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僕が勇者に負けるまで

作者: 紺桔梗
掲載日:2026/03/11




1、いつも




いち


きょうはじをおしえてもらいました。

おべんきょうになるから、にっきをかくのがしゅくだいです。

のてぃあはほんをよんでくれます。

ありあのうたはたのしくなれます。

ぼくがいっしょがいいというと、みんないっしょにねてくれました。

まえは、くらいよるがとってもこわかったです。

さむくて、だれもいなくて、ずっとひとりだったから。

でもいまは、よこをみれば、えどとあれすのかおがみえます。

うれしかったです。もう、よるはこわくありません。




20にち


にっきをまいにちつづけられて、えらいとほめてもらいました。

にんげんは、ぜったいにわすれたくないたからものを、もじにしてのこすって、ノティアがいいます。

ぼくも、みんなとのまいにちをわすれたくないから、ずっとかきつづけます。

ぼくはえらい。やったね。

おいわいに、きょうはいつもよりごうかなごはんです。

じゃがいもがたくさんあります。とまとまであります。

またエドにぜんぶだべられないかしんぱいです。

エドはいつもたべすぎます。

だからアレスにおこられます。わるいこです。

かなしそうだったので、エドにぼくのぶんもわけてあげようとしたら、なぜかぼくまでおこられました。




53日


きょうもいつもどおりの日でした。

アリアのうたでみんなおどりました。

ひさしぶりの外で、レムナもうれしそうです。

ぼくのあたまに、きれいなお花をのせてくれました。

アレスとエドはまたけんかをしていました。

わるい子なので、ノティアにおこられます。

でも、ぼくはみんなのことが好き。

アレスは、ぼくがころぶと、だまっておおきなせなかにのせてくれます。

エドは、じぶんのおやつをはんぶんこしてくれます。

いつもいじわるなバルだって、さむい日はだんろのいちばん近くをぼくにゆずってくれます。

みんなのこと、ぼくはしっています。




107日


今日はたのしい日でした。

さいきん、アリアのうたに言ばが入りました。

子もりうたというそうです。

わすれじ、ゆきの日を、わたしはまだおぼえてる。

かえせない、あの時の、このちをあなたに。

だったかな?

むずかしくて、ぜんぶは分からないけど。

ごはんを食べよう、いっしょにねよう、って、やさしくうたってくれます。

バルはごはんを作ることをがんばっています。

むずかしいりょう理にちょうせんするそうです。

トマトをにこむのだと言っていました。

ぼくはよこで、いっしょにお手伝いをしました。

しおとさとう?を入れました。

できあがったりょう理は、なぜか苦かったです。

でもエドがぜんぶ食べました。きょうはアレスがおこりませんでした。

今日のエドはわるい子じゃないそうです。

ノティアはいつもどおり本をよんでいます。

みんなでよこにならんで、いっしょにねました。

アレスがうでまくらをしてくれたので、あたまがいたくなかったです。




2月1日


今日の天気はくもり。

ひさしぶりに外に出ると、たいようの光がまぶしいです。

今日は2月1日と言うそうです。

1日には決まった曜日があって、30日ごとにちがう月にかわるらしいです。

ノティアがおしえてくれました。

それで、今日は1日。月がかわって初めての日だって分かりました。

ちょうどいいから、今日から日記を月と日でかきます。

アリアに見せたら、ほめてくれました。

ぼくはえらいそうです。うれしいな。

ごほうびに子守うたをうたってくれました。

きれいでやさしいうたごえです。

つむがれた、ねがいは、おわりを知らぬまま。

ゆきともにとけてく、あさやけにかがやいて。

まだ、さいごまできいていたかったのに。

きいていると、いつの間にかねむってしまいました。

アリアはすごい。




8月22日


朝、こわいゆめを見て、目がさめてしまいました。

でもアリアが気づいてくれて、頭をなでてくれたんです。

だから、もうこわくありません。

今日の天気ははれ。

青空がきれいなので、おせんたくをしました。

レムナといっしょに川で服をあらいます。

ぼくがレムナに水をかけたら、レムナに水をかけられました。

着ていた服までびしょびしょになったので、ノティアにおこられました。

けど、楽しかった。次ははだかでやろうねってレムナとやくそくしました。


あとは、みんなでしゅぎょうをしました。

色んなところにかくれて、相手を見つけます。

アレスは弱かったです。かんたんでした。

バルはいつも強くて、木の後ろにかくれるのがとく意です。

でもだれもノティアを見つけられなくて、夜までさがしました。

そしたら、家にいたんです。

次は負けません。




7月4日


今日の天気は雨。

勇者さまという人がいるそうです。

ノティアが読んでくれた本に、書いてありました。


キラキラのメダルをつけて、おそろいの服を着た人たちといっしょです。

悪いてきにかって、国をすくったえいゆうなんだって。

こまっている人を助けてくれる、すごくて強い人らしいです。

とっても強いってアレスも言ってました。


ぼくがアレスの方が強い?と聞いたら、こぶしで頭をこづかれました。

当たり前です。アレスの方が強いに決まってます。

毎日しゅぎょうをがんばっているんです。

アレスが負けるわけがありません。


今日はみんなお家なので、バルも料理をはりきっています。

スープ?を作るそうです。ぼくもいっしょにじゃがいもをつぶしました。

バルが息をふきかけると、火がよくもえてすごいです。

出来あがったスープは、とっても美味しかったです。

何でも食べるエドも、お皿まで食べそうなくらい、大まんぞくでした。

また食べたいな。


夜はみんなで、手をつないでねました。

ぼくはずっとみんなといっしょがいい。

今日も明日もあさっても。いつも通りが一番です。








2、悪いひと





9年 3月15日


今日の天気はくもり。

今年は9年と言います。

ぼくも今年で9才になります。

キリが良いので、今日から年を入れることにしました。


うん、とても分かりやすい。

これならだれが見ても、一目りょうぜんですね。

へへ、習ったばかりのむずかしい言葉が使えて、うれしいな。


そういえば、最近、ノティアがあまり本を読んでくれません。

木の上でむずかしそうな本をながめて、うーんとうなっています。

何の本か聞いても、教えてくれませんでした。


でも、ぼくはいつまで早くねなきゃいけないんでしょう?

こんなに大きくなったし、この前はノティアに初めてしゅ行で勝てたのに。

まだダメなんです。

早くにねないと大きくなれない、とバルが言います。

でもぼくは知っています。

エドだってたまに夜ふかしをしているんです。

夜、外に出て行くところを見ました。


一人だけずるい。

エドの事だから、こっそりおやつを食べているんじゃないかと思います。

ぼくにも分けてくれたらいいのに。




9年 7月12日


今日の天気は雨。

雨が降ると、レムナはいつも外でじっと立って、空を見ています。

ぼくもまねして横に立ってみたら、レムナが大きな葉っぱでカサを作ってくれました。


自分がずぶぬれなのに、レムナはぼくがぬれないようにしてくれます。

少し手が冷たかったけれど、とてもうれしかったです。


あと、ぼくも早く大きくなりたかったから、エドのまねをして今日はご飯をたくさん食べました。

でも、すぐにおなかがいたくなって、ノティアに苦い薬をもらいました。

やっぱり、ぼくはエドみたいには食べられないみたいです。




10年 9月7日


今日は大変でした。

昨日の夜、修行に行っていたアレスが、血を流して帰ってきたからです。

ノティアが一日中、がんばって治りょうをしてくれました。

あんなに強いアレスがふらふらで、見たことがないほど苦しそうでした。


……許せない。きっと悪い人にやられたに決まっています。

だれにやられたのか聞くと、アレスとバルが答えてくれました。

鉄のぼうを持った、群れで動く“たち”の悪いやつらだそうです。


よってたかっていじめるなんて、ひどい。

今度家の近くに来たら、みんなでたい治してやります。

今日からぼくはがんばるのです。

たく山たく山修行をして、アレスよりも強くなりたい。


ふと、昔読んでもらった絵本を思い出しました。

勇者さま。キラキラ光る“けん”でこまっている人を助ける、とっても強い人のお話。

アレスよりは弱いけど、ぼくがその分強くなれば良いですよね。


だからぼくは今日も早くねます。

早くねれば、その分大人になれるから。


ぼくは絶対に早く大きくなって、みんなを守る、勇者さまになってみせます。




10年 12月30日


今日の天気は雪。

最近は外がとても寒いです。でも、ぼくは勇者さまみたいに強くなるために、こっそり雪の中で走る練習をしていました。


そうしたら、無理をしすぎて、かぜをひいてしまいました。

ノティアにひどくおこられて、ベッドに寝かされます。


アリアが、大きな毛布でぼくをくるんで、ぎゅっと抱きしめてくれました。

ずいぶん大きくなったわねと、アリアが少しだけ寂しそうに笑います。

昔はすっぽりうでの中におさまっていたのに、今は足がはみ出してしまうからです。

少し大人になれたみたいで、ぼくはほこらしい気持ちになりました。


アリアはそんなに急がなくてもいいのよと、ぼくの頭をゆっくりなでてくれました。

どこか昔より、小さく感じる温かい手。


でも、子守唄をうたってくれるアリアの優しい声は、あの日のままです。


ぼくが大人になって、勇者さまみたいに強くなっても。

ずっとずっと、こうして子守うたを歌ってほしいな。

そのために、ぼくがみんなを守るから。


朝、布団に残されていた手のあとを見て。

やっぱり早く大人になることを、ぼくは心の中でやくそくしました。





てい国歴11年 6月19日


今日の天気は晴れ。

良い天気だから、レムナとアリアとぼくで洗たくをしました。

レムナは、いい加減洗たくにはあきあきだ、とよく言います。

でも、どうせのどがかわいて川に水を飲みに行くんだから、いっしょです。

いつもより早く終わったので、木の枝の“けん”で、少しだけ勇者さまの練習もしました。


家に帰ると、バルがとっても美味しそうな料理を作っていました。

何だと思いますか?

熱々のチーズがなべいっぱいに入っています。

それを、パンにひたして食べるのです。


みんな大喜びで、エドなんかいつも以上に食べてしまいました。

またアレスにおこられています。

でも、あんなにたく山のチーズ、どこからもらってきたんだろう?



追記

ノティアがこの前読んでいたむずかしい本には、今年は「てい国歴11年」だと書いてありました。

てい国ってなんでしょう。なんだか、格好良いひびきです。








3、幸せ





帝国歴12年 5月25日


晴天。

今日は僕の誕生日でした。

今まで知らなかったけれど、普通は誕生日を祝うものなんだそうです。

誕生日というのは、生まれた日のこと。ノティアが本で見つけました。

みんなも初めて知ったようで、僕に謝ってくれました。

僕だって、これまでみんなの誕生日を祝えてないんだし、別に良いのに。


僕の本当の誕生日が分からないので、今日にしました。

みんなでささやかな誕生日パーティーです。

ケーキの上のろうそくに火を灯して、ふぅーっと吹きました。

そういえば、あの時見たのもこんな風景だったかも。


ゆらゆらと揺れる、ろうそくの明かりに照らされて、みんなの笑顔が見えます。

僕たちは久しぶりに一緒に横になって、手を繋ぎました。

暗い暗い夜の森の中、開けた上空には満点の星空。(※満点ではなく、満天ですね)


みんなで見上げた夜空は、これ以上ないほどきれいでした。




帝国歴12年 10月30日 曇天


みんなの誕生日が近いので、今日は初めて街に出てみました。

誕生日プレゼントを探そうと思ったのです。

でも、半日ずっと歩き続けたので、街に着く頃にはお腹が空いてしまいました。


街の人たちは、そんな僕にご飯を食べさせてくれました。

「よく無事だったなあ」「怖かっただろう」と頭を撫でます。

一人は怖かったけど、勇気を出して来て良かったと思いました。


けれどおかしいですね。

この街では、森にいる恐ろしい“魔族”が、時折食べ物を盗んでいくんだそうです。

「あんな化物たち、早く全部死ねばいいのに」と、パンをくれた優しいおばさんが、怖い顔で言いました。ぼくは何だか怖くなって、走って逃げてしまいました。


森には僕たちしかいないはずなのに。

盗むってなんだろう。悪い事ですよね。辞書に書いてありました。


でも、もう心配はいらないと言われました。

“帝国軍”が来て、魔族を討伐してくれるらしいです。


息を整えて広場に出ると、バルが欲しがっていた、新しい鍋を見つけました。

お金がなかったので、結局プレゼントは買えなかったけど。

「それが欲しいのかい?タダではあげられないけど、また今度おいで。店を何回か手伝ってくれたら、これは君のものだよ」っておじいさんが言ってくれました。


本当かな、いっぱいお手伝いをして、バルに鍋をあげたいな。

キラキラと光る街灯に、優しい人たち。

初めての街はすごくきれいでした。


なのにどうしてだろう。

嫌な胸さわぎがします。






帝国歴12年 11月3日 雨天


あれからずっと考えました。

僕たちが食べていたチーズとパン。

バターとチーズは牛から取れます。でも僕たちは牛を飼っていません。


お金だって、僕たちは持っていないのです。

街ではお金がないと、何も買うことは出来ません。

僕がみんなへの誕生日プレゼントを、あげられなかったように。


じゃあ、どうやって食材を手に入れたのか。

みんなが盗んでいたのです。

あの日、アレスが怪我をして帰ってきたのは、盗まれないように街の人たちが戦ったからなのでしょう。


僕が、お腹が空いたと言ったから、みんなが泥棒になってしまったんだ。

街の人だって、優しかったのに僕のせいで酷い目にあった。


アレスをーーみんなを傷つけたのは、僕だったんだ。


もう、ご飯を食べたくない。ごめんなさい、みんな。





帝国歴12年 11月6日 晴天


僕が食べ物を食べなくなってから、今日で3日経ちました。

エドやバルが心配して、家の中は大騒ぎです。

すると、ノティアが僕に優しく教えてくれました。


「これからは外から持ってくるのではなく、自分たちで種を植えて育てましょう」


そうか! 自分たちで作れば、泥棒じゃない。

僕はポロポロ泣きながら、冷めたスープを全部飲みました。

バルが作ってくれた、もう苦くはない、優しい甘さのトマトスープを。


「そうと決まれば、もう森の浅いところにはいられません。もっと奥の、土壌がいいところへ引っ越しましょうか」


僕たちはノティアの提案で、引っ越すことを決めました。

さらにもっと深く。これなら、泥棒をすることも出来ません。

さすがノティアですね。僕の、世界一のお姉さんです。





帝国歴13年 1月2日


引越しからずいぶん経ちました。

一から家を作るのはとても大変です。

しばらくはどうくつの中で暮らして、太陽が出るたび木を切り倒しに行きました。

みんなで泥だらけになって、傷だらけになりながらも、毎日。


冬の寒さも、僕たちには敵わないようです。

汗が滝のように流れて、薄い服を濡らしても、僕たちは絶対に止めません。

アレスはここぞとばかりに、じまんの拳を振るっています。


「歌おう この日々を

食べよう 笑いながら

寝よう 咲こう その隣で

一緒に いつまでも」


僕はアリアの歌を歌いながら、精いっぱい土を耕しました。


あれから、夜の勉強が出来なくなってしまったけれど。

かまいません。きっと、いつか出来ますから。

ノティアはとても賢いので、ろうそくの作り方も知っているはずです。


爪先に入り込んだ土の香り。みんなで作った、ささくれた木の骨組み。

ぺこぺこのお腹も、ボロボロの手も気になりません。


もうすぐ、念願の畑が完成するのです。

ようやく。やっと。

僕たちは幸せになれる。



――これで、人間と争わずにすむ。








4、頼むから




帝国歴13年 1月11日 晴天


今日、やっと畑が出来上がりました。

今まで貯めておいた、植物の種を植えていきます。

あの日食べたトマトの種も、柔らかい土に埋めました。


とてもお腹が減っているけれど、ジャガイモはそのまま植えるので、食べられません。

深く掘った穴にジャガイモを入れて、大事に大事に、土を被せました。


もう、これが最後の一個。

残っていた食料は、もうありません。


最近、エドはめっきりご飯を食べなくなりました。

我慢できなくなったのか、アレスとエドの二人で食料を探しに行くことが多いです。


「今日は遠くまで狩りに行ってくる」


アレスは僕の頭をなでて笑いました。

僕が痛いくらい、強く強く抱きしめながら。

突然の事におどろいて、されるがままになっていると、ゆっくりとアレスがぼくからはなれます。そのまま彼はエドに向かって、アゴをくいと傾けました。


「美味しいもの、沢山持って帰るから。この手がいっぱいになるぐらい」


かけ寄って来たエドはお腹を鳴らして、ぼくの手を握りしめました。

どうしたんでしょう。いつも元気なあのエドが、震えるなんて。




帝国歴13年 1月18日 曇天


あれから一週間が経ちました。

まだ、アレスとエドは帰って来ません。


でも、僕には分かります。

きっと久しぶりに美味しいものを見つけて、舞い上がっているんです。

どうせどっちが多く食べるか、またケンカしてるんでしょう。


まったく、兄さん達は自由だなあ。

あと数日待てば分かります。

そろそろ飽きる頃だから。

目を閉じると、アレスの傷だらけの大きな背中と、エドのぽっこり出たやわらかいお腹が浮かびます。

帰ってきたら……。

沢山食べてるだろうから、エドの口から少しだけのぞく、白いキバをみがかないと。



帝国歴13年 1月23日 雨天


帰ってこない。

外で音がするたびに窓を見るけど、風が吹いているだけ。

帰ってこない。あの大きな足音も聞こえない。



帝国歴13年 1月27日


帰ってこない。

帰ってこない。

ずっとドアの前で待ってるのに。

帰ってこない。

帰ってこない。




帝国歴13年 2月4日


帰ってこない。


お腹が空いた。




帝国歴13年 2月16日


ノティアが鳥を取ってきてくれた。

バルが喜んで、温かい鳥のスープを作っている。

久しぶりに使う石の釜から、とても良い匂いが香ってきた。(※その釜は窯の方です)


今日は鳥肉のスープもある。

水と草だけじゃない、本物のスープだ。

僕たちは少しずつ皿に取り分けて、席についた。


6人分。


数を間違えた。

あの二人は、まだ帰ってきていないのに。



帝国歴13年 2月23日


ノティアがいない。

外に探しに行こうとすると、玄関に沢山の鳥が落ちていた。

僕たちがしばらく生きていけるくらいの、ものすごい量だ。

どういうことだろう。


ノティアはどこに行ったの?

そろそろあの大きな片っぽの羽を、きれいにといてあげないといけないのに。歩いて探せるはん囲では、白い羽根一つ見つけられなかった。


誰も答えてくれない。

バルだけ、楽しそうに笑いながら料理を作っていた。

残りは干しておいて、いつでも食べられるようにするらしい。


おかしい。最近、妙に眠っている時間が多い気がする。

どうしてだろう?


眠っちゃダメだ。起きて待ってなくちゃいけないのに。

目をこすっても、ほっぺたをつねっても、目を開けていられない。


分からない。



帝国歴13年 3月1日


みんながご飯を食べなくなった。

今日の昼、バルは外に出かけて行った。

なんでも、レシピ本に書いてあった、珍しい食材が森にあるかもしれないと言うのだ。


僕の分の食事だけ、何日分も作っておいて?


僕はバルのエプロンを強く引っ張って、行かないでと言った。

お腹は空いてない、食材なんていらないから、ここにいてって。

でもバルは、困ったように僕の手をほどいて、いつものように意地悪く笑っただけだった。


信じられない。

これは絶対に、普通じゃない。

何かが起きている。

そしてそれを、僕だけが知らない。


なんで?

どうして?

帰ってきてよ。


もうすぐ、畑の野菜が取れそうなんだ。

あんなに頑張って、作った畑じゃないか。

どうして食べに帰ってこないの?


やっと人から盗まなくても良くなったのに。

エドだって、満足できる量があるのに。


帰ってきてよ。

一緒にご飯を食べてよ。

僕の前でケンカしてよ。


寂しいよ。




帝国歴13年 3月3日


僕は残り少なくなった、冷たいスープを一口飲んだ。


……甘い。


バルの料理は、いつから美味しくなったんだっけ?

昔はよく、砂糖と塩を間違えていたし、なぜか全部苦かった。


なのに。砂糖も使っていないスープは、とても甘くて。

冷たいのに、心が温かくなった。

バルのツルツルした頭をなでて、お料理上手だねって、直接言ってあげたいのに。


なんで? どうして?

父さん。せっかく美味しく作れたのに、どうして僕が食べるのを見てくれないの?

みんなは、なんで一緒に食べてくれないの?



帝国歴13年 3月


いない。

眠い。

いない。

帰ってこない。

みんなはどこ?




帝国歴13年 3月


レムナが川に洗濯に行って、帰ってこない。

そういえば、畑の周りに、強い根っこの柵を作ってくるとも言っていた。

動物が入ってこないようにだって。


何をしているんだろう。

今日も雨なのに。

水の飲み過ぎは良くないよ。

レムナの、緑色をした冷たくて気持ちいいつるに、早くさわりたい。




帝国歴13年 3月









帝国歴13年 4月


「忘れじの 雪の日を 私はまだ覚えてる

返せない あの時の この命をあなたに」


朝目覚めると、僕の頭がアリアの膝の上に乗っていた。

僕の頬にアリアの髪が少しだけふれて、その長い耳と優しい顔がよく見える。


「歌おう この日々を

食べよう 笑いながら

寝よう 咲こう その隣で

一緒に いつまでも」


掠れた声で、アリアが子守唄を歌っている。

彼女の指がサラリと、僕の髪を滑った。


「紡がれた願いは 終わりを知らぬまま

雪と共に溶けてく 朝焼けに輝いて……」


僕がどうしたの?と聞くと、アリアは首を振って微笑んだ。


「大丈夫。きっと次目覚めたら、あなたはもう安全だから」


母のその言葉だけ、僕はずっと覚えている。








5、生まれてきたって



帝国歴13年


うとうとと、暖かい夢の中でまどろんでいる。

こんな感覚は、あの頃だったら想像すら出来なかった。

今はもう思い出せないほど昔、一人だったあの頃には。


重たいまぶたを上げる勇気も持てないまま、僕はうつろな記憶を辿った。


――始まりの日は、いつだったか。



僕はお腹を空かして、一軒の家に寄りかかっていた。

とても寒い日で、かじかむ手を必死にこすっていたことだけ、記憶に残っている。


溢れた光を見ようと、背伸びして窓をのぞいた。

窓越しには、明るい家族の団らん。


優しい声で子守唄を歌いながら、赤ちゃんの頭をなでる母親。

不器用ながらも料理を作る父親。

おもちゃの剣を持って振り回す、僕ぐらいの年の男の子が二人。

一番上のお姉さんは、暖炉の前で本を読んでいる。

そんな部屋の中には小さな観葉植物が咲いていた。


寂しかった。欲しかった。こんな風に温かな家が。家族が。僕も、頭をなでて貰いたかった。美味しいご飯を食べたかった。それだけだった。


ずっと昔から、ちぎれそうな僕の手のひらに宿っていた、熱い何か。

それが魔力だなんて、知らなかったけれど……。


身体に残った唯一の温度を逃さないように、無我夢中で、魔力を継ぎ接いだ。

それが何かも、その使い方も分からないくせに、ただずっと願っていた。

願いが形になることを。何もない僕にも、家族ができることを。


もちろん、最初から人間を作るのは無理だったけれど。

僕が手をついていた地面に、消えかけた一つの命を見つけた。

しおれて元気がない、僕みたいな君に、僕は全てを注ぎ込んだ。


「レムナ。君は、レムナ」


寒い冬の吹雪の中、小さな芽吹きを手で覆って、倒れないように。

僕の最初の“家族”は、そうして生きた。


「きゃはは」


「ほら、父さん。一緒に寝ようよ」


「そうだな、今日はみんなで寝ようか」


楽しそうな声が、明るい家から聞こえてくる。


なんで僕は、そこにいないんだろう。

なんで僕には、家族がいないんだろう。

なんで僕は、生まれてきてしまったんだろう。

聞いても答えなどない疑問が、頭の中をぐるぐると回っていた。


ああ、どうしよう。このまま外にいたら、死んじゃうかも。

別にいいや。それなら最後に、夢を見たい。



――そう思ったのは、罪だったのか。



最後の力を振り絞って、僕は歩いた。良い場所を知っていたから。

僕みたいに捨てられたモノが集まった、森の近くのゴミ置き場に。


もう冷たさも感じない手で、積もった雪をかき分ける。

探し当てたのは、人間が捨てていったガラクタたち。


でも、僕にとっては宝の山だ。


破れた毛布にくるまって、お母さんの温もりを願った。

燃えかけの絵本をつなぎ合わせたら、本を読むお姉さん。

穴の空いた鍋は、ご飯を作ってくれるお父さん。

ぐしゃぐしゃに折れた鉄の盾を重ねて、僕を守ってくれる強いお兄ちゃん。

底の抜けた大きな麻袋は、ご飯をいっぱい食べる弟。


不思議な感覚だった。痛くもないし、寒くもなかった。

折れたスプーンとフォークで手足を。

しなびたトマトのヘタで目を。

割れたガラスのかけらで口を。

裂かれた服の繊維で髪を作ったけれど、一人分だけ足りなかった。


赤くはれ上がった手で雪と泥を固めて、少しずつガラクタに形をつけていく。

窓越しに見た、あの温かい家族の姿を思い描きながら。


「寝る前には、歌を歌ってほしいなあ」


「本を読んでもらうって、どんな感じなんだろう」


「冷たくないパンを食べてみたい」


「格好いいお兄ちゃんがいたらいいな」


「弟と一緒に、お腹いっぱいご飯を食べたい」


人には到底見えないような、不格好なお人形。

それでも、ゆっくりと、練られた力がガラクタを核に形を成していく。

夢の中の願望を、少しでもいいから現実に起したかった。


暗い夜が終わり、太陽が顔を出す頃。

白らむ朝日が降り注ぐ中、僕は命を生み出すことに成功する。


「アリア」


「ノティア」


「バル」


「アレス」


「エド」


そうやって、僕は“家族”を作った。


きっとどこかで分かっていた。本当は全て、おかしいことに。


人間だったら、何でもは食べれない。

殴ったくらいで木を倒せたりしない。

簡単に木の上に飛び上がれたりしない。

植物が動くはずがない。

子守唄を歌ったくらいで、眠くなることもない。

あの頃の僕は、火のつけ方も知らなかったから。


魔族。

魔法から生まれた、僕の家族。

それでも。待っても待っても帰ってこない、彼らをまだ待っている。



……。



目を覚ますと、すでに春の匂いがしていた。

家の中には誰もいない。暖炉はとっくに冷え切っていて、外からは嫌な匂いがした。


体に力が入らない。一体、どれくらい長い間眠っていたのだろう。

フラフラと窓の外を見る。

あんなに頑張ってみんなで作った畑は、ぐちゃぐちゃに踏み荒らされていた。


立っているのは、見たこともないほどたくさんの人間。

確認しなくても分かるほど、家の外は囲まれている。


その中で、一際きらめく銀色の甲冑と鋭い剣が見えた。

肩から羽織った真っ白なマントには、胸元に沢山の勲章が留められ、太陽の光を反射している。

ずっと昔、絵本で見た勇者さまが、そこにいた。


僕は震える足で窓際から離れ、机の上のノートにペンを走らせる。

きっとこの日記が、僕の遺書になる。

今にもけり破られそうなドアを見ながら、僕は最後の一文を書いた。


今日。やっと僕は勇者に負ける。








6、私達が勇者に負けるまで






鼓膜を破るような音と共に、家のドアが蹴り破られる。

兵士たちに家から引きずり出される中、僕は命の次に大切な日記帳を、震える手で強く抱きしめた。


「子守唄を歌ってくれるアリア。

食いしん坊なエド。

日の光を浴びるのが好きなレムナ。

喧嘩が得意なアレス。

意地悪だけど料理上手なバル。

本を読んでくれた、物知りなノティア」


僕は一人一人の名前を噛み締めて、勇者を睨んだ。


「みんな優しかった。本当の家族だった。人間と、何も変わらなかったのに……みんなをどこにやった! 返せよ! 返せ! 返してよっ!」


そのまま勇者に縋りつこうとした僕は、周りの兵士たちによって強く引き剥がされる。


「優しい? 人間だと? ふざけるな。ふざけるなッ!」


上げられた大きな声にピクリとして、周りを見る。

そこにあったのは、恐怖と憎悪、そして涙や鼻水でぐしゃぐしゃに歪んだ顔ばかりで、僕は思わず呆然とした。


「歌だ……あの気味の悪い、女の歌! 剣を振り上げたまんま、みんなバタバタ倒れて……っ。殺されるって、そう思うだろ!? なのに虫ケラみたいに見逃しやがって!」


「俺の腕を見ろ! 鉄だぞ!? 鎧ごと食いちぎりやがったんだよ、あの豚は!」


別の兵士が、ボロボロになった腕を僕の目の前に突きつける。


「痛え……痛えよぉ……! 口の中に爆弾突っ込まれても、ずっと笑って噛みついてきやがって……あんなの狂ってッ!」


口々に、兵士たちが僕を取り囲んで、血を吐くような怒号を浴びせる。

歌……アリア? 食べるってエドのこと? この人たちは何を言って……。


「骨が……メキメキ折れる音がして……」


地面にへたり込んだ男が、頭を抱えながら呻いた。


「なのにあの野郎、根っこで俺たちを縛ったまま、気持ちよさそうに水なんか飲んで! だから焼いてやった……生きたまま、油をぶちまけて焼いてやったんだ!!」


「そうだ……! 何十本毒矢をぶち込んでも、なんで倒れねえんだよ! 大笑いしやがって、ただの力比べの遊びみたいに、俺たちの精鋭部隊を拳で……化け物、化け物ォッ!」


次々と鼓膜に響く悲鳴と残酷な言葉に、僕は耳を塞いだ。

どういうこと? 焼いたって、あのレムナを?

アレスはいつも、エドとじゃれあって笑っていたのに。なんでそんな酷いこと……。


「鍋だ……スープをっ、ふざけやがって……!」


誰かが僕の胸ぐらを掴んで、前後に激しく揺さぶる。


「俺の目の前で仲間が鎧ごと焼かれて泣いているのに……! あの坊主、横で鍋なんか出しやがって……っ! だから後ろから首を……!」


「消えないんだ。あの、皮膚が焼けるような臭いが、鼻から消えてくれない!」


「楽しんでた。楽しんでやがったんだ、あの片翼は! 空から見下ろしながら! そのくせ、自分は仲間を助けようとしやがって。あそこでありったけの大砲を撃ってなきゃ、今頃まだ俺たちは……」


みんなで隠れる修行が得意だった、バルとノティア。もうやめて。もう、やめて欲しい。


「お前のせいで、俺たちは殺される恐怖に怯えながら、生かされ続ける地獄を味わったんだぞ!」


「あんな思いをするなら、死んだ方が余程マシだった!」


「化物に、オモチャのように弄ばれる屈辱が分かるか!」


僕は髪の毛を掻きむしって、頭を抱える。

痛いほど耳を締めつけても、どこかから怒声が聞こえてきて、止められない。


「あんなのが人間なわけあるか! 人の心があるなら、潔く殺していただろうが!」


「人間の姿をしてる分、余計にたちが悪い! 遊び半分でどれだけの人間が……っ」


はっはっと早くなる鼓動が響いて、やけにうるさい。

息も絶え絶えに泣き喚く兵士たちの中で、ただ一人、勇者だけが静かに立っていた。


「……さすがは勇者様だな。あんな化け物相手に、誰一人殺されないなんて」


「油断でもしたんだろ。俺たちのことを嘲笑って、遊んでいたから。ほら見ろ、罰が当たったんだよ」


「答えてみろよ、少年。お前の家族だったんだろう?」


「13年前。戦争が終わって、俺たちはやっと悪夢から解放されたのに。お前のせいで、地獄に逆戻りだ」


兵士の一人が、憎悪に満ちた目で僕をぐらぐらと揺さぶる。

言い返したかったのに、結局僕は何も言い返せなかった。だって、彼らの言う通りだったから。

僕が願ったから、みんなが生まれた。


「……よせ、部隊長。その子はまだ、何も分かっていない」


ずっと黙っていた勇者が、僕を掴んでいた手を強く振り払った。


「だが勇者様。こいつはあの邪悪な魔族を産んだ、張本人だぞ!」


「13年前! あの戦争で、俺たちは家族を失った……この子も同じだ!」


勇者の悲痛な怒声に、兵士たちが息を呑む。


「親を知ることもなく、たった一人でこの森に捨てられた。俺たち大人が奪ったんだよ。そうじゃなきゃ、きっと今頃、この子は本当の家族と笑って暮らしてた」


彼のそのたくましい首筋を、一雫の涙が伝っていく。


「どれだけいたか、覚えているだろう! 俺が。俺たちが、救えなかった子供達を」


勇者はひどく苦しそうな顔で、周囲の兵士たちを睨みつけた。


「家族とあったかい家で暮らしたい。柔らかい布団でぐっすり寝たい。美味しいご飯を食べて、笑い合いたい。あの頃は、誰だってみんな、この子みたいに思ってた。

俺だって。お前達だって、思ってたろう!」


銀色に光る甲冑がガシャリと音を立て、僕の前にひざまずく。

勇者は剣を下げ、少し言葉に詰まりながら、背後の兵士たちへ向けて絞り出すように言った。


「ーーそんな当たり前の願いが、この子の強すぎる魔力で、たまたま叶ってしまっただけなんだ」


違う。やめて。

そして勇者は、僕の両肩に優しく手を置き、真っ直ぐに目を見た。


「いいかい、君は騙されていたんだ。都合よく扱われていた。自分が生み出した幻影に。ただの魔法に心なんてない」


違う。勇者様は……この人は、何を言ってるんだ?


僕にではなく、まるで自分自身に言い聞かせているかのように、英雄は苦渋の表情を浮かべる。


「少年、君が見ていたのは全て、ただの妄想だ。……だから、君が罪悪感を背負う必要は、どこにもないんだよ」


「違う……っ!」


僕はたまらず叫んだ。


「みんな優しかった。僕を大事にしてくれた。人間なんて誰も殺さなかったんだろ! 言ってたじゃないか! それを。……それを、お前達は見ていたくせに!」


僕は見ることすら叶わなかった、みんなの最期を。

いつまでも優しかった、僕の大切な家族の死に目を、その理由も、知っているくせに。


「君が優しい子だからだ」


僕を見つめていた勇者の瞳が一瞬だけ逸らされて、また戻った。真っ直ぐな目が少しだけ潤み、揺らぎかけている。

でもその声は、どこまでも残酷で、凪いでいた。


「あの化物たちは、全て君の願い通りだっただろう?だから、君が生み出した魔法も『人殺し』を知らなかった。誰も殺さなかったのは、ただそう作られただけに過ぎない」


「君が望んでいないことは起こらない。彼らに心や優しさがあったわけじゃない。それが全てだ」


絵の中の英雄。僕の夢だった勇者。

その顔も、体も、立ち振る舞いも。想像していた通り、優しい口調なのに。

こぼれ出る言葉は、鋭い刃のように僕の胸を刺し貫いた。


「君は遊んでいたんだよ。

自分の思い通りになる、ちょっと上手な人間のお人形で。

家族ごっこをしていただけだ」


そのまま、勇者は僕を抱きしめる。

切り捨てるような冷たい言葉とは裏腹に、僕を包み込むその腕は、痛いほどに力強く震えていた。


あの絵本を知る誰もが、夢に見るような光景だけれど。

こらえきれずに溢れ出した僕の熱い涙が、ポタポタと音を立てて落ちていく。

肌に当たる傷一つない鉄は、どうしてこんなに冷たいんだろう。


「すまない……もっと俺が早く君を見つけていれば、こんな悲しいモノを生み出させずに済んだのに」


かつて憧れた、鈍色の剣が輝く中。

僕はゆっくりと、震えるまぶたを閉じた。


言いたかった。否定したかった。

彼らは僕の家族だったと。

そう考えれば考えるほどに、僕は否定できなかった。


みんなは僕と一緒に寝てくれた。美味しいものを食べてくれた。歌を歌ってくれた。

全て、僕が望んだ通りだった。


――だって彼らは一度だって、僕が嫌がることはしなかったから。


目を開けた僕は、日記の表紙を少しだけ撫でてから、ギュッと胸に抱きしめ直した。

彼らとの思い出ごと、心の一番奥底にしまい込むように。





























?、ありがとう




今日、僕に子供が生まれた。

産声をあげる小さな命を抱きしめた時、あの日からずっと一人で罪を償って生きてきた僕に、本当の家族ができたのだと涙が溢れた。


「忘れじの 雪の日を……」


泣き出した我が子をあやそうとして、ふと口から出た歌に気がつく。


昔。僕には大切な家族がいた。

いや、家族だと思っていただけだったか。


僕は小さく笑って自嘲し、戸棚の奥にしまっていた古い日記帳を手に取る。

何年も開くことができなかった、表紙の擦り切れたノート。

勇者に負けて、すべては僕の妄想だったのだと絶望したあの日以来、一度も開いていない。


躊躇いながらページをめくり、あの日記の続き、最後のページに辿り着く。

白紙だと思っていたそこに、見覚えのある不器用な文字が並んでいた。







『あなたがこれを読んでいる時、きっと私たちはもういないでしょう。

あなたの日記、読ませてもらいました。


嬉しかったです。どうしようもないほどに。


私はずっと、本を読んでいましたね。

あなたに教えるためでもありましたが、本当は、人間の言葉を探していたんです。

この命が終わるまでに、あなたに伝えたいことがあったから。

でももう、あなたは私がいなくても大丈夫ですね。


私たちは、あなたから生まれました。

家族が欲しいという願いが、確かに私たちを形作った。


けれど、それが全てではありません。

私たちは自分で望みました。


ただ、あなたと家族になりたかったのです。

化物なのに笑えますよね。でも、本当なんです。

最初は人間のことなんて、全く知りませんでした。


でも、勉強しました。言葉を覚えました。歌を歌いました。ご飯を食べました。水を飲みました。夜は寝ました。料理を作りました。


――あなたと、共に笑い合いました。


選び取ったんです。人間になり、家族になることを。

あなたと共に生き、あなたのために負けることを。


許されない願いには、やがて鉄槌が下ります。

それでも、最後まであなたと共にいられて幸せでした。



――ノティア



お前が俺より強くなることなんてねえよ。

人間どもをぶっ飛ばしたって、お前は笑顔にならないんだ。

お前は俺を一生超えられない。でもそれで良い。

俺の拳は、誰かを傷つけるためにあるんじゃないから。

お前が安心して眠れるように、怖いものを全部ぶっ飛ばすためにあったんだ。

うん。だから、お前は強くなくたって良い。

俺の分まで、誰かに優しくしてやれ。

笑って生きろよ。


――アレス




食べ過ぎだって?

お腹はもう一杯だよ。

一本の灯りを囲んで、みんなで一緒にケーキを食べたね。

あの味を思えば、なんだって美味しく思えたよ。

それに、君との思い出だけで、僕はもう満足さ。

お腹が鳴ったら、またアレスと一緒に狩りに行くよ。

今度はケンカなんかしないさ。約束だ。


――エド




私を最初に作ってくれてありがとう。

あなたがくれた水は、いつも澄んでいて綺麗だった。

あなたのようにね。

私はみんなみたいに人間っぽくないし、あなたを抱きしめることもできない。

でも、みんなで作った畑を、汚れから守りたかった。

私ができることなんて、これぐらいしかないけど。

まあ、来世はどこかの根っこかな。

見つけたら、また水をちょうだいね。


――レムナ




俺の料理、美味しかったか?

ごめんな、ずっと不味かっただろう。

加減が難しくてな。苦い料理を食べさせて、悪かったよ。


あともう少し時間があれば、もっと美味しくなったのに。

牛肉のパイを作れなかったことだけが、心残りか。


実を言うと俺は安心してるんだ。

お前の作る料理は美味い。

きっと、一人でも楽しく生きていけるさ。

お、家族がいたらなお良いな。


――バル



「忘れじの 雪の日を 私はまだ覚えてる

返せない あの時の この命をあなたに


歌おう この日々を

食べよう 笑いながら

寝よう 咲こう その隣で

一緒に いつまでも


紡がれた願いは 終わりを知らぬまま

雪と共に溶けてく 朝焼けに輝いて

いつか来るその時を 私は愛そう」


あなたがずっと知りたがっていた、歌詞の最後。

ごめんなさい、平凡すぎたかしら。


初めて子守唄を歌った日。

あなたと一緒に並んで寝た日。

あの星空を眺めた日。

どの瞬間も、今でも鮮明に思い出せるわ。

生まれてきてくれてありがとう。

私はあなたのおかげで、生まれてこれて本当に良かったわ。



――アリア』








視界が熱く滲んで、文字がうまく読めない。


ああ、そうか。

兵士たちが震えながら語っていた、あの恐ろしい行動は全て……。


ポタリと涙が紙に落ちて、インクの文字がぼやけていく。


『――選び取ったんです。あなたのために負けることを』


ノティアの言葉が、胸の奥で温かく響いた。

人間が誰一人殺されなかった理由。みんなが抵抗もせずに、ただ笑ってやられていった理由。


全部、ぜんぶ……人間を殺せば、僕が悲しむと知っていたから。


みんなが書いた日記の最後のページに、少しだけ残された余白。

僕は久しぶりに筆を取り、許された隙間に書き込んだ。


昔、あの頃。ノティアに初めて教えてもらったことを思い出して。


「人間は、絶対に忘れたくない宝物を、文字にして残す」


やっと分かった。



帝国歴 ?年


大切な僕の家族へ、ありがとう。僕は今、幸せです。





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