『僕×白紐帯の木乃伊』 10
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「目が覚めたら、間城崎だけのものになる~」
「…………」
「目が覚めたら、間城崎だけを好きになる~」
「…………」
「目が覚めたら、間城崎以外が猿に見える~」
「…………」
「目が覚めたら、間城崎が嫁になっている~」
気が付くと、左耳から呪詛を送り込まれていた。恐ろしい言葉だ。もう、俺は目を覚ますことはないだろう。儚く瞬いた人生だった……。
「さぁ、目覚めろ!」
バチンッ!
「あいてっ!」
額に平手打ちを受けて強制的に覚醒させられた。
とりあえず全く働いていない脳みそを徐々に回転させながら状況の把握に努めてみる。
何故か俺の体はソファからベッドに移っていた。その同じベッドには間城崎も座っていた。そして間城崎が、何やら期待を込めた目で俺を見ていた。
俺はすべてを把握した。
「おいおい、イタイじゃないかマイスウィートハニー」
「おぉ、催眠術は成功だ!」
俺は何も言わずにもろ手を挙げて歓喜する間城崎の頭を斜め四十五度から叩いた。
「ちっ、ダメだったか」
「当たり前だ。つーか耳元で即死効果の呪文唱えんな。危うく一生目覚められない所だったわ。……それより、なんなのこれ?」
実際俺は何が何だかわからなかった。確かに俺はあそこにあるソファに横になったはずだったのに、いつの間にか間城崎のベッドで寝かされていた。しかも間城崎の膝枕で。
「あぁ!? もしかして……俺の別人格がまたもや目覚めてしまって、あそこから這い上がりこのベッドにもぐりこんでしまったのか!?」
「…………」
「まさか~そんなはずないよな~」
「…………」
「……そんなはず、ないよね?」
間城崎はこちらをじっと見るだけで否定してくれなかった。
「……ごめん」
「いや、私は別にかまわないぞ。たとえお前が私の寝こみを襲い、大切な純情を奪うだけでは飽き足らずそのまま横に侍らせて寝るという、あっぱれな所業を成し遂げたとしてもな」
「ごめんなさい!」
俺の別人格は、とても節操がないようです。
「いやいや、だから構わないと言っているだろうが。――ただ、責任はしっかりとれよ?」
「勘弁してください!」
「冗談だ、真に受けるな」
本気で、安心した。
「……で、本当のところ別人格の俺は一体何をしたの?」
「ん? ただ少し話をしただけだ。すぐにまた眠ろうとしたから『そこは人が座るところだから、ここで寝ろ』と言ったら素直に従ってここで寝たから、思わず催眠術をかけてしまった」
「一時の気の迷いで人に催眠術をかけんな!」
突発的犯行だった。
「いや、いつも時期をうかがっていたから、ちょうど良かったんだ」
「その実計画的犯行だった!?」
「また計画の練り直しだ」
などと言いながら笑う間城崎を見て、正直俺は困惑している。
ついさっき、ここを飛び出したことをスッカリ忘れるほど俺は切り替えが早い方ではない。だから今この状況に少なからず心がざわざわしているというか、不安でいっぱいなのだけれど、当の本人はそんなことスッカリ忘れているかのように、ケロッとしている。それがまた怖くもあるのだけれど。
でも、忘れているいないどちらにしても、わざわざ俺から掘り返す必要はない。もしかしたら俺の別人格君がうまく事を運んでくれたのかもしれないし。
「……いや、何でもない」
俺はベッドから降りると近くに会った椅子に腰かけた。
「? 変なやつだな」
間城崎は膝枕のためにしていた正座を崩した。何事もなかったように。きっと重かっただろうに、痛かっただろうに、そんなことを一切顔に出したりしない。
本当に、良いやつだな。
「ところで、今何時?」
ずいぶんと寝てしまっていたようだ。日はすっかり暮れていて、いつの間にか保健室も電燈の明かりに照らされていた。
「……七時はもう過ぎたんじゃないか?」
「げっ、もうそんな時間か。悪い、俺のせいで帰れなかったのか?」
「そんなことない。気にするな」
全く、やんなっちゃうくらい良いやつだな。
「帰るか?」
間城崎が尋ねた。確かに、そろそろ学校自体も閉まってしまう可能性がある。
「そうだな、そうしよう」
「分かった」
そう言うと間城崎はベッドから降り、帰りの支度をし始めた。
……と言っても、大してやることはない。ベッドの乱れを直し、今やこいつの通学カバンと化している寅さんのそれと同じような旅行鞄をベッドの下から出すと、本棚の本をしまい、一応持ってきていた今日の分の教科書をしまう。あとその他もろもろの小物も。
「乗っていくか?」
間城崎はそう聞きながら制服に手を伸ばし、それもカバンにしまう。
せめて登下校の時くらいは着てほしい――と、間城崎のお母さんがいつも言っているのだけれど、こいつはちっとも着やしない。それは別に間城崎がお母さんに対し若気の至りから些細なことにまでつい反抗してしまっている……というわけでは断じてなく、ただ面倒だからだろう。どうせ学校ではここにいて、ずっとパジャマなのだから、と。
ではどうして持って来るのかと、誰もが思うだろう。
ではそんな誰かに逆に聞こう。どうして持って来ようと思うか、と。いつも保健室にいてパジャマを着ているのに、一体いつどこで制服を着るのか。こんな、いつも持ってきているにも関わらず、まるで買った当時のまま、皺ひとつなく新品同様に保管しているこの制服を……なんて、余計なお世話か。特に俺は。
でもいつか、そんな日が来るんだろう。今はまだ駄目でも、きっと。それをお母さんもちゃんと理解して、待っていてくれている。もちろんのお父さんも。とてもいい家族だ。
そしたら俺はもう――
「おい」
「……うん? あ、いや、今日はちょっとお買い物があるから、歩いて帰るよ。待ってくれてたのに悪かったな。お母さんにも謝っておいてくれ」
「だから気にするな。いい加減怒るぞ」
眉間にしわを寄せてそう言うと、すぐに笑顔に戻った。
「じゃあ、また明日」
「あぁ、また明日」
そして俺は後ろ手で保健室扉をそっと閉めた。
……ふっふっふ。計画通りだ。
何はともあれ、結果オーライ。間城崎に不審がられずに先に帰ることが出来た。この後にあいつと会うなんて言ったらさぞ面倒なことになっていただろう。
帰る前に一言挨拶をしようと篠守先生を探した。
篠守先生は職員室にいた。どうやらさっきからずっとここにいたらしい。しかし保険の先生が本職そっちのけでこんな長い時間職員室にいていいのだろうか。
「いいのよ」
篠守先生はそう言った。
聞いておいてなんだけど、実際俺自身もそう思うし、知っていた。
実はこの先生、カウンセラー的なものも兼ねているのだ。というか、その一日の仕事のほとんどを本職ではなくそっちに費やしている。
実を言うと、この学校には一階、職員室の隣の医務室に専属のお医者様がいらっしゃるので、先生にまわってくる仕事は非常に少ない――どころかほとんどないと言っていいだろう、なんせ本職のお医者様がいるのだから。
そもそも考えてみればこの保健室の位置取りもおかしいのだ。普通一階の便利なところにあってしかるべきが、何をとち狂ったかこの学校の保険室は四階の突き当たりときたもんだ。これはつまりもし体の不調で保健室に駆け込もうとしても、ほとんどの生徒が階段を上り長い廊下を歩かなければならないと言うこと。そんなのさらに追い打ちをかけるようなものだろう。
故に普段ここには人はやってこない、ここにやって来るのは、傷は傷でも種類の違う、唾をつけても治らないような傷を抱えた人たちだ。
間城崎はまたちょっと事情が違うけど、間城崎にとっても都合の良い場所だと言える。この教室には裏の非常階段に続く扉があり、その下は駐車場になっている。誰にも見つからずに登校することが可能なのだ。まぁ、四階分の階段を上り下りするのは大変だろうが。
とにかくそういう訳で、先生はどちらかというと保険の先生ではなくカウンセラーの方で知れ渡っている。
生徒の相談をうけ、解決に導いていく保険医兼カウンセラー。
しかし先生はそんじょそこらのカウンセラーとは一線を画している。
何故ならそう――かの篠守先生のカウンセリングは、解決率百パーセントともっぱらの噂なのだ。
それこそ正真正銘『助ける』人だ。評判はこの学校にその名を知らぬ者はいないと言われるほど。さらにはこの学校の外にまでその声が轟いているとかいないとか。
マジ尊敬なお方であり、マジ損系なお方である。
人を助けるために、この先生は一体何を犠牲にしているのか、それは誰も知らない。先生本人しか知らない。もしかしたら間城崎は分かるのかもしれないけど、それは例外で。
特に篠守先生はクラスを受け持つ先生方とは仲があまり良好ではない。カウンセリングの対象になるのが必ずしも生徒間のトラブルとは限らないのだ。そして先生だって人間だ。自分の畑を勝手に耕作されるのでさえ我慢ならないのに、よもや自分の耕作方法にすら苦言を呈すのだから、黙っちゃいられないだろう。まぁ実際、篠守先生は荒れた畑を治す人間なのだけれど。大人の世界もいろいろである。
しかしそれは普通に考えれば越権行為である、がしかし、篠守先生曰く「そんなもんなんとでもなる」らしい。それもまた大人の世界さ。子供の知らない事情でいっぱいさ。
そして今日も、篠守先生は戦っているのだ。何にか、と。
「まこと、大変お疲れ様でございます」
俺は深々と頭を下げた。
「ははは、それをあなたにだけは言われたくはないわ。私の立場が無いじゃない」
先生が何故お困りなのかは皆目見当がつかなかった。
「それじゃあ、僕は帰ります。間城崎はまだ保健室にいますんで」
「はい、気を付けてね。……あ、ねぇ」
「はい?」
「それ、綺麗な目ね」
「あげませんよ?」
篠守先生は笑いながら職員室に戻っていったので、俺も下駄箱に向かった。
校舎を出て校門までの道を歩く。左側の、ナイターに照らされたグラウンドにはもう部活動をしている生徒はいない。土を均すためのトンボをだるそうに引いているサッカー部と野球部の一年生が数人いるだけだった。風深の部活動もそろそろ終わった頃だろうか。見つかったら厄介だ。
グラウンドとは反対の、右側にある駐車場には先生方の車が止まっている。
その中、お客さん用の駐車スペースにはいつも通り、間城崎の迎えの車が来ていた。真っ赤な軽自動車。
ここからだと間の植木に遮られて気付かれていないかもしれないが、一応間城崎のお母さんに向かって軽く会釈した。
約束の時間まではあまりない。ちょっとだけ急がなければ。