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『僕×白紐帯の木乃伊』 11

     ●

  

 放課後――というには少々時間が経ち過ぎか。

 住宅街に囲まれた小さな公園。真ん中に申し訳程度にキリンがお座りして首を下ろしている形の滑り台があって、それ以外にはベンチが何脚かあるくらいしか見当たらない。

 こんな遅い時間に男女二人っきり公園のベンチで何してんのかって?

 もちろん、楽しい楽しい談話である。

 やましいことは断じてない。

 やらしいことは総じてない。

 俺は自他ともに認める非常に『安全な』男の子である。

 ――だから、せめて長い長いベンチの端と端に座るのはやめないか?

 そんな申し出をシカトされ、包帯少女は話し始めた。

 「初めて会った時のこと、覚えてますか?」

 「お前たちは兄妹そろっていちいち演技っぽいな」

 鋭い視線で一喝。

 そして包帯少女は静かに話し始めた。

 「あの時――私がこのベンチに座って、さっきみたいに空を見上げていて、実は空から自分を見下ろしていた時。あなたはいつの間にか私の横に座っていて、私を見ていましたよね?」

 「そうだっけ?」

 「最初は『あぁ、この人も他のみんなと同じように私のことをを見てるんだな』って思ったんです。――四月に目の色が変わってから、私は他人からの視線にはとても敏感になったんです。だって、こんな珍しいもの、誰だって気になりますよね。周りの人は私に気付かれないように見ているつもりだったのかもしれませんが、私には見えていたんですよ、上から。だから余計にこの目が恨めしかった。余計なものまで見せるこの目が、なのに肝心なものが見えないこの目が。分からないと思いますが――いえ、もう分かるようになったと思いますが、この目での日常生活は至極困難なんです。私を中心とした上空から下を見る視点なので、前が見えないんです。道なんかを歩いている時は自動車や自転車どころか自転者さえとっさに避けることもできません」

 「え、何? 自転者って言った?」

 「それに授業では角度の関係上先生が黒板に書いたことは見えませんし。でも何よりもまず、違和感が尋常じゃないんです。自分の体なのに、それを上から見ながら動かしていて、まるで精巧な自分の人形を操っているような感覚。前に歩いているのではなく、前に歩かせている……最近ではそれも少しは慣れてきていましたが、こうしてあなたのおかげで、そんな苦労からは解放されたわけですね。今でこそこんな視点の世界を若干受け入れてしまっていますが、その時――あなたに会った時の私の精神状態は、自分で言うのもなんですが最悪な状態でした。『そうだ、冥土に行こう』とか考えてしまうくらいに」

 「重い重い! ……いや軽い!」

 「そんな状況を、今までにないくらい否定して、拒否して、でもそれが叶わない事に絶望していました。自分のことなのに自分にはどうしようもできない、そんな愚かな私を私は空から見下ろしていました。まるで私じゃない誰かを見ているように。ちなみにその時の顔が私人生最もひどい顔でした、目も当てられない、生まれてきてごめんなさい級でした、ははは」

 「卑屈すぎるだろ……俺初めてお前の笑い声聞いたの自虐とか嫌だよ」

 「そんな時、急に声をかけてきましたよね、ちゃんと覚えてますよ」

 「あれ? そうだっけ?」

 「すごく驚きました。――もしかしてこの人、私のこの目の事に気が付いているんじゃないか――って。だってそうでしょう? 普通目を包帯でぐるぐる巻きにした人にそんなこと聞きますか? 私だったら怖くて声すらかけられませんよ。でも、その時はすぐにそんなことないって、気が付いているわけないって思って、嫌悪感を全面に惜しげもなく出しながら無視しちゃってましたよね? ごめんなさい」

 「嫌悪感出しながら無視とか随分高度な人払いだな」

 「でも、無視してもあなたはそこにいて、特に何かを言うこともなければ、何をするわけでもなく、ただそこにいて、横になっていて、私を、いや、空を見つめていて……気が付いたら、あなたはいなくなっていた。で……なんと言うか、気付いたと言うか、分かったと言うか、あなたがそこにいる間は、なんだか私自身穏やかだったと言うか、安らいでいたんです、たぶん。まるで私のことを理解してくれている……みたいな感じですか? 不思議ですよね、何も根拠はなかったんですけどね。私、実は最近は学校にほとんど来てなかったんです。みんなに見られるのが嫌で仕方なかったんです。保健室登校も考えたんですけど……その、なんだか保健室には近寄りがたくて。たまに行ってみようかな、と思っても、この目を見られるのが嫌で包帯を巻いて、でもそれも目立ってしまうから、教室には行かず校舎をぶらぶらしたりしていました。そんなわけで自分のクラスメイトすらほとんど分からない私には、あなたが何年何組の誰なのか全く検討が付かなくて、唯一分かるのは首がすっぽり隠れるくらいの青いチョーカーを巻いているってことくらい。それで兄に聞いてみたんです。そしたら兄がその人には心当たりがあるから任せろって、それで、明日お昼頃にそいつに会わせてやるから、外のベンチで待ってろって言われたんです。だから私、勇気を出して、学校に来て、このベンチで兄が来るのを待っていようとしたら……いきなり、あんなことを……」

 「座られただけだけどね」

 「いえ、分かっています、分かっているつもりです。私だってお年頃の兄を持つ妹です。兄が本棚のエッチな漫画の裏に何を隠しているかくらい知ってます」

 「見えてんじゃねえか。……いや、まさかそれがカモフラージュだとでも? エロ本でカモフラージュされるものって何?」

 「だからそう言うことに関しては多少人より寛容だと自負しています。ただ……ちょっとびっくりしちゃっただけで。まさか急にそんなことされるとは思っていなかったというか、心の準備ができていなかったというか。つまり私自身にも至らぬところがあったわけでもあるわけです、はい。でも……なんだかその時は、昨日会ったときとは印象が全く違って、完全に別人だと思っていました。でも、やっぱりあなたでした。こうして、私は現に今とても穏やかな気持ちです――まぁ、多少の緊張はありますが……えっとですね、こんなに長い話をして、一体何が言いたかったかと言いますと、とても感謝しているということです。本当にありがとうございます」

 「いえいえ、どういたしまして」

 「あの」

 「何でしょう?」

 「ちょっと黙っててくださいよ。何なんですか、ちょいちょい口を挟んできて」

 「え……ごめん、なさい。でも、突っ込み待ちだったんじゃないの?」

 「はい? 何を言っているのですか。私の話しの一体全体詳細一切のどこにツッコミどころがあったと?」

 「いや、随所に」

 「それはどう言う妄言ですか?」

 「え、違うの?」

 「そもそもですね、今はどう考えても私の一人語りのターンでしょう。あなた様がでしゃばるのはもう少し先ですよ。だから肝心な時に外すんですよ」

 「余計なお世話だよ!」

 何て難解なコミュニケーション手法をとって嫌がるのだろうかこいつは……と思ったがしかし、落ち着いて考えてみる。

 さっき、こいつは目が青くなったのが入学式って言っていた。ということは、だ、この学校に入学してからほとんど半年近くもこいつは学校にまともに登校していないことになるわけだし、そうなると他人とまともに話したこともほとんどなかったのかもしれない、ということになる。

 半年は、何もできずに過ごすにはなかなか長い時間だろう。そんな日常を想像してみる。……とてもじゃないけど俺には耐えられそうにない。俺には一匹オオカミを貫くような勇気はもとより、そんな発想すらない。どうしようもない弱虫なのだから。

 こいつも、本当だったらクラスの気の合う友達と昨日見たテレビの話題で大いに盛り上がりたかったのかもしれない。今度の休みにどこに行こうかとまとまりのない話をグダグダとしたかったのかもしれない。実は話し好きなのは明白だしね。

 こいつは何も自分からさけたくて人を避けていたわけじゃない。人が避けるから、その前に自分から避けていただけなんだ。

 自分のために、他人のために。

 行きたくても、行けなかった。

 話したくても、話せなかった。

 たかが目が青いだけじゃないか――と、誰かは思うかもしれない。そのせいで学校に来ないというのも、友達ができないというのも、全ては自分の責任じゃないか、と。

 しかしそれは、所詮外野の感想だ。どれだけ想像たくましくても所詮「自分がもしも」の想像なんだ。現実じゃない。当事者の環境、心境、数多の条件を考慮できているわけじゃない。穴だらけの袋に想像という水を注いでいるようなものだ。穴から水が流れ出し、溜まらない。だからその袋を見て思う――たいしたことないじゃないか、と。

 そう考えるとこいつのこの不器用さというか社交性の無さも一概に責められないかもな。こいつだって好きで引きこもってたわけじゃないんだ。

 ……でもまぁ、それはそれ。これはこれ。

 青い目が無くなったのだから、きっとこれからこいつは学校に来るのだろう。家から頻繁に出ることになって、もちろん他人との交流の場も増えるわけで、そうなると今のままのコミュニケーション能力では大いに問題がある。是非に改善してもらわなくては。

 もちろん、自分の力でね。

 「……目の方は、もう慣れたか?」

 「はい、元々この視点で生活していた時期の方が長いわけですから、勘を取り戻すのは容易でした。文字通り、世界が変わりました」

 「そうか、それは良かったな」

 「はい、それもこれも、私のおかげです」

 「うんうん、俺も一応常識人だからね、ちょっと間違えたくらいじゃ声は張り上げませんよ。で、誰のおかげだって?」

 「はい? 何かおかしいですか? 私はあなた様の言う通り、助かりたいから自分で頑張った、ただそれだけですよ?」

 人をあざける目をしていた。

 「ちくしょう……慇懃無礼及び慇懃憮然としやがって。その横暴さをどうにかしなさい。そしてなにゆえお前が怒っていやがる」

 「私的には、今はそんなおふざけの時間ではなかったのです。大変真面目な話をしていたのです」

 こやつこの場に及んで何を言うか。

 「真面目な話って……そう言えばさっきおかしなことを言ってたな」

 「おかしなこと? 私の話のどこにあなた様にとやかく言われる欠点がありましたでしょうか? ぜひ教えて下さい」

 全く分からない――そんな顔をしている。これが演技ならすごいな。

 「色々あったけど……特に、初めて会ったのは昨日のことだって」

 「……それの、どこがおかしいのですか?」

 いよいよ分からない、というかこいつの頭は大丈夫か? ――と、ありありと俺を見るその目が物語っている。目が見えなくて考えが読み取りにくいのも困ったけれど、雄弁すぎる目ってのも考えもんだなおい。

 さて、とりあえず、この会話の齟齬は何だろうか。

 「今日初めて会った、よな?」

 「昨日です」

 断言された、はっきりと、しっかりと。

 「んん~昨日? いやいや昨日ではないよ~……たぶん」

 そこまではっきりと言われるとそんな気がしてならない。でも実際俺は今日初めて会ったはずだ。さすがに昨日のことを忘れるなんてそんな、鶏じゃあるまいし。それにこんなにインパクトのあるやつに会ったことは早々忘れようがないと思う。

 ではどうして俺と包帯少女との間には相違点が生まれるのだろうか。

 俺にはそれこそ廊下でのすれ違い程度のことが、包帯少女にとっては曲がり角でドッカンバッタン並みの影響力を持っていたという、お互いの意識の違い?

 ――いやいや、包帯少女の話では俺は昨日ここにいて、包帯少女と会話を交わしている。それをたった一日程度経ったくらいで廊下でのすれ違い程度ととらえるほど俺は出会いに関して不自由していないわけではない。

 昨日俺に会った包帯少女。

 昨日俺は会わなかった包帯少女。

 俺じゃない、俺……

 「あ、そう言うことか」

 思いついた、なるほど納得。

 「はい?」

 どうして早く気が付かなかったのかと疑問に思うくらい単純明快な事だった。

 「お前は昨日俺に会ったけど、俺は昨日お前に会ってないんだよ」

 「……はい?」

 俺は教えを説くかのように、包帯少女の近くに寄って、その肩に手を置いて誰が聞いても分かるよう簡単な言葉を選び簡潔に説明をした。

 「実は俺、多重人格者なんだ」

 「…………」

 そしてドスッ、と俺の頭は斜め四十五度の角度で殴られた。

 「仮にも先輩であるあなた様にこんなことをするのは本当に気が引けてしまうのですけれど、そんな世迷言を信じきっているハッピーな先輩のために、私は心を鬼にします」

 連打された。

 「やめぃ! つーか何? お前後輩なの?」

 なおも叩こうとする包帯少女の両手をこちらの両手で押さえる。しばし取っ組み合い。

 「くっ……はい。ちなみに兄と先輩は同学年ですよ」

 何とかして俺の頭を叩いてやろうとしていた包帯少女は、やっと諦めて居住まいを正した。

 「なんと、寝耳に水とはまさにこのこと」

 俺も制服の乱れを直した。

 「寝耳にみみっ、ず……恐ろしくおぞましい表現ですね」

 「いや俺噛んでねーし。的確に言い終えたし」

 「私だって噛んでなんかいませんよ。ねみみみみみず!」

 「もはやごり押しで正当化しようとさえしているよこの負けず嫌いは!」

 「ふぅ、見苦しいですね、自分の失敗を認めないのは。私」

 「独り言ちった自虐ネタ!?」

 失敗を認める勇気は褒めてあげたい。

 「てゆーかね、君、俺が君より年上だって知ったのはいつよ?」

 「昨日の夜です」

 あっけらかんと答えられた。危うく「あ、そう」とそのまま流されてしまうところだった。

 「おいおい知っていたのに今までの態度はちょっとおかしくない? 俺先輩で、君後輩。何が言いたいかお分かりいただける?」

 「な、なんと!? よもや、かような小さきことをお気にしなさるほど器の小さきお方とは存ぜず、まことに失礼仕りました」

 ベンチに座りながら深々と頭を下げてくれやがった。

 「敬語を交えたって馬鹿にしてることくらい分かる程度のお頭はあるんだぞ!」

 「なんで急に下半身の話をしているのですか? あれですか? 興奮すると漏れるタイプですか?」

 「オムツじゃねえお・つ・むの話をしてんだ頭沸いてんのか!」

 「なんと、ひどい先輩ですね。こんないたいけな後輩を捕まえて、たかだか言い間違いひとつでそんな罵声を浴びせますか。あれですか、そういった性癖の持ち主なのですか? 今この瞬間私を罵倒して先輩は悦に入っているのですか? キモいです。気持ち悪いです。気持ち悪いと存じます。いと心やましことにおはします」

 「古文まで用いた不快感の爆裂拳だと!? 確かに俺の発言は相手を傷つける不適切なものだったかもしれないがいけしゃしゃと相手をなじるお前に言われる筋合いだけはねぇよ!?」

 つーかそんな表現ほんとに古文にあるのかも疑いものだ。こんな時自分の学力の低さが恨めしい。

 「知らないのですか? 女の子は素敵なものとスパイスで出来ているのです」

 「砂糖が欠けてる!? マザーグースはツンデレをご所望だよ!」

 いや、ほんとのところどうなのかは知りませんけれど。

 「ちなみに、素敵なものとはなんだと思いますか?」

 「え……こ、恋する心、とか?」

 「え、ちょ、ちょっと、それ本気で言っているのですか? 恥ずかしいにも程がありますね」

 ……めちゃめちゃ恥ずかしい! なまじ真面目に答えた分まこと恥ずかしい! 

 「ちくしょう……じゃあ、お前はなんだと思うんだよ?」

 「答えるまでもありませんね。そんなものないに決まってるじゃないですか」

 「なんて理不尽!?」

 「無いからこそ有ると言う。その気持ちが素敵なんですよ」

 「ちくしょう! なんか深かっこいいじゃねぇか!」

 素敵なものは、少なくとも目に見えなかった!

 ……と、ここらで一呼吸。

 箸休めならぬ口休め。

 「……あの、先輩、聞いてもいいですか?」

 「いやだ、俺は口休め中だ」

 「『あれ』は……一体何だったんですか?」

 またシカ……もういいや。

 さて、『あれ』とね。言わんとしていることは分からなくもない。こいつから『才能』を奪い取った俺の『あれ』のことだろう。

 しかし何と答えたらいいものやら……正直、俺にも分からない。

 「ん~、言っちゃえば俺の『才能』なんじゃない?」

 「そんな、出鱈目過ぎます」

 「いやそれを言っちゃ――」

 「そもそも、『あれ』はどうやっているんですか?」

 しかし包帯少女は俺の言葉を遮って言った。

 「ん~何と言うか……何と言えばいいか……非常に難しい。えっとだな、例えると、俺とお前が繋がっている海? 空? 湖? みたいなものに入って――あ、いや、潜って? いや飛んで? とにかくそこから、お前の中にある『才能』を掴んで引っ張る、感じかな?」

 「はぁ? 何ですかそれ、どう言う妄想ですか?」

 明らかに贋作だと分かる品物を見ているような目で見られている。

 「どうせ信じてくれないとは分かっていたよ! だから説明したくなかったよ! 良いじゃん、『才能』ってことで。何が不満なのさ、何が不服なのさ、何が不快なのさ!」

 「分からない――と言うことが、です!」

 「そんなの俺が一番わだかまってますがな!」

 「そもそもその『才能』と言うもの自体がとてもあやふやなんですよ。何ですか? 空から見るだとか、相手の中に入るだとか、突拍子がなさ過ぎてもはや笑えません。はっきり言ってイタイです」

 え、え、な、なぜ俺が責められる?

 「そんなこと言われても……じゃあ何て言えばいいんだよ?」

 「知りませんよそんなの」

 きっぱりと断言された。

 「もはや清々しいなぁこんちくしょう。……とりあえず、詳しく分からないから俺は『才能』って呼んでる、以上! 終わり!」

 俺も負けじと断言する。

 しかし包帯少女はまた不服そうである。

 「すっきりしませんね。――そもそも、空からの視点という『才能』は物理的におかしくありませんか? 現実私の目はこの顔についていて、前を向いているのですよ? 空にあるわけでもないのに」

 まぁ、それはごもっともなご意見だ。

 だが珍しいことに、それに関しては俺なりに思うところがあった。

 「ん~、たぶん、お前の『才能』って、本当は『空から見下ろしている光景を想像する』ことなんじゃないのか?」

 それを言われた包帯少女は一瞬きょとんとし、それからわなわなと、まるでこれから知ることに対し恐怖を覚えているかのように震え、そして聞いてきた。

 「……つ、つつつまり、たったっただの……妄想、ですか?」

 その灰色の目が助けを求めているような柔い光を放っている。いや、涙だろうか?

 「まぁそう言っちゃえば、そうかな」

 すると包帯少女は、明らかに落胆している無表情になり、うなだれた。

 「……つまり、私は現実を侵食するほどの想像力を持ったイタさ炸裂な美少女だということですか?」

 「ん~ま、そんなとこかな。単なる俺の憶測だから、真に受けるなよ」

 などと励ましてはみたものの、包帯少女の絶望感は大して拭ってやれなかったみたいだ。短い間落ち込んだ後、また疑問を投げかけてきた。

 「……じゃあ、何で目の色が変わったんですか?」

 「さあ? 人の体って思いこみ次第で変わったりするんじゃないか? 自己暗示ってやつ?」

 自分で言っといて何だが、そんなわけねーだろ。

 「思いこみでメラニンがどうこうなるのですか?」

 「あー、もう、そんな色々聞くなよ、俺だって分からないんだから。でもそうはならないと断言できないのであれば、そうであっても良いんじゃないのか? ……ただ言えるのは、そういうのは違う形で、他のみんなもそれぞれ持ってるだろうってことだ」

 「他にも、私と同じように自分の持つ才能に悩んでいるということですか?」

 「まぁ悩んでいるとは限らないだろうけど、中にはいるんじゃない? ……きっと、例えば『才能』があるのに気が付いていない人、その『才能』を特別に意識してない人もいるんじゃないか?」

 「はい? それはどういうことですか?」

 「えっと、お前は、今年の入学式位からそうやって見るようになったんだよな?」

 「はい」

 「例えばもし、それが生まれてからずっとだったとしたら、生まれてからこれまでずっと、その視点で過ごしていたとしたら……その人にとって、その視点が現実になるんじゃないか?」

 「それは……さすがに無理がありませんか?」

 「まぁ例えば、だよ。視点に限らず、日常生活にそこまで支障をきたさない他の『才能』でなら、そういうことは実際にあるかもしれない」

 これには納得したのか、包帯少女は少しの間静かになった。どうやら頭の中は忙しそうだったけど。

 「……確かにそうかもしれませんね。何にしても情報があまりに少ないです。とりあえず、この話はこれ位にしておきましょうか。現時点ではどれも憶測ですし、これ以上続けるとより泥沼化しかねませんし。また明日話すことにしましょう、ね? 先輩」

 「え? あぁ、そうだな。ふう――」

 包帯少女からの質問攻めにようやく区切りがついたので、今度はこっちの番。

 「ところで、さっきから気になっているんだけど、それ」

 と言って、俺は包帯少女の首元を指さした。

 実を言うとここで包帯少女に会ってからずっと気になっていた。しかしどのタイミングで聞こうか測りかねていて結局今の今まで延ばてしまったのだが、そこ――包帯少女の首元には、さっきまでこいつの目を隠すように巻かれていた包帯が何故か巻かれていた。

 俺が指摘していることに気が付いた包帯少女は、照れたような無表情で言った。

 「これは……なんだか今までこれがある安心感があったので、急に無くなると不安なんです。だからしばらくはこうしていることにしました」

 「……そういうもんなのか?」

 しかしなんでよりにもよって首に巻くかね?

 「お揃いですね」

 そう言う包帯少女はほんの少しだけ口角が上がった。百八十度から、両端が上に……二度くらい(暗さによる俺の補正が入っている可能性もあり)。

 「いや、俺のはお前ほど痛々しくは映らないけどな。……あと、もう一つ聞きたいことがあるんだけど」

 「何でしょう?」

 「ちょっと前に、知らない女子生徒に包帯を巻いたことってあるか?」

 俺のその問いに、少しだけ自分の記憶をあさった様子を見せた後にすぐに思い出したようで、包帯少女は話し出した。

 「あぁ、あの時のことですか。それは向こうが悪いのです。いきなり後ろから包帯をむしり取って、しかも写真すら撮ろうとしたんですよ? そんな失礼千万な方をちょこっとばかし懲らしめてやっただけです」

 ……なるほどな。聞いた話と照らし合わせてみて、どうやらその話は事実みたいだ。つまり、どうやらその存在は実在のモデルがいて、それがこいつだということなのだ。世界は狭い。

 「……まぁ、確かに相手が悪いよな、完全に悪ノリだ。でもな、その女子生徒がその時断末魔のごとき叫び声をあげた後意識を失ってるんだけど、さすがに目を見ただけじゃそうはならないよな?」

 「あぁ、そのことですか。さすがにイラッときたので、ちょっと脅かしてやったんです。いきなり飛びついて、首筋を指で這って、耳元で低く囁くように『お前も、木乃伊にしてやろうか』って」

 「そいつは……おっかないね」

 こいつ、実は楽しんでるのか?

 でもよかった。もしかしたらさすがに行き過ぎた行為をしたんじゃないかという懸念もなくはなかったからね。こいつだからね。やりかねないよね。

 「あと、私はもともと冷え症なので体の表面は冷たいから、たぶんそれも相手の恐怖を駆り立てたのかと、はい」

 冷静に分析するなよ。

 「なるほど納得問題解決だ、ありがとう」

 「お役にたてて光栄です」

 「じゃあ、夜も深まってまいりましたし、ぼちぼち切り上げますか」

 ベンチから立ち上がった。案外長い間座っていたみたいでお尻が痛い。大きく伸びをすると背骨からポキポキと小気味のいい音が聞こえた。

 さて――と、一歩を踏み出そうとしたその時だった。

 「待ってください」

 しかし包帯少女は立ち上がらず、ベンチに座ったままだ。

 その一言で場の空気が変わった感じがする。緩んではいたけどそこにあった糸が、とうとうピンッ、と張られたような。

 なんかシリアスターンの香りがプンプンするぜ。

 「なんだ? もう遅いんだし、手短に頼むぞ」

 「……コホン」

 包帯少女はわざとらしく一度咳払いをした。どうやら俺の嗅覚に間違いはないみたいだ。膝の上に置かれた包帯少女の手が強く握られるのを視界の端でとらえた。

 「今日、今、ここにあなたをお呼びしたその一番の目的が、まだ果たされていません」

 まっすぐ俺を見つめてくる。今日会ったばかりのその目で。間城崎程ではないが意外と目力がある。物事の本質を見ようとしている目、って感じ。

 「……はてなんだっけ?」

 とぼけてみた。

 「とぼけないで答えてください」

 見抜かれていた。

 「あぁ……そうね、ごめんなさい」

 何のこと――ではない、分かってる、分かってますとも。

 「……そもそもさ、あれって本気だったのか? その場のノリとかじゃなくて。そうじゃなかったらあんまりにもあっさりしすぎてやしないか? もっとこう……よくは知らないけど、タイミングとか、シチュエーションとか、そこらへんを整えてからしたりするんじゃないのか?」

 しかも流れにのせてさらっというなんて、少しズルい気もするじゃんか。

 「では先輩は先ほどの私の告白をなかったことにして、改めて私にそれ相応のタイミングとシチュエーションで再度告白しろと? もはや鬼畜という言葉にも収まりきらない男ですね」

 お褒めに預かり恐悦至極だよ。

 「いやいや別にそういう意味じゃないんだけどね……何て言うかね……ほら、ね?」

 「それ以外に意味の取り方はなかったですよ。……でも確かに、大抵の場合は先輩の言うようなことに気を付けて告白をするのかもしれませんね。きっと半年も引きこもっていた私はそういう物の考え方を忘れているのかもしれません。ではやり直しを要求します」

 おいマジかよ。それはそれできついぜ。

 「いや、良いよ、なんか申し訳ないし。悪いな、変なこと言って。俺が言ったことは、せいぜい『自分と一般的な考え方との答え合わせがしたかっただけだ』程度で受け流してくれ。」

 「受け流すには少々酷な話でしたが、先輩がそう言うならば私はそうしましょう。……私は意外と旦那を立てるお嫁さんになれるかもしれませんね」

 「おいおい最後のは一体何の話だ。たくましすぎる想像力から繰り出される飛躍どころか昇天級の話題転換に完全に置いてきぼりを食らっているよ俺は」

 「では、返事をお願いします」

 椅子に座ったままの包帯少女は、俺をじっと見ながら返事を待つ。

 俺が呼ばれた一番の理由。

 昼休みの話し合いの最後に「今日の夜、お話しする時間はありますか?」とわざわざアポイントを取ってまで聞きたかったこと。

 つまるところ、端的に言って、俺の返事。

 「ふむ……」

 とりあえず、俺はちょっと悩んだふりをしてみた。その実自分の中ではどうするか、どうしたいかなんて決まっていたのに。まぁ、それをすんなり言うのはちょっとためらわれたからさ。いわゆる照れ隠し。俺は意外とシャイなかわいいやつなのだ。

 「なぁ」

 「はい」

 「怒るなよ」

 「はい?」

 あぁ~言いたくねぇ~でも言うしかねぇ。こいつは言ってくれたんだから、俺も言わなきゃずるいだろう。……言ってもずるいけどな。

 「……俺のことをさ、殺せる?」

 「……はい?」

 案の定、包帯少女は呆気にとられた顔をした。赤面必至の痛々しい発言故に。でも、それが狙いだったりもして。

 「注意、俺は別に死にたい願望があるわけではないよ。それに死んでも生き返るなんてオチでもない。だからといって煙に巻くための虚言でも妄言でもない。俺のことを殺しても好きな人じゃなきゃ……だめなんだ」

 「…………」

 包帯少女の目にだんだんと力が込められているのが分かる。はいもう絶対怒られますねこれ、秒読みはいったよ。分かってましたとも。

 だからさっさとけりをつけよう。

 「お前は良いやつだからな、たぶん出来ない。でもそれは別に恥じることじゃない、悔しがるなんてそれこそお門違いだ。ただこればっかりはどうしようもない。本当に、さっきまでのような冗談じゃないんだ。なんたって俺は律儀な男だからな。だから……何と言うか、何と言えばいいのか……とにかくごめんな、じゃあ」

 一方的にまくし立て、俺は逃げるようにその場から消えようとした。

 思えば逃亡ばかりの人生である――なんてな!

 「そんなの……卑怯です」

 しかし包帯少女が俺のワイシャツをつかんで離さない。

 「まぁ俺もそう言われて当然だと思うわ。はっはっは」

 笑って誤魔化す。誤魔化せてないか。こりゃ殴られるな。痛いのはいやだなぁ……って、もうすでに十分イタいけどな。

 でも、意外にも包帯少女にはどうやら殴りかかってくる気はなかったみたいだ。ただ、ワイシャツを後ろから掴み俺が逃げないようにしただけだった。間城崎のようにちょっと掴む、ではなく、ガッツリ鷲掴みだった。完全に逃がしてやらないぞこのやろうという熱意がありありと伝わってくる。

 「……つまり、端的に言って私は、今、フラれたんですか?」

 「ん~……どうなるんだろう?」

 「答えてください。どうなんですか?」

 「……ごめん」

 しかしそれから次のアクションまでしばし沈黙。

 非常に気まずい。

 そして、ゆっくりと包帯少女が口から言葉が現れた。

 「殺せる……それは……程度の話ですか?」

 包帯少女なりに考えに考え抜いたその結果は、予想外なことに諦めではなかった。憤りでもない、前向きな意志だった。ただ、程度って……何だろう。

 「……受け取り方は、任せるよ」

 俺は笑顔で答えた。俺は前を向いているから別に包帯少女は顔を見ていないのに。

 だから、たぶん……俺は嬉しかったのかもしれない。

 「その回答はつまり、保留と言うことですよね? そうとらえて差し支えないですよね? そう言う事なら私、努力します」

 そして包帯少女はワイシャツをそっと離してくれた。

 「覚悟、よろしくお願いします」

 すっと、綺麗なお辞儀をされた。

 「……ははは、お手柔らかに」

 そう言って、もう言うことは何もないような雰囲気になったから、今度こそ帰ろうとして、ふと頭をよぎった疑問で今度は俺が話しかけてしまった。メリハリもなにもあったもんじゃない。

 しかし気になったことはすぐに知りたいじゃないか。

 「……なぁ、最後に一つだけいいか?」

 「何ですか? 今更明確な答えを言った所で、下がり切った優柔不断先輩の男前ポイントは微動だにせず底辺を這いずるだけですよ?」

 「ぐ、何も言い返せない……じゃなくて、最後にもう一つ聞きたいことがあるんだ」

 「ほしがり屋さんな先輩ですね」

 全くだな。しかしこれはいわば当然するべき質問であり、今更過ぎる質問でもある。

 「あのさ……今更で悪いんだけど……名前、なんて言うの?」

 瞬間、暗くてよく見えていなかったからかもしれないけれど、目の前にいる少女が優しく微笑んでくれた気がした。

 「……北颪(きたおろし)です、北颪美鳫(きたおろしみかり)です。一年二組の女の子です。好きなものは目の前です」

 「そんな名前だったのか。あ、ちなみに俺は――」

 「知ってます」

 俺の自己紹介は遮られた。それは失礼と言うものだろうが、おそらく俺相手に包帯少女は礼儀を尽くすつもりはないのだろう。年功序列もいつの間にか日本昔話の仲間入りか。

 「でも、俺自己紹介したっけ?」

 「自己紹介だけが手段ではありません」

 「……なんか怖いな。まぁいいや。じゃ、気を付け得て帰れよ」

 「先輩」

 呼ばれて振り返る。絵の具のような黒の中で街灯の白色に照らされた少女。

 「どうぞ、末永くよろしくお願いします」

 包帯少女――もとい白昼帯の木乃伊――もとい北颪は、今日一番幸せそうな無表情だった。

 「お、おぉ? うん、じゃ」

 今度こそ本当にさようならだ。

 北颪は手を振るとこちらに背を向け家路を行った。俺も振り返ることなく歩き出した。


 時間も時間なだけあって、辺りは暗くて人気も少ない。あまり知らない道だし、道を照らしている街灯も心もとない。家からこぼれてくる明かりも徐々にその数を減らしている。もう晩御飯の匂いも漂ってこない。どこかの家からはお風呂に誰か入っている音が漏れてきている。

 こんな時間にこんなところを制服着て歩いているところをお巡りさんに見つかったならば、即刻御用間違いなしだ。どちらかというと変質者とご対面するよりもそちらとのエンカウントを避けたい。

 「よぉ」

 その時、突然後方から聞こえてきたこの声に心底ビックリしたかというと、驚くなかれ俺のアイアンハートはそれくらいじゃ動じもしない。それどころか振り向きざまに「ぬぇいっ!」と一発空手チョップをお見舞いしてやったほどだ。

 「うぅ……お前、俺だって分かってて殴っただろ?」

 変質者は俺のチョップを脳天に食らい頭を押さえていた。しかしその声、はて、聞き覚えのある声だ……まさか。

 「お、お前は……」

 なんと、そこにいたのはあの覆面ライダーではないか。これは驚きも二乗する事象だ。

 「まさかお前だったとは、てっきりどこぞの変質者だと……あ、間違ってはないのか」

 「こらこら、たとえ予定といえども兄者に向かってなんて口のきき方だ」

 そう呟いてそいつは乗っていた自転車から降りると、何を間違えたのか、いきなり唐突に何の前触れも前置きも前説もなく、頭を下げた。

 「ひとまず、お礼をしよう。ありがとう」

 ……なんと、なんて、なんだ、お礼だ、まさか、嘘だ!

 なんと覆面ライダーは何も間違えていなかったのだ。しかし今ではそれ自体が間違いに思えてしまうのは決して俺がポンコツだからではない。

 「なんと、お前にも人並みの常識があったとはね」

 それは正直今日一番の驚きかもしれない。もしや青い目との出会いすら超えたかもしれない。……それは話を盛りすぎたかもしれない。それでも、それくらいの衝撃であったことは間違いない。それほど、俺はこいつを過小評価していたということにもなってしまうけれど。ここまでの経緯を知っている人ならば十中八九驚いたことだろう。

 「実は覆面ライダーとは仮の姿だ。あいつの兄と悟られないためのな」

 ドヤ顔。

 「いやそれに関しては言うまでもなく重々認知していたよ」

 呆れ顔。

 これだよこれ、やっぱりこいつとは決して交わらない正の数と負の数の二次関数同士のような関係が一番しっくりくる――って、あれ? こいつ今ドヤ顔を使いこなして……なるほど、さすがに学習する力はあるってことか。

 それにしても覆面ライダーの顔は実にすがすがしいものだ。まるで一仕事終えたかのような、安堵と解放からくる顔だった。その顔に、ちょっとイラッとした。

 「いや~でもこれであいつも学校に行けるようになるだろう。いやほんと、これかなり助かってるんだ。俺が勉強を教えるにも限度があるからな。何より誰とも話したり遊びに行けないっていうのはなかなか辛そうでな、親もずいぶん心配してた。だから、妹を救ってくれたお前には家族全員が感謝してる。もはや感謝を通り越して崇拝すらしている」

 「違う、間違えないでくれ、俺は何もしてない。問題も解決したんじゃない、あいつの中で、あいつが意識する範囲の中で、それが占める割合が少なくなっただけだ。脇に置いただけだ。そしてそれはあいつが自分の力で何とかしたんだよ。だから崇拝はいらない、感謝も返す。クーリングオフだ」

 「クーフーリン? 懐かしいやつの名前知ってるな」

 「違うし、伝説の登場人物を懐かしいと言ってのけるお前にとってのクーフーリンとは一体誰だ?」

 「そりゃもちろん、地球人最強だぜ」

 「クリリンの事か!? ――って、そのネタベタすぎるぜ」

 そう言ってひらひら振った俺の手を、何を勘違いしたのかやつは力強く握り返してきた。

 「いやしかし、俺の目に狂いはなかった。何故なら俺はお前を一目見たと時から妹を救うのはお前しかいないと思わせる何かを感じ取っていたんだ」

 「おいおい理由になってねえぞ」

 「いらないだろ、理由なんて」

 「言葉だけならカッコいいけれども! 『何故なら』と言ったのはお前であることをお忘れなく!」

 「じゃあ、お前が理由だ」

 「う――」

 それは――本当にそういう意図をもって言っているのであれば、これ以上にない説得力であり、かつこいつの観察眼は他と一線と画している。信じられないけど、偶然なんだろうか。

 「納得したか? 良かったよかった!」

 俺の動揺をよそに、やつは快活に笑いながら俺の背中をバンッと叩いた。

 「とりあえず、礼が言いたかった。ありがとう。たとえお前が何もしていなくても、お前がいてくれてよかった。妹を頼んだぞ兄妹! じゃあな!」

 やつはアメコミのヒーローみたいに笑いながら支えていた自転車にまたがると颯爽と駆けて行った。後に残された俺には、ただその後ろ姿を見つめるしかできなかった。蹴るにも反論するにも、やつの世界は遠すぎた。

 「……兄と言い、妹と言い、自分のペースを貫き過ぎてやいないか?」

 それとも流されやすい俺の責任でもあるのだろうか……まぁ、それはどっちでもいいか。

 俺は向きを変え、覆面ライダーが去った方向と正反対の方向に歩き出す。暗い空には、いつの間にか雲がはびこっていて星が見えない。道理で通りも暗く感じるわけだ。誰もいない道路に俺の足音だけが決まったリズムで響いている。少し肌寒く、さすがにまだ吐く息が白くなったりはしないけど、そろそろ衣替えの時期。今日家に行ったら詰襟を用意しておいてほしいな。

 そして帰り道。

 立ち並ぶ家屋はみんな同じ様な形をしているし、街灯も等間隔にずっと先まで置かれていた。しばらくはこのどこまでも変化しない景観を眺めながら歩かなくてはならない。

 ……でも、ここまで外に興味をそそられる事柄が無いとなると、思考の矛先は必然内へと、果ての無い自問自答へと誘われる。特に夜は一人になると色々な事を考えたりすることが多い、それは俺に限らないことだろうけど。

 四段目、『白昼帯の木乃伊』――いつだったか、そんな話を聞いたことがあった。なんでも顔がドロドロだとかのっぺらぼうだとか。顔を見た相手を自分の側に引きずり込むだとか。いろんな話がつぎはぎされて、その都度設定がよりフィクションになっていく。

 でも実際会ってみればなんてことない、もちろんノンフィクションで、どこにでもいそうな、寂しがり屋で常時無表情、でもその実白馬の王子様を心の端っこで信じてしまっているようなちょいとスパイス効きめ糖分少なめ素敵なものが若干多めな女子高生だった。何がドロドロか。

 全く、噂とは怖いものだ。しかし包帯少女みたいなやつがいる反面、その噂の恩恵をあやかっている方もいるから一概に否定はできない。今こそ受け取る側の情報の取捨選択が求められているということさ。ただ鵜呑みにするのではなく、ね。まぁ、余計なお世話か。

 そんな彼女の目が見えるようになった今――いや、見られるようになった今、その存在は俺のせいでいなくなってしまったわけだ。もしかしたら皆の楽しみをなくしてしまう結果になってしまうようでなんだか申し訳ない。だがしかし、実際に存在しないことで、反対に怪談としての存在をより確固たるものへと押し上げるのではなかろうか、と自己正当化してみる。

 目を隠すために包帯を巻いていたことから始まり、関係ない人たちによって幾重に重ね塗りされた脚色が、とうとう『白紐帯の木乃伊』という存在として独り立ちしてしまった。残された彼女は大丈夫なのだろうか。もしかしたら、何かしらの喪失感、欠落感を感じているのかもしれない。たとえ気付いていなかったとしても、たとえ疎ましく思っていたとしても、「それ」は間違いなく生まれた時から自分の一部であり全部でもあったのだから。

 無くすことを強く望んだとはいえ――いやむしろそれを強く望んでいたからこそ、望んだ先に何があるかまでは考えちゃいないだろうし、空いた所に埋めるものを用意してもいないだろう。

 もしかしたら、俺のように人の才能を欲するようになってしまわないだろうか……

 なんて、そんな心配もまた無用なのか。俺と違い、あいつは案外強そうなやつだった。ちゃんと自分のことは自分で出来るだろう。それこそ今回の俺は、また余計な世話を焼いたくらいなのかもしれない。俺が何かする必要もなく、自らどうにかしていたか、はたまたどうにもせずにそれを受け入れ生きていたのかもしれない。

 ……かっこいいな、俺にはできない。

 とにかく確かに言えることは、俺は何にもしちゃいないってこと。それだけは勘違いしてはいけないことだ。自分に言い聞かせることを忘れてはいけない。

 あくまで繋がっただけなんだ。

 もしかしたら、もしかしたら俺のおかげで――なんて淡い期待を抱かないように。

 それは俺が、俺のためにやったことなのだ。

 そして俺は、さっさとかわいいかわいい葉月の待つ家に行かなければならない。

 もちろんそれも、他でもない自分のために。


2013/10/20 誤字修正

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