アイディアが来い!
お題:小説家
勢いで書いた記憶があります。
どうしてこうなった?
新人賞では大賞を獲得し、編集からは絶賛され、売れ行きも絶好調。
なのに。
どうしてこうなったのだろう。
「文章の神でも降りてこないものかね……」
できれば女の子がいいなぁ、とか馬鹿なことを考えながらマウスホイールを回す。
ディスプレイに映し出されているのは、才能の無駄遣いによって生み出された映像作品たち。俺の小説の原点はここにある。
「つっても、ちょっとマンネリだよな」
ということでゲームを起動した。これは俺のアイデアの宝庫だ。
本を読む。
外を眺める。
目を閉じて夢想する。
やっぱりだ。
どうしてこうなった。
「降りてこい! 小説の神ぃ!」
叫んでみたところで、そこにあるのはむなしさだけ。
神なんて一向に降りてこない。
そう。
俺、水月こと木崎洋二は、新作のアイデアが浮かんでこないのだった。
俺のデビュー作『黒い果実』は、全十三巻という歴史に、先月幕を閉じた。本来なら、すでに新作の原稿のひとつやふたつは連載になってたって問題ないはずだが、俺は新作のアイデアがひとつも浮かんでこない。
アイデアは使い果たした。
『黒い果実』の連載により、俺のアイデアは底をついた。連載中だってかなりヤバかった。
毎日、朝から晩まで起動されているパソコンの文書ソフトには、一文字も記入されていない。たとえ一文を打ち込んでも、気に入らなくてすぐに消してしまう。
「あー、もー、神ぃ!」
だから、俺がこうやって現実から逃げるのも仕方のないこと――だと思いたい。
だからといって、だ。
「お前、誰だよ」
俺の目の前には、ゆるみきった表情の女の子が座っている。ほわほわとしていて、座り方だって、初対面の人間に対するものではない。
インターフォンが鳴ったので、ドアを開けるといきなり駆けこんできたのだ。
「えー、呼ばれたから来たんですよぅ」
女の子は少し拗ねたように言った。ちなみに、ぼくはこんな女の子に知り合いはいない。
「俺はお前みたいな知り合いいねえよ。あれか? 新手の詐欺か何かか?」
「だから、あなたに呼ばれたから来たんですってば。えーと、お名前は?」
知らねえのかよ!
「木崎」
「名字なんて聞いてませんよぅ。お名前聞いたんです」
「洋二」
答えてやると、女の子はうれしそうに笑った。
「はい、では洋二さんはーどうして嘘をつくんですか?」
「俺がいつ嘘なんか言ったよ」
お前なんて知らないって! むしろ嘘をついているのはこの女の子のほうだ。
「ずーっと、嘘ばっかりですぅ。わたしを呼んだくせに呼んでないなんて言うし」
まだ言うか。
「だから、呼んでない」
「よくよく思い出してみてくださいよぅ。あなたはわたしを呼びましたよぅ」
女の子があまりに本当っぽく言うので、俺は少しだけ思い出してみることにした。
「まず朝起きて――」
「そこからですかっ!」
ほわほわした顔の女の子は、意外なほど迅速なツッコミをした。
「え? あ? 思い出すつったら朝からだろ」
「昼からでいいですよぅ」
ったく、なんだってんだ。
「飯食って、パソコンの前に座った。小説を書こうとしたが、アイデアが浮かばす、動画とゲームに逃げた」
「逃げた先はそこだけじゃないですよぅ」
「本を読んだ。外を眺めた。目を閉じて夢想した」
「もうひとつ、思い出してくださいよぅ」
もうひとつ?
……――っ!
いや、まさかな。
目の前の女の子に目を向ける。
ほわほわとした表情。
弛緩しきった緊張。
穏やか過ぎて、逆に腹が立ってきそうな雰囲気。
まさか、なあ。
「おやおや、思い当りましたね?」
「俺は信じないからなっ!」
こんなラノベみたいなこと、信じられるかっ!
「ほぉーらぁー、駄目じゃないですかぁ、その表現は甘いですよぅ」
「それなりにうまいのに、どうしてそんなに平凡なアイデアしか出てこないんですかぁ?」
「あれれー、どうして消しちゃうんですかぁ?」
「もっと……」
「ここは…………」
「……ですぅ」
「うるさいよ!?」
どうしてさっきからこんなにアレやコレやと言われなくちゃいけないんだ!
「洋二さんが信じてくれないからですよぅ」
「うるさいっ! 俺はお前が文章の神だなんて信じない!」
怒鳴りつけ、俺は打鍵に集中する。
不思議と、さっきよりも文章がスラスラと頭に浮かんできた。
「というような構成の小説を書きたいんだけど」
「うーん、その手の作品は結構見るからねえ。でも、作家さんの意思を大切にしようかな。『黒い果実』が成功したんだし、次の作品も君の力を信じてみるよ」
担当の川村さんは穏やかに微笑んだ。
「ありがとうございます!」
やっと……新作が出せる!
「穏やかな顔して寝てましたけど、まだまだ一文も書けてないんですよ? 寝てる場合じゃないんですよぅ」
なんだ、夢か。幸せの絶頂のような夢だったぜ。そうだよな、俺にはまだ新作の構想もできてないんだった。
「新作の連載を始める夢を見た」
「だったらさっさと文章を書いてくださいよぅ」
「駄目だ。俺、思いつかねぇ」
「わたしの存在を信じてくれたら力を貸します」
「はいはい、子どもは黙っててな」
とはいえ、猫の手も借りたいというのもまた事実。ここはひとつ、信じてみるのもいいかもしれない。
「よし、わかった。俺は今からいくつか質問をする。正直に答えてくれ」
女の子は自信満々の表情でうなずいた。
「ええ、わたしは嘘をつきませんよ。これはフリじゃないです」
胡散臭くなった。
まあ、いいか。
「名前は?」
「名前はありません」
「じゃあ、お前は文章の神か?」
「違います」
「アイデアの神か?」
「違います」
「何かの神か?」
「そうですよ」
「なんの神なんだ?」
「死の神ですぅ」
にやり、と女の子は笑った。
死んだ魚のような目だった。
「うおおぉぉおおおお!」
死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!
って、あれ?
「どうしたんですかぁ?」
ほわほわとした表情の女の子が、少しだけ心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「お、おま、お前、お前は死神かっ!」
「えっ! 違いますよぅ! 寝ぼけないでくださいよぅ! わたしは小説の神の見習いですってば」
何度言わせるんですかぁ? と自称神さま見習いの女の子が言った。
「そ、そうだよなぁ」
「はいっ」
打鍵に取り掛かる。
「ここ、どうしたらいいと思うよ」
「そうですねぇ」
頭の中に膨大なイメージがあふれてくる。あらゆる状況、進行パターンが、そのイメージの中にあった。
「なるほど、な」
頭からこぼれそうになるほど、俺の中にはイメージが溢れている。これがあれば、俺は超売れっ子小説家になれるぜ!
ひゃっほう!
「ここで、主人公は言うわけだ。『あんたの身長があと三センチ高かったら、あいつに殺されてたぜ? あいつは自分より身長が高い奴が許せないんだ』」
「その『あいつ』って人は人間やめたほうがいいですよぅ」
「破たんしたキャラを今回は書きたいんだよ」
スラスラと。
自分とは思えない速度で原稿が出来上がっていく。
締め切りなんて、これからは気にしなくてもよさそうだ。
目覚めた俺は、出来上がった原稿を編集に送ろうと文書ソフトを起動して絶句した。
あれ?
最悪の状況が頭に浮かび、カレンダーを見る。
「は、はは……」
やべぇ!
全部夢かよっ!
「くそっ! 小説の神なんているわけないんだぁあああ!」
今日はたしか担当から電話があるはず。それまでには書かないと!
なんとなくだけど、夢で書いた小説の内容は覚えている。
相当性格の破綻したやつが出てきたはずだ!
最後の悪あがきをする俺の耳に、終わりを告げる音がした。
「ほら、こういう風に書けばお前の存在が本当だってバレないだろ?」
「そうですねぇ。じゃあ、それで出せばいいんじゃないですかぁ?」
「なんだよ、つれないな」
「だって」
女の子は残念そうに、憐れみを含んだ目で俺を見た。
「これも夢ですから」
「…………」
目を開ける。
「現実逃避しすぎだな、こりゃ……」
うん?
これ、完璧じゃねっ?!
難しく考えすぎていた。別に整ったストーリーを書く必要はない。
作中作の中の作中作、そして夢落ち。
案外、俺に小説の神が降りたのかもしれない。