第6話 先輩の不始末と、聞く耳持たぬ海将軍
南の海岸領、通称『常夏の入り江』。
本来であれば、白い砂浜とエメラルドグリーンの海が広がる、魔族領きってのリゾート地だ。
だが、現着した俺の目に飛び込んできたのは、そんな優雅な光景ではなかった。
「……海抜が、変わっている」
俺は呆然と呟いた。
砂浜は完全に消失。海岸沿いにあった別荘地は軒並み一階部分が水没し、ヤシの木が海面から頭だけを出している。
これはもう、高潮や津波といったレベルではない。地形そのものが沈降させられている。
「あ、ヴェルトちゃーん! 遅いじゃないのぉ!」
水没した別荘の屋根の上で、優雅にパラソルを広げている女性がいた。
四天王No.2、サキュバスのリゼット先輩だ。
彼女は露出度の高い水着姿で、トロピカルジュースを啜っている。
「……リゼット先輩。この状況でバカンスですか」
(こいつ、脳みそが腐ってるのか、、、?)
俺は飛行魔法で屋根に着地し、こめかみをピキピキと引きつらせながら問い詰めた。
「人聞きが悪いわねぇ。これでも『監視』してるのよ? ほら、あそこ」
リゼット先輩が長い爪で沖合を指差す。
そこには、海面を埋め尽くすほどの背びれ――海人族の軍勢が展開していた。
サメやシャチを駆り、槍を構えた半魚人たちが、殺気立った目でこちらを睨んでいる。
「数はおよそ三千……。正規軍ですね」
「でしょぉ? 私が『ちょっと泥を採取しただけ』なのに、大げさよねぇ」
「先輩。報告によれば、その『ちょっと』で、彼らの住居区画(サンゴ礁)を半径五百メートル吹き飛ばしたそうですが」
「あら、そうだったかしら? 爆発が綺麗だったからよく見てなかったわ」
悪びれる様子もない。
この人はこれだから困る。魔力と戦闘力はNo.2に相応しいが、倫理観と責任感が欠如している。
俺はため息をつき、一歩前へ出た。
「とにかく、これ以上揉めるのは得策じゃありません。私が交渉します」
俺は声を張り上げるため、風魔法で音量を増幅させた。
「――海人族の諸君! 私は魔王軍四天王No.3、ヴェルトだ! 指揮官と話をしたい!」
俺の声が海原に響き渡る。
すると、海面が大きく盛り上がり、巨大な水柱が立った。
中から現れたのは、身長四メートルはあろうかという、巨大なシャチの獣人だった。全身に厳つい珊瑚の鎧を纏い、巨大な三叉の槍を握っている。
『我は海人族将軍、アビソスである! 陸の魔族よ、よくも我が領土を汚してくれたな!』
ドスの利いた声が、衝撃波となって空気を震わせる。
なかなかのプレッシャーだ。陸に上がれば弱体化するとはいえ、海中での彼らは魔族以上の脅威になり得る。
「アビソス将軍、此度の件はこちらの不手際だ。謝罪する。被害に遭った住居の修繕費と、慰謝料については、こちらの言い値で支払おう」
俺は努めて紳士的に、そしてビジネスライクに提案した。
金で解決できるなら、それが一番安いコストだ。
しかし、アビソス将軍は鼻で笑った。
『ガハハ! 金だと? 我らがそんなもので許すと思うか! 陸の者はこれだから傲慢なのだ!』
「……では、何が望みだ」
『土地だ! 貴様らの領土の半分、この南岸一帯を我ら海人族の支配下とする! 陸を沈め、新たな海とするのだ!』
無茶苦茶だ。
領土割譲など、魔王様が許すはずがない。それに、ここを沈められたら魔界の食料自給率が激減する。
「それは承服しかねる。過度な要求は、全面戦争を招くぞ」
『戦争? 望むところだ! 海に囲まれたこの地で、陸の猿ごときが我らに勝てると思っているのか!』
アビソス将軍が槍を掲げると、背後の波がさらに高く、十メートルほどの津波となって鎌首をもたげた。
威嚇ではない。本気で沈める気だ。
「やれやれ……。リゼット先輩、どうします? あなたの蒔いた種ですよ」
俺は背後の先輩に振った。
だが、リゼット先輩はパラソルを畳みながら、つまらなそうに言った。
「えー、あいつ魚くさいから近寄りたくないしぃ。それに水の中じゃ私の『炎の鞭』も使えないじゃない。ヴェルトちゃん、あと任せたわ」
「は?」
「私、濡れるの嫌いなのよ。湿気で髪が痛むし。じゃ、城に戻ってエステ行ってくるから!」
言うが早いか、リゼット先輩は背中から蝙蝠のような翼を広げ、バサリと空へ舞い上がった。
「ちょっ、先輩!? 職場放棄ですか!?」
「経費は私のツケでいいからねー! 頑張ってー!」
手を振って飛び去っていくリゼット。
残されたのは、殺気立つ三千の海人族と、今にも押し寄せそうな津波、そして呆然とする俺とゴンブだけ。
『見捨てられたか、哀れな中間管理職よ! 死ねぇぇぇ!!』
アビソス将軍が槍を振り下ろす。
巨大な津波が、俺たちを飲み込もうと迫りくる。
「……はぁ」
俺は今日何度目かわからないため息をつき、メガネの位置を直した。
交渉決裂だ。
言葉が通じない相手には、物理法則を教えてやるしかない。
「ゴンブ、俺の後ろに隠れていろ」
「へ、へい! でもヴェルト様、相手は水の中っすよ! 魔法も半減しちまう!」
「問題ない」
俺は迫りくる水の壁を見上げ、冷ややかに言い放った。
「環境が不利なら、有利な環境に変えればいいだけだ」
俺の右手に、青白い極大の魔力が収束していく。
それは炎でも雷でもない。
分子の運動を極限まで停止させる、静寂の魔法。
「海人族よ。少し頭を冷やしてもらうぞ」
(続く)




