脳筋が脳細胞をフルに使ってルビについて考えてみた
序盤、ルビの考察とは全く関係のない、作者の小学生時代の脳筋エピソードが書いてあります。
気になる方は飛ばしてください。
若干の暴力描写(小学生の喧嘩)があります、ご注意ください。
私は脳筋である。
何処に出しても恥ずかしい立派な脳筋である。
小学生の時点で立派な脳筋であった私は、小学四年生の時に担任の先生から、強制的に飼育委員を任命された。
「貴方は生き物の大切さを知りなさい」やんちゃ坊主だった私を更生させようとした苦肉の策である。
苦肉の策ではあったが、見事にその策がはまった。
私は飼育小屋で天使に出会ったのである。
沢山いたウサギの中で、一匹だけ黒い毛を持ち、くりくりっとした真っ赤なおめめの、ルビーと名付けられたウサギだった。
休み時間、給食後、放課後、少しでも時間があればウサギの飼育小屋に行き、掃除や餌やりを行い、余った時間でモフモフを堪能した。
時間のすべてを天使に捧げる事で、問題に巻き込まれる事が減り、私も、周囲も、穏やかな時間が流れた。
ある日、飼育小屋に行くと、いつも私に嫌がらせをしてくる、上級生集団が天使を虐めていたのである。
私への嫌がらせなのか、悪ふざけの延長なのか分からないが、私は怒りのあまり視界が真っ赤に染まるような感覚を覚えた。
掃除用の箒で上級生共を蹴散らし、体格のでかい、リーダー格である上級生と対峙した。
糞を掃除していた箒の穂先で顔面をワシャワシャし、顔が上を向いた瞬間に股間にツ〇サ君バリのシュートをお見舞いしてやった。
上級生は泡を吹いて失神、救急車で病院送りに、大変な騒ぎになり、ちびるほど叱られた。
上級生の股間は幸い、腫れただけで生殖機能に問題はなかった様である。
担任の先生は「生き物の大切さを学んだと思ったのに」と私に言った。
私は「天使を守った!」と主張したところ、「人間も生き物です、傷付けてはいけません」と言われ軽い衝撃を受けた。
残念な脳筋である私は、人間を、生き物のジャンルからはずし、天使と別枠に考えていたのである。
しかし、冷静になって考えてみると、天使と上級生を比べたら、天使の方が遥かに大事である。
結局、脳筋の私は、人間を生き物と認識しても、何も変わらなかったのである。
小学六年生の時、初恋をし、人に興味を持つことで、漸く人を傷つけることを躊躇するようになった、単純な脳筋である。
もちろん、初恋は砕けて散った。
ルビの話を書こうとして、ルビーを思い出し、1000文字も関係のない話を書いてしまった脳筋な私をどうか許してほしい。
ルビとは難解な漢字を、私のような脳筋でも読めるように補助してくれるのが従来の役割だったように思う。
寂寥や饂飩などは、なろう作品でよく見る漢字であるが、脳筋には、ルビなしでは難解な漢字である。
ところが、ここ数年でルビの使い方が大きく変わる出来事がおきた。
所謂、中二病ブームの到来である。
中二心を擽る、何となく、かっこよさげな漢字と、カタカナ英語のルビを使ったコラボで、様々なルビが生まれた。
『深淵の闇』『這い寄る死』センスのない脳筋にはこの程度しか思いつかないが、中二病ルビは書いていて楽しい。
中二病ブームの到来により様々なルビが生まれ、広がりをみせた。
その中で、漢字の意味とは全く違うルビを振って、二重の意味を持たせる表現も増えてきたように思う。
閑話休題や俺たちの冒険はこれからだ!なんてトリッキーな表現もある。
その中でも衝撃を受けたのが、浜田〇功や山本〇一などである。
実在する人物のイメージや、起こした事件をネタにルビを振るギャグセンスに、激しい嫉妬を覚えたものである。
センスのない脳筋には和田〇キ子ぐらいしか思いつかない。
中二病ブームが到来して、様々なルビを目にし、面白い発展を遂げたものだと関心していたのだが、脳筋は驚愕の事実に気付いてしまった。
中二病ブームが到来する以前に、複雑なルビの使用をしていた小説のジャンルがあったのだ。
脳筋にはあまりにも敷居の高いジャンル。
そう、純文学である。
純粋な文学、なんと知的で、崇高で、敷居の高い言葉の響きであろうか。
純文学を、読む人、書く人、読者の皆様は、どの様な人物を想像されるだろうか。
幼い頃から本を愛し、文章を芸術として捉え、高度な知性を持ち、感受性豊かな人物。
脳筋である私のイメージする、純文学に触れている人のイメージである。
そう、まさしく、私とは正反対の人物なのだ。
そんな人物が愛読する、純文学は脳筋にとって理解不能な別言語のような物である。
脳筋が純文学を理解するという事は、エベレストのような高い壁、いや、山を超える難行苦行なのである。
もちろん、読みやすい、まるでライトノベルの様な純文学の作品もある。
しかし、脳筋である私は、純文学というジャンルにビビリ、「何か深い意図が隠されているのではないか?」などと邪推し、結局、頭から煙がでるのだ。
脳筋は、ここ数年で、漸く漫画以外の書籍を読み出した。
文字だけの書籍は、ライトノベルのような軽いタッチの作品が限界である。
私が、可愛いロリ系美少女なら「難しいご本を読むと頭から煙がでるのです」などと可愛く言えば、純文学が理解できなくても許されるのだろう。
しかし、現実は非情である、私は外見も脳筋なのだ。
それでも、少しずつ純文学に立ち向かって行こうと思う。
そんな、脳筋が少ない脳細胞をフルに活用して純文学のルビについて考えてみた。
これから書く事は、脳筋な私の拙い解釈なので、所々間違っていると思うのが、温かい目で見ていただきたい。
意義素なる言葉がある、脳筋の私はさっぱり理解できなかったので、Goog〇e先生に助けを求めた。
ふむ、説明を見てもさっぱりであるが、私の脳筋的、本能解釈によると、その単語に含まれるイメージみたいなものと理解した。
なぜ、意義素を持ち出してきたかというと、純文学のルビには、この意義素がよく使われている。
例えば、『温和』という言葉がある。
読者の皆様は、『温和』という言葉にどの様なイメージを持たれるであろうか。
私は、文字の通り、温かくて和やかなイメージが浮かんできた。
ただ、脳筋である私は、そのイメージが、春を連想さる気候なのか、優しい性格なのか、あやふやでしっかりとしたイメージが浮かばなかった。
私の読んだ作品には、『温和』とルビが振っであったのだ。
なんと洗練された、お洒落なルビだろうか、さすがルビの老舗である。
『温和』に振られた『やわらかい』というルビ、やわらかい気候という表現もあると思うがやはり、やわらかな性格を連想させる。
『やわらかい』とルビを振ることで脳筋のイメージを補助してくれたのだ。
物腰柔らかな近所の奥さん、ゆりえさんの溢れる母性までイメージ出来たのである。
ちなみに、『ゆりえさん』なる人物は、その作品には登場しない、完全に私の妄想だ。
『温和』という単語だけで私を、妄想の彼方に誘った恐ろしい文字表現なのである。
この様に、洗練された素晴らしいルビ使いが純文学ルビの良さなのだ。
数々の文豪たちによって研ぎ澄まされ、洗練された、純文学のルビ。
小説投稿サイトに大量投稿された、独自の進化を遂げてきた、中二病ルビ。
どちらも好みはあれど、素晴らしいものである。
現在、様々な小説投稿サイトが存在し、小説は今までのような、専業作家の作品だけではなくなった。
「なろう」などの投稿サイトで作家デビューした、兼業作家の作品が増えてきたのである。
文章のプロではなく、ある意味、素人であるがゆえの自由な発想により、ルビも様々な発展を遂げてきた。
これからも多種多様なルビが生まれ、既存のルビ表現も洗練されて行き、私たちを楽しませてくれるだろう。
老舗、純文学の洗練されたルビも、中二病患者の考える型にはまらないルビも、どちらが上という事は無く、私は両方、大好きである。
あらゆるルビは、尊いものである。
なぜなら、ルビを振るのは非常に面倒なのである。
今もこの文章を書いていて、心が折れそうである。
ゆえに、ルビは尊いのである。




