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13●永遠の寓話……魔女ヒルダの物語


13●永遠の寓話……魔女ヒルダの物語



 どれほどの昔なのかわかりせん。

 ヒルダはその村でちょっぴり変わり者の少女だったのでしょう。

 竪琴で妖しい歌曲をつまびき、人の心を操ったり、いろいろな物を触ることなく移動したり、彼女自身、空間をひょいと移動するといった魔法力が、備わっていたのです。


 ヒルダは「本当は人間」(キネマ旬報セレクション 高畑勲 112頁)ですから、人間の両親のもとに生まれたことは確かです。

 しかし「幼い時から「悪魔」の手によって育てられ、自分は宿命的に「悪魔」の妹だと思い込んでいます」(同・112頁時)という、特殊な成育事情がありました。


 とはいえ、グルンワルドに誘拐されて、森の獣たちに育てられたとするのは、前の章で述べたように、難があります。

 グルンワルドの育児能力と、森の獣たちの教育能力の問題です。

 

 とすると、ヒルダが育ったのは、ほぼ、普通の人間の家庭と考えてよいでしょう。

 ただし、グルンワルドとその手下たちは、幼いヒルダにこっそりと接触していたのです。

 どのようなきっかけかわかりませんが、ヒルダの潜在的な魔力に、グルンワルドは気付いていました。

 そして、どこかでヒルダと出会ったのです。


 後年の、ホルスの時も同じですね。

 「見どころのあるヤツだと聞いたから、(中略)使いを出したのだ」(RAE13頁)と、グルンワルド自ら、有望な新人のスカウト方法を説明しています。

 ホルスの場合、幼い頃から、銀色狼あたりが、近くに出没していたわけですね。

 こちらは男の子ですから、襲いかかって戦わせることで、フィジカルな魔力のトレーニングをしていたわけです。

 ヒルダの時にも、それに近い手法を使っていて不思議はありません。


 とはいえ……

 幼い女の子ですから、グルンワルドが、すっぴんで顔を見せると、厄介なことになったはずです。

 普通、怖くて泣きますし、ご近所から不審者扱いされます。

 おそらく、最初は可愛い生き物の姿をした、使い魔を寄こすことから始めたでしょう。

 蝶や小鳥、子犬や子猫、あるいはフクロウやリス……。

 そしてグルンワルド自身は、怪しまれない姿に魔法で変身して、ヒルダの夜の夢に現れたかもしれません。

 そして、ヒルダに魔法力を開眼させ、イメージトレーニングに着手したのです。

 ある意味、秘密の魔法家庭教師。

 森の中に誘拐して育成するのでなく、彼女の家へこっそりとやってきて、教える。

 すなわち、“もののけ姫”でなく“セロ弾きのゴーシュ”方式です。

 竪琴の演奏も問題なくマスターできたことでしょう。


 “幼い時から「悪魔」の手によって育てられ”……というのは、だいたい、そういう状況も含められるのではないかと思います。


 もっとも最初は、ヒルダ本人はそれを、魔法の力とは認識していなかったでしょう。

 なんとなく、奇術めいたことが、少しばかりできるだけ……とか。

 幼いうちは、友達もみんな同じことができると思っていたかもしれません。

 ヒルダは正直な、良い子だったはずです。

 人を疑わない、純真な心。

 だからこそ、無防備すぎました。

 魔法の力を、隠し損ねたのです。


 ヒルダが成長するにつけ……

 周囲の大人たちは、気味悪がるようになります。

 綺麗な声だけど、どこか不気味で妖しい歌。

 そこにないはずのものが、ヒルダの手に現れる。

 そこにいないはずの場所に、ふっとヒルダが現れる。

 ヒルダの指先に操られるように、ネズミやカラスが群れてくる……

 村人たちがヒルダを、悪魔の子と恐れる場面(RAE161頁のイメージボード)が実際に発生しただろうと思われます。

 そして誰かが、“ヒルダには悪魔の呪いがかけられている”と囁き始め、それが拡散して、騒ぎになっていきます。リアル炎上です。

 村じゅうがヒルダを忌避し、集団いじめの様相を呈するのに、さほど時間はかからなかったことでしょう。


 それにしても、ヒルダほど渾身から人間を憎むようになるには、かなり非道で、おぞましい惨劇が彼女の身に起こったであろうと推測されます。


 魔法が使える、それだけで、いじめられる。

 なにひとつ罪はないのに、ヒルダは石もて追われる身となりました。

 近親者に見放され、友達からも排除され……

 そしてたぶん、信じていた両親からも、“こんな子にするはずじゃなかった”と迫害されたと思われます。

 そんなとき、村を災厄が襲います。たまたまの天災か、飢饉か、疫病とか。

 政治責任を問われた村の幹部は、妙手を思いつきます。

 あいつのせいにすればいいのだ。

 ヒルダの仕業しわざだ、ヒルダが不幸を呼び込んだのだ!

 村人はみな、ヒルダを恐れます。恐怖は、排撃に変わりました。

 村の幹部が扇動します。災厄の責任を全部ヒルダになすりつければ、しめたもの。

「さあ立ちあがるんだ、ヒルダを追放するんだ!」

 ひとり荒野へ放逐される運命は、もはや死を意味します。

 しかし、おそらく、それでもヒルダは完全な孤独ではなかったのでしょう。

 自分の兄、もしくは兄と慕う親友の少年がいたのです。

 彼は、勇気を奮って、ヒルダをかばってくれました。

 しかしその代償は……彼の死。

 ヒルダの追放は、もはや村の政治的決定事項。変更は許されません。

 村の幹部に歯向かった少年は、殺害されました。

 ヒルダの、目の前で。


 おそらく、それほど残酷な悲劇が、ヒルダを襲ったことでしょう。

 

 さらに付言するなら、ヒルダをかばってくれた少年ですら、最後にはヒルダを裏切って村人に売り渡してしまった……という、より残酷な、救いのかけらもない結末だったのかもしれません。


 哀しいことですが、現実社会には、その程度の“裏切り”は十分にありえます。

 実際、無実の人に罪をなすりつける“冤罪”は、社会のどこにでも存在しえるのですから。  


 ヒルダはもともと、純真な子です。

 それが、心底から人を憎むようになるには、少なくともこれくらい酷い理不尽に直面したと考えざるを得ません。


 絶望の淵に追い詰められ、もはやどうしようもなく、そこで彼女は反撃しました。

 とはいえ、か弱い少女にできることは限られます。

 だから全力で魔法力を駆使し、死に物狂いで村人を操ったのです。

 互いに殺し合うようにと。


 村が破壊され、人がみな死んだところで、悪魔グルンワルドがやってきました。

 自然界を荒らしまくる人類を根絶やしにしてやろうと決意し、着手した初期の作戦のひとつが、この村の殲滅だったのです。

 その前に、魔法力を育成していたあの“見どころのある”少女に会っておこうか、と。

 しかし一足先に村は滅亡に瀕しており、グルンワルドは仕上げに、雪と氷で村の残骸を閉ざすだけで済んでしまいました。

 悪魔の仕事を、離れた荒野から静かに眺める少女がいました。

 涙はとうに枯れ果て、ただひたすらに、純真な憎悪だけを、人間に向ける少女が。

 グルンワルドは、唯一の生存者である魔女ヒルダを発見したのです。


 以上は筆者の勝手な妄想にすぎませんが、人間に対するヒルダの根源的な憎しみを理解するための、ひとつの仮説とお考えください。


 グルンワルドはヒルダを気に入りました。

 この魔女は、本物だ……。

 この可憐な魔女を利用すれば、彼の人類殲滅作戦は、ずっと効率的に運ぶでしょう。

 ターゲットの村にこの魔女を潜入させ、村人を互いに殺し合わせれば、狼やカマスや鼠で正面攻撃をするよりも、容易に勝利を得ることができる。

 いわば“トロイの木馬”方式。あったまいいぜグルンワルド。

 人類への抵抗戦線の司令官として、適切な判断でした。

 グルンワルドはヒルダを誘います。

 “もう、どこの村も、おまえを住まわせてはくれまい。人間の世界に、おまえの生きる場は、無くなったのだ。ならば、俺とともに戦うがいい。俺の妹にしてやろう……”


 ヒルダも、グルンワルドの申し出を受けました。

 およそあらゆる人間に否定され、そして、あらゆる人間を否定した自分には、ほかに身を寄せる場所はなかったのです。


 それから二人は悪魔の兄妹として最強のタッグを組み、村を次々に滅ぼしていきました。

 その一方で、グルンワルドは気づいていました。

 ヒルダの魔法力は、本人が思っているよりも強くなりつつあったのです。

 いずれ、俺様の魔法戦闘力を凌駕してしまうだろう……と。


 それを見越して、グルンワルドは、自分の魔法力……寒さを制御し、空を飛べる力、そして不老不死の力……を分封した“命の珠”をヒルダに与え、あたかもそれがヒルダの魔法力のすべての源泉であるかのように暗示をかけたのです。


 ヒルダが強大化して、自分を裏切ることを防ぐために。


 “命の珠”が発揮した固有の魔法力は、“寒波制御・飛行能力・不老不死”です。

 吹雪に乗って空を飛び、毎年繰り返して現れ、年老いることのない“冬将軍”である、グルンワルドの特徴をあらわしてもいます。


 一方、ヒルダの固有魔法力は、歌曲による幻惑、ホルスの斧を自在に操るといった物体移動、自分自身の空間移動、獣たちを操る精神感応力などでしょう。

 その反面、料理や裁縫といった家事はまるきり不得手でしたから、幸か不幸か、グルンワルドがヒルダをメイドにしてこき使うことは、ありえませんでした。

 たぶん“とにかくヒルダ、おまえの魔法力は何から何まで、“命の珠”あってのおかげなのだ。だからオレに従うのだぞ……”と、グルンワルドはまんまとヒルダを騙し、マインドコントロールに成功したのです。

 ヒルダはそれを信じていました。

 もともと人を信じやすく、嘘をつかない、純心な少女ですから。

 だからこそ近親者や友達を信じて裏切られたのですが……


 こうしてヒルダ本人は、自分の魔法力のすべてが“命の珠”から発生していると信じたまま、何年も何十年も、ひょっとすると何百年も、けっこう怠け者のグルンワルドを助けて、人間の村々を滅ぼしてゆきました。


 死に追いやった人の数は、幾千か幾万か……


 そして、じつは気付かないうちに、自分の内面に強力な固有の魔法力を蓄えていったのです。


 だから、物語のクライマックス近くで、“命の珠”を放棄してフレップに与え、雪狼に乱打されても、失神するだけで終わったのです。

 あのときヒルダが力を失って倒れたのは、むしろ精神的な限界を超えたことが原因でしょう。

 “ホルスと同じ人間に戻りたい、でもあたしは殺人鬼、ならばせめて人間として、ここで罪をあがなって死のう”と決意したのですから……


 そして、ヒルダは自らの魔法力で、春の野によみがえりました。

 自分で自分を殺す力よりも、生きてホルスに逢いたいという、愛の力がまさったのです。


 彼女はホルスを愛する一心で、何かに引き寄せられるように、村へたどりつきます。

 でも、自分が本当は魔女であることを、口にできません。

 ここまできて、ホルスに嫌われたくない……当然の心理ですね。

 ただ黙して微笑み、ホルスと手をつなぎ……

 一見幸せな“子供向け”のエンディングを迎えたと思われます。


 こうしてヒルダは、重い、あまりにも重い原罪を背負ったまま、人類社会の中に身をひそめました。

 歴史的な大量殺戮の、裏の張本人であり、そのことを誰かが知ったら、「全滅娘!」と後ろ指をさして、逃げていくことでしょう。


 しかし、そもそも彼女の不幸を生み出したのは……

 悪魔でなく、人間。

 彼女が心から信じた両親や近親者や友達、そして村の、偉い人たち、なのです。

 同じ人間に絶望を強いる人間が、こんなにもいる……

 ヒルダは人間であるからこそ、人間に絶望したのです。


 そして21世紀の人類社会は……

 申すまでもなく、今に至ってすら、無数のヒルダを生み出しています。


 悪魔の力を借りなくても、理不尽な虐待や殺戮は、世界にいくらでもあるのですから。

 おそらく、たった今も、“何人ものヒルダ”が、同じ人間によって、命を蹂躙されています。


 ですから『ホルス……』は決して、子供だましのアニメではありません。

 現代の、私たち大人の社会に向けた、鮮烈極まりない、永遠の寓話なのです。

 ヒルダの不幸と原罪は、ホルスと生活することで、癒されていくのでしょうか?

 深い余韻が、エンドマークに重なります。


「なりたくないわ、人間なんかに!」


 ヒルダのこの叫びは、ヒルダひとりの心の叫びではないのです。





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