルドの名前は、作品公開当時に観た子供たちの耳には、いかにもワルな悪玉に聞こえたことでしょう。

 たしかに“冬将軍”は人類に対して、優しい存在ではありません。

 行きすぎた寒さは、ヒトの命を奪います。

 しかし、だからと言って、自然界が“悪”であるとは、だれも思わないでしょう。

 “自然界を守るためには、人類を滅ぼしても、やむをえない”

 これもまた、かれらの正義であることは認めざるをえません。


 繰り返し述べます。


 グルンワルドは、そのような存在なのです。

 彼も、自然界の一部。

 その真の姿は、悪しき侵略者である人類から先住者である生き物を守り保護する、厳しくも孤高の指導者。

 すなわち、自然界への侵略者である人類に対する、抵抗戦線の勇猛な司令官。

 自然界の側からみれば、正義の悪魔なのです。


 したがって……

 『太陽の王子ホルスの大冒険』は、単なる勧善懲悪の英雄譚ではありません。

 公開当時の1968年の時点において、きわめて先進的な、自然界と人類文明、それぞれの正義の相克を描く、エコロジー・テーマの側面が伏在しているのです。


    *


 さて、ほぼ同じ構図で、エコロジー・テーマを扱ったアニメ作品が、ほかにもありますね。

『未来少年コナン』(1978)

『風の谷のナウシカ』(1984)

『もののけ姫』(1997)

 宮崎駿氏の手になる、この三作です。

 三作とも、じつは、『ホルス……』で解決しきれなかった問題に答えるかのように、自然界と人類文明、この二つの立場の“正義”が闘い、それぞれの“解”を求めて呻吟しんぎんします。

 つまり、三作それぞれに、ヒルダがいるわけです。

 それらのことは、のちの章で詳述します。



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