メビウスの輪
暗い、暗い、真夜中の日。
都会では珍しいくらい暗い夜。その暗さの理由はきっと朝からずっと降り続いているこの雨のせいだろう。
少しの電灯たちの灯が、雨の水を照らして反射させている。
けれど、一つだけ。雨だけじゃない、もう一つを照らしている電灯があった。
その光景は今でも少女の目から、鼻から、頭から離れない。
劈くような鉄の匂い。少し黒くなった深紅色。そんな光景の近くにいたのは、
血を纏って倒れている、少女の彼氏と、それを見つけた彼女だった。
手を握ってくれた、頭を撫でてくれた、優しく微笑んでくれた、キスをしてくれた、愛してくれた、
彼はもういない。
最愛の人を失って、気でも狂ったのか。
そこからの彼女はまるで何かに取り憑かれたように、色んなところを駆け回った。
目の前の真実を受け入れたくなかった。きっと彼は生きてる、もしくは生き返る。そしてまた二人で過ごすことが出来る。心のどこかでそう信じていた....いや、願っていたからだろう。
だから、悪魔なんて呼び出してしまったのだ。
そんなことどうやってできたか、そんなことは彼女にしかわからない。いいえ、彼女にさえわからないかもしれない。
ただ彼女は彼を愛してやまなく、後先の後悔を考えず、ただ彼との時間をまた夢に見ていたのだ。
誰もいない廃墟という空間、古びた木の板の床に書かれた、紫色の魔法陣。
そんな気味の悪いところに、彼女と悪魔は二人で立っていた。
悪魔は呼び出した人間の願いを叶えるかどうか、それは悪魔がその人間を気に入るか否かである。
「さぁ、貴様の願いを言ってみよ。」
彼女たちの場合......
「彼を....私の最愛の人を、生き返らせてほしい。」
「そうか。ならば対価はどうする。人間の魂を復帰させるとなれば、当然代償は大きく....」
「全部よ。」
彼女たちの場合は、
「私の全て。彼以外の全ての人間。どれでもいい。何でも差し出すわ。」
彼女の顔はあまりにも狂気に満ち、人間に見えないような顔をしていたから。
「....いいだろう。貴様の最愛の人間というやつを蘇らせてやる。」
悪魔はニタ、と笑った。
彼女はもう、辛いことはないと思っていた。
彼さえ生きていれば、辛いことは何も無い。自分が死ぬことでそれが可能なら本望。
けれども、悪魔は、未来は残酷で。
「なら、代償はお前の言葉だ。」
悪魔は彼女に近づき、頭を持って顔の目の前でケタケタと笑った。
「その人間を生き返らせる代わりに、貴様はこれからずっとやつに本当の想いを言うことが出来ない。もちろん、この契約のこともだ。」
悪魔は人を殺めるから悪魔なのではない。
「もし言ってしまったら、貴様の命。そして、お前に関する記憶を全ての人間から切り取る。」
人を精神的にも、身体的にも残酷に追い込むから
悪魔なのだ。
そして、人間もたまに悪魔に化けることがある。
「わかったわ。」
悪魔の要求をいともたやすく飲み込んでしまうほどの
欲を持っているから。
「なぁ!!なんで無視するんだよ!!?」
どこにでもある、普通の高等学校。
次の日になると、彼は普通に教室に登校してきており、クラスメイトや先生、ましてや家族でさえ彼が死んだことを忘れていた。
彼女が望んだ世界だ。
けれど、彼女は悪魔と卑劣な契約を結んでしまった。
そうなってしまった以上。
彼とは一緒にいられないと判断したのだろう。
彼女は、彼を無視するようになった。
好きだから、愛してるから、余計に伝えたくなってしまう。
生きてて良かった、好きだよ、愛してる。
全部彼女は伝えたかった。でも、伝えなかった。
口を開いてしまえば、油断して言ってしまいそうだった。
「なぁ!俺なんか悪いことしたか!?」
ずっと無視し続ける彼女の後ろを、子供のように付いてくる彼氏。
少し、振り向きそうになりながらも無視し続ける。彼女の意思は既に固まっているのだ。昨日から。いや、もっと言えば、彼が死んだあの日から。
放課後。
気がついたら、彼は追いかけて来なくなった。
諦めたのか、わからないがやっぱり悲しい思いは残っている。
彼にはもっといい人がいる。
この先もっといい人と出会って、大人になって、子供も産んで、幸せな家庭を築いていくのだろう。
それでいい、それがいい。
違う。
それが自分の思いでないと、彼女は気づいた。
ただの綺麗事だ。
好きだって、愛してるって言いたい。生きててよかったって伝えたい。
君ともっと一緒にいたいって言いたい。
欲望に塗れた自分だ。
そう思った彼女は決心を決め込んだ。
綺麗事よりも、自分の気持ちを
恋心を、最愛の人を。
信じるために。
翌日の夜。
彼の黒と白で統一された、無機質な部屋。
彼の手には1通の手紙があった。
突然の手紙で驚いたよね。
まずは謝らせてください。何も悪くない君を無視してしまった。
君は優しいから自分を責めるだろうけど、あなたは何も悪くないよ。
そして、もう一つ。
私は悪魔と契約を交わしました。
三週間前の今日。あなたは死んでいました。
そんな状況に耐えられなくなった私は、悪魔と契約を結び、君を生き返らせてもらうことを条件に、
代償を支払いました。
代償は、私はあなたに何も伝えられなくなること。
伝えてしまったら、全ての人間の記憶から私がいなくなり、存在が消えてしまうこと。
でも、私は想いを伝えることを選びました。
例えあなたが二秒後に私を忘れたとしても。
どうしても伝えたかった。
生きてくれてありがとう。
好きです。大好きです。
愛しています。
これを読んでいる頃、もう私のことを覚えていないかもしれません。
私のことは忘れて自由に生きて。
でも、あなたを一生懸命愛した女がいたということ。
それだけは覚えておいてほしいな。
私に愛をくれてありがとう。
手紙を読み終えた後、
彼は手紙をぎゅっと握りしめた。
電気もつかない、夜の無機質な部屋。
床に書かれた魔法陣が不気味に光り出す。
「さぁ、少年。願いを言ってみよ。」
「彼女を....俺の最愛の人を生き返らせてほしい。」
人間はまた繰り返す。
最愛の人を救うため、お互いに。
気づかないまま、ずっと。永遠に。
愚かで、醜くて、それでいて美しい。
メビウスの輪。
もともと適当に思いついた話をメモに書き留めていたので、それを試しに投稿。
人間の愛と、欲の強さは誰にも負けない、残酷で、醜く、そして美しい何かがある、というのをテーマに作りました。
不思議な感覚に陥ってくれたら嬉しいです。