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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

脳筋が脳細胞をフルに使ってルビについて考えてみた

作者: 野人
掲載日:2017/06/16

 序盤、ルビの考察とは全く関係のない、作者の小学生時代の脳筋エピソードが書いてあります。

 気になる方は飛ばしてください。

 若干の暴力描写(小学生の喧嘩)があります、ご注意ください。

 私は脳筋である。

 何処に出しても恥ずかしい立派な脳筋である。

 

 小学生の時点で立派な脳筋であった私は、小学四年生の時に担任の先生から、強制的に飼育委員を任命された。

 「貴方は生き物の大切さを知りなさい」やんちゃ坊主(クソガキ )だった私を更生させようとした苦肉の策である。

 苦肉の策ではあったが、見事にその策がはまった。

 私は飼育小屋で天使《ルビー》に出会ったのである。

 沢山いたウサギの中で、一匹だけ黒い毛を持ち、くりくりっとした真っ赤なおめめの、ルビーと名付けられたウサギだった。

 休み時間、給食後、放課後、少しでも時間があればウサギの飼育小屋に行き、掃除や餌やりを行い、余った時間でモフモフを堪能した。

 時間のすべてを天使《ルビー》に捧げる事で、問題《トラブル》に巻き込まれる事が減り、私も、周囲も、穏やかな時間が流れた。

 ある日、飼育小屋に行くと、いつも私に嫌がらせをしてくる、上級生集団《ゴブリンとオーガ》が天使《ルビー》を虐めていたのである。

 私への嫌がらせなのか、悪ふざけ(やんちゃ)の延長なのか分からないが、私は怒りのあまり視界が真っ赤に染まるような感覚を覚えた。

 掃除用の箒で上級生《ゴブリン》共を蹴散らし、体格のでかい、リーダー格である上級生《オーガ》と対峙した。

 糞《ふん》を掃除していた箒の穂先で顔面をワシャワシャし、顔が上を向いた瞬間に股間《ナッツ》にツ〇サ君バリのシュートをお見舞いしてやった。

 上級生《オーガ》は泡を吹いて失神、救急車で病院送りに、大変な騒ぎになり、ちびるほど叱られた。

 上級生《オーガ》の股間《ナッツ》は幸い、腫れただけで生殖機能に問題はなかった様である。

 担任の先生は「生き物の大切さを学んだと思ったのに」と私に言った。

 私は「天使《ルビー》を守った!」と主張したところ、「人間も生き物です、傷付けてはいけません」と言われ軽い衝撃を受けた。

 残念な脳筋である私は、人間を、生き物のジャンルからはずし、天使《ルビー》と別枠に考えていたのである。

 しかし、冷静になって考えてみると、天使《ルビー》と上級生《ゴブリンとオーガ》を比べたら、天使《ルビー》の方が遥かに大事である。

 結局、脳筋の私は、人間を生き物と認識しても、何も変わらなかったのである。

 小学六年生の時、初恋をし、人に興味を持つことで、漸《ようや》く人を傷つけることを躊躇《ちゅうちょ》するようになった、単純な脳筋である。

 もちろん、初恋は砕けて散った。


 ルビの話を書こうとして、ルビーを思い出し、1000文字も関係のない話を書いてしまった脳筋《ざんねん》な私をどうか許してほしい。



 ルビとは難解な漢字を、私のような脳筋でも読めるように補助してくれるのが従来の役割だったように思う。

 寂寥《せきりょう》や饂飩《うどん》などは、なろう作品でよく見る漢字であるが、脳筋《わたし》には、ルビなしでは難解な漢字である。

 ところが、ここ数年でルビの使い方が大きく変わる出来事がおきた。

 所謂《いわゆる》、中二病《ちゅうにびょう》ブームの到来である。

 中二心《ちゅうにごころ》を擽《くすぐ》る、何となく、かっこよさげな漢字と、カタカナ英語のルビを使ったコラボで、様々なルビが生まれた。

 『深淵の闇(ディープ・オブ・ダークネス)』『這い寄る死(メメント・モリ)』センスのない脳筋《わたし》にはこの程度しか思いつかないが、中二病《ちゅうにびょう》ルビは書いていて楽しい。

 中二病《ちゅうにびょう》ブームの到来により様々なルビが生まれ、広がりをみせた。

 その中で、漢字の意味とは全く違うルビを振って、二重の意味を持たせる表現も増えてきたように思う。

 閑話休題《おなかへった》や俺たちの冒険は(れんさいうちきり)これからだ!なんてトリッキーな表現もある。

 その中でも衝撃を受けたのが、浜田〇功(ローランドゴリラ)や山本〇一(ロリコン)などである。

 実在する人物のイメージや、起こした事件をネタにルビを振るギャグセンスに、激しい嫉妬を覚えたものである。

 センスのない脳筋《わたし》には和田〇キ子(ボストロール)ぐらいしか思いつかない。

 中二病《ちゅうにびょう》ブームが到来して、様々なルビを目にし、面白い発展を遂げたものだと関心していたのだが、脳筋《わたし》は驚愕の事実に気付いてしまった。

 中二病《ちゅうにびょう》ブームが到来する以前に、複雑なルビの使用をしていた小説のジャンルがあったのだ。

 脳筋《わたし》にはあまりにも敷居の高いジャンル。

 そう、純文学である。

 

 純粋な文学、なんと知的で、崇高で、敷居の高い言葉の響きであろうか。

 純文学を、読む人、書く人、読者の皆様は、どの様な人物を想像されるだろうか。

 幼い頃から本を愛し、文章を芸術として捉え、高度な知性を持ち、感受性豊かな人物。

 脳筋である私のイメージする、純文学に触れている人のイメージである。

 そう、まさしく、私とは正反対の人物なのだ。

 そんな人物が愛読する、純文学は脳筋《わたし》にとって理解不能な別言語のような物である。

 脳筋《わたし》が純文学を理解するという事は、エベレストのような高い壁、いや、山を超える難行苦行なのである。

 もちろん、読みやすい、まるでライトノベルの様な純文学の作品もある。

 しかし、脳筋である私は、純文学というジャンルにビビリ、「何か深い意図が隠されているのではないか?」などと邪推し、結局、頭から煙がでるのだ。

 

 脳筋《わたし》は、ここ数年で、漸《ようや》く漫画以外の書籍を読み出した。

 文字だけの書籍は、ライトノベルのような軽いタッチの作品が限界である。

 私が、可愛いロリ系美少女なら「難しいご本を読むと頭から煙がでるのです」などと可愛く言えば、純文学が理解できなくても許されるのだろう。

 しかし、現実は非情である、私は外見も脳筋《ゴリラ》なのだ。

 それでも、少しずつ純文学《エベレスト》に立ち向かって行こうと思う。

 そんな、脳筋《わたし》が少ない脳細胞をフルに活用して純文学のルビについて考えてみた。

 

 これから書く事は、脳筋な私の拙い解釈なので、所々間違っていると思うのが、温かい目で見ていただきたい。

 意義素なる言葉がある、脳筋の私はさっぱり理解できなかったので、Goog〇e先生に助けを求めた。

 ふむ、説明を見てもさっぱりであるが、私の脳筋的、本能解釈によると、その単語に含まれるイメージみたいなものと理解した。

 なぜ、意義素を持ち出してきたかというと、純文学のルビには、この意義素がよく使われている。

 例えば、『温和《おんわ》』という言葉がある。

 読者の皆様は、『温和《おんわ》』という言葉にどの様なイメージを持たれるであろうか。

 私は、文字の通り、温《あたた》かくて和《なご》やかなイメージが浮かんできた。

 ただ、脳筋である私は、そのイメージが、春を連想さる気候なのか、優しい性格なのか、あやふやでしっかりとしたイメージが浮かばなかった。

 私の読んだ作品には、『温和《やわらかい》』とルビが振っであったのだ。

 なんと洗練された、お洒落なルビだろうか、さすがルビの老舗である。

 『温和《おんわ》』に振られた『やわらかい』というルビ、やわらかい気候という表現もあると思うがやはり、やわらかな性格を連想させる。

 『やわらかい』とルビを振ることで脳筋《わたし》のイメージを補助してくれたのだ。

 物腰柔らかな近所の奥さん、ゆりえさんの溢れる母性までイメージ出来たのである。

 ちなみに、『ゆりえさん』なる人物は、その作品には登場しない、完全に私の妄想だ。

 『温和《やわらかい》』という単語だけで私を、妄想の彼方に誘《いざな》った恐ろしい文字表現《ルビ》なのである。

 この様に、洗練された素晴らしいルビ使いが純文学ルビの良さなのだ。


 数々の文豪たちによって研ぎ澄まされ、洗練された、純文学のルビ。

 小説投稿サイトに大量投稿された、独自の進化を遂げてきた、中二病《ちゅうにびょう》ルビ。

 どちらも好みはあれど、素晴らしいものである。

  

 現在、様々な小説投稿サイトが存在し、小説は今までのような、専業作家《プロ》の作品だけではなくなった。

 「なろう」などの投稿サイトで作家デビューした、兼業作家《セミプロ》の作品が増えてきたのである。

 文章のプロではなく、ある意味、素人であるがゆえの自由な発想により、ルビも様々な発展を遂げてきた。

 これからも多種多様なルビが生まれ、既存のルビ表現も洗練されて行き、私たちを楽しませてくれるだろう。

 老舗、純文学の洗練されたルビも、中二病患者《ちゅうにびょうかんじゃ》の考える型にはまらないルビも、どちらが上という事は無く、私は両方、大好きである。

 

 


 あらゆるルビは、尊いものである。

 なぜなら、ルビを振るのは非常に面倒なのである。

 今もこの文章を書いていて、心が折れそうである。

 ゆえに、ルビは尊いのである。

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― 新着の感想 ―
[良い点] このエッセイも非常に面白いです。 [一言] 個人的に野人転生は有名にさえなれば書籍化確定な完成度だと思っているのですが有名になった場合、個人名にルビふるところは若干のリスクを感じます。 大…
[良い点] ルビの話にも野人先生ネタを忘れない野人先生に脱帽! 本当に丁寧に書かれているのだと感じました。世間様に対して本気で謙虚な姿勢は野人先生の野人先生たるエピソードから来ているのだと考えると悶…
[良い点] ルビ振らなきゃって、思っていても、面倒でついサボってしまいます。 だからこそ解ります。この作品の苦労が……。尊いものですね!
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