『僕×白紐帯の木乃伊』 6
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まぁ、多少の非行が目立ってしまうのは仕方のないこと。人は誰だってちょっと羽目を外しがちな時期ってのはあるもんだし、なおかつ今の俺は花盛りの高校生、若気の至りという言葉が端的かつ明確に表すように、そりゃいろんな事に興味を持って、自分勝手して、周りに迷惑をかけちゃうことだってあるさ。
でもそんな俺でも人のために何かをしようという気持ちが全くないということはないのをぜひ知っておいてほしい。困っている人がいるって言うんだったら、もちろん見返りも求めず手を差し伸べることだってあるのさ。もちろんこんな俺に出来ることの限界はとっても限られているけれど、その中から試行錯誤自分なりに考えて方法を導きだしているのさ。
でも、解決なんて目指しちゃいない。そこまで俺は思い上がっていない。
俺ができること、それはただ問題を先延ばしにするだけ。
どこかの誰かが、はたまた自分自身が解決するのを待つだけ。
それまでの間を繋ぎ止めるだけ。
意味なんて考えない。
必要かなんて知らない。
それをエゴと言うなら、エゴでしょうね。
それを偽善と言うなら、偽善でしょうね。
それをひどいと言うなら、ひどいんでしょうね。
そんなこと知ったこっちゃねー。
勘違いしないでほしいのは、俺は手を差し伸べるけど、別にその手を引いたりはしない。その手を引いてどこかに導いたりなんかしない。
ただ、繋ぐだけだ。
それしか出来ないんだよ。
「……本当に俺は、なんて良いやつなんだろう。そうは思わないか?」
「ふらっと来て早々、何を言い出すんだお前は」
とりあえずお互い落ち着くためにと、一度包帯少女と別れた俺は保健室に来ていた。
椅子の腰かけにもたれながら窓の外を見る。世界は上下逆転していた。あと頭に血が上った。
頭を起こすと、間城崎が「頭、大丈夫か?」と言いたげな目で俺を見ている。
俺はまた世界を逆転させた。
「いやさ、俺は俺なりに頑張っているつもりなのにさ、誰もほめてくれないからさ、自分で自分をほめるしかないじゃんか」
別に本気でそんなこと思っているわけじゃない。ただ言ってみただけ。
「はっ、頑張っているからほめてもらえる? そんな汚物のような生臭い幻想は小学校の水洗トイレで流してくるべきだったな」
そんな俺に対する友人の反応はとても暖かいものだった。
「へっ、残念ながら俺は学校ででっかい方をしないと決めているんだ」
「そんなこと誰も聞いてない」
「なんだ、俺の生理現象に興味心身なのかと思ったぜ」
「確かに人間の構成要素はほぼ好奇心と言っていいかもしれないな」
「あぁ、しまった、あいつのが移ったかな、間違えた。興味津々なのかと思ったよ」
「セクハラだぞ」
「先に話を振ったのはお前じゃんか」
「しかし話をそっちに持って行ったのはお前だ」
「じゃあ二人とも悪いってことで喧嘩両成敗だ」
「渋々承諾だ」
「悠々快諾しろよ」
「……お前は、そうやってへらへらと笑いながら私と猥談をするためにここに来たのか? 私にいやらしい言葉を言わせて自分の欲情を満たすためにやってきたのか? だとしたら場違いだし人違いだ。ここは校内随一清潔な場所で、私は町内随一清潔な性格の持ち主だ」
それは一体どこからの情報だ。引用文献をしっかり明記してみせろ。
「なんだ、知らないのか? 学校の中で保健室ほど不純な場所はないんだぞ。定番中の定番だ。そしてお前が町内随一の清潔がどうなんて聞いたことねーが、お前のポジションは町内ダントツで不純だ」
「なんだ、お前はそういう目で私を見ていたのか?」
「侮るなよ、俺はそこまで分別の付かない男じゃないぞ」
「……全くないのか?」
「そう言っても遜色ないね」
「おい、本当に全くないのか? 私に対して全くムラムラしてこないのか?」
「……おい、セクハラだぞ」
「違う、私は興味心身なだけだ」
おいさっきの発言との食い違い方が半端ないぞ。
「ほどほどにしておけよ。好奇心が殺すのは猫だけじゃないんだから――と」
そろそろ頭がパンパンになってきたから頭を起こした。
保健室備え付けの時計を見るとそろそろ四時間目の終わりの時間が近付いていた。
「さて……ちょっくら行ってくるかな」
「来て早々もうどこかに行くのか? 慌ただしい」
「おいおいなんだよ、もしかしてさみしいのか? 『え? どっか行っちゃうの? ……もうちょっとだけ……そば……いてくれない、かな?』って上目遣いで気持ち涙目最後は聞こえるか聞こえないかくらいの声でかつちょっとだけ俯きがち――そうまさしく頬を桜色に染めて恥じらう病弱乙女のように言ってくれたらまだいてやっても良いぜ!」
「『え? どっか行っちゃうの?……もうちょっとだけ……そば……いてくれない、かな?』」
一瞬の間も置かず、何のためらいもなく、それを間城崎はやってのけた。
しかも体育座りをしてその膝に顔を隠し目だけを膝の上から出す、というアドリブ付き。
「……ほんと、お前って良いやつだよな。たまに罪悪感で押しつぶされそうになる」
「良く言われる」
そのままの体勢で間城崎は答えた。
「……ねぇ、おふざけもそれくらいにしてさ、君は授業に出ないと本当にまずいんじゃない?」
衝立の向こう側から篠守先生の声だけが届いた。
「あれ? 心配してくれているんですか先生?」
「そりゃあ、体裁はね」
「正直って残酷ですね先生」
「それと、あんまりここで不純な話はしないでもらえるかな? ただでさえそんな妄想を抱いた危ない子が来るって言うのに」
ちらっとよぎるは友の顔。
「先生も忙しいんですね~。しかしですよ先生、今から授業に出るのもどうかと思うがそこら辺はどうでしょう?」
「全くその通り。だけどね、そもそも授業に出ないのがどうでしょうなのよ?」
「ははは、全く、それを言われると返す言葉がないですね~」
そんなことを言われても、まさしく覆水盆に返らず、今更どうしようもない。それに今行ったところでできることなんて限られているし、戻るとしたら今日はもう一度立花を使ってしまっているから、あと一回しか使えない。できれば別の方法を考えなければならない。
「先生、午後の授業はちゃんと出るようにするんで、ここは大目に見てくださいよ」
「それは約束、ととらえて構わないのかしら?」
「抱負、程度でお願いします」
はぁ、と大きなため息が聞こえた。先生という職業も苦労が絶えない。
「……それで、実の所お前は一体何をしに来たんだ?」
そう切り出す呆れ顔の間城崎。たぶん俺がどうしてきたか、おおよその見当は付いているんだと思う。
一を聞いて十を知れ、イッツァジャパニーズコミュニケーション。
俺がどれだけ考えたところで分からないことは分からない。やっぱり、分からないことは分かるやつに聞くのが一番だ。そう、俺の頼れるご意見番に。
「……なぁ、唐突だけど日本人でも目の青い人っているのか?」
「何故だ?」
「……はい?」
しかし間髪入れずに帰ってきたその返答は、俺が求めていたものでも、予想していたものでも、危惧していたものでもなかった。
「何故そんなことを聞くのか、と聞いているのだ」
あぁ、そう言うことか……あれ? どうした? 間城崎が怖いぞ?
「いや……何と言うか、それで困っている人がいてさ」
「そいつは目が青いのか?」
「……そう」
「目が青くて、困ってるのか?」
「……そう」
「だからどうした?」
「はい?」
「それがお前と一体どうして関係ある?」
「え?」
「困ってるのはそいつだろう? お前には何も関係ないじゃないか」
「いや……そうだけどさ、困ってるって言ってんのに、見て見ぬ振りするわけにもいかないし……さ、ね? もう知っちゃったわけだし……」
なんで俺怒られてるみたいになってるんだ? 間城崎はさっきからこっち見ないし。
「何故知ったんだ?」
「ん?」
「そいつがお前に喋ったのだろう?」
「まぁ……そうなるとも言えなくもない。でも偶然見ちゃったんだよ」
「だったらいいじゃないか、偶然なんだろう? 事故なんだろう? お前のせいじゃないんだろう? お前が見たかったわけじゃないんだろう? お前が見ようとしたわけじゃないんだろう? よし放っておけ」
「そんな、殺生な」
「それはそいつにこそふさわしい言葉だ。何故お前に頼る?」
「それは……たまたま近くにいたから?」
「違うな」
「え、違うの? てゆーかなんでお前が知ってるし」
「予想はつく」
ならなんで聞いた。
「……で、私はこう言っているわけだが、お前はどうするのだ?」
「いや……もう、聞いちゃったし……ね?」
「女の子か?」
「……はい?」
「そいつは、女の子なのか?」
「それってあれ? 禁断の木の実を食べさせた方? 凸凹でいうところの凹?」
「そいつは、女の子なのか?」
「……うん」
すると、間城崎は何も答えず右手を挙げてクイクイ、と「こっちに来い」と言う意味であろうジェスチャーをした。その誘いにホイホイと近づいた俺は間城崎のシャイニングライトフィンガーに引きちぎられんばかりに左の頬の肉をつねられた。
「いででででででででででででででででででででででででででででででででででっ!?」
「ははは、お前はバクったゲームのように鳴くんだな! いいぞ、もっと鳴け!」
間城崎は俺の身動きを封じるために空いていた左腕で俺の頭を抱え込み、そのままつねり続けた。ここからでは間城崎の顔が見えないが、その所業と発言から判断するにきっとやつは悪魔のような表情をしていることだろう。
やっと間城崎の腕の中から抜け出すことが出来たときには、左の頬だけパンパンマンになっていた。
「……はぁ、おかしかった」
そう言って間城崎は涙を拭う素振りをした。全く、どんだけ笑ってるんだよ、こっちは痛くて泣きそうだってのに。
「……で、なんだったっけ?」
「へ? ……あぁそうだ、うっかり俺まで忘れるところだった。あのさ、日本人にも目が青い人っているのか?」
「いるに決まっているだろう」
即答、まるで質問の内容をあらかじめ知っていたかのような即時返答。
分かっててもちょっと面食らった。
「……そうなの?」
「『日本人』と言うのはつまり日本国籍を持つ人のことだろう? 英国生まれ英国育ち生粋のちゃきちゃき英国人でも日本国籍を取得すれば日本人だ、青い目の方も然り」
……いやまぁ、さすがに十まで知れ、とは言わないけれどね。
「そうじゃなくて、近しい家系に日本人以外の血が入ってきていないはずの日本人……らしいんだけど、そんな家系の子供が急に青い目になることってあるのか?」
「あるに決まっているだろう」
またもあっさりと、さも当然のごとく間城崎は答えた。
「え? そうなの?」
あんまりあっさり答えるもんだからすっとんきょな声をあげてしまった。
「確かここに偶然都合よく何故か生物学の本があったはず……」
と、間城崎は独り言をいいながら例のごとく、俺が何か質問をしたときにはいつも手が伸びる間城崎四つ道具が一つ、通称『四次元本棚』(命名者俺)から都合よく何故か入っていた生物学の本を取り出した。
説明しよう。『四次元本棚』とは、いつも俺が「あれって何だろう」、「これって何だろう」と疑問に思ったことを間城崎にぶつけると、都合よくその回答を示す本が入っていると言う、高さ約四十センチ、幅約一メートル、木製、制作者不明、購入者篠守先生という、ほとんど反則のような不思議な本棚なのだ。
その本自体は間城崎の所持品らしいのだが、その本のサイクルはめまぐるしく入れ替わり、本人曰く「特に決めているわけではなく、不定期に不規則な蔵書から無法則で持ってくる」らしいのだが、俺はそれすらもこの本棚の力ではないかとにらんでいる。
「……お、あった。これだ」
そう言って差し出された本をおもむろに開いてみると、まさしくミミズの大名行列ような絵がつらつらと書かれている。
「……な、なるほどね」
「ん? なんと、ここに書いてある事でお前は何らかの回答の糸口をつかんだのか?」
「ま、まぁ、おぼろげに」
「ふ~ん、そうなのか、それはすごいな、大発見だ。まさかロゼッタストーンの原文の中によもやお前の疑問を紐解くきっかけがあるとはな。ジャンもビックリの所業だ。こればっかりは褒めてやろう。私はお前のような友達を持てたことを誇りに思うよ」
「謀ったな!」
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥、知ったかぶりは一番の恥。
「まぁ、おふざけはこれくらいにして……」
実は、まださっきの事を気にしているんじゃないだろうか。一応俺の中ではあの時この場所では何もなかったことになっているんだけど、やっぱり本人はそう簡単に切り替えることは出来ないのかもしれないな。そう思うとこれくらいのおふざけは許してやろうと思える。それが大人さ!
「これだったかな――と」
間城崎は独り言ちりながら一冊の本を取り出した。題名は良く見えなかったけどとりあえず難しそうな厚い本。その本のページをぺらぺらめくりながら間城崎は自分の欲している情報を探しているようだ。俺もなんとなく間城崎がめくるページを覗いてみる。いろんな専門用語だとか絵だとかがいっぱいある。やっぱり、とっても難しそうな本だ。俺なんかの理解が遠く及ばないくらいに。
間城崎は、そんな俺に構わず一心不乱にページをめくっていた。そんな間城崎を、俺は何も言わずに見ていた。
「どこだったかな……確か詳しく書いてあるページが――」
と、本を俺に差し出そうとして、急に間城崎の手が止まる。そして顔を上げて俺を見た。その両目で俺の眼をしっかりと見る。俺もしっかり見返した。
「……ごめん、これはちょっと、あれだったな、うん、あ、いや、それが普通だ」
間城崎は小さな声でそういうと、持っていた本を本棚に戻した。
イッツァジャパンコミュニケーション。
「うん、こっちだな」
そう言って本棚から取り出したのは、なんだか見覚えのある一冊の本――いや、違う。
あれは――
「それって、『生物』の教科書じゃないか?」
「おぉ、よく分かったな」
もちろんそれくらい知っている、だって持ってるもん。それはさっきの本と比べて、だいぶレベルが下がった気がするけれど、これでいいんだ。俺には俺の、間城崎には間城崎の身の丈に合ったものがあるのさ。別に悲しくなんてない、悔しくなんかない!
間城崎は取り出した生物の教科書をぱらぱらめくると、途中でその手を止めてそのページを俺の目の前に掲げた。
そこには見出しとして大きな文字で『遺伝』と書かれていた。
「……つまり、遺伝であると?」
「まぁ簡単に言えば、そういうことだ」
そういうことだって……いや実際そうだけどさ。何と言うか、腹七分目というか。
しかし実のところ俺自身自分が一体どんな説明を求めていたのかよく分かっていない。
「正確には遺伝子の影響と言うべきなのか。人の目や皮膚の色の違いなどは、その表層におけるメラニン色素の度合いで決まるらしい。ここに書いてある『劣性』という遺伝子によって、そのメラニン色素が少なくなっていたりすると、日本人に多くみられる様な色ではなく、青や緑になったりするようだ」
かいつまんで説明すれば、そういうことだ――と、そう言って間城崎は生物の教科書を閉じた。さすがに高校の生物の教科書に人の目が云々なんて例は書いてなかったはずだから、その部分は間城崎の知識なんだろうけど、よくも都合よく知っていたもんだ。というか、だったら生物の教科書は何のために登場したんだ?
無論、俺のため。
ふむ、相手への思いやりというのも時として残酷ということか。肝に銘じよう。
「程度はまちまちだろうが、日本人にも青い目を持つ人はいるらしいぞ。だがその大体がその祖先から遺伝によるものらしい。世界には遺伝とは関係なく突然変異したケースもいるにはいるんだろう、確かなことは言えないが日本人でもあり得ることはあり得るだろう」
そう言って間城崎は口を閉じた。
ん~、人体の不思議。でもとりあえずこんな俺でも理解できたことは、「別に青い目の日本人がいたって、いいんじゃない?」ってことだ。ただちょっと珍しくて、目立っちゃうだけで。
「あとは――」
黙っていた間城崎の口から、こぼれるように言葉が出てきた。
間城崎を見ると、手を顎について何やら考えている様子。もしかしたらこいつにはその真相が見えているのかもしれない。いや、十二分あり得る。だって間城崎大先生だぜ?
俺も思わず固唾をのんだ。
閉ざされていた唇が、開こうとしている。
して、間城崎大先生の見解とはいかに――
「――魔眼、だな」
「……………………………………………………………な、なんてこった!」
まるで雷が脳天に落ちたようだった。
俺は無意識のうちにその可能性に関して悉く一切合財度外視していた。
そうか、魔眼保持者だったのか。道理で、外を一人でほっつき歩くことが出来るわけだ。包帯で隠してはいるけど、本当は見えていたんだ。
でもじゃあなんで俺と話している時は目が見えない振りなんかしてたんだ? ……そうか! 自分が魔眼保持者であることを悟られないために、演技をしていたんだ!
俺の中に点在していたいくつもの疑問のかけらが一つに繋がったような気がした。
「そうか、そうだったのか。なるほど納得だ。さすがは間城崎大先生だぜ!」
「ふっふっふ、褒めて遣わせよ」
「おう、褒めて遣わすぜ! それじゃあさっそく行ってくる!」
「おう、行ってこい!」
俺は早くこの事実を伝えたくて、はじけるように立ち上がるとそのまま保健室を駆け出した。
途中後ろで「……あっ!? どこにも行かない約束はどうした!?」と間城崎が俺に言ったような気がしたけど、気がしただけ。
そして勢いよく保健室を飛び出して向かった先は、今日の朝、俺が寝ようとしていたベンチ。
さっき、覆面ライダーに蹴りを入れた後に俺はここを訪れた。
例の困っている人――包帯少女に会うために。
そこで俺は、助けてと言われた。
その時聞いた話によれば、目が青くなったのはここ最近で、厳密に言うなら四月の始業式の後、家に帰って気が付いたそうだ。ちなみにその日の朝はなんともなかったらしい。すぐに病院にかかってみたらしいが、原因は不明、人体に及ぼす影響も不明、セカンドオピニオンを行使し大きな病院に行ってみても、結果は同じ。ちなみに現在も通院中。
間城崎の話によれば、目が青くなるのは遺伝子によるものらしい。つまりは先天的であるということだ。
では彼女は?
実は青い目になるはずだったのだが、なんやかんやで今までそうなることなく、今年の四月の始業式の後に遺伝子が急に自分の役割を思い出してせっせと仕事をした、ということか?
そんなことあるはずねーだろ。
なら考えられる可能性はおのずと限られているわけだ。
その事実を早く伝えようと彼女が待っているはずのベンチに来てみたものの、そこには誰もいなかった。
辺りもよく見渡してみた。もしかしたら気が付いていないだけなのかも。
「……いない」
やっぱりいない。おかしい、さっき別れたときは昼ご飯食べた後にちゃんとここで落ち合うという約束をしたのに、もしかしてもう帰ってしまったのだろうか? それとも先生に見つかって教室に連れていかれたか? どちらにしろそうなると俺にはどうしようもない。せっかく授業をほっぽり出して調べてきたってのに……
――と、その時、四時間目の終了を告げるチャイムが鳴った。それで合点がいく。
「……あぁ、そうか、今から昼ご飯なのか」
俺は自分がさっき食べたばかりだったので、てっきりお昼の時間は終わったものだと思っていた。とんだ早とちり。テヘッ。
仕方ない、ここで待ってても良いのだけれど、せっかくのお昼休みなんだからここは友人と昼食としゃれこもうではないか。
教室に戻る途中、再び購買を訪れた俺は先ほどの王道装備ではなく、昼ごはんにはこれと決めているおばさん特製(なんとおばさんはパンの製造もやっているのだ)の七色クリームパン(通称『虹クリ』)とイチゴレモンキウイ牛乳(通称『信号オレ』)という異世界戦士装備をお得意様割で購入し、自分のクラスへ向かった。
「お、来た来た。穂結、一緒に飯食おうぜ」
おぉ……これはなんと嬉しいことだろうか。友人立花はわざわざ俺と一緒にお昼ご飯を食べようと、俺が来るまでそのお弁当を半分も残して待っていてくれたのだ。
涙ちょちょぎれる思いやりだ。
ましてや風深なんてまだお弁当の包みすら開けてない。
「それでこそ幼馴染だぜ風深!」
「おい穂結、俺も待ってたのに、俺にはそういうの何もないのか?」
立花が袖を引っ張っていった。俺はその手を振り払ってやった。
「なんだとこの寂しがり屋さんめ。お弁当を半分も食っておいてよくそんなことが言えたもんだな」
そして俺は自分の席に座る。立花は俺の前の席の椅子をこちらに向けて座る。風深は自分の席から椅子を持ってきて俺の席と壁の間に座る。これがいつもの昼食風景。俺がこのクラスで食べる時はこの配置になる。ちなみに俺がいない時は二人それぞれ各々違う友達の輪を作って食べているらしい。だから二人はわざわざ俺のためにこっちに来てくれるのだ。涙ちょちょぎれる思いやりだ。これぞ友情。
「いやほんと俺と一緒に飯食ってくれるクラスメイトはお前らだけだぜ~俺はなんて良い友を持ったのだろう。うるうる」
俺は思わず袖口で目元をぬぐった。全く濡れてなかったけど。
「まぁな、俺は友情と顔の面だけは厚いからな」
「あやっぱり」
「納得すんなよ!?」
かなり正鵠を射ていたが、本人的には冗談だったらしい。
「……というか、みんなかっちゃんと仲良くしょうと思ってるのに、かっちゃんがいたりいなかったりちょくちょく授業抜け出すから、どう接していいのか計りかねてるだけだよ。だからちゃんと授業でなさい」
風深にまた怒られた。
「なんだかそのうち風深のことを母ちゃんと呼んでしまいそうだよ、俺は」
「どう見ても小学生なのにな」
「これがギャップか?」
「いやいや安久都なりの背伸びなんじゃないか?」
「大人への渇望?」
「その実嫁希望!」
二人して風深に頭をドツかれた。なかなか芯に来るいいパンチだったが、何とか生きている。生きているって素晴らしい。こんなひと時が素晴らしい。気の合う友達と、一緒に楽しくご飯を食べられるなんて、やりたいと思ってもできないやつがごまんといる、選ばれし者のみが得られる特権じゃないか。
そんな当たり前で大切なことを気付けるなんて、今日もなかなかいい昼休みだ。