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<1>

 隣の家に住む一家は不思議な家族構成をしている。

 俺より一つ年上の冬都は高校三年生。それから同じ歳である高校二年の双子の弟と、中学二年の妹が一人。未成年ばかりの四人家族だ。

 以前彼等の両親について訊ねてみたのだが、二人して外国を飛び回るような仕事をしているとか何とか。今は上の兄貴三人が高校生になってしっかりしてきたから良いものの、この状況はなんと長兄の冬都が中学二年になったばかりの頃から続いている。四年前に隣家に引っ越して来た時には驚いたものだ。

 そんな両親が長らく留守にしている境遇を慮り、人の好いうちの母は彼らを自分の子どものように可愛がっているのだった。それもやはり四年前から続いている事で、一人っ子の俺にとってはまさしく兄弟のような関係だった。俺も素直に五人兄弟の一員となった気持ちで過ごして来た。


 しっかり者の長兄と、悪戯仲間の双子の兄(あるいは弟)、守るべき可愛い妹。

 しかしそのしっかり者であるはずの冬都に“異常”が現れたのは、俺が高校に入った頃の事である。

 それは俺にはとても理解できない――接触、だった。

 今日も一緒に登校していると、すぐに横に並んでくる。肩を並べて、というよりは肩がくっつく程の距離だ。

「優太君! ゆうたくーん」

「……何」

「今日も可愛いですねえ」

「可愛いはやめろって言ってるだろ」

「でも、可愛いですし。何時見ても可愛い。綺麗というよりはやはり可愛い、と言った方が合いますね」

「……」

「目に入れても痛くないとはこういう事を言うのでしょうか」

「……」

 これだ。それまでのクールとまでいえる程の態度とは打って変わって、妙に構ってくるようになったのである。

 彼ら一家が引っ越してきたばかりの冬都はもっとツンツンして取っつきにくい性格だったと思う。反抗期とはまた違う『拒絶』に近い態度で、うちの母のおせっかいに迷惑そうな顔をしている事もあった。

 その態度が徐々に軟化し、我が家の食卓に着く事に抵抗しなくなるまでに約一年。それもとっくに母に懐柔されていた弟妹に流されて、といった風だった。

 それでもあるラインからは一歩も人を寄せ付けまいとしているよそよそしさが何処かに残っていた。

 ――それが、今年になって一変したのだ。

 引いていたラインを革靴の底でぐちゃぐちゃにもみ消して出て来ただけでなく、俺の側にもうっすら存在するそのラインを乗り越えて体当たりしてきたのだ。

 今では顔を合わせればこんな風にデレデレベタベタの毎日。弟妹の目の前であっても気にも留めずに突進して来る。

 なまじ顔が異様なほど整っている奴なのでやりづらいったらありゃしない。ちなみに敬語で喋るのはこいつのデフォルトだ。前はもっと四角張った敬語で喋っていたけれど、今は甘ったるく語尾を伸ばしたりするのが鬱陶しい。

 あまりにいつもこうしてくっついてくるので、変な噂が立ったことがある。内容については思い出したくない……冗談じゃない、俺も冬都も男なのに。




 生徒会室の大きな窓から見えるのは、綺麗な青空。

 開放してある窓からは清々しい風が送られてきている。

 こんな天気の良い日に部屋に閉じ籠もっているのも空しいが、冬都不在時の分の仕事を引き受けると言ったのは俺だった。

『すみません、優太君。君を連れて行きたいのは山々なんですが』

 ほとほと困った様子で、あいつが言った。

『今回ばかりは出来ないのですよね』

『気にしないでいいよ。冬都の仕事やっとくから安心して行ってきて』

『では行ってらっしゃいのキスをお願いします』

『調子に乗るなっ!』

 そんないつも通りのやり取りを経て嫌そうに出て行った背中を思い出す。今日は学校間交流のため、生徒会長として隣の東西高校に出掛けているのだ。

 あんな冬都でも様々な人に信頼され、今では生徒会長を任され立派に勤め上げている。

 俺は彼が会長に就任すると同時に、会長権限の指名により副会長とされてしまった。妹や弟は家の中でさんざん会っているから学校でまで同じ顔を見る必要はないという言い分で、指名はされなかった。俺だって似たような立場なのに、なんともおかしな話だ。

 でも生徒会長としての冬都は結構格好いいので、いつものメンバーでその姿を見られるのが俺だけだと思うと僅かに優越感が擽られるのも事実だった。

 今日のような学校間交流の行事には普段は俺を連れて行く冬都だが、東西高校だけは別だった。真偽の程は不明だが、俺が何故か向こうの生徒会長に気に入られていて、その目に入れたくないのだと言う。俺の代わりには書記の男子生徒を連れて行った。


 結局生徒会室に残ったのは俺と、会計役をしている男子生徒の二名だけ。俺以外の生徒会メンバーは冬都にとってはどうでも良かったらしく、この会計の彼の名前を冬都は覚えていない。今日連れて行った書記はギリギリ覚えていたみたいで、同行者を決める際になんとか名前を思い出した、という感じだった。

 俺が手伝っている冬都の仕事は簡単な集計業務ですぐに終わらせる事ができた。あとは冬都の机にある判子を押すだけだ。書類を軽く手で束ねながら会長席まで行くと、机の隅に置かれていた銀色が目に入った。

 シルバー細工の凝ったリングにムーンストーンが嵌っているそれには見覚えがある。

 彼の弟妹達からの誕生日プレゼントだ。ムーンストーンはパワーストーンとして名高いそうだけど、彼の生まれ月である六月の誕生石でもあるとのこと。ゲームに出て来る魔法使いが身につけるようなゴテゴテしたデザインなのに、冬都が嵌めると何故か上品に見える。突き詰めて言えば、彼に物凄く似合っているのだ。

 そしてそれは本人も同じ考えらしく、先日の誕生日以後、よく右手の中指に着けているのを見ていた。わざわざ見せびらかしたりはしないが、相当嬉しかったのだろうと思う。

 冬都は華やかな美貌を自覚していて、一種の武器にしている。当然お洒落には余念がなく下手なアクセサリーはプレゼントできなかった。だから弟達三人は納得いくまでプレゼントを選んで、高価なこのリングを折半して購入したのだそうだ。俺には貴金属の価値はわからないが、この指輪にはお金以上の価値があると思う。

(こんな大事なもの、机の上なんかに放っておいて……)

 どうして仕舞っておかないのだろう。ため息をついて机の上のリングを手に取った、その時だ。

「あぁ? 何お前、会長の机勝手にいじってんだ?」

 突然すぐ後ろから声を掛けられて吃驚した。

「なんだこれ? 指輪?」

 ひょいと俺からリングを奪ったのは、生徒会で会計をしている男だ。元々俺以外には彼しか居ないこの部屋なので当然なのだが、いきなりの事ですぐには反応出来なかった。

 正直、俺は彼の事が好きではない。彼も俺を良くは思っていないだろう。今でも冬都との関係を妙に疑って揶揄ってばかりいるし、馬鹿にした態度を取られたのも一度や二度じゃない。実質的に大きな力を持つ冬都に表立って刃向かう事はないが、俺みたいな小さくて細っこいの相手では傲岸不遜な態度でぐいぐいやってくる。

「だっ、ダメだよ! それ、冬……会長の大切なものなんだ!」

 大切な指輪を軽々しく弄ばれ、ぎょっとして必死で取り返そうと手を伸ばした。けれども平均身長に到底届かない俺では腕を持ち上げられただけで敵わなくなってしまう。

「へえ? 流石、上等だな。なくしたらさぞ悲しむだろうなぁ?」

「や、やめろよ! すぐ返せ!」

「うわっ」

 飛び上がって相手の腕を掴むと、男の体がぐらりと揺れた。

 その拍子に、つまみ上げていた指輪が彼の手からするりと抜ける。

「あっ!」

 ついでに勢い余った指に弾かれて、指輪はそのまま宙を舞った。

 ぽーんと弧を描いて飛んでいく指輪。目で追うと、その先には開け放たれた窓が――

「あー!」

 悲鳴と共に慌てて窓に駆け寄るも、既に指輪の影は見えなかった。

 自分の顔色が蒼白になっていくのが分かった。

「ふ、冬都の、大事な……っ」

 重力に引き寄せられるまま指輪はとっくに地面に到達しただろう。

 しかし三階の窓からはどの辺りに落ちたのか、見当するのも難しかった。涙が出そうになる。

 双子の弟とまだ幼さを残す妹。あの三人が一生懸命小遣いやバイト代を貯めてプレゼントしたものだとわかっているから。

 視界の端で、会計の男が酷く動揺しているのが見えた。

「おっ、お前のせいだからな! お前が飛びかかってさえ来なければ!」

「……っ」

「知らねぇ! 俺のせいじゃねえ! お前、ちゃんと見つけて来いよ! じゃないと、会長が……」

 ぶるぶると震える男。

 気持ちはまあ、分かる。権力に於いても物理的な力に於いても、この学校で冬都より強い者なんていない。その彼を怒らせたらどういう事になるか。

 けれども怒られるより、悲しまれる事の方が俺には痛かった。

 きっとあの綺麗な両目に哀しみを映して……それでも、彼は。

 彼は、笑うのだろう。

「……探してくる」

 短く言い置いて、俺は生徒会室を走り出た。

 居ても立っても居られなかった。

 落とした窓の下は学校の裏手で、手の加えられていない雑草地帯だ。中には俺の胸くらいの高さの雑草も生えている。ところどころハルジオンの花が咲いている以外は一面の緑。地面の色も見えないほど鬱蒼と茂った雑草に覆われていた。

「これは……手強いかも……」

 何せ探しているのは小さな指輪だ。それに窓の真下に落ちたのか、それともどこかにぶつかって跳ね返って存外遠くに飛んで行ったものか、皆目見当も付かない。

 それでも絶対に探し出さなければらない。冬都の悲しむ表情を想像するだけで辛くなる。

 三時間ほど捜している内に、日が傾いてきた。暗くなってゆく視界に指輪を捜索するのが難しくなる。挫けそうになるけど、ちょっと離れた茂みの方も捜索しようと少し移動する。草をかき分けている内に少し切ったのか、手には何カ所か浅い切り傷が出来ていた。

 そしてとうとう日が落ちて、これ以上の捜索は無理だという所まできた。学校の裏手には明かりは設置されていない。

(仕方ない、明日続きをするか……)

 しかし、翌日もその翌日も、時間の許す限り俺は冬都の指輪を探していたが、見つかることはなかった。




「おかしいですね、この辺りに……」

 生徒会室で冬都が自分の机の下を覗き込む。その動きに自分の心臓が嫌な音を奏でるのが聞こえるように感じた。

「ふ、冬都、どうしたの……?」

 分かっていながら空々しく訊ねる声は、我ながら罪悪感をちっとも隠し切れていないと感じた。しかしいつも鋭いはずの冬都が今は他に気を取られているせいで、俺の震える声に気付かない様子だ。

「ああ……いえ……」

 一度顔を上げるが、結局彼は髪を乱しながら生徒会室の床を探す視線を止めなかった。

 分かっている。冬都が柄にもなく必死になって探しているものを。

 でも、それはここにはない。いくら探しても見つかるはずはない。それが分かっているのに、俺は教えることは出来なかった。

 あの指輪がどんなに大切な物か知っている。冬都の美しい両眼に哀しみが宿ることと、それでも微笑むだろうことも……知っている。

 考えるだけでも胸が痛んでどうしようもなくなる。

 今日も生徒会の仕事が終わったら探しに行こう。


 夕暮れの道を並んで帰いていると、冬都が意識せずため息をついているのが聞こえた。「何か気になる事があるんじゃないの?」……と、聞けるものなら聞いてみたかった。

 でも、聞けない臆病な自分が情けない。彼の憂いの種を知っているのに、知らないふりをしている罪悪感。

 結局集中できなかったので生徒会の仕事が捗らず、指輪探索に出る事も不可能だった。あまりのふがいなさに更に落ち込んでしまいそうだ。

(……いや、俺が落ち込んでちゃだめだ)

 辛いのは冬都なんだ。

「冬都……」

 ついその名を呼んでしまうが、

「どうしました?」

 彼は何もないように微笑みを返す。きっと彼は、俺に大事な指輪を紛失した事を知らせたくないんだ。俺が悲しむと思っているのだ。

 申し訳なくてどうしたら良いのか分からなくなり、俺は彼の袖を引いてその肩口に顔を伏せた。途端に、柄にもなく冬都が身体を硬くするのが分かる。

 けれども声だけは平静を装って、「おや」と笑う。

「今日は甘えん坊なんですね」

 頭を優しく撫でられる。撫でてやりたいのはこっちなのに。

 ごめん、ごめん冬都……。きっと、俺が見つけ出してやるから。今は、俺より自分に優しくしてくれ。

 俺なんかに優しくしないでくれ――


 お互いを悲しませたくないがために、どちらも本当の事が口に出来ない。

 なんて臆病なのだろう。

 笑ってしまえれば楽になるのかな。




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