『僕×白紐帯の木乃伊』 5
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学食とは言っても、まだ授業の途中、当然稼働しているはずもなく、カウンターの向こうにはいつもの無口にせっせと料理をする割烹着おじさんの姿はなく、何十と並んだテーブルと椅子には人っ子一人見当たらない。今ここでできることなんて、すぐそこの自動販売機に売っている七十円のジュースを買って飲んで『この学食は俺一人のもんだ』とまるで王様になった気分を味わうことくらいだ。
しかし、残念ながらそれは一般生徒だったら、の話し。そう、俺は違うのだ。
「おっばさーん」
赤い三角巾で髪を結ったおばさん(と言ってもまだ三十代後半ってくらいだけれど)は、まるで朝のトイレにこもるおっさんの様にスポーツ新聞を読みふけっていた。
「あ、また授業サボってんの?」
「違うよ、みんなが円滑かつ円満に授業を受けられるよう俺なりに手伝ってるのさ」
「何言ってんだか。まぁあんたがそれで良いなら良いけどね」
おばさんは何事にも興味自体は持っているけれど、干渉しようとはしない。それは俺としてもとても楽。
「相変らず雨のように冷たい優しさだね~」
「君はネギをしょってくるからね」
「ははは、俺は鴨ってか」
「カモね……確かにそうだ」
「お得意さんだってのに手厳し~のね。じゃあ今日もいつものやつ、もらおうかな」
「はいはいこれね、百円。お得意さんにはジュースはおまけしたげる」
と、おばさんはいつものようにあんこ&マーガリンのコッペパンと、今日はリンゴジュースを渡してくれた。
「さっすが~、おばさん愛してるぜ」
「欲情するなら金おくれ」
「……君が笑ってくれるなら」
もちろん、こんなこと普通の生徒ならできない。先生方も指定時間外の購買の利用を厳しく指導している。だからこれはいつもこの時間に足しげく通い詰めた俺だからできる、俺にしかない特権。
「じゃあ、またね」
「ちゃんと授業でなさいよ――と、一応言ったからね」
話の分かる大人は大好きです。
俺は右手にコッペパン、左手にリンゴジュースの王道装備で屋上に向かった。
今更だが、俺はここまで自由に校舎を徘徊してはいるけれど、それは別に認められた権利でもなんでもない。
うちの学校はちょっと珍しいことに高校ながら大学のように「単位制」というものを取り入れている。この学校のセールスポイントの一つでもある。この制度は卒業までに必要な修学単位数が決められていて、生徒たちは必要に応じた授業を選び修めることでその単位を取得する。一年生の内からたくさん取っておけば後は楽になるし、その逆ならば痛い目を見る。中には学年制限をなくしている授業もあるから、三年で習うような授業でも、一年生のうちから修めることだってできる。そしてどういう過程であれ、それらさえ修めてしまえばこんな風に授業をサボタージュしてしまっていても文句は言われこそすれ特に問題にはならないのだ――とは言いつつも、やっぱり三年を通して毎日せかせか授業に出ないとなかなか必要単位数を満たすのは難しかったりする。しかもうちはそれなりに進学校なわけで、みんなは有名な国公、私立大学を目指してせっせと授業にでる。単位修得のためというよりかは、数年後はたまた目前に控えている受験のために。だから「単位とれてりゃいーや」なんてお気楽さんはそうそういない。
そう考えると単位制と言っても別に他の学校と大きな違いはないのかもしれない。『各々が、自分の速度で充実した高校生活を謳歌してもらいたい。そのための自由』らしい。『自由』ね。
ただごく少人数ではあるが、俺みたいに他の生徒が授業をしている最中に違うところで違うことをしている生徒も確かにいる。部室で居眠りこいてる生徒、図書館で自分のしたい学習をしている生徒、保健室のベッドを一つ占拠している生徒……などなどその他もろもろ。
まぁ大概皆さんはそんなことをしていても単位をとれてしまうスペシャルポテンシャルな方々だが、もちろん例外さんもいらっしゃる。
俺はというと……まぁ、人並み。標準。アベレージ。つまりはその例外さん。
じゃあなんでその程度のお頭でこんな余裕ぶっこけるのかというと、ポテンシャルと、色々と諸事情があるのと、それはそれは頼もしいお友達を持てたからに他ならないのさ。まぁある意味それが俺の能力って見方も……無いか。とにかく、そういうことでは一応俺のこの行為は「黙認」ということで認められていることになる……のかな、ならないね。とりあえずそんなわけでこうして悠々自適なハイスクールライフをエンジョイングな次第だ。
そして今、こうして誰もいない屋上のど真ん中で、どこかの誰かたちはこの間もあんな狭い箱、もとい教室に缶詰めにされながら、せっせと缶詰のツナのような脳みそになんとか定義だとか、かんとか変格活用だとか、雑多な知識をぎっちぎちに詰め込んでいるんだろうな~なんて思いながらコッペパンをほおばるこの状況は、あぁなんと素晴らしきかな。
ちなみにこの屋上という場所は俺の「学校お気に入りポイント」のベスト3に食い込んでいる。というかほぼ毎日雨が降らない限りはここにきている。特にこうやって寝そべって空を見ていると、自分はなんてちっぽけな存在なんだろう。悩むなんてバカみたいだ。心配ごとなんて彼方へフライアウェイだ――なんて思うことはないにしても、とりあえず空を見ていれば頭が空になるから良い。ただぼーっと空を、どこと言うわけでもなくどこかを見ているのが楽で好きだ。たまに眠さが限界値ギリギリな時は自分が空にいるような錯覚をする若干危ない日もある。そんな日はマジで「アーイ、キャーン、フラーーーイ!」って叫びそうになる。しかし俺は飛べない、そこをしっかりしておかないと危ない。
しかしなんと言う脱力感だろうか。もしも今、空から光に包まれた少女が落ちてきても一瞥もくれずに見過ごせる自信すら、あると断言できる。もったいないけどね――なんて、どうでもいいことや、思い出なんかに思いをはせる。こういう時間も必要だ。
「……あぁ、そうか、あいつの目の色どこかで見たことあるかと思ったら、いつも見ていたじゃんか」
「お、いたいた!」
「ん?」
げげ。
振り向くとやつがいた。
「ジュワッチ」
そう言いながら仮面ライダー2号の決めポーズをしている。知らないならすんな。
「あ、パン食ってる! い~な~俺も腹減った~」
「……こんな時間にここで何してんだよ、今授業中だろ?」
「おいおい、それはお前だってそうだろうが」
そうだけど、それをお前に言われたくはないし、俺は俺なりにお前の心配をしてやっているのだがね。って人のこと言えた義理か、俺は。
俺はコッペパンを全部口に押し込んだ。
「……今度は、なんの用だ? また俺の腹に乗るのは勘弁だぞ」
「え? なんで?」
なんで人の腹にライドする前提のストーリー展開なんだよ。
「もうああいう演出は良いから、用件だけかいつまんで教えてくれ」
「あ、なんだ、案外乗り気なんだな」
ニヤニヤと、憎たらしい顔をしやがって。
「よっこらしょ」
と、勝手に隣に座って勝手にそこにあった俺のリンゴジュースを飲み始めた。俺のリンゴジュースを、だ。……別に、それくらいじゃ怒らないけどさ。俺のリンゴジュースだけどね。
「お前さ……」
ふと、疑問が浮かんだ。何を今更すぎるけれど。
「……そう言えば、覆面ライダー、お前の名前はなんていうの?」
「あ、それは無理、答えられない」
「……はい?」
分からないと答えるならまだ分かった、こいつのことだから。でも答えられないって何だ?
「ちょっと事情があるんだよ。そうじゃないと覆面の意味がないだろう。それくらい分かれ」
「な、はぁ!?」
おぉ、なんと理不尽も不尽の振る舞いだろうか。
「まぁとりあえず話を聞けや」
そう言って俺なんかお構いなしに覆面ライダーは空になったリンゴジュースの紙パックを元あった場所に置いた。おいおいまさか片づけて行かない気か?
「実は今、ある場所にそれはそれは大変困っている子がいる」
「灯台もと暗し」
「東大もお得らしい? なら受験してみようかな――って何の話してんだよ」
いやいやそれはちょっと無理があるでしょうよ。
「……とにかく、困っている子がいるから、ちょっと助けて来いよ」
「それが人に頼む態度かよ」
「ホント、この通り」
と、右手親指をピッと立てて自分の顔を指し、覆面ライダーはドヤ顔を披露した。
「……お前、自分のドヤ顔に一体どんな自信を抱いているの? その顔を見たら俺がやる気を奮い起こすって、どうして思ったの?」
「え? 『ドヤ顔』って『どうかやってくださいって頼む顔』の略だろ?」
「……ごめん、いいや。話を先に進めよう」
「そうか? ……でな、ちょっと助けて来いよ」
「あ、ごめん、そこはもう良い。もう一回言われたらカチンときそう」
「何が?」
「ははは、頼む、あんまり俺を困らせないでくれ」
「訳わかんないやつだな~。とりあえず、行ってみようか!」
そう言って彼は颯爽と立ち上がって、立ち去った。
つーか、なんで俺に頼むわけ? なんで自分はやらないわけ? 今は授業中なんだからたぶんその包帯少女以外困っている人なんていないでしょうよ。だったら自分で親切名乗ってるんだから自分が面倒見てやんなさいよ……と、心の中では思っても、決して口にはしない。何故かって?
もちろんかっこつけたいからさ!
何てのは嘘です。
本当は、そんなことをしてもきっと意味なんてないと分かっているからさ。結局は俺がやることになるからさ。だってあいつ、俺の話なんて聞いちゃいないんだもん。
「その捨て台詞、そこで区切ると残念ながらお前が意図している意味とは全く違う意味になっちまうんだぜっ――と」
俺も勢いをつけて立ち上がった。
屋上から去っていくあいつの背中を見送りながら、ふと思い出す疑問。
当の覆面ライダーであるあいつは人に困っている人を押しつけてこれから何をするんだ?
「……あ」
あいつの背中を見つめていて、またもやふと思い出した。これは忘れる前にやっておこう。
俺は走って勢いを付けてから、覆面ライダーの背中に蹴りを入れた。
覆面ライダーが言っていたように、包帯少女はさっき会ったベンチのところにいた。
座っていた。空を見上げていた。サンドイッチは食べていない。ただ空を見上げていた。
まぁ、目には相変わらず包帯がまかれているから実際に見上げていても見えているかはどうかは知らないけれど、ひたすら空を見上げていた。まるでそこから誰かが来るのを待っているかのように、待ちぼうけをしているみたいに。
同じように空を見上げてみたが、飛び交う鳥の中にはあいにく知った顔はいなかった。
「誰か待ってるのか?」
もしそうなら出直そうかな、なんて思いながら聞いてみた。
なのに、包帯少女はこっちに一瞥もくれずに――包帯が巻かれているから一瞥することはできないけどね――依然として空を見上げていた。
シカト、ダメ! ゼッタイ!
「何か見えるのか?」
俺もまた同じように空を見上げてみる。水色の空にあやふやな形の薄い雲がただ漂っている。更に目を凝らしてよく見れば飛行機みたいな小さいものが見える。もしかしたら未確認飛行物体かもしれないけど、俺にはそれを確かめるすべがない。
「……愚かな人の顔が見えます」
「あらら? お楽しみ中だったの?」
「どう言う妄言ですか?」
包帯少女は(おそらく)俺を睨みつけながら、まるで咎めるように言った。言ったのはこいつなのに。
「……というか、あなた一体どういう神経しているんですか? もしわざわざ下駄箱を探して入れてくれたなら満点です。でもさすがにそこまでは望みません。もしさっきまで座っていたベンチに置いておいてくれるなら及第点です。それくらいは望んでいました。でも……一体どういう発想をしたら私の靴をあの木の枝に引っ掛けておくという結論を導き出すことが出来るのですか? 人として」
そう言って包帯少女は指さした。そこには煉瓦で丸く縁られた壇の内側に一本の太くて割と高い何かの木が植えられている。ちょうど校舎と体育館、この一列に並んでいるテーブルアンドベンチと校舎と体育館をつないでいる渡り廊下、それぞれを線で結んだ際の中間になる位置に植わっていて、しかも植わっているのがその一本だけだからそれなりに目立つ。
「いや、そこにかけておけば目立つと思って」
「目立ちましたよ、確かにあなたの言う通り目立ちました。私がすぐに見つけられたくらいに。でも残念ながら、あそこは私には届かない位置なのです」
なんだ、そこに怒っていたのか。
確かに、俺が靴をかけた枝は俺が背伸びをしてぎりぎり届くくらいの高さにある。よほど身長の高い女の子でない限りは届かないかもしれない。
うっかり、失念していた。
「いやいや、悪い悪い、目立たせることばかりに気を取られていたよ」
俺はいまだに枝に引っ掛かったままの靴をとり、包帯少女の足元に置いた。
「はいこれ」
俺はその靴を彼女の足元に置いた。
彼女はそれを(きっと)じっと眺めてから、履いた。
「……ぴったりです」
「いやそりゃ、お前のだからな」
何故か睨まれた(たぶん)。
とりあえず誰かを待っているわけではないと判断して、俺は彼女の隣に腰かけた。一瞬彼女の体が強張った訳は、あんまり考えない事にした。でも……ちょっと悲しかったのは本当だ。
お互い隣り合って座ってはいるけれど、黙ったまま。少し待っても彼女から話しかけてくれそうな気配はない。
ということで、俺から話しかけることにした。
「……なぁ、知ってるか? 人っていうのはな、自分より劣っているものを見るのが好きなんだ。そいつらがいるから、自分より下の人がいるから、安心できる、自信が持てる、余裕が生まれる、手っ取り早く勝利を得られる。――自分はこいつらには負けていない、ってな。で、それがとてもうれしい、楽しい、幸せだ。だから敗者は笑われる。落ちこぼれは笑われる」
「歯医者さんは怖いけれど偉大な方です」
「おいおい頼むぜ、今はシリアスな場面だよ?」
「……失礼しました。今のは兄の専売特許でした」
「何言ってんだ? ……とにかくな、その優越感だけで人は生きられるし、その劣等感だけで人は死ねるんだ」
「至極ですね」
「地獄だよね」
知らず知らず自分が遠くを見ていることに、意識も遠くに行っていることに気が付いて、一回深呼吸。センチメンタルジャーニーはまた今度だ。
「というかいきなりなんですか? あなたはわざわざそんなどうでもいいまさしくガラスの十代を象徴したかのような達観気取って自己陶酔の自分勝手で自己満足な私的哲学をお披露目するためにここに来たのですか?」
おぉ、遠慮も何も一切ねーなおい。
確かに、自分でも相当恥ずかしいこと言っていたことくらい分かってるし、わざわざ言われなくても分かってるし、ただのとっかかりだし。
「しかしお前はなんでそういちいちいちいち突っかかってくる? それだけ俺のことが大嫌いなのか? はたまた一周まわって俺のことが大好きなのか?」
その問いに彼女が答えるまで、盛大にあくびが出来るくらいの間があいた。
「……御想像におかませします」
「おいおい好きも大概にしてくれよ?」
「私ひかれているんですか!?」
「好きよ好きよも嫌のうち、ってな」
「しかも遠回しにフラれているのですか!? まだ告白もしていないのに!?」
「転ばぬ先の杖さ」
「私ひどい言われようですね……」
「違う違う、俺のじゃない、お前のさ」
俺の一見――もとい一聴意味深発言にどう対応してよいやら分からず、彼女の頭の上に疑問符が三つくらい並んだ、はずだ。
「オホン――さて、話がよく分からなくなってきたところで、本題に入ろうじゃないか」
パン、と両手を打って話題転換。
「今の前置きに意味は無かったんですか?」
すごく不服そうな顔をしている、と思う。
いや実際目が見えていないとこれほど相手の表情を読み取れないとは思わなかった。口の形である程度の予想はつくけど、やっぱりそれだけだと心もとない。
目は口ほどにものを言う。昔の人は良いことを言うもんだ。
「ごめんごめん、実はトークはあんまり得意じゃないんだ」
「でしょうね、兄をいきなり後ろから足蹴りするようなぶっ飛んだコミュニケーションをするような方ですから」
またそうやってつっけんどんな態度をとる。
「あれはあいつがいけないのさ。お前もそう思うだろ?」
「…………」
急に彼女が黙った。俺がまた変なことを言ったのだろうか?
「なんだ? どうした?」
「いや……その、何もないんですか?」
「ない」
「即答!?」
「ははは、冗談だよ。何の話?」
「……いや、私の先ほどの発言について、驚いてしかるべきなのに何にも触れずにそのまま受け止めているというか、受け流しているというか……知っていたんですか?」
「『私、魅かれてる!?』のことか? 確かにちょっと痛い発言だとは思ったけどな」
「漢字が違います」
「『私、魅かれてるぅぅぅ!?』」
「感じが違う!?」
「じゃあ何の話だ?」
「……いえ、もういいです」
と、まるで拗ねるかのように話を断ち切られてしまった。
でもなんとなく分かった。こいつはきっと『ツンデレ』というジャンルの人なんだ。以前間城崎にやってもらったことがある。なんでも自分の思っていることをうまく相手に伝えることが出来ず、つい自分の意と正反対な言動、態度をとってしまうらしい。『べ、別にあんたのためなんかじゃないんだからっ! 勘違いしないでよねっ!』と言いつつ、実は相手のためで、勘違いもしてほしい、けどそれを認めるのは恥ずかしいという非常に疲れそうな性格の方々。
でも、なんかちょっと俺が知っているものとは違うかも。あの時の間城崎はもっと感情あらわにふるまっていたというか、いろんな感情がごっちゃごちゃになって、それでもなんだか分かりやすいって感じだったけど、こいつの場合さっきから一貫して怒ってるし、一回も笑わないし。基本無表情の鉄仮面だし。
式にするならツンデレ引くデレ、だな。
……ただのつっけんどんじゃん。
「おいおいとんだ怒りんぼだね。いやデレが無い分怒りんぼより怒りんぼか――ところで、あいつお前のお兄さんなんだな」
「……そう言う脈絡と言う概念をかなぐり捨てた話し方で私を翻弄するのがもし恣意的なら私はなりふり構わず怒っても許されるところなんでしょうが、不思議とあなたならそれを素でしているように思えてそんな気になりません」
「俺はいつだって自分に正直だからな」
「肝心の本心が不審な変人ですがね」
「お、なんだかラップみたいだな」
「鮮度が命ですから」
……気が付けば、また関係ない話をしている。なんだかんだ、肝心な話が進まない原因として余計な事を言う俺にも責任はあるけれど、それに乗ってしまう彼女も悪いと思うのは自分勝手だろうか。
しっかし、かの覆面ライダーが包帯少女のお兄さんだとは……読めすぎる展開に大したリアクションも取れない。
大層な想像力を働かせるまでもなくちょっと考えてみてみれば分かる。どこの高校に目を包帯で覆っている少女を見つけて「あぁ、かわいそうに。俺がなんとかしなきゃ」と正義感を奮い立たせて近くにいる健全な男子生徒(俺)の腹に乗りその正義感を完全委任して颯爽と去るやつがいるだろうか。
まぁいないでしょう。
つまり自分の妹だから、なんとかしてあげたかった。でも自分がするのはきっと何らかの弊害があったんだろう。そこらへんは兄弟姉妹関係がうまく分からない俺には想像しかねるけど。だからしょうがなしに近くのベンチで、たまたま偶然ついさっき自分の妹に腹を踏まれた健全な男子生徒(俺)に頼むことにしたんだろう。
なんて安易、なんて理不尽。つーかどこぞの優等生とも知らない男の子によくも自分の妹を任せようと思うよな。そこら辺も俺にはよく分からないけど、血の繋がった兄妹なんてそんなもんなのだろうか。「助けてあげたい、けど自分じゃダメなんだ」なんて、俗に言う青少年期によく見られる葛藤的なものにさいなまれているもんなのだろうか。それで「じゃあそこにいる君よろしく!」ってどーいうことだ。そこは簡単に決めちゃっていいのかよ。
なんともまぁ、非常にめんどくさい関係だ。俺と葉月を見習ってほしいもんだぜ。
「……ん? そう言えばなんで俺がお前のお兄さんを後ろから抱擁したことを知ってんだ?」
「どうしてあなたはあえて自分に不利になるように記憶を改ざんしているのですか?」
「俺は恥ずかしいと思っていないぞ」
「止めてくださいせめて違う男性に――いえ、男性は止めてください」
「お前俺の趣向に口出しする気か!?」
「……あなたは自分が面白ければ何でもアリなんですか?」
「発想が根本から間違っているね。面白くなければ何でも“ナシ”なんだ」
注意、俺は女の子が好きです。
「で、なんで知ってんだよ? 俺がお兄さんを蹴り飛ばしたって」
「…………」
彼女は黙ってしまった。言ってしまったのは自分のくせに、往生際が悪い。しかし聞いてばかりと言うのも体裁が悪い、ここは一つ青春ミステリよろしく推理してみようじゃないか。
そもそも、あそこにいたのは誰だ?
俺と、覆面ライダー。他には誰もいなかったはず。だって授業中だもん。
なら何で知っている? 教室の窓から見えたとか?
いや、でも覆面ライダーが来た時点でこいつは外にいたことになっている。もちろんそれは覆面ライダーの言葉を信じたら、だけど。地上からじゃこの屋上の様子を見ることは不可能だ。でも、もしそうじゃないとしても、俺たちが屋上で何をしていたかを知るためにはやっぱり同じく屋上にいなくてはいけないはずだ。今俺がいる場所からだって一階下の教室は見えない、ならどう頑張ったって教室から見える屋上の光景なんてたかが知れている。俺があいつにとび蹴りしたことまで分かるはずがない。
じゃあやっぱりこいつも屋上にいたのか?
でも、屋上のどこか陰になっているところに隠れていたとしても、俺に気付かれないようにするためには俺より後に屋上から校舎に入らないといけない。でもそうだとしたら俺の方が先にここにいるはず。屋上と校舎を隔てる扉に隠れ……いやいや、そこは俺の位置からは丸見えだった。人がいた様子は無かった。
俺が中庭に行った時にはもうこいつはいた、と言うことは俺に気が付かれないようにかつ俺より先に中庭に到着するためにはするためには……走ったとか?
でも俺がここに来たとき彼女はついさっき屋上からここまで爆走してきた後だとは到底思えないような余裕を見せていた。それに俺は知っている。こいつは確かに走るのは速そうだが、何より――包帯をしている。そんな状態で走って、なおかつ、あれだけ悠然と座って俺を待つことが出来たとは到底思えない。もちろんそれは彼女が包帯をとらなかった、という条件下での話だけど、たぶんそれは間違いないと思う。さっき、あれだけ『目』を見られることを拒否していたのに、まさか包帯をとるはずがない。
だとしたら他に考えうる可能性は? なにかを見落としていないか?
残念ながら俺には分からない。
「……ふぅ、降参だ降参。さっぱり分からない。だから教えてくれ。どうしてお前は俺が屋上にいたことを、お前のお兄さんを蹴り飛ばしたことを知っているんだ?」
「…………」
返事がない、ただの駄々っ子のようだ。
「お前は……子供か? 黙っていればいいとでも思っているのか? もう高校生なんだから、少しは大人が言うように話し合いで解決してみようぜ」
「…………」
どうやらお口にリップクリームと間違えて瞬間接着剤を塗りたくってしまったドジっ子さんのようだ。
「『ふん! 何怒ってるんですか! そうやって拗ねて拒絶すればかっこいいなんて、中学生の妄想です!』」
仕方がないので間城崎の得意技であるところの声マネを真似してみた。でもあいつほどうまくはいかなかった。どうやらその才能は俺にはない。
「う……」
「さてさて、中学生の妄想にどっぷりつかっているのはどちら様かな~」
「……意地悪」
おそらく上目づかいで俺を責めるように見ている。
「おいおい~あんまり褒めないでくれ~照れちまうじゃないか。キャッ!」
「どういう神経しているんですか? あなたは人の不幸が最高の幸福ですか?」
「いやいや、人の不幸はいわば俺の平穏だ。幸福なんてそんな、言い過ぎさえも過ぎているぜ」
そう、俺は人の不幸を糧に生きていると言っても過言ではないのさ。
……なんて自虐ネタだよ、おい。言ってて切なくなってくるぜ。
「なんて人……なんで、なんであなたみたいな人に、私は――」
俺の言葉を聞き、聞くからに苛立ちを込めた言葉を呟きながら包帯少女ははじけるように立ち上がった。さてそれからどうするのだろうか、俺を殴り飛ばしたりするのだろうか、なんて考えながら見ていたら、包帯少女は何をするでもなく、そのまま校舎の方へと走り始めた。
なんとなく、なんとなくその後どうなるか、俺には予想が出来た。
そして、事は予想通りに進行する。ついさっきと同じところで躓き、転び、滑った。
今度は右足の靴が飛び、落ちた。
そしてまた、ピクリとも動かない。
デジャヴ……ではなく、ただ同じことをしただけ。
仕方ない――俺はまた同じように近くに行って、今度は了解を取らずに彼女に手を貸した。
俺に体を起こされて、飛んでいった靴を履かされて、体に付いた砂を払われている間、こいつは無抵抗だった。
今度はさっきと同じ失敗をしないように、顔に着いた砂を払うときは特に注意した。同じ失敗をするやつは愚か者だと、間城崎もいつだか言っていた。
「だとしたら、お前も愚か者だな、けけけ」
「……………………………………ヒック」
……あれ? あれあれ? 今俺の耳が確かなら、どこかで誰かの涙をこらえるような声が聞こえたよ? どうしよう、俺に覆面ライダーとしての素養が芽生えてしまったのかもしれない。
S・O・S! S・O・S! ほ~らほらよ~んでいる~ぜ~。
「……う、うぅ、ヒッ、ヒック、うぅ~~」
SOSの発信源は意外と身近にあった。
包帯少女は膝を抱えるとそこに顔をうずめてしまった。
おいおいこれじゃ誰かが見たらあまるで俺が泣かせてしまったみたいに思われるじゃないか……え? 俺じゃないよね?
とにかくこのまま泣かせておくのは忍びない。俺の良心がきりきり痛む。どうにかベンチまで行こう。
「おい、とりあえずあのベンチまで行こう、な? 立てるか? 立てるよな? 立てるさ! お前は強い子だ! スタンドバイユー!」
俺の呼びかけに包帯少女は一切答えず、依然として体を小さくして固くなっている。それは果たして何に対しての防御力向上を図っているのだろうか。俺に対してではないことを願う。
――しょうがない、しょうがないんだ、これは非常事態だ、そうだ、非常事態には非常時的手段の行使はやむを得ないのだ。そうだ、そうだぞ。これは別に言い訳じゃないぞ。
俺はいわゆるお姫様抱っこの要領で彼女を担ぐと、ベンチまで運んで行った。
意外と軽い彼女の体。そのまま空に投げたらふわりと飛んで行ってしまいそう。
ならば、やわいその体は一体何を背負ってここに引き留められているのだろうか……なんちゃって! 飛べる体で飛べない理由なんて……残念ながら俺には分からない。
彼女は一切抵抗しなかった。そのまま、されるがまま担がれて、ベンチまで連れて行かれた。
しかし、ベンチに下ろそうとしたところで、動いた。
「……あのね、そうやって俺のシャツをつかんでしまうとね、分かるでしょ? 下ろせないじゃない」
「…………」
しかし彼女はしっかり俺のワイシャツをつかんだまま離そうとしない。
むう……どうするべきか。いやはやどうするべきか。このままじゃまるで俺が彼女を優しく包みこんでいるみたいじゃないか。
……いや、ほんと、マジで不可抗力だよ?
――て。
それはそよよと吹く風のように、俺の耳に届いた。
とても真っ直ぐで、清々しささえ感じてしまえたけれど、受け取ってみたら両手でも心もとないくらい、とてもとても重いものだった。正直重すぎてそのまま聞こえなかったふりをしてしまおうかとも思った。
しかし、そうは問屋がおろさなかった。
「……助けて」
ははは、復唱どうもありがとう。