第1話 魔族の四天王ですが、主な敵は「書類」です
魔界の空は常に薄暗い紫色の雲に覆われている。
人間たちはこれを「不吉の象徴」だの「邪悪な魔力の淀み」だのと恐れているらしいが、ここに住む魔族にとってはただの天気だ。
そして、魔族四天王のNo.3『ヴェルト』にとっても、この空の色はどうでも良かった。
なぜなら、ここ数日、窓の外を見る暇すらないからだ。
「……終わらない」
重厚な黒檀で作られた執務机の上で、俺は呻いた。
目の前には、羊皮紙の束が山のように積まれている。比喩ではない。本当に小高い山ができている。
その高さ、約八十センチ。
これが右側にも左側にも、あまつさえ床にまで広がっているのだ。
「ヴェルト様! 決裁をお願いします!」
執務室の扉がバンッ! と勢いよく開かれ、部下の魔族が飛び込んでくる。
頭に一本角が生えた、典型的な下級魔族だ。腕力はあるが、脳みそのシワはツルツルに違いない。
「ノックをしろと言ったはずだぞ、ゴンブ。あと、ドアノブを握りつぶすな。今月で何回目だと思っている」
「ガハハ! すんません! 力が有り余っちまって!」
「はぁ……。で、何の決裁だ?」
「へい! 西の砦の補修予算です! 先日の訓練で、オウガ様が『気合を入れる』っつって壁をぶち抜いたんで!」
俺はこめかみを指で押さえた。
オウガ。先日、空席だった四天王No.4の座に就いた新入りだ。
『魔族の誇り』だの『力の証明』だのが口癖の意識高い系脳筋野郎である。
「……壁を直すのに、なぜ金貨五千枚も必要なんだ?」
「え? そりゃあ、もっと硬い壁にするために、ミスリルを混ぜようかと!」
「却下だバカ者。砦の壁ごときに希少金属を使うな。普通の石材と強化魔法陣で十分だ。あと、オウガには『次やったら給料から天引きする』と伝えろ」
「ええっ!? 強化魔法陣なんて、そんな高等なこと、俺らには無理っすよ!」
部下がキョトンとした顔で言った。
これだ。これである。
この世界には四つの種族がいる。
高い身体能力を持つ『獣人族』。
海中では無敵だが陸では干からびる『海人族』。
知恵に優れるが個体差の激しい『人間族』。
そして、強大な魔力を持つが、絶望的に頭の悪い『魔族』だ。
魔族は魔力が高い。呼吸をするように魔力を扱える。
だが、その使い方が雑すぎる。「ドカンと撃つ」「身体強化で殴る」。これしかできない。
緻密な魔法陣の構築や、魔力効率の計算なんて概念は、彼らの辞書にはないのだ。
(前世が、効率化にうるさい日本のシステムエンジニアだった俺を除いてだが……)
俺はため息をつきながら、羽ペンを走らせる。
そして、左手を軽く上げた。
「……《並列思考》起動。《物質再構築》」
ブォン、と低い音が鳴り、俺の指先から青白い光の粒子が放たれる。
光は部屋の隅にあった壊れたドアノブへと飛び、瞬時にその形状を修復。さらに余った魔力で、部下が持ってきた羊皮紙の束を空中に浮かせ、内容別に自動分類させていく。
「お、おおお! すげぇ! ヴェルト様、また魔法が勝手に動いてる!」
「勝手にじゃない、俺が動かしてるんだ。……ほら、書類は整理しておいた。『至急』の箱に入っているやつだけ、今日中に処理する。残りは明日だ」
「へい! さすがヴェルト様! 魔法の女神に愛されてますねぇ!」
部下は感心したように頷き、書類を抱えて出ていった。
……違う。女神の愛とか、運とかじゃない。
今のは、俺が頭の中で三十層の魔法術式を同時展開し、ベクトル操作と物質変換を組み合わせて行った、極めて論理的かつ技術的な『業務効率化』だ。
だが、説明しても無駄だ。
彼らにとって俺は、「なぜか魔法が上手くいく、運のいい事務屋」くらいの認識なのだから。
「さて……」
俺は椅子に深くもたれかかった。
魔族の領土を管理する侯爵たちからは「人間を攻め滅ぼせ」という要望書が届き、
四天王No.1のギガント爺さんからは「最近の若いもんは気合が足りん」という説教の手紙が届き、
No.2のサキュバス姉さんからは「今夜ヒマ? 私の領地の税収計算やってくれない?」という魔香付きのメッセージカードが届いている。
かつて人間だった記憶を持つ俺は知っている。
人間族は弱い。だが、彼らには『知恵』がある。
経済封鎖、情報操作、ゲリラ戦術。
まともに戦えば、この脳筋魔族軍団なんて、あっという間に内側から崩壊するだろう。
「四族統一して恒久平和を作る……なんて大それた夢は、一旦置いておこう」
俺は冷めたコーヒーを一口啜り、再び羽ペンを握った。
「まずは、このバカげた稟議書を片付けて、定時で帰る。……それが今日の俺の戦争だ」
魔界の夜は長い。
四天王No.3ヴェルトの胃痛の日々は、まだ始まったばかりである。
(第1話 終わり)




