最後の晩餐
お題
タイトル固定:最後の晩餐
内容固定:料理
「さあ、今日で彼とお別れだから、腕によりをかけて作ってあげなきゃ」
袖をまくって気合いを入れる。今日で会えなくなってしまうという寂しさもないわけではないのだろうが、それ以上に思いを込めた料理を出すということにかける情熱の方が、今は上回っているようだ。
てきぱきと作業をこなしていく様は、たしかに気合いがこもっていて、どこか鬼気迫るものを感じさせる。
彼女――瑛子は、今、ある一人の男性の為に料理を作っている。その男性というのは、彼女と四年間付き合ってきた聡介である。
今日で瑛子は聡介に別れを告げる。その理由を私は知らないのだが、大人になり、経済的にも余裕がある身でありながら会えなくなるということになると、聡介が海外へ行くなどのようなやむにやまれぬ事情があるのだろう。そう考えれば、瑛子の気合の入れようもうなずけるというものだ。
瑛子は一つの小瓶を取り出した。そこには白い粉状のものが入っている。
「これこれ。これがないと」
瑛子はうれしげにその粉を鍋に投下した。
塩の類と思われるが、それにしては瑛子の得意げな表情が気になる。もしかしたら彼女の秘密兵器なのかもしれない。から揚げにかける塩とか、ラーメンのダシの秘密とかそういう類。
ぐつぐつの煮える鍋からはおいしそうな香りが漂ってくる。この香りはクリームシチューだろう。
瑛子の作るクリームシチューは絶品で、友人たちからの評判も良い。たしかに、これを聡介を送る料理として出すのはいい考えだ。聡介も瑛子の作るクリームシチューが好物だったはずだ。
出来上がったクリームシチューの鍋に蓋をして、瑛子は電話をかけた。相手は聡介であることは間違いがない。
「聡介? うん。そう……だからお願い。うん……待ってるからね」
なぜか、瑛子の表情に違和感を覚えた。
聡介がやって来たのは夜の九時ごろだった。
聡介は瑛子が持ってきたクリームシチューを見て、本当にうれしそうに笑った。
「どうしたんだ、いきなり。あらかじめ言ってくれてたら、もっと早い時間から予定を空けていたのに」
「ごめんね。なんとなく、食べてほしくなったんだ」
「そっか。でも久しぶりだな、瑛子のシチューを食べるの」
聡介はそう言って一口食べた。
「うん! やっぱりおいしいよ!」
聡介は満面の笑みで瑛子の方に向いて、そこで表情が固まった。
「そ。ねえ、裕美さんの料理とどっちがおいしかった?」
全く笑っていない瑛子の表情には、感情がなく、あたかものっぺらぼうのような雰囲気を発していた。対する聡介からも血の気が失せていく。
「な……瑛子?」
「ねえ?」
瑛子の表情は変わらない。
「うぐっ!」
突然、聡介が苦しげに呻いて喉と胸を押さえた。
「あがぁ……ぐぅううぅぅ」
「ねえ? 聡介。どうなの? ねえ、どうなの? どっちがおいしい?」
やがて聡介から漏れる呻き声も聞こえなくなり、部屋を満たすのは優しいクリームシチューの香りと瑛子が呪詛のように呟く「ねえ?」という声だけだ。