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21●それからのヒルダ……なおも引き裂かれるヒロイン 


21●それからのヒルダ……なおも引き裂かれるヒロイン  



 『太陽の王子ホルスの大冒険』の本編は、スクリーンに“おわり”のエンドマークが出ることで幕を閉じます。

 しかしそれで「ああ、終わった……」と観客が納得したかといえば、必ずしもそうとは言えません。

 数々の謎や説明不足が存在し、「観るべきものは全部観た」という満足感には至らず、ファンの探求心や想像力を掻き立てて来たことは、これまでの章でご説明したとおりです。


 そして、『ホルス……』の公開から50年……

 振り返った時、お気づきになる方も多いでしょう。

 “ヒルダはすでに、最初のヒルダだけではない”ことに……

「ホルスはきっと生き返ってきます、何人ものホルスになって」(RAE42頁)とヒルダは予言しますが、それが自分自身に実現するとは、思いもよらなかったことでしょう。


 ヒルダは生き返ってきました。何人ものヒルダになって……


 『太陽の王子ホルスの大冒険』の表層的な“子供向け”ストーリーの裏側には、“自然界と人類文明の相克、絶対正義と絶対悪への疑念、二つの正義の狭間に揺れる心の二面性、死と生の輪廻、男女の愛の不条理と狂おしい結末”……といった、大人の鑑賞眼をうならせるテーマが数多く隠されていました。

 それらは『ホルス……』の謎であり、そしてまた、作品が、後世の大人たちに残した遺産でもありました。


 しかし1968年の公開後しばらく、『ホルス……』は大人の鑑賞眼で分析されることなく、子供向けの雑多な文化のひとかけらとして人々の記憶の地層に埋もれ、見捨てられていたと思われます。


 それが発掘されたのは、70年代終わり近くに勃興したアニメブームでした。

 そしてブームの端緒を担った、あるTVアニメシリーズが、幼い子供の頃に観た“ホルス”の記憶を残していた若者たちを喝采させたのです。

 『ホルス……』の公開後、ちょうど十年となる節目の年です。


 それは『未来少年コナン』(1978)。

 のこされ島で育ての親を失い、自作したカヌーでひとり船出する主人公の少年コナンの勇姿に、アニメファンの若者たちは、“ホルス”の復活を見たのでした。

 ……ホルスの船出の場面に、そっくりじゃないか! と。


 そして事実、『未来少年コナン』の作品内容も、『太陽の王子ホルスの大冒険』と、不思議な重なりを見せていきます。

 『ホルス……』では裏側に隠されていた“自然界と人類文明の相克、絶対正義と絶対悪への疑念、二つの正義の狭間に揺れる心の二面性、死と生の輪廻、男女の愛の不条理と狂おしい結末”……といった要素が、こちらでは陽の当たる表側に出てきたのです。

 まるで、それらの要素を十年前の地層から発掘し、再構成したかのように。


 いや、実際のところは、『未来少年コナン』で表面化したそれらの要素を『太陽の王子ホルスの大冒険』のストーリーに照らし合わせたところ、『ホルス……』の裏側に隠されていた要素が、あぶり出しのように浮かび上がってきたというべきかもしれません。


 思えば、『ホルス……』の公開後もアニメ界で活躍を続けられた、高畑勲監督と宮崎駿監督の作品群に、『ホルス……』の面影が散見されても、不可解なことではないでしょう。


 『未来少年コナン』(1978)、『風の谷のナウシカ』(1984)、『もののけ姫』(1996)、の三作品がそうです。

 なお『崖の上のポニョ』(2008)がそれらの傍系に位置するでしょう。


 この三作品はいずれも、『太陽の王子ホルスの大冒険』と同様に、自然界と人類文明の相克や対峙が大きなテーマをなしています。

 自然を守り、慈しむ側の人々と、文明の側に立って自然を破壊、支配しようとする人々が、対立し、闘い、あるいは妥協し、融和するなどして、最も正しい解決策を求めて行動していきます。

 ちょっと皮肉めいた見方で恐縮ですが、それらの作品はまるで、『ホルス……』の三つに分かれた結末に対する決定的な回答を見出すべく、条件やものの見方を変えて、課題に取り組んできたかのようにも見えるのです。

 『ホルス……』のストーリーの裏側に隠されたままになっていた命題を、墓を暴くかのように掘り起こし、光を当て、新しい解釈を加えて、いつか真の解決に辿り着いてやる……と言わんばかりの空気を感じてしまうのです。


 これは『ホルス……』の呪縛なのでしょうか?

 もしかすると、『太陽の王子ホルスの大冒険』の冒険行は、まだゴールに達していないのかもしれません。

 だから、志半ばで潰えた英雄から剣を引き継ぎ、その未完の偉業を成し遂げるべく戦いを挑む騎士の心意気が、少なくともこれら三作品にみなぎっているのではないか? 

 かつて南極点をめざして競争するも不運な遭難に斃れたスコット隊の運命を悼みつつ、さらなる偉業へと前進し、そして今度は北極探検に遭難したノビレ隊を救うべく極寒の空へ飛び立って消えたアムンゼンのように……

 そんなことも思います。


 そして、三作品すべてに、ヒルダがいます。

 自然界と人類文明の狭間に苦悩するヒロインが……

 ただし……

 ヒルダは、一人ではありません。


 “ヒルダの二面性”は『ホルス……』の際立った特徴であり、それだけ高度な表現が盛り込まれています。

 ヒルダの中の悪魔の心を代弁するフクロウのトトと、人間の心を代弁するリスのチロ、という、対立するマスコットキャラクターの設定です。

 原則的に、トトはヒルダの左側が定位置で、ヒルダも左手で剣や斧など闘いの武器を操る。

 対して、チロはヒルダの右側が定位置であり、ヒルダは右手で竪琴を安らかにつま弾く。

 彼女の心は常に、闘う左側と安らぐ右側に引き裂かれているのです。

 いわば、“引き裂かれたヒロイン”。


 しかし、ひとりのキャラに、引き裂かれた状態を演じさせるのは、心理描写が複雑になります。

 黙って、表情だけで、多くのことを語らせる場面が多くなります。

 観客がかなり想像力を働かせ、推理を加えないと理解できなくなることは、ヒルダの例で明らかです。

 トトとチロがついていても、ヒルダの心理は難解なのですから。


 そこで、『未来少年コナン』『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』では……

 ヒロインを最初から二つに引き裂いて、対立する二人の女性に設定したと思われます。

 ラナとモンスリー、ナウシカとクシャナ、サンとエボシ。

 それぞれのキャラは対立しますが、じつは、ヒルダを二つに分割した、分身なのです。


 悪役の側に立つモンスリー、クシャナ、エボシは三人とも、悲劇的な過去を持ち、深い心の傷を引きずっている点が共通します。

 つまり“原罪”を背負っているのです。

 その罪からの解放に、自然界の側に立つ、ラナ、ナウシカ、サンが関与する……と言う図式になります。


 モンスリー、クシャナ、エボシは本来、先天的な絶対悪ではなく、観衆の共感に値する汚れ役でもあります。それぞれの立場で、正義も背負っているわけです。

 三人はそれぞれ、ラスト近くで、幸せをつかみ、あきらめて去り、敵と折り合いをつけます。


 『未来少年コナン』では、自然界の偉大な回復力と、自然界と調和して生きることに、物語の解決が導き出されました。ハイハーバーの生活が、そうですね。


 『風の谷のナウシカ』では、生態系の物質循環を担う三種類の生物群……生産者・消費者・分解者……のうち、細菌・菌類などの“分解者”を隠れた主人公に据えたことで、先駆的な名作となりました。

 生態系を崩して滅びゆく世界を再生する神として、“分解者”が登場したのです。

 『ホルス……』を含めて、過去の作品で活躍したのは生産者と消費者……大雑把に言えば、食べられる者と食べる者……であり、その他、世の中の作品はほとんど、消費者同士の“食うか食われるか”の闘いが描かれてきました。

 『風の谷のナウシカ』は“分解者”という、全く新しい立ち位置から、世界をとらえなおしてくれたのです。


 『もののけ姫』では、自然界を司るシシ神を完全な滅亡から救い、形を変えてこの世にとどめることで、世界の滅びを延期させました。

 これを『ホルス……』にあてはめますと、グルンワルドを完全に抹殺することなく、降伏勧告し、無害化、いわば武装解除して、共存を図る……といった解決法ですね。

 毎年洪水を起こす河がある。ダムを造れば解決しそうだが、自然破壊がつきまとう。そうではなく、広範囲の流域治水で、自然破壊を避ける方法を考えていく……といった、ある意味現実的な解決が提示されたとみることもできるでしょう。


 しかしこの三作、『未来少年コナン』『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』の結末には、どこかすっきりしない、もやもや感も残ります。

 今現在の危機は乗り切ったが、対症療法的な方策であり、根本的な解決法には至っていないのです。

 もちろん、根本解決をもたらす名案があれば、最初からだれも苦労しませんが……。

 とはいえ、人類が再び同じあやまちを繰り返したとき、どうすればいいのだろう……と、素朴な疑問が尾を引きながら、幕が閉じていくように思えます。


 そこで……

 自然界と人類文明の相克を解決する最終手段として登場したのは、神の概念でした。

 大自然の森羅万象から神様を抽出し、救済者として登場させたのです。


 そんな神様の元祖といえるのは、未確認生物のトトロ。

 トトロは、ゴジラや大魔神のように荒ぶることはなく、かといって物の怪や幽霊のような怨念もまとっていません。

 人間の上に君臨して人間を裁く天上神でもありません。

 トトロは日本人の原風景にある里山の森が化体した、ごく身近な自然界の神様といった位置づけです。

 そのふるまいは無邪気で穢れがない。トトロの行動原理は、人間に最も近しい素朴な善意なのです。


 こうした“無邪気な自然神”の概念は『もののけ姫』を経て、『崖の上のポニョ』(2008)に結実していきます。




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