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<2>

 近頃、優太君の様子がおかしい。

 挙動不審なのだ。

 僕がいつものように言い寄っても、彼は拒絶を示さなくなった。まるで此方の不興を買いたくないというように、下手な作り笑顔を浮かべて応じる。何か隠し事をしているのは一目瞭然だ。最初は別の焦りでいっぱいになっていたから気が付かなかったが、彼に目を移せばすぐに分かるくらいに不自然だった。

 そこに付け込む僕も僕だが、手を繋いでも振り払われないというのは嬉しかった。少し前なら頭を撫でただけでも「子ども扱いするな!」と噛みつかれていた。まあ照れているだけだと知っているので、それはそれで可愛いのだけれど。

 それなのに、今朝はなんと頬に口付けても振り払われなかった。甘んじて受け入れるというよりは、やはり仕方なくといった風だったが。普段の彼だったら大袈裟に叫び声を上げて僕から距離を取って、さんざん怒鳴っていただろう。

 ますますおかしい。

 でも、このまま距離を詰めて唇にキスをしてもいい間柄になっても良いだろうか、とも思う。早くしないと誰かに奪われてしまうかも知れない。

 推測するに、僕が学校交流のために東西高校に行った日に何かがあったのだと思う。

 東西高校の生徒会長も、僕に負けず劣らず良い男だった。一目会った時から気にくわないと思っていたが、前の交流の時に優太君を連れて行ったら心底気に入ってしまったらしい。明らかに気のある目で優太君を凝視していた。おかげでますます嫌いになった。二度と優太君を見せてなるものか。

 案の定先日も「優太は来ないのか」などと僕の優太君を呼び捨てにしていた。許せない。

 世の中にそうそう同性愛者が溢れているとは考えがたいが、これはこれで現実だ。僕の勘が外れているとは思えない。

 しかし悔しいことに、かの生徒会長の気持ちも分からないではない。優太君は高校に入るとそれまでが嘘のように、突然目立つ存在になった。以前から可愛らしい顔立ちはしていたのだが、それは楚々とした印象で、色香のようなものを感じる部分は無かった。顔つきが変わったというより、雰囲気が変わったのだと思う。

 これが高校デビューというやつかと思ったが、それとは意味合いが異なる。特に優太君自身が何か新たな事をしている様子はないのだ。よって本人側に改善の余地がないというのが悩みどころである。

 優太君をずっとずっと見てきたのは僕なのに。

 だから僕は昔のように彼に冷たく当たることはできなくなった。彼の気を引くために意地悪をした事もあったが、それも卒業。彼に嫌われたらおしまいだ。

 けれどもこれだけ毎日猛アタックしているのにも関わらず、今ひとつ僕の言葉を理解してくれていないように思う。危機感を覚えるほどに無防備だ。二年に進級してますます輝きを増した優太君は、北南高校の裏ランキングでも着実に人気を伸ばしていた。

 早く、早くこの距離を埋めたい。埋めなくては。




 放課後生徒会室の扉を開けると、そこには誰も居なかった。どうやら僕が一番乗りのようだ。

 書記、庶務の係の者は今日は用事で欠席と聞いている。学園祭の実行委員長や評議委員長達も特にイベントのないこの時期は生徒会室での席は設けられていても、来る事は滅多にない。

 けれどもいつも居るはずの面子二名もまだ来ていないというのは意外だった。その内の一人は副会長の優太君だ。もう一方はどうでも良いが、適当に就任させた会計役だ。使い走りをさせるために毎日来させていたのだが。

「まったく、何をしているんでしょうねぇ…………ん?」

 呟いた僕の耳に、小さな話し声が届いた。

 彼らに気付いたのは空気の入れ換えのために偶然生徒会室の窓を開けたからだった。その遙か階下の会話は風に乗って三階まで上ってくる。

「この愚図。まだ見つからないのかよ?」

「うん……」

 短い返答を返す蚊の泣くような声は、聞き間違うはずもない、あいする人のものだった。

「もう一度言っておくが、あれはお前のせいなんだからな。なのにこのまま見つからなかったら、俺もとばっちりで会長の怒りを買うことになるかも知れねぇじゃねーか!」

 優太君は全然愚図なんかじゃないのに、あんな事を言う奴は締め上げてしまいましょう。

 激昂しているのは生徒会の会計をしている者の声だ。適当に決めたので能力はそれ程高くはないが、僕に逆らおうなどと思っていない所だけは褒められる。まあ、この学校で僕に逆らおうなどという馬鹿は居ないはずだけれど。あえて言えば優太君くらいのものでしょうか、可愛い抵抗ですが。

 その可愛らしい優太君の反論も聞こえてくる。

「確かに俺も悪いけど、あれは君が俺から奪ったせいもあるんだからな」

「うるせぇ! つべこべ言わずさっさと見つけろ!」

 窓から見下ろしてみれば、優太君は地べたに這い蹲って必死に雑草をかき分けている。どうやら男に言われるままに何かを探している様子だ。――何を、だろうか。

「あんな小せぇリングなんてどうせ見つからねーよ。……なあ、そろそろ会長に謝っちまえば良いんじゃねぇか?」

 僕の疑問に答えるかのような彼の台詞に、話の流れが大体分かった。

 僕がここ数日必死で探している物――指輪が失くなったのは、彼らに関係があるのだ。あの辺りに落としてしまったのだろう。この様子からしてあの日からずっと、彼ら――いや、優太君だけのようだ――が僕の指輪を探し続けているようだ。

 それなら許してあげたいと思った。ここからでも優太君の必死な姿勢が見て取れたから。

 それに引き替え、隣に立っている男は何をしているのか。僕の大事な人を罵倒する姿に怒りがこみ上げる。優太君の台詞を聞いていると彼にも責任はある様子なのに。今すぐあの場に行って制裁を与えてやろうと思った。

 しかし、生徒会室から廊下に繋がる扉に体を向けた瞬間、続けられた声に足が止まる。

「お前が縋って『許してくれ』ってねだれば万事解決じゃないか」

「え……?」

 もう面倒だから早く解決させたい、という意図が丸見えの言葉だ。

 しかし、その内容は考えさせられるものだった。


 ――縋って、ねだれば……


 優太君がどんな風に縋ってくれるのか、ねだってくれるのか。

「……っ」

 考えるだけでも興奮した。ピンク色の妄想が頭を占める。

 思わず窓の桟に手をつき、下方の優太君を見遣った。会計の下衆を見返す彼の表情はここからでは窺えない。

 いつものように首を傾げて、大きな黒目がちの瞳でじっと見つめているのだろうか。だとすると、優太君の視線を集めている男が嫉ましくて憎らしい。

 ここ数日の彼の態度は、いつもの数割増しで従順だった。この様子を見るに、あれが紛れもなく罪悪感の顕れだと分かる。

 僕がこの事実を突きつけ、哀しみをぶつけたら。

 彼は赦されるまで必死に僕の願いを聞き入れるだろう。僕があの指輪をどれほど大切にしていたかを彼は知っているから。“傷心”を演じる僕が頼めば、唇へのキスも許してくれるかも知れない。素肌を晒すように言えば、そうしてくれるかも知れない。触れさせてくれと言えば。

 あるいは、抱かせてくれと言えば。

 そうして完全にものにするまで、彼を雁字搦めに繋いでしまおうか。その手段に彼の罪悪感を用いる……それに良心の呵責を全く感じない訳ではないが、そろそろ本腰を上げようと思っていたところだ。早くしないと優太君を狙う輩が増えてしまう。

「どうせ会長が毎日言い寄ってくるのに迷惑してたんだろ?」

 不快な男の言葉は続く。僕が優太君にアタックしているのは、もう学校中の噂である。そうなるように行動しているのだから当然だ。少なくとも校内では優太君にそういった意味で手を出そうという者が居なくなるように。

「…………迷惑?」

「たまには利用させて貰っても良いじゃねぇか」

「……」

「どうせ会長はお前を気に掛けていても、お前にとっては好きでも何でもない男なんだろう? 迷惑してるじゃねえか」

 その言葉に優太君は肯定も否定もしない。僕は、それは肯定を示しているのだと思った。実際迷惑しているのだろう、と。

 でも、たとえその通りだとしても良い。

 優太君がどんなに僕に辟易していようが、更に言えば嫌悪していようが関係ない。

 僕に縛り付けてしまえば良いのだ。その手段を得たからには活用してみせる。彼の中に罪悪感が存在する限り、僕の望みは叶い続ける。

 しかし、しゃがみ込んでいた彼はすくっとその場に立ち上がって言った。

「そんなの、ダメだよ」

 この場からは彼のふわりとした髪の頭頂部が見えるのみで、表情は伺えない。けれども凜としたその声音はいつもの彼とは違い、心の底から思っている事を口に出していることが分かった。

「冬都はたしかに、俺を大事にしてくれている。だけど、冬都の気持ちを利用なんてしちゃいけない。あの指輪は冬都が大切な人から貰った本当に大事なものなんだ。俺も冬都を大切に思う気持ちは変わらない」

 ぐっと顔を上げて言い放つ。


「だからそんな冬都の気持ちを利用したりなんかしちゃいけないんだ」


 彼の声が胸の奥に届く。

 居ても立ってもいられず、僕は生徒会室を飛び出した。

 優太君

 優太君

 優太君!

 階段を駆け下りながら彼の名前を心の中で連呼する。

 つまらない打算で彼の心を物にしようとした自分が恥ずかしい。一時でも身体だけを欲した自分を罵りたい。

 彼は僕の中身を、ちゃんと見ていてくれたのに。

 やっぱり、僕は彼を好きになって良かった。彼が僕を好きになってくれるように、僕も頑張らなければ。

 僕は、彼の心もきちんと手に入れたい。

 真心を返せる男になりたい。

 校舎の裏手に回ろうとすると、怒鳴り声が間近に聞こえてきた。

「いいから早く謝っちまえって言ってんだろ! お前さえ折れれば――!」

 続いて響いた、乾いた音。

「優太君っ!」

 走り寄ると、優太君は左頬を押さえて俯いていた。指の間から見える皮膚が赤くなっているのが見える。殴られたのだ。瞬間、目の前が真っ赤になる。

「この……っ!」

 普段被っている優等生の仮面は、いとも簡単に剥がれた。剥がれた上に、粉々になった。

 彼の前に立つ男の胸ぐらを掴むとガードする隙も与えず殴り飛ばす。防御も何もなかった身体はあっけなく雑草まみれの地面に吹っ飛ぶ。

「か、かいちょ……」

 驚愕と恐怖に彩られた瞳で倒れた男が見返す。全身はガタガタと震え、その声も強張っていた。それでも僕の怒りは収まらない。

(よくも、よくも僕の……っ!)

 その体に乗り上げると奴の頬を殴りつけた。がつんと骨に当たる感触がする。口の中が切れたようで、奴の唇から僅かに血が零れた。悲鳴も僕の耳をすり抜ける。

(許せない、ゆるせない)

 もう一度拳を振り上げる。

 しかしそれを振り下ろす前に、柔らかい感触に肘を掴まれて止められる事となった。

「や、やめて冬都! それ以上したら、大怪我しちゃうよ……っ」

 必死に絞り出された声は、涙に濡れていて聞き取りにくかった。それでも、彼の声だけはどんな雑踏の中でも道しるべのように僕の胸まで届き、導きをくれる。

 その言葉の意味が頭に伝わるのと同時に、自我を取り戻す。立ち上がり、僕の右腕に縋る優太君を見下ろした。

「優太君……」

 目元を手の甲で拭った優太君は、悄然とした様子で僕を見上げた。

「冬都、……だ、だいじょぶ……?」

「僕は何とも……もう、正気ですよ。彼はどうなっても知りませんが、残念ながら失神してしまったみたいですね」

 二度と過ちを犯さぬよう、もっと恐怖を植え付けてやろうと思ったのに……失敗した。

 地面に伸びる男を見下ろす。顔面を本気で二発殴ったので原形を留めない程真っ赤に腫れ上がっているが、骨折までは行っていないだろう、多分。

 優太君は自分を殴った男をそれでも痛々しそうに見て、それから視線をこちらに戻した。

「……あの、……どこから聞いてた……?」

「多分、ほとんど全てだと思います」

 正直に告げると、優太君の肩がびくりと揺れた。

「すみません。もっと早くに来ていれば優太君が殴られることもなかったのに」

「そんな事いいから! ……って、そうじゃなくて……お、俺の方こそ、ごめん……っ」

 俯いたせいで、優太君の涙で煌めく綺麗な瞳が見えなくなってしまった。なぜだかそれが無性に悲しかった。

「……指輪がなくなっちゃった事、黙ってて……捜してるの分かってたのに」

「それは……確かに捜してはいましたが……」

「ごめん、俺、冬都が凄く傷付くって分かってたから、本当の事言えなかった……見つけようと思ったんだけど、まだ見つからなくて……ごめん……」

 どんどん小さくなって行く優太君の声。その細い肩が小さく震えているのを見て、僕は何としてでも慰めなければ、と思った。

「僕は、大丈夫です。だって優太君が既に、僕の分まで悲しんでくれたでしょう?」

「で、でも……」

「それにあの指輪とは別に、大切な物を貰えたのでいいんです」

「……?」

 僕にできる精一杯の、心からの笑顔で告げる。

 しかし優太君には僕にくれたものが何なのかわからないようだった。仕方のない人ですね。

「それでも、そんなに気に掛かるならひとつ案を出しましょうか」

「何?」

「僕に抱きついてキスしてくれれば何でも許してあげますよ」

 意識的に悪戯っぽく笑って言うと、彼はきょとんとして僕を見返した。

 が、すぐにふわりと笑い返してくれる。

「……ばか」

 ほら、また“大切な物”をくれた。

 こんなに甘い響きの「ばか」がこの世に有るなんて、知らなかったよ。




「ところで、僕に迷惑しているというのは否定してくれますよね?」

「へ?」

 二人肩を並べて夕暮れの道を家に向かって歩きながら唐突に聞いてみれば、優太君は思わずと言った風に間抜けな反応を返した。左頬に貼られたガーゼが痛々しい。ただ腫れてはいるが、パーの形で殴られたため見た目ほどは痛くないらしい。僕はグーで敵を取ってあげましたけどね。

「だって先程の彼がそう言った時になんだかんだ言って否定してくれなかったじゃないですか」

「あ、あれ……」

 思い返してみれば、そうだったような……と、優太君の顔に書いてある。視線を冷たくさせてみると、彼はぎくりと身体を強張らせた。

「……め、迷惑だなんて、思ってない、よ……?」

「なんだか自信がなさそうですね。きちんと否定して下さい。それなら、僕の事をどう思ってるんですか?」

「そ、れは……」

 優太君は可愛らしく眉毛をハの字にして考え込んだ。きっと(全く迷惑していない、とはとてもじゃないけど言えない)などと思っているのだろう。

 毎日のように朝っぱらから口説き文句を贈られたり付き纏われているのだから無理もない。その上先刻は優太君に止められていなければ奴にどれほどの怪我を負わせていたか、僕自身にもわからないくらい狂騒モードに入っていた。あのような姿を彼に見せたのは初めての事だったから、驚くと同時にかなり引いたのではないかと思う。

 それは分かる。分かるが……即答してくれない事には、焦れる。結構な時間口を噤んでいるので、ずいっと距離を詰めた。

「今すぐあの発言を撤回しないのなら、やっぱりキスしちゃいますよ」

「……………………へ?」

 また、いつもの冗談かと思っているのだろう。

「…………」

「…………」

 あ、自分で言っていながら結構恥ずかしいですね、これ。

 優太君が必死に首を伸ばしてこちらを見上げる気配がするが、なんとなく目を合わせられなくて明後日の方を向いてしまう。遙かに長身の僕が斜め上に目線を上げてしまうと、優太君にはその目を見返す事は不可能となる。

 ……夕日のせいにできるだろうか。

 くるりと振り返ってみると、やはり頬を真っ赤に染めた優太君が大きな目でこちらを見ていた。視線が絡むと、彼はそれを逸らして横目で夕日を反射させたアスファルトの道に目を落とした。

 それによって、彼はやがて目撃する事になるだろう。

 そこに伸びる長い二つの影が折り重なるのを。



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