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『僕×白紐帯の木乃伊』 9

     ●


 「――とな、こう指でビシッと指差してな、バシッと決めちゃったわけよ。どうよどうよ? かっこいーでしょ?」

 保健室、間城崎の空間。俺はそこでさっきまでの中庭での彼女とのやり取りを再現しながら語っていた。

 その間、間城崎はとても静かなものだった。それは先ほどの包帯少女程ではなくともそれなりに聞く側の心構えとしては間違ってはいないのだけれど、やっぱり合いの手くらい入れてくれた方が話している側としても盛り上がれるのにな、なんて不満を思ったり。

 ただ、ずっと黙って俺の話を聞きながらも、間城崎からはなんだか冷たい空気が出てきているような気がしていた。実際そんなことあるはずないから俺の気持ちの問題なのだけれど、なんか、ちょっと怖いじゃないか。

 話し終わると、保健室には静寂が訪れる。教室がある方の校舎とは違い、特別教室ばかりのこちらの校舎の、しかも最上階には訪問客はめったに来ない。この空間は、大量の生徒たちで活気あふれる学校にいることを忘れさせる。もちろん静かでいい場所だと思うが、俺にはちょっとばかり静かすぎる。

 少し間を開けて間城崎は口を開いた。

 「それで結局、お前は何をしたかったんだ?」

 「ぐう……」

 ほら、やっぱり怒った。

 間城崎の視線は俺の目を貫き脳みそに鋭く突き刺さっていた。

 正直そう切り替えされると何も言えない。それを説明するのは簡単でも、それを伝えるのはとてもためらわれる。いやどうせ間城崎は分かっているんだ。ただそれを俺の口から言わせたいだけなんだ。でも俺は言わない。

 助けてと言われたから――いやそれはただのきっかけだ、動作を起こすための合図、短距離走でいうスタートの空砲のようなもの。

 なら何故短距離走に出たのか? 

 その動機を間城崎は言わせようとしているんだ。

 本当に、意地悪なやつめ。

 空から自分を見下ろす――それはいまだ経験したことのない新たな視点から見る世界。そんなことが出来る『才能』。

 それが欲しかったから――なんて、とてもじゃないが言えるわけないだろうが。

 俺は人の『才能』をほしがるような、どうしようもない弱虫なのだから。

 「まぁいい……ちょっと、こっち」

 間城崎はそう言いながら手招きをする。どうやら雰囲気的に俺に何らかの暴力が振るわれるようではないので、言われた通りベッドの横、間城崎のすぐ近くに移動する。

 「……ん」

 「……はい?」

 すると間城崎は俺の方に両手を伸ばした。俺はそれが何を意図するのか計りかねたので、とりあえずその手を取ろうとした。しかし間城崎は首を振った。どうやらこの行動は間違えているらしい。依然、間城崎の目はまっすぐ俺の目へと向けられている。

 ……ふむ、どうやらこの両手の間に俺の顔を持ってきてほしいのではないだろうか。

 そう考え顔を近づけると、さらに伸びてきた間城崎の両手に優しく挟まれ、そのまま間城崎の顔の近くに引っ張られた。

 じっと、何を言うでもなくただただ俺の目を見ている。一方俺は、一体どうしたら良いか分からず、かといってこちらも相手の目を凝視する、なんて度胸にもどうやら愛想を尽かされ逃げられてしまったらしいので、大人しく視線を俯瞰に切り替えることにした。

 上から二人を見る。黙って顔をこれでもかと近づけている二人は、まるでチューでもしているようだった。つまり、人に見せられるような状況ではないと言う事だ。たとえ篠守先生でも、だ。これ以上誤解されないためにもね。

 「……あぁ、本当に灰色だな」

 そう、間城崎が呟いたので、視点を戻した。

 目の前で微笑む間城崎の顔が、何だか悲しそうだったけれど気付かないふりをした。どういう考えでもってそうしたのか。

 残念ながら俺には分からない。

 「どうだ、綺麗だろう?」

 「……あぁ、綺麗だな」

 「やらないぞ?」

 間城崎の眉がピクリと動いた。

 「なんだ? 私だけ仲間外れにするのか?」

 「あぁそうさ。これは俺とあいつのものだ」

 気のせいか、挟んでいる両手の爪が俺の顔に立てられた。

 「ほう? そうか、そうかそうか、それはそれは、それはいいな。――ところで穂結。一つ、さっきのお前の話の中に、どうしても気になるところが、そしてどうしても早急に解決しなくてはならない点があったのだが?」

 「んー? どこかしら? 穂結分かんない」

 爪がめり込んだ。

 「確か、私の耳が確かなら、お前はその女子生徒からその心中を明かされていたようだが、どうだろうか?」

 「あぁ、目がおかしいってはな――」

 「違う」

 ぴしゃり、と俺は言葉を断たれた。

 「『……実は私――あなたが好きなんです』」

 何故だか目の前にいる間城崎に焦点が合わなくなってきた。

 「……相変わらず声帯模写がお得意なようで。思わず本人が実は間城崎だったんじゃないかと疑心暗鬼になっちまったぜ」

 「お褒めの言葉ありがたく受け取ろう。で、どうなんだ?」

 「んー? どうかしら? 穂結分かんない」

 その瞬間爪が食い込んだ。

 「……ま、まて、まてまてまてまってまってまってまっていだだだだっ! いたいっ! いたいっ! あれっ!? なんでっ!? いたくないっ!? やばいよいたくなくなってきちゃったよっ!?」

 「どうした? 黙っていないで何か言ったらどうだ?」

 「黙ってないよ!? 悲痛な叫びで訴えてるよ!? この想いよ君に届け!」

 しばらくの攻防の後、俺の必死の訴えがようやく届いたのか、間城崎はその爪を顔から抜いてくれた。

 「まぁ、確かに、暴力に訴えると言うのは実に下品で私らしくない」

 「…………」

 間城崎は居住まいを正して、俺に向かって言った。

 「クールエレガントビューティーレガシーこと、間城崎暁とは誰のことだ?」

 疑問かよ。

 「ご存じ私の事だ」

 初耳だよ。

 「だからお前もお前らしく、私には何一つの隠し事もない、それこそ今日のおかずは何にするかさえ教えるくらいの素直さを取り戻してくれ」

 「なんでお前に今日の晩御飯のおかずまで教えなきゃいけないんだ?」

 「誰もお前の今日の晩御飯のおかずなんて聞いていないぞ?」

 「何この子!? 俺の何を聞こうとしているの!?」

 「さぁ、恥ずかしがらずにさらけ出してみなさい」

 「何を!? その全てを受け入れんとする慈しみを込めた目をやめろ!」

 「……ちっ、童貞がギャーギャーとうるさい」

 「おい待て! 今小さい声でなんて言った! てめーもう一回言ってみろ! 多感な高校生男児なめんなよ!」

 「な、なんて人!? 私に卑猥なことを言わせてそれを今晩のおかずにするつもり!?」

 「お前の発想が一番卑猥だろうが! 年頃の男の子でももっと節操ある妄想するわ!」

 「キャー誰か、この人、変なんです」

 「グへへ、そうです、私が変なお兄さんです」

 「話をはぐらかすな」

 ピコッ、とどこからか取り出した間城崎四つ道具が一つ『やたら柄の長いピコピコハンマー』で何故か俺が殴られた。貴様は何大王だ。

 「えっと……今日のいて座の運勢だっけ?」

 「縁も所縁も語感も語呂も合っていない全く関係性の無いことを言い出すんじゃない!」

 「普通に怒られた!? 先にふざけたのはそっちなのに!?」

 「私はずっと真面目に話していたぞ?」

 「……興味は心身だったんだな」

 女の子だって、興味津々さ!

 「さて、御託はもうたくさんだ。どうなんだ? なんと答えたんだ?」

 どうにもこうにも、実際何も言っていないのだけれど、そんなんじゃ納得してくれそうにないし、何と答えたらよいものやら……相手は間城崎、下手に嘘をついたらとたんに見破られて怒られるなんて、まさしく火を見るより明らかだ。

 よって、撤退あるのみ。

 「……ジュワッチ!」

 その場でジャンプしてみた……がしかし、どうやらうまくいかないみたいなので、走る。

 「あ!? 待て! また逃げるのか!」

 俺はその声に振り返ることなく、先生のいない机を通り過ぎそのまま保健室を後にした。

 しかし勘違いはしないでほしい。正確には俺は逃げたのではない。そう、これは先程先生に言ったことを実現するためにやむなく会話の途中で飛び出してしまっただけなのさ。それが結果的に『逃げた』ように見えてしまっただけ。だから許せ、間城崎。

 まぁなんやかんや間城崎のところで遊んでいたから五時間目が始まってから少し経ってしまっているのだけれど、なぁに誤差の範囲さ。それに出席することに意味があるのだと誰かも言っていた。

 

 午前の様にほふく前進しながら教室に忍び込んでみると、今は英語の時間だった。前の席の方のやつが先生にあてられて英文を日本語に訳している。なかなかお上手。さすがは進学校、生徒の質の高さがうかがえる。

 そしてわが愛すべき友人立花は俺の期待通り、いい感じにくつろいでくれている。体重を傾けて椅子の後ろの二脚だけでうまい具合にバランスを取って、ぼけーっと外を見ている。

 まこと俺は良き友を持った。

 今度は床の隅に転がっていたサッカーボールを引き寄せた。それを横になったまま足元に置いて、狙いを定める。

 「……ミラクルドライブシューッ!」

 そして蹴り放たれたボールはまたもや狙った場所に吸い込まれるように飛んで行く。一度バウンドしたボールは方向を変え立花を支えている椅子の二脚のうちの一本に命中。

 「あっ」

 なんて最高に情けない声を漏らして立花はゆっくりと、しかししっかりと後頭部から落ちて行った。でも床に当たる直前、両手で後頭部を守ったのはさすがだった。ちょっと感心。

 「いぃ――でぇぇぇえええっ!?」

 突如教室内にこだました奇声にクラス中の視線が一点に集まる。その瞬間を逃さないように、彼の犠牲を無駄にしないように、俺は中腰になって自分の机まで小走りした。

 そしてあぁ、またいつものかとクラスメイトが視線を前に戻し、先生もその愚かな輩から視線を外したその時、俺は大きく背伸びをする。

 「んん? 穂結、さっきからいたか?」

 俺は眠気まなこをさすりながら、さも当然のように答える。

 「当たり前じゃないですか」

 そして先生は頭をかしげながら黒板に向き直る。

 ――ふっ、失笑もんだぜ。

 背後から感じる風深の咎めるような視線も、気が付かない振りで受け流し。何が起こったのか分からない顔をして後頭部をさすりながらキョロキョロしている立花を見ていると、危うく腹筋が十二分割してしまうところだった。

  

 「ねぇホントゴメン俺が悪かったから、だからもう勘弁してください」

 授業が終わると、立花は放たれた矢の如く一直線に俺のもとへと走ってきた。

 「おい、おいおいどうしたんだ急に? 何かあったのかい友人立花よ?」

 「ねぇ、俺なんかした? お前の嫌なこと、なんかしちゃったのかな? いいよ? 不満があるなら聞くからさ、何度でも謝るからさ、だからもう許してくれよ、俺の体が持たないよ、俺の心はもうだめだよ」

 「なんだよ、切ないこと言うなよ。俺たち友達だろ? 単なるスキンシップさ」

 「もう誰か、こいつをとめてくれー」

 と叫んだところで、急に立花の動きが止まった。いや、緩慢になった。のろのろと、さながら大量のデータを読み込み中のコンピューターが如くひどくじれったい動きで、立花は俺の顔に焦点を合わす。

 「ん? なんだよ?」

 「……お前って、そんな目してたっけ」

 さすがは親愛なる友人立花。ささやかな変化にもちゃんと気が付いてくれて俺はうれしいぜ。

 ……いや、本当に、ちょっとだけど、うれしかった。

 「……あぁ、ちょっとビジュアル系に憧れてな。そんなことより、放課後の話だけど」

 「えっ!? なになに!? ホントに誰か紹介してくれんの!?」

 切り替えの早いやつだな。

 「俺に任せておけって言ったろ? ちゃんとお前好みの子だ」

 「言ってないけどな。さっすがだぜ! ヒャッホウッ!」

 「じゃあまぁ、そういうことだから、解散」

 「アラホラサッサー」

 立花はとてもうれしそうだ。そんなあいつの顔を見るだけでこっちまでなんだかうれしくなってくるなぁ。俺は本当に良い友を持ったみたいだ。

 念のため、また何故か廊下をうろうろしている風深を見つけ、後ろから頭を押さえつけると放課後の件をもう一度伝えておいた。風深はもはや抵抗しなかった。

 「……あれ?」

 そこでもうれしいことに、風深は俺の変化に気が付いてくれた。

 「――またそーゆーことして。チョーカーと言い、カラコンと言い、そんなのがかっこいいとでも思ってるの?」

 しかも俺が言うより先に、俺が言おうとしていたことにも気が付いてくれた。なんて良いやつだ。これぞ幼馴染。

 あぁ、放課後が待ち遠しい。俺はどこでスタンバイしようか。

 選択肢その一、近くの茂み。それはそれは最高に臨場感のあるポジションだな。

 選択肢その二、あえての屋上。逆に声が聞こえない分俺の想像に拍車がかかるというなかなかにマニアックな選択だぜ。

 選択肢その三、思い切って風深の隣。……やばい、最高に面白そう。しかし立花がためらう可能性がある、リスクが大きすぎるポジションでもあるな。

 くそぅ、放課後が楽しみでしかたないぜ~。

 

 そして待ちに待った放課後。結局、俺は屋上という超上級者向きのロケーションから眺めることにした。

 その事の顛末はおおよそ予想通りだった、しかしそこに至るそのプロセス、そこにこそ、この行為の目的があり、真実があると、俺は声を大にして言いたい。ここでは本人の尊厳やら個人情報うんたらかんたらのため細小を述べることは残念ながら控えさせていただくものとする。がしかし、実はそれこそ、『超』上級者の楽しみ方なのである。花がとてもきれいだから外に見に行くのではなく、あえて室内にこもったかの偉人のように、その一部始終を見て楽しむのではなく、すべての材料をそろえ、あとは己が想像力によってそれらを結び付け、紡いでいく。

 しかしこれだけではさすがに物足りなさすぎる。だから、簡潔に事のいきさつを語ろう。

 「俺と……付き合って下さい!」

 と、どこからの入れ知恵か、立花は鉄棒を使い世にも奇妙な告白を成し遂げた。

 「…………」

 だがしかしその次の瞬間――正確にはその告白を聞き後ろを振り返ったその女子生徒の顔を確認した瞬間――その場の空気が凍りついた。

 そう、まさか自分が告白した相手は、ついこの間告白して、しかも手痛くフラれたその人物本人だったのだ。その件について知っている人はほとんどいない。だがそのごく限られた人には、この状況は抱腹絶倒、いやむしろ抱腹卒倒以外の何物でもなかった。まさかそうとは知らずに一度フラれた人物にたいした間も開けず世にも奇妙な方法で再び告白してしまったのだ。

 そして立花は、その場に崩れ落ちた。

 そこに追い打ちをかけるように、女子生徒からの武藤もびっくりの閃光魔術が顔面に炸裂した。吹き飛ばされ、倒れたまま動かない立花。もちろん、ここからでは距離的に立花の表情を判断することはできない、だから想像のしがいがあるのだ。

 彼は今、一体どんな表情をしながら校庭に倒れているのだろう。

 真っ白に燃え尽きることはできたのだろうか?

 はたまたまだ未練という名の火がくすぶっているのだろうか?

 だとしたらのその想いはどこへ行くのだろうか?

 この茶番を仕組んだ俺か?

 はたまたまんまと引っかかった自分か? 

 だっはっは~これだからあいつの友達はやめられないぜ。

 しかしこの愉快にはなかなかのリスクが伴っている。今のことで言うなら、俺はあとで立花と風深二人からシバかれる可能性がある。あんまり頻繁にするのは良くない、俺の体力的にも、関係的にも。何事もほどほどが一番だ。

 蕪木立花。そのやんちゃな外見とは似ても似つかない繊細な内面を持つ男。誤解多き人間。こんな仕打ちをしても次の日にはまたいつも通りの大きな声で俺を呼ぶ、この学校で初めての友人。やつに救いは訪れるのだろうか。

 残念ながら俺には分からない。

 さて――

 「……ふあ~」

 ――や、やばい、一件落着と同時に緊張が解けて一気に眠くなってきた。体がだるい。頭が重い。

 ああ、できることならこのまま横になって眠ってしまいたい。

 でも今ここで寝てしまうと、俺がいることが気付かれずに屋上の扉に施錠されてしまう可能性がある。実際一度体験済み。

 「ちょっと、一大事ですよこれ」

 さっきまでなんともなかったのに、急に眠気が襲ってきた体はもうほとんどいうことを聞かない。まぶたは勝手に閉じようとするし、焦点も定まらない。足取りもおぼつかないから、壁に手をついて歩かないと簡単に倒れてしまう。しかもこの感じだと一度倒れたならもう立ち上がるのはほぼ不可能だ。

 「……くそう」

 景色がぐるぐる回っていやがる。階段の一段一段を下りるのもとても怖い。踏み外したら冗談では済まない。

 俺は通常保健室に向かう時の何倍もの時間をかけて、壁や手すりにつかまりながら歩くことでなんとか保健室までたどり着いた。この時ばかりは四階にあってくれてありがたいと切に思った。もし一階にあったならとかんがえると、ぞっとしない。

 俺は残された力でなんとか扉を開ける。

 先生はまだいなかった。ここから先は支えるものが無い。まるで映画に出てくるゾンビのようにふらふらと、身体が前に倒れる勢いでどうにか前に進み、今にも倒れそうなところでかろうじて足を出しなんとか体を支えた。

 そして俺は、先生の机を通り過ぎそのままカーテンの向こう側に入った。

 「おぉっ!? ……なんだ、びっくりさせるな」

 間城崎はベッドの上で本を読んでいた……のだと思う。相変わらず焦点は遠くへ近くへ行ったり来たりしている。おかげで間城崎の様子はおろか遠近感もつかめず、目的のソファが遥か彼方にあるようだ。

 辛い、辛い、早く、早く横になりたい……

 頭の中にあるのはこの言葉だけだった。

 しかし突然の来訪で驚かせた間城崎に対し何か言わなければとも思ってしまう俺、律儀か。

 まるで誤って強力入れ歯安定剤を塗りたくってしまったようにくっついてなかなか離れない上唇と下唇をどうにか開き、言葉を発する。

 「……わるい……ねむい……」

 しかしどうにか出てきた言葉は、あまりにも少なかった。

 別に会話をするのが億劫ってわけじゃない、これが精一杯なんだ、分かってくれ間城崎。

 そう、こんな時理解ある友は大変助かる。間城崎はそれ以上何も聞かなかった。

 ただ、ベッドの真ん中から少し横にずれて人一人が入れそうな空間を開けて俺のことを見ているのは、特別何にも意味はないと俺は解釈することにした。俺がそのまま目の前のソファに向かっている姿を見て、間城崎が小さく舌打ちしたような気がしたのも、きっと気のせい。

 倒れるように――否、言葉通り倒れてソファに横になった俺は、今まで寝ないようにとピンと張りすぎて今にも切れてしまいそうだった緊張を一気に解いた。


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