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挑戦状

千乃時加羅せんのじ から   (喫茶店の店長)


傘吹雪刀利かさふぶき とうり (無職)


平川冬彦ひらかわ ふゆひこ(刑事)


神楽秋野かぐら あきの  (白良館の主)


四方木正志よもぎ まさし (秋野に仕える執事)


盾上力石たてうえ りきいし(秋野に仕える船乗り)


相川七雄あいかわ しちお (運搬業者)


白井夏帆しらい なつほ  (医療従事者)


権田周平ごんだ しゅうへい(白良館の料理長)


滝瀬錠時たきせ じょうとき(白良館の料理人)


道間時秋どうま ときあき (ファッションデザイナー)


道間冬野どうま ふゆの  (道間時秋の妻)


北央七瀬ほくおう ななせ (アイドル)


朱天アキラ(しゅてん あきら)(白良館の住人)




「え、これ、死んでるの……?」




 女が口を抑えている。


 数人の男女が、倒れている人物の前に並んでいる。


 場所は室内。部屋の者達の前方に灯ったモニターが明るい。


 しかし明るいのはその光だけ。暗い風景だ。


 倒れている人物の背中に、鋭い刃物が刺さっているように見える。


 人物を中心に、広がる赤色の沼。


 部屋には、背もたれの長い緑の椅子が、モニターの前に置いてある。


 誰も座っていない。ただそこにあるだけの椅子。


 外では、激しい雨と激しい風が吹いている。




「嘘でしょ?」




「見てはいけない」




「だって!!」




「見るな!!」




 強い風が吹いた。しかし、その風はその場の雰囲気を吹き飛ばしてはくれなかった。


 ただ、静か。




 


 しばらくは、平穏な日常が続くと思われる。


 だが、その平穏とは打ち破られるもの。しばらくは、この退屈で微笑ましい日常をお楽しみ頂きたい。


 殺人という事象が起きるが、それをどう取るかは人次第である。


 些末事か、大事か。犯人でさえ、被害者でさえ、全ての視点を持っているわけではない。


 どうか、このささやかな犯人探しに、お付き合い頂きたい。



 某年、九月のこと。


 とある男、千乃時加羅は、コーヒー店にいた。黒い髪はぼさぼさだ。しかし着ている白のジャケットはピシッとしている。髭もしっかりと剃られている。何故髭に気を付けて髪の毛に注意を払わないのか、とも思える。ポリシーだろうか?


ジャケットの内側は黒いシャツ。季節的にそろそろ恰好も変わるだろう。下は茶色のパンツだった。




 今、加羅がいるコーヒー店は街の喫茶店である。だが加羅は客ではない。ここで加羅が店を切り盛りしているのだ。つまりオーナーである。


 店内の様子は古びている。たくさんの赤い椅子に低い茶色のテーブルが並んでいる。残念だがどの家具も高級な品ではなかった。しかし雰囲気は統率が取れており、なかなかセンスはあると評してもいいだろう。


 テーブルには一台につき一つ灰皿が設置されている。加羅は煙草が好きなのだ。世間の風当たりは強いが、彼は吸っている。吸ってはいけない所では吸わない主義である。当たり前だが。




「マスター、おかわりぃ」




 加羅を呼ぶ声がする。女性の声である。


 客の座るための椅子に、一人の女性が、手に持った白いカップを上げて座っている。その女性が加羅を呼んだのだ。




「常習無銭飲食犯がなにか言っているな」




「たまに手伝ってあげてるでしょーう」




 女性は笑顔だ。異質なる青いショートカットの髪。さらにそれに合わせているのか、青い瞳が大きく、眉は真っすぐだ。カラーコンタクトだろう。青色がラッキーカラーなのかもしれない。着ている白い全身パーカーは彼女のトレードマークで、時折彼女は意味もなくフードを被る。


 彼女の名前は傘吹雪刀利。若い。二十一歳だ。加羅と親し気である。




「お前もそろそろ何か始めたらどうだ?仕事とか」




 店に入って右手のカウンターの内側で、加羅が頬杖をつきながら返す。刀利のことを思っての言葉であった。




「まだその時期ではないのである!」




「大学にでも行ったらどうだ?金はあるんだろう?行っておいたほうがいい。大学院にも進むかもしれないからな。まあ無理はするなよ」




「心配してくれてありがとう。でも使いすぎるのもね……」




 刀利が目を細めた。


 彼女の両親は事故で亡くなった。その両親の遺産が、たった一人の子である刀利に引き継がれた。そのお金で刀利は生活している。加羅の営業する喫茶店を手伝うこともある。


 刀利は、加羅の店の雰囲気が気に入っていた。時代遅れか?というまでに古い雰囲気が漂っているのだ。それが心地よかった刀利。一つ文句があるとすれば……。




「また煙草?」




「自分の店なんでね」




 加羅はライターで煙草に火をつける。細い煙をすっと吐き出した。


 刀利はやれやれといった様子で肩をすくめた。もう加羅の煙草好きには慣れている。




 煙草を吸い始めた加羅がおかわりを入れる気がないと見ると、刀利はすっと立ち上がり、ささっと加羅の目の前の机に置いてあるコーヒーポットまで近づいた。




「キリマンジャロはいります!」




 ポットを持ち上げ、笑顔でコーヒーを入れる刀利。加羅は煙草を吸っており、止める気も無さそうだった。白いパーカーの刀利は、めでたくコーヒーをゲットした。常習無銭飲食の罪がまた重くなってしまった。反省はしていないようだ。


 そこで刀利は気が付いた。加羅が煙草を吸っているカウンターの上に、何かの雑誌が置いてある。


 刀利はそれを手に取った。


 見出しは、白良島の景色。オレンジ色の文字で書いてあった。雑誌の全てがそれ関連。


 刀利はその雑誌をぺらぺらと捲ってみた。白良島という名前の島の情報が書いてある。島の風景や島の所在地。観光施設では無さそうに見える。どうやら孤島らしい。緑の風景が多く、なんの設備も無さそうに見えた。




「加羅さん、この白良島ってなに?」




「ああ、そこに行くんだよ」




「え?なんでですか?」




「これ」




 加羅は煙草を吸っているのと反対の右手で、胸ポケットから上品さの漂う小さな紙を取り出した。そこに書かれている文字は三文字だった。


 『招待状』。




「招待状?加羅さん、この島に友達でもいるの?」




「島の人間は知らない。正確には、この島に行く友人がいる」




「その友人に一緒に来てって言われたの?女の子じゃないよね?」




「男だよ」




「やった」




 女の子に探りを入れる刀利。いつもの事である。


 彼女は、加羅の事が好きなのだ。そしてそれは、交通事故で両親を亡くし、助けてくれた彼への依存でもある。それを自覚している刀利は、依存することに愚かさを覚えている。自覚している。




「白良島って、リゾート地じゃないみたいですけど、何をするんです?」




 刀利はまだ雑誌を捲っている。




「館に泊めてもらえるんだとさ。あとは、簡単なキャンプだよ。バーベキューとか」




「え、バーベキュー!?持って帰ってきてください!」




「無理だろう」




「じゃあ私も一緒に行くしかないですな」




「行くか?」




「え?」




 刀利は目を丸くした。雑誌を床に落としそうになった。




「行けるの?」




「招待状が二枚ある。俺の分が一枚と、後は誰を誘ってもいいらしい」




「え、え、ラッキー!リゾートだ!花火だぁ!ねずみ花火だ!」




 しかも加羅さんと一緒だ、という言葉は心にしまう刀利。女性の武器は隠し持たなければならないのだ。必殺の一撃で無ければならない。とりあえず嬉しいので飛び跳ねた。パーカーが白いので兎がジャンプしているように見える。




「いつ行くの?」




 刀利はシミュレーションしながら言葉を発した。加羅との孤島のシチュエーションを想像。旅行である。もしかしたらもしかしてしまうかもしれない。にやにやする刀利。




「来週だがその変な顔はなんだ」




「生まれつきです。来週ですね、わかりました」




 刀利は両手で丸を作った。オッケーの合図だろう。




「単に遊びに行くだけではないから、はしゃぎすぎるなよ」




「あれ、お仕事ですか?」




「人が死んでる」




 加羅は煙草を灰皿に置いた。


 暖かった空気が、少し冷えた。


 刀利は真顔に戻った。




「ええと、殺人事件ですか?」




「事故死」




「事後死。それでなんで、加羅さんが呼び出されるの?」




「事故死なんだが、平川の奴が調査を依頼してきた。不審な点があるらしい。俺を白良島に誘ったのは平川だ」




「あ、友人って平川さんかぁ。平川さんから招待状をもらったんですね」




「そう」




 加羅は二本目の煙草に火をつけた。平川というのは加羅と刀利の友人である。そして、平川は刑事なのだ。




 加羅はコーヒー店を営むオーナーである。しかし、加羅の店に訪れる客はコーヒーを飲みに来る客だけではない。加羅の友人の平川もそうで、事件解決のアドバイスを得るために訪れることがある。加羅は幾度か、警察も手こずる事件を解決してきたのだ。その洞察力に、刑事の平川は一目置いている。


 一般人などに意見を求めるな、という批判も、平川という人物は周りから言われていた。しかし、平川は加羅の洞察力には計り知れないものがあると思っていた。コーヒーを飲みに来る客は大抵、加羅と話せることを楽しみにしている。加羅の人柄の為せる技だろうか。




「調査がメインってことなんですね。うーん、それは深刻」




「危険はないから安心してくれ」




「エスコート頼みます」




 手の甲を加羅に伸ばす刀利。謎の仕草である。


 加羅はそれをスルーして煙を吐き出した。


 この時点では、『危険はないから』という言葉を修正しなければならないとは、加羅は思っていなかった。



 白良島に行く当日。


 白良島には船で行ける。いや、船でしか行けないのだ。ヘリコプターが着地できるような設備が白良島には無い。


 加羅と刀利の目的地は島の大屋敷。そこでパーティーが開かれる予定なのだ。


 加羅の友人の平川は、調査は徹底的でなくても良いと加羅に言っていた。そこまで深刻な事件ではないのかもしれない。しかし、平川が調査を依頼してくるというのは普段はないことだ。何かがあると加羅は感じていた。




 今、加羅と刀利は、白良島に向かう船着き場のすぐ傍にある喫茶店にいた。オープンなカフェで、椅子やテーブルが広がっている。


 天候は曇り。加羅と刀利、平川の三人で船に乗り込む約束になっていた。平川を待つ二人。まだ平川は来ない。刀利と平川はお互いに顔を知っている。加羅の店で会うことがあるからだ。




「平川さんって、服装もうちょっと軽くならないのかなぁ」




 人気のないフロアでアイスコーヒーを啜る刀利が呟いた。茶色の円を描いたテーブルには、刀利のアイスコーヒーと加羅のホットコーヒーが置いてあった。


 まだ九月。少し暑さが残っている。刀利はいつもの白いパーカー姿だった。その姿が、一番自信があるのだろう。


 加羅の黒髪は恐ろしいことに寝ぐせが立っている。しっかりしているのは白いジャケットだけ。黒のシャツに茶色いパンツだ。


 遠くを見るような目でコーヒーを飲んでいる加羅。




「なかなかいけるな」




「私のパーカー?」




「このコーヒー」




「あ、そうですよね。これ、美味しいです」




 うんうんと頷く刀利。パーカーをスルーされているが、それでよいのだろうか。


 待っていて暇だった二人は最近読んだ本について喋っていた。刀利はミステリー、加羅は社会学の本の話だった。


 加羅の趣味はもっぱら読書。刀利も加羅の影響で本を読んでいるのだ。


 加羅は読書を譲らない。常に知識をアップデートし、新鮮な視点で物事を見ることを良しとしている。




 そこに平川がやってきた。上下に黒のスーツ。白髪一本無い黒髪はオールバックに固められている。一見は怖さを感じさせるスタイルだが、目元が優しい。




「平川師匠!おっす」




 刀利は椅子から立ち上がり、笑顔で平川に手を振った。




「僕は師匠じゃない」




 苦笑いの平川。




「じゃあ師範!」




「師範の意味をわかってるのか?」




 加羅が呆れながら言った。




「ネット検索すればわかりますとも。平川さん来たから、いつでも白良島に出発ですな」




 刀利はもう行く気満々のようだ。そして、全て端末任せである。




「刀利君、付いてきて大丈夫なの?」




 平川が心配そうな顔をした。それが刀利には意外だった。




「あ、大丈夫です。心配してくださってありがとうございます」




 大丈夫じゃないほうがいいんですが、という言葉を隠す刀利。大丈夫じゃないの意味は秘密である。加羅と何かを期待している。




「しかし平川、本当に船しか交通手段は無いのか?」




 加羅は別の方法があるのではないかと思っての発言をした。




「無いな。ヘリが止まれないし、泳ぐわけにもいかないしな」




「泳いだら行けるか?」




「たどり着けないだろうな。小型のボートならいけるかもしれない」




 平川は加羅の冗談を軽くいなしながら、周りを見回していた。日差しを遮る喫茶店で何かを探している平川。窓がなくオープンなスペースのカフェなので開放感がある。




「吸うか?」




 加羅が胸ポケットから煙草を取り出し平川に勧めた。察している。




「吸えるのか。悪い、貰う」




 平川は加羅から煙草を受け取った。加羅がライターで火をつけてやった。




「以心伝心のコンビプレイだなぁ」




 刀利は二人のやり取りを見ながら笑った。


 昔はもっと気軽に煙草が吸えた。それが今はもうない。喫煙者は押されているサッカーチームのように、じわじわと後退するのみ。加羅も平川も、無論押されている側の住人だった。そして煙草を非喫煙者に絶対に勧めないのであった。同じ沼にハマらせないためである。


 平川は加羅の店によく来る。加羅の店は煙草が吸えるのである。そしてコーヒーが美味い。そこは加羅のこだわりである。二人はよく話す友人だ。




「ところで、事故死があったって聞きましたけど」




 刀利は平川に事情を話してもらいたかった。彼女の悪い癖でもある。


 事件。そう、事件。彼女は事件に首を突っ込みたがる。


 両親が死んだ事故。


 事故。事件。


 解明してやる。


 解明してやる……。




「ああ、加羅が言ったのかな。そう、事故死。白良島で一人の人物が崖から落ちて死者が出た。三週間ほど前に」




「どうして事故死ってわかったんですか?」




 刀利の言葉に平川は少し黙った。言葉の意味するところが、誰かに殺されたのではないか、と同義だったからである。


 平川は慎重に言葉を選んだ。




「アリバイがあったから」




「アリバイ?」




「そう。島の住人全員と、島に訪れていた客が、被害者の死亡推定時刻に、同じ館に集まっていたから」




「島の住人ってそんなに少ないんですか?」




 刀利は驚いて口を開けている。白良島は、パンフレットを見る限りそんなに小さい島ではなかったはずだ。




「事件当時は、白良島には客も含めて七人しかいなかった……そして、島の出入りを確かめられる装置があるんだ。客以外は誰も白良島に出入りしておらず、唯一の住人たちもアリバイがあったから、単なる事故死だと」




「あ、それは少ない人数ですね。うーん……しかし、七人が全員嘘をついていたとしたら?」




 刀利は首を傾げている。考えているポーズ。




「それはないと思うが」




 横から加羅が断じた。煙草を手に持っている。




「どうしてですか?」




 刀利は当然疑問だ。




「客も含めてという話だから、島の住民がいたのはともかく、島にまったく無関係の、外から来た客が島の人間の辻褄合わせに付き合うとは思えない」




「お客ですか。実はお客じゃなくて、島の関係者の可能性もあるんじゃ?」




「なるほど。だとして、動機は?」




「うーん……被害者がとんでもない極悪人で、恨みを持った人たちが計算して動いたとか。ほら、小説とかにあるじゃないですか」




 刀利は推論を述べつつも、自分の意見に自信はなかった。警察は無能ではない。超優秀である。単純な事を見逃すとは思えない。




「被害者はアイドルだった」




 平川が煙を吐きながらいった。




「え!アイドル?有名ですか?」




「女性アイドルの北央七瀬」




「うーん……聞いたことないですね」




 刀利は話しながら、ぐるぐると考えている。




「想像が止まらないのはお前の悪い癖だぞ」




 加羅がぽかりと刀利の頭を叩いた。刀利が手を合わせお辞儀。ごめんなさいのポーズ。


 ふざけながらも刀利はぼんやりと、謎があると思った。




「待たせて悪かった。いつでも出発出来るわけだけど、船に乗ろうか?」




 煙草を吸い終わった平川。吸い殻を携帯灰皿に入れた。エネルギー充電完了。しかしそのエネルギーは長持ちしないものだ。僅かな充電。




「行くか。ここより多少寒くなるだろうな」




 加羅がジャケットを正して、椅子から立ち上がった。


 刀利も立ち上がる。刀利の頭は、まだ事件の想像をしていた。



 喫茶店を出て、加羅達はすぐ船乗り場へ向かった。天候こそ曇りであるが、海はどこまでも続いているようで綺麗だ。どこまでも続く海に終わりは見えない。


 港に白いボートが五台ほどぷかぷか浮かんでいる。床はコンクリート。人気は少ない。綺麗な海は晴天だったら、きっと輝いて見えただろう。




 五台あるボートの、どれが白良島行きかわからなかった。とりあえず船に乗っている人間、周りにいる人間に尋ねてみることにした加羅達。


 加羅達が五台の白いボートの中の一つに近づくと、日焼けした恰幅の良い男性が船の前に居たので平川が声をかけた。




「すみません、白良島行きの船に乗りたいのですが、白良島に向かう船をご存知ではありませんか?」




「ああ、この船が白良島行きだよ。アンタ、随分怖い恰好だね。白良島がどうした?」




「そこへ招待されました。三人。船で送ってくれるとのことで」




 平川は黒い鞄から白い招待状を出し男に見せた。後ろにいる加羅と刀利も招待状を見せる。計三枚の招待状。




「ああ、お嬢様の言っていたお客さんか……乗りなさい乗りなさい。案内します」




 日焼けした男は笑顔になり、船に乗り込んだ。


 それに続いて平川を先頭に三人で白い船に乗った。そこそこ大きい船。操縦は船の先端でするようだ。




「お嬢様って、誰?」




 刀利は不思議そうだ。刀利は事情を何も知らないのだ。




「多分……白良島にいる大富豪だ。年は十五くらい。高校生ぐらいだな」




 加羅は知っていた。平川から聞いたのだ。




「その年で大富豪なの?」




「その子の両親が大富豪だったんたが、事故で亡くなった。遺産が入ったわけだな」




「あ……そうなんだ……」




 刀利が普段あまり見せない暗い表情を見せた。境遇が似ている。刀利はそう思った。きっと心細かったんだろうと、刀利は想像した。両親を失った刀利もまた、寂しかったから。




「会って話してみるといい」




 加羅は刀利の心中を察してか、穏やかな口調だった。




「はい。お嬢様……どんな子かな。きっと、不幸なはずです。誰しも幸せになる権利がある。しかし、両親を失えば別です。地獄を見る。だから、きっと寂しがっている」




 三人が白い船に乗り込んでも、すぐには出発出来なかった。日焼けした男の話によると、まだ来ていない乗客がいるらしかった。現状、まだ二人来ていない。男が一人と女が一人らしい。


 加羅と平川は煙草を吸いながら待っていた。海に揺れる船で煙草を吸うのも美味いものだ。


 刀利はすることが無いので、スマートフォンをいじっていた。パズルゲームをしている。あまりにも刀利の手の動きが速いので、加羅から阿修羅と呼ばれたことがある。刀利は阿修羅の存在を知らなかったが、なんとなく褒められているようで嬉しかった。実際には加羅は少し引き気味だった。知らないほうが良いことも世の中にはある。




「くらえ!十二連鎖!決まった!」




 刀利は笑顔で何か叫んでいる。子供だろうか。




「何のゲームなんだ?」




「最近流行りのパズルゲームですよ。こう、乙女心をくすぐるのです。ポンと消える辺りが特に」




「どこがくすぐるんだ……」




 加羅はため息をついた。




 加羅達が船に乗り込んで十五分ほど経って、男が一人現れた。長い髪色は銀髪に近かった。日焼け止めはしているのだろうかと心配になるほど白い肌。白いシャツに紺色のジーンズを穿いている。




「リッキー、お待たせ」




 銀髪の男は日焼けした男に話しかけた。加羅達を船に乗せてくれた日焼けした男の呼び名がリッキーなのだろう。あだ名だろうか。




「おお、坊ちゃん。先客がいらっしゃってます」




「ああ、招待された人が他にもいるんだ。待たせたかな」




「そうですね」




 その会話は加羅達にも聞こえていた。その男が残りの客だろうと想像がつく。


 銀髪の男は船に乗り込み、船の先頭付近にいる加羅達に話しかけた。船の先頭部分は船だけあり尖っており、そこで三人は休憩していたのだ。




「みなさん、初めまして。僕は七雄といいます」




「どうも、初めまして。千乃時加羅です。よろしくお願いします」




 加羅は急いで煙草を揉み消し、軽く頭を下げた。初対面の相手に煙草を吸っているわけにはいかない。




「消さなくて結構ですよ」




 七雄は笑った。煙草のことだ。




「私は傘吹雪刀利といいます!」




「僕は平川冬彦といいます。刑事です」




 皆が挨拶をした。


 平川が刑事だと言ったとき、少し七雄の表情が動いたように見えた。そう、何かを警戒するかのような。




「みなさんは何をしに白良島へ?」




 七雄が尋ねる。既に表情はコントロールされている。




「リゾートです!」




 笑顔の刀利。




「ええと、招待されたんですよ。館に泊めてもらえるそうで……事故死があったようですね」




 加羅が刀利の頭を叩きながら答える。調子に乗らせないためである。




「事故死、ですか……」




「そうです。しかしそれほど深刻に考える必要は無さそうです」




「アイドルが死んだんですよね?」




 七雄がそう口にすると、横で見ていた平川は少し表情が険しくなった。




「何故知っているのですか?」




「なんでだと思いますか?」




 七雄は受け流している。日焼けした男、リッキーと呼ばれた船の運転手は、皆の様子を確認している。場は少し緊張している。




「ニュースになっていたら、私も知っているはずだから……事件関係者の中に、七雄さんの知人がいたんですね?その人から聞いたんじゃないですか?」




 刀利がすらすらと言葉を口にした。




「よくわかりましたね。そう、この前事件の話を聞きました」




「自殺と他殺、どちらだと思いますか?」




 刀利は止まらない。頭が回転し続けている。彼女の悪い癖だ。殺人とまではいかなくても、何か事件性のあることが発生すると、冷静に事象を分析しようとする。冷たいのかもしれない。しかし彼女は優しい人間だ。だが、思考する時は違う。




「他殺です」




 そう唱えた七雄の声は、強張っていた。




「え?でも……」




「アリバイがあるっていう話ですよね?簡単な話です。白良島に未知の人物が隠れていた。その人物が、アイドル……北央七瀬を崖から突き落とした」




 七雄はアイドルを七瀬と呼んだ。少なくとも何かの情報を知っている。




「そうは思えません。警察の捜査で船で出入りした人間は調査済みですが、怪しい人物は発見されていません」




 平川が口を出した。刑事としては少々迂闊だろう。情報を漏らしている。何かが彼を突き動かしたのかもしれない。




「だから、僕は白良島に行きたいんですよ」




 七雄の意味深な言葉。




「まだ島に犯人が残っていると思っているのですね?」




 聞いていた加羅はゆっくりと話した。余裕がある。




「その通りです。出入りが怪しくなければ、出入りしなければいい。島に潜んでいる可能性も十分にある。そして当然住人が怪しくなります。犯人は白良島で暮らしていればいいのだから」




「あなたは色々と事情がありそうですね」




「はい、まあ……お嬢にも面識がありますしね」




 ここでもまたお嬢様。白良島の顔のようなものか。


 どうもひっかかる。お嬢様とやらの、ポジションが。




「まあ、白良島は安全ではあると思います。事件は事件。殺される動機が無いものが襲われる道理もありません。楽しみましょう」




 七雄はそう言って笑った。それが自然な笑いなのか、作り笑いなのか、加羅にはわからなかった。



 今、船には、加羅と刀利、平川、七雄、リッキー。五人の人間がいる。


 リッキーの本名はまだわかっていない。聞けば答えてくれるだろうが、聞き出そうとはしなかった。


 あだ名というのは不思議なものだ。大抵、あだ名には元になる言葉がある。しかし元の言葉を知らない人間でもあだ名を使う。元の言葉は忘れ去られて、消え去ってしまう。




 あと一人の女が到着すれ、ば出発出来る。加羅たち五人は事件の話など無かったかのように、白良島の話をした。主に話をリードしていたのは七雄。白良島で起きる催しを知っていた。ささやかな食事会が開かれるらしい。それに天候が良ければ、皆でキャンプに出かけるようだ。


そして、ビリヤード等を遊戯室で遊ぶなど、歓談の時間が設けられているようだ。何故七雄がそこまで詳しいのか、誰も触れなかった。お嬢様から何か聞いているのだろう。


 加羅が少し気になった点は、日焼けしたリッキーの言葉。七雄のことを坊ちゃんと言っていた。白良島に七雄が行ったことがあるのは間違いないと、加羅は想像した。しかしどのような立場なのかは想像もつかなかった。いや、想像する気が無かったというべきか。ビリヤードは苦手だな、とぼんやりと思いながら煙草を吸っていた。




 五人はそのまま談笑していた。十五分程経っただろうか。


 船の中央には白いボックスのようなスペースがあり、その中で会話を交わしていた。中には椅子もある。




「絶好のリゾート日和なのだ」




 刀利がニコニコしている。空は曇りである。全然リゾート日和ではない。


 しかし、天候など関係ないのかもしれない。晴れが好きな人間もいれば、雨が好きな人間もいる。リゾートと一言で言っても、そのシチュエーションから感じる感情は人によって異なる。結局、個人が判断するのだ。幸せなのか、不幸せなのかも。状況が良いのか、悪いのかも。すべては個人の視点。




「すみません、この船は白良島行きですか?」




 船の外からやや大きめの声が聞こえた。女の声だ。


 船内に居たリッキーが慌てて出ていった。




「はい、この船は白良島行きですが」




「よかった。私、白良島に招待されて……船が港から出ると聞きました。白井夏帆と申します。遅れて申し訳ありません」




 白井と名乗った女は、黒のジャケットに、同じく黒いパンツ。そして、黒いサングラス。刑事の平川も顔負けの服の黒さだ。髪も黒いロング。白い招待状を手に持っている。




「ああ、もうお客の皆さんは船の中にいますよ。あなたが最後の一人です」




 待っていた、とはリッキーは口に出さなかった。プレッシャーを与えたくなかったからだろうか。このような配慮が社会を円満に回している。




「さあ、船に乗りましょう」




「お邪魔します」




 リッキーと白井が船に乗り込んだ。操縦はリッキーがするのだろう。


 船の中では、加羅と平川が急いで煙草を揉み消していた。白井が来たからだ。


 やはりこの時代では煙草を吸うのは難しい。




「みなさん、初めまして。白井夏帆と申します」




 白井が船内にいる加羅達に向けて頭を下げた。


 初めまして、と皆が挨拶を返した。




「あなた、どこかでお会いしたことがありますか?あ、僕は相川七雄といいます」




 七雄が白井にきいた。まるで口説き文句のような七雄の言葉。




「七雄さん……いえ、勘違いだと思います。私は会ったことがありません」




「そうですか。失礼、忘れてください」




 刀利はその様子を眺めていた。やり取りを疑問に思う。




「口説いてるのでしょうか?」




 加羅に耳打ちする刀利。そして加羅に頭を叩かれる。




「では、出発しましょう」




 リッキーは船の先頭付近の操縦席に座った。操縦席は狭い。一人しか乗り込めないくらいだ。気休め程度の雨除けの屋根が操縦席には設置されている。




「船旅なんて初めてだなぁ」




 刀利は楽しそうだ。体験は人を進化させる。塵が積もるようにゆっくりと。


 曇りだった天気が少し雨模様に変わった。


 雲は灰色に広がり、何かの暗い暗示のようだった。そう、呪われているかのような。




 船は出発した。


 港に、不審な人物は加羅の観察では見当たらなかった。平和そのものの風景に見えた。


 平和とはなんだろうか?


 それは平和でない状態、悲惨な状況を知っているものだけが、強く意識することだろう。平和な状態しか知らない人間は、平和をあまり意識することがない。悲惨さを想像するしかない。目の前の幸せを強く知らない。平和であることの幸せ。




 海の上を進む船。どこまでも海が広がっているし、白良島の姿はまだ見えない。


 船が揺れる感覚が、心地よいなと加羅は思った。


 少し加羅は考えた。七雄が色々と知っているようだったからだ。


だが七雄には聞かないことにした。島で、もっと情報が集まってから話せば良い。それに、聞いても話してくれそうな雰囲気だった。


 事件について考える加羅。


 謎のアイドル、北央七瀬。気になる点は二点。


 一点。なぜ北央七瀬は島を訪れたのか。


 二点。島で亡くなったのは、本当に北央七瀬だったのか。というのも、北央七瀬の死体は発見されていないのである。島に訪れていた北央七瀬が、島の館からいなくなったという証言を、島の住人が揃って口にしていた。他にいなくなった人物はいないと住人たちは断じていた。


 警察は、島の状況から海に落ちたのは北央七瀬だと決定したようだった。事件当時の関係者の証言と、北央七瀬が白良島から出ていないという情報を元に決定をしたのだ。島の出入りをチェックし、いなくなっているのが北央七瀬だけという事実からだ。つまるところが、白良島から発見されていないから、行方不明。


 七瀬の荷物は館の中に置いてあった。しかし、遺書はなかった。


 本当に死んでいるのか怪しいと思われる。だが北央七瀬が生きていたとして、身を隠す場所はないはずだ。船の出入りの検査。そこに当然、北央七瀬の姿は確認されていない。食料無しで島に隠れて生き延びられるとも思えない。


 隠れられる場所があるとすれば住民の住む館だが、その可能性は極めて低い。自殺にみせかけて、住民達が七瀬の存在を隠蔽する必要性がないと思われる。そんなことをしても、いずれはバレるのだ。警察に察されたら、住民も北央七瀬の立場も危うい。


 やはり、海に落ちて死んだのか。加羅の頭の中を想像が駆け巡っていた。




「むぐぐぐ……」




 船の中。刀利の呻き声。


 何故刀利が唸っているのかというと、船内で酒が提供されたからである。刀利は酒が好きと同時に、苦手なのだ。すぐに酔ってしまう。泥酔ぶりで加羅を困らせてしまったことが何度かあった。ここで飲んで、また迷惑をかけてはいけない。最悪、酔って船から海に飛び込むかもしれない。そのレベルなのだ。酔う状態というのは、刀利は非常に危険だと認識している。人間の言葉には責任が伴うし、また、人間の行動にも責任が問われるからだ。問題を起こし、酒を飲んでいたのでという言い訳では洒落にならない。あらかじめどういう状況になるのかを予測して動くのが大人というものだ。そして乙女たる者、常に冷静でいなければならぬのだ、と。




「こ、コーヒー飲みます……」




 刀利は苦し気に誘惑を断ち切り、出発前に加羅が作ってくれたコーヒーの入っている水筒を開けた。コーヒーを注ぎ、グイッと飲む。まだ温かい。そして美味しい。流石は加羅のコーヒーだった。彼女は加羅の入れるコーヒーが大好きで。この世界で、一番大切な飲み物。愛する飲み物。




 結局、酒は提供されたが、飲んだのは白井という女性、そして七雄の二人だけだった。


平川は酔いたくはなかったので、酒を断った。彼の好物ではあるが。そして加羅は、あまり酒が好きではない。飲めることは飲める。運転手のリッキーは、当然飲むことが出来ない。一度飲み物を提供するために船を止めてから、再び淡々と船の運転に集中している。


 空が灰色。今にも雨が降ってきそうだった。疾走する船。動かない海。暗雲の空。




「島が見えてきました」




 リッキーが疲れた様子もなく言った。操縦に慣れているのだろう。


 やや、霧が邪魔して見えづらかったが、加羅は島の姿を視認した。


 霧に隠れた緑色。自然が多いのだろう。周囲に島以外の建造物は見当たらない。ボートを止められそうな島が無いか、それが加羅には気になっていた。しかし、周りには無い。


 大きな島のどこかに、船が止められる場所があるはずだ。事故死なのか。殺人事件なのか。それはまだわからない。ただ、問題の島にもうすぐ着くという現実があるのみ。



 そしてその後。リッキーは船を白良島につけた。


木製の船を止められる設備があった。船着き場だ。船が三台は入れそうだった。既に一台の船が船着き場に止まっていた。加羅はそちらを見たが、船は無人のようだった。形状は加羅達の乗ってきた船と同じ構造のようだ。色も一緒。白色だ。


 空は相変わらず暗いが、雨は降っていない。




「それでは皆さん、お嬢様によろしくお願いします」




「え?リッキーさんは来ないんですか?」




 刀利は船の中で、リッキーというあだ名を使い始めていた。リッキーの本名は盾上力石である。刀利は、リッキーも当然島の中に入ると思っていたので予想外だった。




「はい、実はまだ用事があるんで……もう一度本陸に戻らないといけなくて」




「そっか……リッキーさんとご飯食べたかったなぁ。運転ありがとうございました。楽しい経験でした」




 頭を下げる刀利。




「いえいえ、こんな可愛い子にお礼を言われたら、運転した甲斐もあるってものです」




 リッキーは白い歯を見せて笑った。日焼けした肌とのギャップがある。




「可愛い子」




 刀利がリッキーの言葉を反復し、目を閉じ胸を張った。単純である。褒められると嬉しい。




「ありがとう、リッキー」




 七雄が手を振る。その動作は慣れているように見えた。




「いえいえ、七雄坊ちゃんもお元気で」




 全員が船から降りた。そして別れの挨拶が終わってから、リッキーは再び船の操縦席に乗り込み、加羅達を乗せていた船を発進させた。


 船着き場の船が一台だけになった。加羅達以外に人影はない。




「加羅、この状況、どう思う?」




 そう言ったのは平川だった。




「もし……アイドルの事件が陰謀によるものなら、良くないシチュエーションだな」




 加羅は遠ざかっていくリッキーの船を見ていた。




「加羅さん、なんで?何が良くないの?」




 刀利が首を傾げた。




「帰る手段が無い」




「あ……うん、そうだけど住民の人の中にも、運転手がいるんじゃ……」




「それを確認したいな」




「本部に連絡するか?」




 そう言ったのは平川。平川の調査はあくまで個人的なものだった。警察本部からの命で動いているわけではない。本部に連絡すれば船くらいは寄こしてくれるかもしれない。


平川は意外にも上層部には名前が通っている。しかし昇格はない。そして、何も起こっていないのに警察が動くはずがないだろう。脅迫状でもあれば別だが。




「まずは館に行こう」




 加羅は招待状を開きながら言った。招待状に白良島の地図が載っている。丁寧に白良島の住民が住む館への道のりが書いてあった。




「招待状の地図、わかりやすいよね」




 刀利も招待状を取り出し、うんうんと頷いている。




「慣れているので僕が案内します」




 先頭を歩くのは加羅になりそうな雰囲気だったが、七雄が一番前を歩き出した。


 やはり七雄は慣れている。加羅は七雄に尋ねることにした。




「この島に来たことが?」




「ええ、ありますよ。リッキーに何度も送ってもらいました」




「坊ちゃんと呼ばれていましたね。住民の方々と、どんな関係が?」




「お嬢の両親……神楽さん一家ですね。大変良くしてもらったもので」




「お嬢様の名字が、神楽。それで、どんな関係なんです?」




 刀利が身を乗り出してきた。




「仕事の関係で、この白良島には何度も荷物を運んでいたんですよ。僕は運搬業者で、お館の神楽さん達によく泊っていくように勧められたものです。お嬢は小さくて……僕には温かい家族などいないので、幸せな家族のようだったと思います。神楽さん一家は」




「運搬業の方だったんですね。そうか、それでリッキーさんが坊ちゃんって呼んでいたんですね」




「リッキーは真面目な人です。神楽さん一家に御恩があるそうで、その義理を守り続けているんですよ。彼は仕事も辞めて、神楽さんに仕えています。神楽さんたち両親もリッキーを信頼していました」




 七雄は語っている。


 うんうんと刀利は頷いていたが、加羅は少し不思議だった。船の操縦は確かに役に立つだろうが、両親を亡くしたお嬢様の傍にいてやらなくて、女の子は寂しくはないのだろうかと。


 どうもピンと来ない。お嬢様のイメージが沸いてこない。リッキーの他に、誰か傍にいる人物がいるのだろうか?お嬢様は、本陸にも来ようと思えば来れるだろう。それなのにこんな孤島で暮らすのはどんな心境なのだろうか。両親の思い出を抱いて暮らしているのだろうか。


 あるいは、もっと何か別の、暗黒のような感情があるのか。




「この先は左ですね」




 加羅は想像していたが、みんなで歩いている。


 道案内する七雄。通路の分岐点だった。左右に道が別れている。右側の道は緑ばかりが生い茂り、暗い雰囲気だった。一方左の道は明るい。七雄が案内したのは、左の石畳の通路。まだ館は見えてこない。道は意外にも歩きやすく、通った道に関してはある程度舗装されていた。黒いコンクリート。道の端は緑が通っている。慣れていなければどこかで迷子になってもおかしくない。




「あとどれくらいで着くのですか?あ、急かしているわけではありません」




 黒の恰好の白井が尋ねた。酒は飲んだが酔ってはいない。もう十五分くらい歩いているのではないか。




「もうすぐですよ。ここからは館は見えませんが、突然バッと現れるんです。館が」




 刀利はそれを聞いて、突然現れるなんてなかなかのホラーだと思っていたが黙っていた。子供っぽいと思われても困るのだ。もう手遅れの感じはある。私、この程度でホラーだと思うなんて軽い女じゃなくてよ、と思っている。




 曲がり角を左へ。緑へ覆われた道を歩いていく。


 そして、本当にバッと館の姿が現れた。黒と白の風景の建物が見えた。館だ。加羅が予想していたような茶色い洋館のような雰囲気ではなかった。ひたすらに殺風景な色合い。黒と白しかない建物。館の周りは、緑に覆われている。海は見えない。ここからでは崖も見えない。




「素晴らしい外観ですね」




 加羅は意外にも笑顔だった。彼は殺風景というか、味気ない雰囲気が好きなのだ。廃墟などを見に行くのも彼の趣味で、刀利もそれに付き合うことがある。




「え?そう?まあ、加羅さんだからなぁ……」




 刀利は苦笑した。




「刀利さんはどのように思っているのですか?」




 七雄が笑顔で尋ねた。勿論、刀利の様子を見ながら。




「え、えっと……なかなか、先鋭的だと思います」




 コメントに困っている食レポーターみたいな様子で刀利は答えた。先鋭的という言葉の意味を知っているかも怪しい。白い両手をお手上げといった感じで上げている。七雄は笑った。


 その時、加羅と平川は同じことを思っていた。煙草が吸いたいものだと。


 加羅は思いきって聞いてみる事にした。




「七雄さん、中は禁煙ですか?」




「ああ、吸えますよ。館の一部だけですが……お嬢のお父様もよく煙草を吸っていました。お嬢も嫌がらないと思います」




「それはよかった」




 笑顔の加羅。申し訳なさそうだが。




「煙草魔人め!」




 刀利は笑顔で加羅をどついた。




「否定はしない」




「お、ついに魔人の本性を現したか」




「魔人の定義は?」




「ええ……て、定義……」




 刀利は黙ってしまった。魔人という言葉を検索したい気持ちだった。




「助かります」




 平川は七雄に頭を下げた。吸える場所など限られているのだからありがたい。




「僕に頭を下げられても困ります。お嬢にお願いします。さあ、行きましょう」




 七雄は笑った。そして七雄を先頭に館へと向かう一行。


 白黒の館の内観はどうなっているのだろうかと加羅は思った。意外にも質素かもしれない。豪華なイメージは思い浮かばなかった。


 豪華という言葉について少し考えた。


 シャンデリアなどがあれば豪華だろうか?


 しかし、それは単に金がかかっているというだけのこと。


 本物の豪華とは、一つ一つが洗練されているか。それに尽きるだろう。



 加羅達は館の前までやってきた。


白黒の館を取り巻く自然、そして重厚な館へと続く黒いドア。大きいドアだ。ドアはいかにも頑丈そうで、押しても開かないのではないかと思われた。




「ちょっとここで待っていてください」 




 七雄が黒いドアに向かっていく。急いでいるように見えた。


 七雄無しでは、もっと館に来るのも苦労しただろう。もしかしたら七雄が道案内出来ることも、招待主の計算通りかもしれなかった。


 インターホンがドアの傍に設置されていた。それより高い場所にカメラもついている。


館の内側から外が見れるようになっているのだろう。


 七雄は、インターホンのボタンを押した。インターホンの音は加羅達には聞こえなかった。内側だけ鳴る仕組みだろう。




「中にどれくらい人がいるんでしょうね?」




 内側からの返事を待ちながら、刀利が疑問を口にした。




「百人はいないだろうな」




 加羅が冗談混じりに答えた。煙草を中で吸えるので、今のうちに吸っておこうという気はないようだ。加羅視点で七雄が喋っているのが見える。




「ああ、アキラ。七雄だ。人数は丁度五人。中に入ってもいいよな?開けてくれ」




 そんな言葉を言った後に、七雄は加羅達を見た。




「中に入ってもいいらしいです。行きましょう」




「この黒いドア、開くんですか?」




 刀利は腕組をして扉を見ている。真っ黒の扉。押しても動きそうにないのだ。


 しかし次の瞬間、黒い扉が右側にスライドし始めた。加羅達は何もしていない。おそらく内側から機械で操作しているのだろうと加羅は想像した。黒い扉は完全に開いた。


 七雄が先頭を歩き、門を抜けた。


 平川、白井、刀利と続く。最後に加羅が通ったが、加羅は横目に扉を見ていた。特に扉に異常は無さそうに見える。ただ黒いだけ。




 船は、リッキーが乗っていってしまった。島に残された船は一台。




 そして、この扉も恐らく閉まるのだろうと加羅は思った。閉まったら簡単に外に出られないだろう。裏口があったら、そこから出れるが。


 妙な圧迫感に、加羅は違和感を覚えていた。


 本陸に帰れる手段が少しずつ減っていく。


 黒い扉はまたスライドしながら元に戻り、頑丈に道を阻んでいた。


黒い扉を抜けると、今度は内側の白一色の建物が加羅達を出迎えた。




「なんか、汚したら怒られそうですね。真っ白。うーん、雪でも降ったかのようです。雪はね、クリスマスなんですよ。サンタなんです」




 刀利はぴょんぴょん跳ねている。物珍しいからであろうか。




「汚すなよ」




 加羅が釘を刺した。刀利ならやりかねない。




「おおっと、刀利選手、コーヒーをこぼしてしまったぁ」




「通路は三つですね」




 平川は刀利の言葉が聞こえないかのように話をした。加羅も同じく無視している。サングラスの白井だけが、少し笑っていた。刀利は無安打ではなかった。安打とは、笑いが取れたという意味である。


 平川の言った通り、道が三つに分かれている。


 中央の通路の先にはドアが見える。そのドアもまた建物と同じく白い。右側と左側の通路はカーブしながら先へと進んでいるようだ。カーブしているため、道の奥は見えない。いずれの通路も緑の絨毯が敷かれている。窓ガラスは見えない。


 インターホンに対応した設備はここにはないようだ。どこか、別の部屋で操作していたのだろう。




「応接室はこっちです」




 七雄が先頭を切って、正面の通路を歩き始めた。右側と左側の通路は客用ではないのだろう。加羅は、館内の地図が欲しいなと思った。どうにも落ち着かない。アイドル事件のせいである。


 白いドアまで、七雄を中心に歩いた。ドアまでたどり着くと、七雄はノックもせずに扉を開けた。鍵は掛かっていなかった。


 白いドアを開けた先は、とても天井の高い大部屋だった。下は厚い緑の絨毯。天井付近にオレンジ色を照らしているガラスが吊られている。灯りのようだ。壁は穏やかな茶色。木だろうか。 白黒の空間から抜けたからか、真っ当な作りのはずの部屋の雰囲気が、どこか普通ではないように感じられた。右手に扉が二つ見える。どこかに繋がっているのだろう。同じく左にも扉が二つ。そして部屋の中央奥に見える赤い絨毯の階段がカーブしながら上へと向かっていた。どこへ繋がっているのかはわからない。


 ぞろぞろと部屋の中に入る加羅達。




 中央の奥に少女が座っている。木製の椅子に。


 人形のようだった。無機質に白い肌と短い黒髪。服は白いワンピース。


 無表情で、加羅達を見つめている。少女の傍には茶色のコートを着た老人が立っていた。老人も加羅達を見つめている。




 大部屋の中には少女と老人以外の人間もいたが、少女と老人の醸し出す雰囲気が普通ではなかった。


 例えるなら、そう、ゲームの世界のようである。老人が少女を守る護衛で、少女はラスボスといったところか。


 しかし加羅達が七雄を先頭に少女の元まで歩いていくと、少女は意外にも笑顔になった。その笑顔は、年齢に相応しい綺麗な笑顔だった。




「ようこそいらっしゃいました。私、神楽 秋野です。嬉しい。招待を受けてくださったのね。お客様を楽しみにしていたのです。だって、何も無いものですから。いえ、してくれることはありますけれど」




 隣の老人も微笑んだ。秋野が笑顔なのを喜ぶように。




「初めまして、千乃時加羅です。コーヒー屋をやっています」




「傘吹雪刀利です」




「平川と申します。刑事です」




「白井瑞穂です。医療従事者です」




 皆、それぞれに挨拶をする。


 七雄だけは名乗らず微笑んでいた。自己紹介する必要もないのだろう。秋野に釣られるように笑っている。


 白井が医療従事者であることは、ここで初めて明らかにされた。白井の黒のサングラスに黒の上下は、医療とは程遠いイメージなので、皆驚いた。




「バイクのレーサーとでも思いました?」




 白井はくすくす笑っている。掴みどころがない。




「傘吹雪さん……刀利さんで良いのかしら。刀利さんは何をなさっているの?私、年の近い女性と話がしたいのです」




 秋野は刀利に尋ねた。秋野も刀利も共に両親を亡くしている。




「それが、なにもしてなくて……」




 刀利はバツが悪そうに喋った。




「ああ、職につかれていないのですね。私と同じです」




「秋野さんはまだ若いじゃないですか!」




「刀利さんもお若いと思います」




「なんかテニスみたいですね」




 刀利は笑った。秋野も笑ったのでラリーが続く。




「刀利さんのご両親は?厳しく言っては来ませんか?」




「私の両親は……死んでしまったので……」




「あ……」




 秋野は目を大きくして黙ってしまった。


 隣の老人は穏やかに話を聞いていたが、刀利の言葉を聞いて目を伏せた。




「ごめんなさい」




「秋野さん、謝ることじゃないです。秋野さんもご両親を亡くされたと……辛かったでしょうね。私達、似ているのかもしれません」




「そうですね。あなたとはもっとお話がしたいです。死とは、無意味だと思ったことはありませんか?生きていることに価値など無いと。面白いこと以外は」




「あります。はい、私も……ああ、来てよかったです」




「ここには何をしに?デートですか?」




 秋野が首を傾げた。




「加羅さんに付き添って、バーベキューしに来ました」




「キャンプですね」




 加羅と平川は黙っていた。二人はアイドルの事件についての関心があったが、この雰囲気を壊してはいけないような気がしていた。質問をしない。




「あ、みなさん、もうじき夕食になります。それまでこの部屋でくつろいでください。娯楽室もありますし、この部屋で歓談されても構いません」




 秋野は加羅達に向けて話した。空気を読むのが上手いと思われた。


 今、大部屋には九人の人物がいる。


 加羅、刀利、平川、七雄、白井、秋野、老人、そして女が一人と、男が一人。




「七雄さん、みなさんへの道案内、ありがとうございます」




 秋野は七雄の方を向きぺこりと頭を下げた。




「いえいえ、お嬢のためなら」




 七雄は笑顔を見せた。今までの中で一番明るい笑顔だった。


 加羅はその様子を見て確信した。やはり七雄が道案内出来るのは、招待主の思い通りだった。つまる所がこの少女。




「ところで、神楽さんの隣にいる方は?」




 続けて、加羅は隣の老人が気になっていたので尋ねた。




「失礼。私は四方木と申します」




 四方木が頭を下げた。




「お嬢様にお仕えさせていただいております」




 四方木が頭を上げる。老人ながらも背筋は伸びている。武術でもやっているかのようなしなやかさを思わせる体だった。シックな茶色い上下の服。白髪だが、まとめてある綺麗な髪の毛。気品すら感じさせる。




「執事さんみたいなものですか?」




 刀利が首を傾げる。




「大体、その通りでございます」




「門を開けてくれたのも四方木さん?」




「いえ、門を開けたのは別の者です。この部屋にはいません」




「管制室のようなものがあるのですね?」




 加羅が管制室のありそうな部屋を想像しながら尋ねた。




「その通りです。管制室に興味があるのですか?」




 四方木は不思議そうに加羅を見つめている。


 加羅はちらりと平川の方を見た。平川がこくりと頷く。




「この島そのものに興味がありまして……管制室は、客は立ち入り禁止ですか?」




「いえ、お嬢様が招待なされたお客様なら見ても構いません。見に行かれますか?」




「是非。あ、その前に……」




「なにか?」




「煙草を吸わせてもらっても、よろしいでしょうか?」




「受動喫煙だ!」




 刀利が割ってくる。加羅に絡むチャンスである。




「部屋の隅に灰皿が置いてあります。そちらでどうぞ」




 秋野が笑顔で部屋の隅に置いてある灰皿を指さした。喫煙者への配慮がしてあるようだ。




「助かります」




 加羅は一礼して灰皿の方へ向かっていった。平川が続く。


 刀利はため息をついてそれを見守っていた。




「いつも、ああなんですよ。許されませんよね」




 刀利が呆れながら、秋野に話しかけた。




「喫煙者の方も、肩身が狭いですから……迫害する者。される者。その二択なのでしょう。たまたま、喫煙者が迫害される側になっただけの事です。他の事象を同じです。生き残るか、死ぬか」




 秋野は笑っている。それを見て刀利は、自分の方が、秋野より幼いのではないかと思った。そこまで煙草を毛嫌いしているわけではないが、それはある種の慣れかもしれなかった。加羅の店で散々煙草の匂いには慣れている。加羅に、絶対にお前は吸うなと言われたことがあるが、そう言われると逆に吸いたくなったものだ。だが煙草はお金がかかる。そして健康のため。結局は加羅の言葉を真剣に受け止め、煙草を吸ったことはない刀利。




「結婚相手が喫煙者だったら、どうしますか?」




 刀利は秋野に聞いてみた。将来の事を考えているのだろうかと。




「喫煙というよりもむしろ、パートナーとして信じられるかというか……あ、質問の答えになっていませんね。そうですね……吸わないほうがいいですね。喫煙していたら辞めさせます。ゲームのように」




「ですよねぇ」




 刀利はうんうんと頷いた。ゲームのようにという表現はどうかと思ったが。




「加羅さんとはどういう関係なのですか?」




 秋野が聞いてくる。刀利は迷った。実際のところ、どういう関係かと聞かれると答えづらい。コーヒー店を営んでいる加羅の元に刀利が勝手に押し寄せているに過ぎない。刀利は加羅のことが好きだったが、結局、他人なのかもしれない……。


 求めたいだけ。


 薄々気づいている。


 少女と大人。


 その格差。




「加羅さんのことが、お好きですか?」




 秋野は無表情に戻っている。




「はい」




 しかし淀みのない刀利。




「何故ですか?」




「何故……うーん、私は昔に、両親を亡くしたんですよね。その時は私は十九歳でしたけど……。どうしたらいいかわからなくて。私のお気に入りだったコーヒー店が加羅さんの営業しているお店だったので、私は加羅さんに泣きついてしまったんです。それを加羅さんは嫌な顔一つせず、私の話をよく聞いてくれました。とても、とても長い時間話していたと思います……。どうしたらいいかって相談に乗ってくれて、加羅さんはとても優しい表情でした。優しい人なんです。それ以来、もうメロメロで」




 刀利は笑顔で語る。


 メロメロとは?と秋野は聞きたかったが胸に秘めた。




「好きな方がいて羨ましいです。私には……」




 秋野は寂しそうな眼をして言った。




「あ……」




 刀利はしまったと思った。


 秋野の両親は亡くなり、そして秋野には、刀利のように縋れる人物はいなかったのだ。




「いえ、大丈夫です。四方木がいてくれましたから……刀利さんも管制室を見に行ってみてはいかがですか?管制室の設備は結構面白いですよ。私の事は気にせずとも大丈夫です」




「ごめんなさい。いいんですか?」




「はい。私たち……似ていますね。そう、ある種。ある種の話です」




 秋野の黒い目が刀利を見つめている。その瞳が刀利には深い闇のように見えた。深い何かを抱えたような。




 その時、応接室に轟音が聞こえた。




「雷!?」




 刀利は叫んでしまった。


 秋野はすぐに、応接室の入り口から見て左側の窓を見た。先程までは降っていなかった雨が、強く降っている。ガラス窓を強い雨が叩いている。風も強い。雨が揺れている。




「天気予報ではこうではなかった」




 秋野が窓を見つめながら呟く。無表情。その瞬間、どこかの何かが決した。


 再び光が走った。直後、轟音。雷で間違いない。




「よかったですね。ホッとしました」




 秋野が刀利の方を向いて話した。刀利にはピンとこない。




「よかった?」




「船に乗っている最中でなくて」




「ああ」




 その通りだと刀利は思った。船の中でこうなっていたら、どうなっていただろうか。悪寒が走った。もしかしたら撃沈していたかもしれない。それくらいの、雷だった。



 煙草を吸いに行っていた加羅と平川が戻ってきた。加羅と平川は、刀利と秋野の元に戻る時に話をしていた。一台しかない船。頑丈な黒の扉。悪天候。三つの壁に、加羅達は帰ることを阻まれた。




「みなさん、雷が鳴りましたが……この館に泊まっていってください。明日には良くなると思います。結局、プランは変わりません。館内にて楽しく過ごしましょう」




 秋野が素早く提案した。四方木が、その通りだというように頷く。加羅達にしてみれば、この申し出を引き受けなくてはどうしようもない。好意に甘えることを秋野に伝えた。




「良かった。会食を早めに開きましょう。この悪天候では不安になる方もいるでしょう。四方木」




 秋野は四方木の方を向いた。四方木は頭を下げ加羅達の元から去った。会食という催しの準備があるのだろうか。




「嵐の中の館……うーん、人生で一度味わえるかどうか。中々にミステリアス。悪天候なんて大嫌いですけど、館の中から見てみると、なかなか良いものですね」




 刀利は首を傾げている。




「推理小説みたいだな。大体同意見だ」




 加羅が同意した。




「そうそう。これで、事件が起きて……名探偵が解決するんですよね。あ、いや、でも」




「でも?」




「探偵役がいないような気がします。加羅さんが解決してくれますか?」




「事件が起きればな」




「おお、頼もしい!私は助手ですね!平川さんは、えっと……情報提供者」




「僕は刑事役じゃないのか」




 平川の苦笑。




「刑事は後から到着するんですよ!それで、えっと……」




 犯人、と言い出そうかと思ったが、刀利は不謹慎かと思いやめておいた。もう手遅れな感じがあるが。




「えっと?」




 加羅が笑いながら聞いた。




「えっと、会食が楽しみですね」




「全然脈絡がないぞ」




「細かいことを気にしてたら!煙草没収ですよ!」




「俺の煙草だ」




「えー、我々は健康を守るために……」




 刀利が謎の演説を始めた。


 秋野が笑っていた。加羅と平川はやれやれといった様子である。慣れている。




「四方木が準備を進めてくれます。厨房に二人のコックがいるので、完成した料理を四方木がこの部屋に運んでくれるでしょう。それまでお寛ぎください。悪天候ですが……かえって、良いものかもしれません。関係ないでしょう?関係無い事の素晴らしさといったらありません。干渉しない。悪影響を受けない。幸せなことです」




 加羅の方を向いて話す秋野。




「干渉しないことに関しては、同意見です。ところで……四方木さんはご老人のようですが、若く見えますね」




「はい。私の両親に恩があるといって、私を助けてくれて……本当に四方木には……」




 秋野は言葉を切った。言葉には言い表せない恩というものがある。


 世の中には裏切る人間がいる。しかし、四方木は秋野に尽くしていた。秋野に飛びかかる泥はことごとく排除した四方木。秋野を守り続けてきた四方木。今頃、厨房でコックたちの様子を見ているのだろうか。




 応接室内にある出入口は、五つだ。


 一つは、加羅達が入ってきた玄関へと向かう白いドア。


 そして、あと四つ。部屋の左側と右側に二つずつ設置された四色のドア。


 黒、緑、赤、青。各色のドア。


 加羅は想像した。四方木は緑色のドアに入っていった。そこが厨房へ向かうドアなのだろう。黒と赤と青の扉の用途がまだわからない。いずれかは、寝室に繋がっているだろうと想像した。それとは別に管制室へのドアもあるはず。少なくとも寝室への道はあるだろう。


 


 館の構造は、思ったより複雑ではなさそうだった。奥の赤い絨毯の階段の先にも何かあるかもしれないと、加羅は思った。しかし、いくら館を想像しようが、いずれにせよこの天候では本陸には戻れない。ここで会食を楽しむしかない。それに、それも悪くない。干渉されないのだから。秋野の言う通り。




 秋野と加羅達の会話から、二時間ほどが経過した。


 四方木が緑色のドアから、手際よく食事を応接室に次々と運んできた。照り焼きのチキン、山盛りのサラダ、飲み物、新鮮な魚など。一人では大変そうだった。何度も出入りしている。加羅達が入ってきた時は目立たなかった机であったが、そこで食事を楽しむらしい。


 四方木の運んでくる料理は、どれも美味しそうだった。みんなお腹が空いている。加羅から見て、まだ素性の知れない人物がいたが、食事の時に大体わかるだろうと予想した。


 ふと、窓の外を見る加羅。雨は止みそうにない。




 悪天候。




 料理が一通りテーブルに揃った後、全員が、席に座るように秋野に促された。加羅達がそれに応じ、木の机の周りの椅子に座り始めた。机は縦に長い。片側五人と片側四人、合計九人で座れるようだ。コックの姿は見えない。ここには来ないのかもしれない。




 片側に、加羅、刀利、平川、七雄、白井。丁度五人。


 そしてもう片側に、秋野、四方木、そして、加羅には名前もわからない男が一人と、女が一人。四方木は立ったり座ったりだった。素性の知れない男は、同じく素性の知れない女と仲が良さそうだった。二人で話をして笑っている。そういえば応接室で先程も話をしていたな、と加羅は思った。




「みなさん、本日は集まりいただきありがとうございます。あいにくの天候ですが、ささやかながら夕食を用意いたしました。是非お召し上がりください。人間の命は儚いものです。最後の晩餐さながら、是非楽しんでいってください」




 秋野が皆を見ながら会食の挨拶をした。加羅は、なかなか語彙力のある子だな、と思った。


 そして、秋野の言葉を聞いた刀利が、ありがとうございますと言いかけた時。




「ん?」




 刀利が目をパチパチさせている。




「どうした?」




 加羅が聞いた。




「今、窓の外、何か通ったような……」




 応接室に入って、左側の窓を刀利は見ている。つまり館の西側。


 外は大雨。雷が鳴り、風が強い。




「何かが風で吹き飛ばされたんじゃない?」




 平川が冷静に分析した。




「ああ、そうか。そうですよね。疲れているのかも」




 刀利は自分を疑った。何かが通った気がするが、思い過ごしかもしれない。しかし何かがひっかかる。何かが。




「何事かと思いました。では、皆さん、食事にしましょう。嵐ですが……出会いに乾杯。短い出会いに。そして、これからの人生に」




 秋野はノンアルコールのビールを手に挨拶をした。客にも酒を飲んでもらうための、秋野なりの配慮だろう。主催者が形だけでも飲まないと、客も飲みづらい。四方木、も既に席についている。料理はとりあえず運び終えたようだ。


 各々がドリンクを飲み、料理を楽しみ始めた。




「これは美味しい」




 加羅が口にした。鶏肉の香草焼きだ。


 それを聞いた加羅の目の前の秋野は、笑顔になった。




「よかった。お口にあってなによりです。我が館のコックさん達は、腕がいいのです。さあ、続きをお召し上がりになって」




「なんだか、申し訳ない」




「いいのです。この悪天候ですから。それに元々、会食は予定の内です。泊まっていかれるとよろしいと思います。全員分入れるくらいの部屋はあります。泊まってもらうつもりでしたから。よく眠れると思います。嵐も、良きバックミュージックになってくれることでしょう」




「配慮、ありがとうございます。ところで……寝室はどちらのドアから向かうのですか?」




「私の寝室ですか?」




「いえ、我々のです」




「わかっています」




 秋野は笑った。ジョークだったようだ。




「あそこです。この応接室の青色の扉が、お客様用の寝室に繋がっています」




 秋野は部屋の青色の扉を指差した。わかりやすい。




「なるほど。ところで、コックの方はともかく、管制室で作業をされている方は食事に来ないのですか?」




 加羅は気になっていた。館の入り口の黒い扉。扉を操作していたのは四方木ではない。別の人間が管制室で操作をしたはずだ。その人物も食事を取らなければならないはず。気になったというよりは、違和感に近いものかもしれない。どうにも、管制室という言葉だけが、この館に似合っていないような気がしたからだ




「どうやら、大所帯が苦手なようなのです」




 秋野が困ったような表情をした。つまり、一人で食べる。そういうことだろう。




「管制室にはどのような設備があるんです?」




 野菜に手を伸ばしていた刀利が、好奇心で尋ねた。野菜を大事に!というポスターを加羅の店に勝手に張って、怒られたことのある刀利。




「えっと、扉を開閉するための設備と、監視カメラがあります。それと、ネット回線の繋がっているモニターがいくつか。後は、椅子と机ですね」




「監視カメラ?」




 平川が食事の手を止めた。




「はい、あ、勿論皆さんを盗撮したりはしません。客室も安全です。船着き場と館の入り口に、カメラを設置しております」




「船着き場……?私たちが通ってきた所ですよね。なんであそこに監視カメラが必要なんですか?不法侵入してくる輩がいるっていうことでしょうか?それなら、わかりますが……少し、神経質すぎる気もします」




 刀利は疑問だった。そこに監視カメラをつけるメリットがあまり思いつかない。




「私にもよくわかりません。しかし、両親は船着き場にカメラを設置していました。不法侵入者などいないと思うのですが……カメラは二十四時間回っています。不審な船が来れば、すぐわかるようになっています」




「僕たちが入ってくる姿も見えていたわけですか?」




 平川が食事をする手は止まっている。




「いえ、私は見ていません。しかし、管制室に行けば記録が見れると思います。ただ、その必要性がありません。皆さん、とても良い方ですから」




「北央七瀬を知っていますよね?」




 平川は口に出してしまった。夕食の雰囲気が壊れるかもしれない。それでも。




「あ、ええ、アイドルをなされていた……この島で亡くなりました。ニュースにもなったと思います」




「自殺」




 加羅が呟く。




「はい……事故当時、私や四方木はずっと一緒におりました。警察の捜査でも、事故死だったと聞いています」




「管制室のカメラに、不審な人物は映っていませんでしたか?」




 加羅がポイントを尋ねた。答えはだいたいわかっていたが。




「はい。リッキーはご存じですよね?まともに、島に用事がある人しか映っていませんでした。つまりこの館の関連の人々です」




「もう事件から三週間……この島に北央七瀬が生きて隠れているとは考えづらいですね。そうでしょう?」




 平川は頷いている。深く、深く頷いている。




「島に出入りする方法は、船以外にないのですか?」




 加羅が、さらに気になっていた点を指摘した。




「え?」




 秋野が口を開けた。




「ヘリは来れない……としても、島の周りに船をつけて、中に侵入することは出来ませんか?」




 そう尋ねる加羅。秋野は、加羅の質問に少し考えていた。




「船着き場以外の白良島は、崖の集まりですから……船着き場以外で中に入るのは難しいと思います。勿論、崖をひたすらによじ登るとか、無理に侵入しようとすれば、可能かもしれませんが、船を止めておく場所はありません。それに、あまりにも無茶です。不可能だと思います」




「なるほど。ありがとうございます」




 加羅は質問を終えた。今の天候ではろくに崖も登れないだろうな、と想像した。




「人が死ぬのは悲しいことですね」




 黙っていた白井が口を開いた。医療従事者だからだろう。人の命が尽きるのが悲しいのかもしれない。死を悲しいと感じる人間がいる。当然のことだ。いずれの人間にも死が訪れるが、不幸な死ほど悲しいものはない。


「四方木」




 唐突に秋野が切り出した。




「はい、お嬢様?」




「管制室のアキラさんに、食事は持っていきましたか?」




「いえ、まだです。そろそろかと思っていました。至らず、申し訳ありません」




「謝ることは無いのです。アキラさんに食事を持って行ってあげて下さい」




 四方木は、かしこまりましたと言って、席を立ち厨房に向かっていった。管制室のアキラという人物の声を七雄は知っている。七雄とアキラには面識がある。


 四方木は、厨房があると思われる緑のドアから再び応接室に入ってきた。


 そして今度は黒いドアに近づき、開けた。そちらが管制室のようだ。四方木の姿が見えなくなった。




「ところで……何故、管制室のような場所が必要なのですか?この館の入り口の黒い扉も、管制室で捜査しているようでしたが……」




 加羅が秋野に尋ねた。ここまでのセキュリティが必要だろうか?




「普段は使っていません。入り口も開いたままになっています」




「ではなぜ、今はロックを?」




「そうですね……私は大丈夫ですが、四方木が、北央七瀬さんの事故の事もあり、今日は設備を使った方がいいだろうと。どうやら私の身を案じてくれてのことだそうです」




 事故。不吉なことが起こらないようにという四方木の配慮だろうと、加羅は想像した。北央七瀬の飛び降り自殺。あるいは他殺か。それとも足を滑らせて落ちたのか。




 やり取りをしているうちに、応接室の黒いドアに向かっていた四方木が、Uターンしてきた。戻ってきている。




「お嬢様」




「四方木、どうしました?アキラさんは?」




「それが、管制室のドアが開かないのです」




「え?何故……中に呼び掛けてみましたか?」




「はい。呼びかけて、ノックをして……しかし返事が無く、ドアも鍵が閉まっていました」




 四方木は淡々と語る。




「鍵は誰か持っていないのですか?」




 話を聞いていた加羅が尋ねた。




「私が持っています。四方木も持っているはずですが……四方木、マスターキーを使ってしまえばいいのでは?ああ、四方木はマスターキーを部屋に置いてきたのですね。鍵はいくつかありますが……今、ちょうど私が持っているので、少し様子を見てきます」




 秋野の受け答え。椅子から立ち上がる秋野。




「お付き合いします。管制室にも興味があるので」




 加羅が立ち上がった。会食はもう済んだ。また、この外の嵐の不気味さから、秋野を一人にするのはいかがなものかと思ったのだ。何故かと言えば、なんとなく。なんとなく、放っておけなかった。




 結局人数が増え、秋野、加羅、刀利、平川、四方木、七雄の六人で、管制室に向かうことになった。好奇心なのか、そうではないのか。


 秋野の所持していたマスターキーで、黒色のドアは簡単に開けることが出来た。加羅がその様子をなんとなく観察していたが、ただ鍵を開けただけで、特に特別なことはしていないように見受けられた。


 黒いドアを開けると、先には壁面の白い色の長い通路。管制室がすぐ傍にあるわけではなかった。窓が通路についているが、雨のせいか暗さを増長させるだけだった。明るい時だったら、綺麗な景色だっただろう。




「鍵は、秋野さん以外には誰が?」




 なんとなく加羅は鍵の本数を尋ねてみた。




「ええと……私は常に持っています。お守りみたいなものですね。四方木の部屋にマスターキーが一つと、今管制室にいるアキラさんが一つ持っています。あとリッキーも持っていますね」


 秋野が受け答えした。つまり合計四つマスターキーがあることになる。




「マスターキーって、どれくらいの扉を開けられるんですか?」




 好奇心で、刀利が秋野に尋ねた。悪意ではない。




「この館の、全ての扉を開けることが出来ます。寝室も例外ではありません」




 加羅はアキラという人物については知らなかったが、リッキーが鍵を持っていることに驚いた。信頼されているのだろう。しかし、館にいることがあるのだろうか?外で仕事をしているように思われた。


 窓張りの廊下をみんなで歩いていくと、正面に、再び黒いドアが見えた。管制室への扉だ。


 秋野が慣れた足取りで扉に近づいた。


 秋野はドアノブに手をかけ開けようとしたが、中からロックがかかっているようだった。


 ドアが開かないとみると、すぐに腰の右に下げていた鍵を手に取った。


 ドアノブに銀色の鍵を差し込む秋野。扉は複雑な構造ではなさそうだった。


 金属の音が鳴り、鍵が開いた。秋野がドアノブに手をかけ、ゆっくりとドアを開いた。そのまま中に入る。他の人間も中へと進んだ。


 中は暗い。部屋の上の電球の電気が灯っていない。


 映像が流れているモニターだけが、ピカピカ光っていた。背もたれのある椅子がモニターの前にうっすらと見える。




「アキラさん?」




 秋野が呼び掛けてみた。返事が無い。


 周りを見渡す。管制室の出入り口は、いま加羅達が通ってきたドアだけだ。窓が無い。


 ピカピカするモニターの下に、何か置いてあるように見えた。しかし暗くてよく見えない。




「電気をつけます」




 入り口付近の四方木がそう言うと、灯りの白いボタンを押した。


 部屋が明るくなった。


 それと同時に全員の目に映る物があった。


 誰かが、光っているモニターの下に倒れている。


 そして、その倒れている人物の周りに赤い色。床にこびりついている赤い色。




 「えっ?」




 秋野が反応した。


 みんな、その真紅を見ている。真紅に飲み込まれている『それ』を見ている。




「え、これ、死んでる……?」




 刀利が後ずさりしている。




「嘘でしょ?」




「見てはいけない」




 加羅が刀利の肩に手を当てた。




「だって!」




「見るな!」




 外に、強い風が吹いた。


 しかし、その風ですら、その場の雰囲気を吹き飛ばしてはくれなかった。


 みんな戸惑っていた。何をすればいいのかわからない。


 刑事の平川が、素早く倒れている人物に近寄った。四方木も急いで続く。


 平川が人物の生死を確かめた。




「これは、もう、助かりません……背中をナイフのような物で刺されている。脈がない」




 真紅の中の人物の隣から響く、平川の低い声。




「四方木さん、この人がアキラさんですか?」




 平川がそう言い、今度は四方木が顔を確かめた。アキラという男は驚愕するような表情を浮かべている。苦しそうな。地獄のような。




「はい。この方は……アキラさんです」




 四方木の返答。常に冷静な四方木。頷く平川。


 加羅は、そのやり取りを見ながら考えていた。問題なのは死因。明らかに他殺だ。そしてこの悪天候。警察は来れないだろう。安全を確保する必要がある。彼は刀利の安全を考えていた。


 アキラは、うつ伏せで倒れていた。背中に鋭いナイフのような物が見える。




「四方木さん、アキラさんが持っている鍵は管制室の鍵だけですか?マスターキーを持っていると言っていたような」




 急な質問を、加羅が四方木にした。一見、なんの意味があるのかわからない質問。


 起こった事象に戸惑っている加羅だったが、加羅のスイッチは、もう起きてしまったことではなく、これからどうするかに反応するアンテナを立てている。策を練らなければならない。何せ、事件性が漂っているのだ。




「え?いや、管制室だけでなく他の部屋のマスターキーも持っています。確認いたします……」




 四方木の言葉を受けて平川が退き、四方木がアキラを調べる。




「加羅さん、平川さん、みんなと合流した方がいいんじゃ」




 刀利が二人に告げた。冷静。みんなで集まっている方が危険が少ないという意図だ。つまり、まとまっていれば殺人は起こせないだろうという。




「これだけは確かめておかないといけない」




 加羅は、鍵の所在をあくまでも突き止めるつもりのようだ。


 何故か?マスターキーを盗まれていたら、新たな脅威が襲いかかるからだ。殺人犯が館内全てを移動できることになるから。




「アキラさんは、仕事中はいつも鍵を持っているのですが、今現在は、持っていないですね」




 四方木はマスターキーを見つけられなかった。加羅がその答えに、渋い表情。




「まずいな」




 小さい声で呟く加羅。




「鍵を犯人に取られてしまったからですか?」




 刀利が素早く反応。少し考えている。防御重視。いかにして、全員の身を守るか。




「そう。現状、逃げ場はない……」




 加羅は考えた。何故、アキラという人物が死んでいるのか?


 加羅は思った。加羅達がこの館に来た時、管制室で入り口を操作したのがアキラという人物だったはず。七雄と会話していたはずだ。その時点ではアキラは生きていたことになる。


 管制室に鍵がかかっていたのだから、鍵を持っている人物が忍び込んだのは間違いない。入る時に鍵が掛かっていなかったとしても、出る時に施錠しなければならないはずだ。死人が内側から鍵をかけることなど無いのだから。


 四方木が、会食の中、一人でアキラを呼びに行った時に、アキラは死んでいたのか?


 この悪天候で、島の中に忍び込んでいる人物がいるのか?いるとすれば、それは脅威だ。だがしかし、監視カメラで調べられるはず。


 加羅が考え込んでいると、後ろで倒れる音がした。なんと、秋野が倒れている。四方木がそこに駆け寄った。




「お嬢様!」




 四方木が秋野の顔を見た。顔に生気が無い。




「お嬢様……ショックが大きかったようです。お嬢様を休ませたいと思います」




 四方木の言葉。当然、皆は頷いた。異論などあろうはずもない。




「四方木さん」




「なんですか、加羅さん?」




「休むのは、応接室がいいと思います。マスターキーを取られている。つまり、犯人はどこへでも侵入出来る。人のいる方がいいでしょう。寝室は良くない」




「え?ああ、なるほど。確かにその通りです」




 四方木が納得した表情。


 鍵を持った犯人がどこかにいる可能性があるなら、寝室は危ない。こんな状況に陥ったら、やるべきことは決まっている。全員で同じ場所に集まることだ。そうすれば殺人者も迂闊には手を出せない。館の中の人物であっても、外の人物であっても……。


 そんな中、七雄も呆然としていた様子だ。




「七雄さん、少しこの部屋を調べたいと思います。調査に協力を願えませんか?」




 加羅が七雄に提案した。犯人の痕跡を見つけられるかもしれない。また、そうでなければならないのだ。




「いや、応接室に戻ろう、加羅。僕は刑事だから、皆を守らないといけない。少なくても応接室に行かなくては……その間、お前を一人にしていたら、殺人犯に狙われるかもしれない。それに、現場保存というのは、捜査の基本だ」




 平川は、全員で集合するプランを取りたいようだ。




「私が加羅さんと一緒に調査すれば二人です。ダメですか?」




 刀利が腕を組んでいる。心の底に怯えを持ち、頭は冷静に働いている。それが刀利。矛盾した性格。人を好きなのも嫌いなのも、全てが歪んだ彼女の性格。




「それでもだめだよ」




「どうしてですか?」




「君たちが証拠を隠蔽する可能性がある」




「あ……なるほど。すみません、主観的でしたね」




 刀利は深く頷いた。加羅と刀利が証拠隠滅をする可能性。加羅、刀利、平川の関係を知らない者から見れば、ありえないことではない。




「この悪天候が良くない。すぐに警察は来られない……部屋に鍵をかけて現場を保存して、警察が来るまで全員で固まる。それがべスト。秋野さんを連れて行かないといけないし、皆で応接室まで行こう」




 平川が冷静に語る。刑事の頼もしさを刀利は感じた。加羅も頷いている。


 四方木が秋野を抱え、管制室を出ていく。加羅、刀利、平川、七雄も後に続く。


 平川が加羅にアドバイスされ、現場の写真を数枚撮った。


 全員が部屋を出た後、四方木が秋野の持っているマスターキーで鍵をかけた。


 管制室のドアは、中からは鍵無しで開けられる。内側から操作可能の鍵なのだ。外からはマスターキー、あるいは管制室の鍵を使わないと開かない。また同時に、外から鍵をかけるためにはマスターキー、管制室の鍵が必要で、内側からは鍵を使わなくても扉を閉められる。



 四方木を先頭に廊下を歩く一行。通路の窓から見える外の景色は、相変わらず悪天候だ。


 刀利が、上半身だけ考える人のポーズを取っている。何かを考えている。




「応接室には人が集まっていた」




 加羅はぼんやりと思考している。どう考えても、応接室から管制室に殺人犯が向かったとは考えづらいのだ。目撃される。




「そうですよね。つまり、お互いが証人……四方木さん一人だけ、この部屋に向かいましたけど。外で動いている人物……あ、そういえば、私、食事前に窓の外に影を見ました」




 刀利も思考していた。誰が?どうやって?その答えを探している。




「間違いなく?」




 加羅は念を押した。




「はい。この島で動いてそうな人物と言えば……」




「北央七瀬」




「そうそう、アイドルですね。でも、三週間も食料無しだと、難しそうですけど……」




 加羅は刀利の言葉を聞きながら、考え続けた。




「加羅さん、何か思いついたんですか?」




「アキラさんは背後を狙われていた。犯人に背中を向けていたということだ。つまり、アキラさんは犯人に気を許していたということになる。犯人はアキラさんと面識がある。そうでなければ、突然の侵入者に驚き、立ち上がっていたはずだ。油断しているところをやられたんだろう」




「アキラの知人……」




 話を黙って聞いていた七雄が呟く。




「そうなりますね……知人だから、なにかのトラブルがあって、動機があったということでしょうか?まあ、動機なんて些細な物だと思いますが。重要なのは事実。殺したか、殺していないか」




 刀利はおおよそ納得している。質問を加羅へ。




「そうかもしれないし、単に障害だった可能性もある」




「障害?」




「鍵を手に入れるための障害」




「鍵を手に入れるためだけに、アキラさんを殺したってことですか?」




 刀利は驚いた様子だ。




「マスターキーを持つことになんのメリットが?あ、訂正します。『マスターキーを犯人が持っていること』に気付かれた状態で、マスターキーを持つことに何の意味が?警戒されるでしょう?」




 刀利が意見した。




「その通り」




 加羅は頷いた。




「だとすれば、警戒させるためにマスターキーを奪ったとも考えられますよね。鍵を奪って周りを警戒させて、一か所に集める……うーん、リスキーですね」




 刀利を推理を続けている。




「うーん、なんか、館の中の人物にせよ、外部の犯行にせよ、イレギュラーがあった気がするんですよね」




 刀利は首を傾げる。




「天候のことか?」




「あ、そうです。この豪雨だけは、犯人の想定外だったのでは。あるいは、この天候が犯行をさせたのか」




「それは突飛だな」




「あはは……」




 刀利が苦笑い。少し突飛だったかもしれない。悪天候がイレギュラーだという、彼女の考え。天候が影響したのか?




「七雄さん、館の外に出ることは出来るのですか?刀利が窓の外の人影を目撃しています」




「出れますね。しかし、館の入り口に、管制室からコントロールされている扉があったでしょう?あそこを通らずに外に出ることはできません。とはいえ、外に出たところで何もない島ですが。のどかなキャンプが出来るくらいで」




「なるほど。この館の入り口の扉は、管制室からの操作が無いと、出入り出来ませんか?」




「そうですね。閉まっている状態では鍵穴もありませんし。スライド式、ロック式です」




「ありがとうございます」




 状況から、加羅は見切りをつけた。




「四方木さんは秋野さんを休ませないといけないし、我々は館の人物に、起きたことを説明をしなければなりません」




「説明してどうします?」




 七雄が尋ねる。




「なるべく、全員一緒にいなければいけません。寝る場所が問題ですが……」




「アキラは?」




 七雄は心配そうに尋ねる。




「残酷ですがこのままです。警察が到着するまで現場を維持しなければなりません」




 平川がいった。




「わかりました」




 七雄の表情は暗い。


 みんなで廊下を歩く。そのまま真っすぐ応接室へ。応接室と管制室の廊下を繋ぐ黒いドアは閉じていた。四方木は秋野を抱えていたので、加羅が扉を開けた。


 応接室へ、管制室に行ったメンバーが入り込んだ。 




「お嬢様を休ませてきます」




 四方木がいった。皆に一礼し、そして、応接室の奥にある赤い絨毯の階段の方へと向かった。上へと続いている階段だ。加羅は秋野の様子を見た。秋野は目を覚ましていないように見えた。




「加羅さん、皆さんに事件の事を話しますか?」




 刀利が尋ねた。話が広がれば間違いなく緊迫した雰囲気になるだろう。




「すぐにでも話した方がいいだろう。何しろ、まとまって動かなければばならない」




 加羅は周りを見回している。


 部屋の雰囲気が淀んでいるかのように思われた。先程とは何も変わっていないのだが。変わったものといえば、加羅の心境だ。応接室の面子は会食の時のメンバーと変わらない。


 変わらない……。


 加羅は緑色のドアを見つめている。厨房へ向かうドア。




「加羅さん、どうしました?」




 刀利が小さな声で話した。




「コック……」




「あ、そういえば会っていませんね。二人でしたよね、コックさん」




「そもそも、コックを入れても、俺たちが知らない人物が館の中にいるのかもしれないが……コックは気になる」




「早く会いに行った方がいいですよね?次の被害者になるかもしれません。あるいは、加害者か」




 刀利はもう動く気でいる。




「犯人は鍵を持っている。分断されているのは危ない。言う通り、コック達も状況を知らないはずだ。刀利、ここを頼めるか?」




「頼む点は?」




「周りの監視」




「事件のことは?」




「平川に説明してもらってくれ」




「了解しました」




 刀利が目を瞑った。スイッチを切り替えている。




「僕はどうしましょうか?」




 話を聞いていた七雄が尋ねた。




「七雄さんも厨房まで来てくださると心強いです。俺一人では説得力に欠けます。何しろ、館の人間ではないので。七雄さんが話してくれれば、信頼してくれるでしょう」




 加羅が七雄の方を見た。加羅が一人で厨房まで行っても、殺人事件が起きましたと言って信じてもらえないだろう。




「わかりました。一緒に行きましょう」




 七雄は頷くと、加羅と共に、緑色のドアに向けて歩き出した。管制室への黒いドアの隣である。


 刀利はそれを見送っていた。これで応接室には、平川を除けば、刀利が話した経験があるのは白井だけになった。


 白井の姿は壁に近い位置に見えた。椅子に座っている。白井に話しかけにいこうかとも思ったが、何が起きたのか聞かれてしまうだろう。




「平川さん、どうしますか?」




「白井さんにまず話をしにいこう」




「わかりました。なんでこうなっちゃったんでしょうね」




 一方。緑色のドアを、加羅が開けた。緩やかな右カーブの通路が視界に映る。通路の色は白い。通路には窓ガラスが貼られていて、雨風を吹き飛ばしている。頑丈な作りのようだ。壊れていない


 通路に人の気配はなかった。


 七雄が後ろからついてきている事を確認しながら、加羅は歩いた。


 北央七瀬の死。その事件から、この惨劇は仕組まれていたことなのだろうか。加羅の頭を想像が頭を駆け巡った。


 緩やかなカーブの先に、またしても緑色のドアがあった。


 加羅はそのドアに前で立ち止まった。おそらく緑のドアの中が厨房だろう。


 いきなり棒立ちになった加羅。ピタリと足を止めてドアを凝視している。




「入らないんですか?」




 七雄が加羅に尋ねた。




「いや、入ります。ただ、今更ですが、勝てるかどうかと思っていました」




「勝てる?……ああ、そうか……犯人が中にいるかも……そうですね。ノックしてみましょうか」




 七雄は頷いた。


 加羅の慎重さ。犯人が中にいるのかもしれないのだ。


 七雄がドアに近づき、ドアをノックした。そしてすぐにドアから距離を取る。


 一瞬の静寂。




「はい!」




 中から野太い男の声が聞こえた。どうやら大丈夫そうだ。


 そして、こちらから開けるでもなく、ドアが開いた。


 太った男が顔を出した。全身ジャージ姿だ。




「え?あの、お客様ですか?」




 太った男は驚いた様子で加羅達に話した。安全で良かったと、加羅は思った。




「はい。神楽秋野さんに招待されました。加羅と申します」




「僕は七雄です。館に来たことは何度もありますが、初めまして」




「あ、ご丁寧に……私は権田と申します」




 権田はぺこぺこと頭を下げた。




「ところで、何か御用が?四方木さんは?」




 権田は不思議そうに加羅達を見ている。




「少し、事情があって……一緒に来て欲しいんです。それと、もう一人コックさんがいるはずですが……」




 加羅は厨房の中をちらりと見た。


 厨房はそこまで広くはない。だが一般的な家庭のキッチンの五倍以上はあるだろう。


 奥に、またしても緑色の扉が見える。どこへ繋がっているのかはわからない。




「ええ、コックはもう一人いますよ。おい滝瀬!こっち来い」




 権田が手招きした。ドアの死角に向けて。


 加羅達の見えない所、入って左側にいた男が呼ばれて出てきた。


 一瞬身構える加羅と七雄。死角。


 黒いジャケットに青いジーンズ。とてもコックには見えない。短い金髪が主張しすぎて、料理に入ってしまうのではないかと心配になるほどだった。




「なんですか?」




 滝瀬が無愛想に話す。




「こら、お前!お客様の前だぞ。丁寧にせんか。なんでも、用事があるって話だ」




「初めまして、加羅と申します。応接室まで来ていただけると助かります」




「どうも。四方木さんは?」




 滝瀬はさらに無愛想になった。




「四方木さんも応接室にいます」




 加羅が受け答えする。嘘はついていない。




「四方木さんが呼んだの?」




 滝瀬の方が加羅より年下のようだが、横柄な口調で話す滝瀬。




「四方木さんが呼んだわけではありません。しかし、そう……四方木さんなら呼ぶでしょうね」




「ふーん……まあ、仕事も終わったし、行けるけど」




「お客様の前では礼儀正しくしなきゃダメだぞ」




 権田が滝瀬を咎める。加羅はあまり気にしていない。むしろ若い滝瀬が微笑ましい。




「とにかく、応接室に行きましょう」




 七雄が話をまとめた。




「後で説明してもらいますよ」




 滝瀬がぼやいた。


 七雄を先頭に、入り口から出ていく。滝瀬、権田、七雄。


 加羅は最後に、部屋の中の様子を観察していた。見た限り厨房には窓がない。厨房は安全だったことになる。マスターキーで扉を開けられてしまえば、話は違うが。




「行くんじゃないの?」




 滝瀬が加羅を急かした。




「ええ、行きます。ただ、その前に一つ。あの奥の扉はどこに繋がっているのですが?」




「ああ、奥のドア。カーブして入り口まで繋がっていますけど」


 滝瀬の応えに加羅は想像した。館に入った時、三つに分かれた通路があった。正面は応接室に繋がっていたが、左右どちらかの通路は厨房に繋がっていたのだろう。


 加羅はもう一度部屋を見回してから、七雄たちの最後尾についた。




 応接室に戻ると、平川と刀利が二人で話していた。刀利はすぐに加羅の姿を見つけた。




「あ、加羅さん!何もなかったのですね。良かったです。いや、あっぱれあっぱれ」




 刀利は笑顔を見せた。安心したようだ。四人戻ってきたということは安全だったのだろうと認識していた。




「ああ。厨房には窓もなかった」




「それは、安全ですね」




「安全って、何が?」




 滝瀬は不機嫌そうだ。


 加羅の認識している限り、館の人物が全員応接室に集まっている。四方木と秋野は階段の上にいるはずだ。加羅は事件の事を話すことに決めた。




「管制室で人が殺されました」




 加羅の言葉。


 滝瀬の動きが止まる。不意打ちされたかのような硬直。微動だにしない金髪。




「え、殺された?ど、どういうことですか?」




 ジャージ姿の権田が慌てている。当たり前である。殺人事件などという言葉を聞いたら、そうなるだろう。




「管制室で、アキラさんが背後から一突き。そしてアキラさんの持っていたマスターキーを、犯人が盗みました」




「そんな、強盗殺人など」




 権田は狼狽した表情を見せている。




「現場、見に行ってもいいの?」




 滝瀬はさほど動揺していないように見える。冷静な性格なのか、人の生き死にとか、そういうセンサーが無いのかもしれない。とにかく冷静だった。現場を見に行こうとしている。




「一旦はこの応接室に留まってほしいです。現場は鍵をかけて保存してあります。警察が来るまで、保存しておくのが良い」




「なんで?この天気じゃあ、警察だってすぐにはこられないだろ?じゃあ調べなきゃ。アンタ達、何もしなかったの?」




「犯人の動きがわかりません」




「ここに全員集めて、守りを固めようってか。お互いを証人にして」




 滝瀬は無表情で話す。飲み込みが速いと加羅は思った。馬鹿な青年ではない。




「そうです。館の中に犯人がいれば、犯人は身動きが取れず、外部に犯人がいても、大人数相手には慎重になるでしょう」




 加羅が作戦を話す。煙草が吸いたいな、と加羅は思った。




「応接室にいる人間は、全員そのことを知っているのですか?」




 権田が汗をかきながら質問した。




「いえ、まだ全員に話していません。今から人を集めて説明しようと思います」




「四方木さんは?」




 滝瀬がまたも口にした。四方木を気にしている。無骨な彼だが、四方木に対してはマナーがなっている。




「秋野さんが失神されて、その看護をしています。階段の上にいます」




「なるほど。しかし、四方木さんの話なら喜んで協力するけど、初めて会ったあんたに協力するのもね」




「安全のためです」




「まあ、合理的」




 滝瀬は渋々といった表情で答えた。




「ありがとうございます。なにせ、刑事もいますしね」




「え、刑事?」




 滝瀬は初めて顔色を変えた。




「はい。平川という刑事です。そこの」




 加羅は、刀利の傍にいる平川を見た。




「なんの偶然か知らないけど、それなら安全かな。銃も持ってるだろうし。早く言ってほしいな。それなら何の心配もないんじゃね」




 滝瀬が淡々と語る。




「最悪の時にしか使いませんけどね」




 平川の受け答え。彼は滅多なことでは発砲しない。責任が伴うのだ。しかし、銃を持っているというだけでも大きなアドバンテージだ。




「最悪の時って、どう判断するの?」




 滝瀬が意味深なことを言う。しかし、的を得た質問。




「どう判断?犯人が襲ってきたら、使うでしょうね」




 平川が答える。




「人が襲ってくることと、犯人が襲ってくることはイコールじゃないんだけど」




「どういうことですか?」




「例えば、勝手にやけになって襲ってくるやつがいたとして、そいつが事件の犯人とは限らないだろ?つまり最初の事件が犯人Aで、まったく別の犯人Bが襲いかかってくるかも知れない」




「それは……」




「冗談。だけど、こんなことで迷ってたら、刑事としての役割果たせないよ」




 滝瀬が生意気な口を叩く。しかし言っていることは一理ある。


 刀利が、滝瀬の金髪を見つめている。


 頭が良い。刀利はそう評価した。




「なにか?」




 視線に気づいた滝瀬。




「頭が良いのはわかりました。しかし、協調性がないぞよ!」




 刀利が手をパーにして滝瀬の方に向けた。




「協調性っていったって、初めて会ったんだから……」




「そんなことでは社会の海に流されて、ぶらり桃太郎ぞよ」




「社会に揉まれて、じゃないの?」




「うぐぐ……腹の立つ小僧め!」




「あんたの方が年下に見えるけど……」




 滝瀬は呆れている。




「すみません、まだ新人なもので……こら、滝瀬!協調性は大事だぞ」




 権田が割って入った。権田と滝瀬の協調性を足して二で割れば、丁度良い塩梅かもしれない。




「ビシッと指導しといてください!」




 刀利が権田の方に向かって、うんうんと頷く。




「四方木さんが言うんだったら聞くけどね」




 滝瀬が首を振る。




「む、四方木さんには弱いと見える」




 刀利は侍のような口調になっている。




「四方木さんは超人だから。尊敬してる。ずっとお嬢様に尽くしてるだろ。言葉より行動。あの人は行動できる人。結局、人間の価値なんてそういう基準だろ?どう行動したかどうか。言葉なんて当てにならないよ」




 滝瀬は意外にも、四方木の事を賞賛した。やはり何かがあるのだろう。




「とりあえず、全員に情報を通達しないといけない。勝手に部屋から出ていったら困る」




 加羅は部屋の中を見ている。サングラスの白井と、知らない男一人と女が一人が見える。


 しかし、どうしようかと加羅は迷った。管制室で人が殺されました、それではあまりにも突飛すぎる。



「七雄さん、あそこにいる男女のペア、知っていますか?」




「えっ?あ、ええ。知人とは言いませんが、名前くらいなら」




「呼んできてもらえますか?」




「わかりました。しかし、なんと伝えれば?」




「いきなり事件の話をするより、とりあえず集まってもらった方がいいと判断しました。みんな集まってるから来て欲しい、というニュアンスでお願いします」




「わかりました」




 七雄は頷くと、男女のカップルらしき人物たちの元へ向かった。





「外部犯じゃないかなぁ」




 七雄を見送っていた刀利が呟いた。




「刀利君が食事の時に見た、人影……」




 平川は難しい顔をしている。




「そうそう、そうなんですよ。今思えば、あれが犯人で間違いないと思います。こんな雨の中を外で動くなんて普通じゃないですから。しかし外部犯となると……相当限られてくるんですよね。この悪天候で船は渡ってこれないはずですし、三週間前にはアイドルの事件の捜査があった。当然、その時にも怪しい船の出入りの調査があったはずです」




 刀利がすらすらと語る。




「アイドルが生き残っていて、島に潜伏していて、犯行を行った……。行方不明と見せかけて、人を殺すトリック、という狙いか。なるほどね」




 平川は顎に手を添える。




「あるいは、アイドルはやはり死んでいて、アイドルの死は他殺で、殺人犯がまだ島の中に潜んでいるか」




 刀利の推測は、あくまで外部犯がいるという主張のようだ。


 そして加羅もまた考えている。アイドルの事件と今回の事件には共通点がある。


それは、安全圏。


アリバイのある人物が多いという点だ。というのも、館に入る時に、七雄はアキラと話していたはずだ。だからアキラが殺されたのはその後になる。そうなると、館内の人物はかなり白に近い。加羅達が応接室に入ってから、部屋を出ていった人物は、加羅の記憶ではほとんどいなかった。唯一、四方木だけが動き回っていたが。しかし四方木は部屋にマスターキーを置いたままで、携帯していない。常時マスターキーを持っていたのは秋野だけのはずだ。マスターキーは四本。四本のいずれかを使わなければ、閉まっている扉は開けられない。




 加羅達の元へ白井がやってきた。七雄は二人の人間を呼びに行っている。




「何かあったんですね?」




 白井が話す。サングラスの中の瞳の色は見えない。だが、その奥には確かに知的な眼差しが眠っている。隠している分キュートだろう。




「取り乱さないで欲しいんですけど……殺人事件が起きました」




 刀利が話す。いつもよりゆっくりした口調だ。




「殺人?」




「はい、アキラさんという人が刺されて……」




「そんな……犯人は?いや、捕まってないか……」




「なんでわかるのです?」




「だって、ここに人が集まっているし、誰も拘束されていないし……。ああ、そういえばさっき四方木さんが通りましたね。事件の影響ですか。しかし、殺人とは……」




 白井は表情を崩さなかった。まったく取り乱していない。しかしサングラスに隠されている瞳は動揺しているのかもしれない。




「おっしゃる通り、犯人が捕まっていないのです・皆で集まり、安全を確保する必要があります」




 加羅が、刀利の隣から説明した。




「そうですね。怖いですし……。しかし、集まっていても危険なのでは?」




 白井が、危険という言葉を出しながら続ける。




「爆弾とか、まとめて人を殺すような武器を持っているかも。集まっていては、恰好の的ですね」




「可能性はゼロではありませんが、大丈夫だと思います」




 加羅が穏やかな口調でいった。安心させるためかもしれない。




「言い切れますか?」




「動機がありません。無差別な凶行に犯人が及んでいるのであれば別ですが、それならアキラさん一人だけを狙う必要がない」




 加羅が言い切った。そして七雄が男性一人と女性一人を連れて戻ってきた。




「何事かね?」




 やって来た男が、話を仕切っていた加羅にいった。




「初めまして。加羅と申します。落ち着いて聞いてほしいのですが、殺人事件が起きました」




「殺人事件?」




 男が顔をしかめた。




「ああ、そうか。神楽さんもやはり子供ですね」




 男は急に納得したように笑顔になった。




「秋野さんが子供とは、どういう意味ですか?」




 加羅が尋ねる。




「何かの催しでしょう。サプライズというやつですね。客を驚かせようとしたのでしょう。みなさんも気づいているのでは?あ、失礼。私は道間といいます。自己紹介が遅れました。しかし、可愛いものですな、神楽さんも」




 道間は笑いながら、安心そうな表情をしている。




「いえ、事実です」




「ん?」




「アキラという方が、背中を刺されて亡くなっています。遺体もあります」




「はっはっは。客にまで仕込みをするとは、神楽さんも凝っていますな。これは面白い」




「あなた」




 道間の隣の女が、道間に話しかけた。




「なんだ?」




「周りを見てください。この方の言っている事は、恐らく……」




「うん?まさか本当だと?」




「たぶん」




 言われて当たりを見回す道間。雰囲気が明らかに暗い。




「ふうん。……遺体を見なければ納得出来ないな。どんなトリックか知らないが」




 道間は不機嫌そうになった。




「写真を見ますか?僕は刑事です」




 平川が道間の前に出た。スマートフォンを取り出し写真を開く。先ほど管制室に入った時に撮影したのだろう。


 道間はやや前のめり気味にその写真を見た。その写真は生々しかった。




「……失礼しました。我々は、どうすれば?能天気なことを言って、申し訳ありませんでした。しかし、私もそこまで馬鹿ではありません。どういう方針を取りますか?少々怖いというのが感想ではあります。妻も守らなければならないし……」




 道間は、状況を理解したように言った。




「とにかく、犯人がどこかに潜んでいます。全員で集まっているのが得策です」




「潜んでいる……加羅、どうして犯人が潜んでいるとわかる?もう犯人が逃げ出している可能性は?」




 平川が口を挟んだ。用を達成すれば、犯人に居残る道理はない。




「本来逃げるつもりだったのかもしれないが、この悪天候では島から出ることはできない。そしてもう一つ、マスターキーだ。あれを強奪したということは、まだ犯人には狙いがあるはず。アキラさんを殺すだけなら、それだけで終わりだ」




「まあ、そうか」




 平川は顎に手を当てた。




「犯人にとって、お前がいるのはイレギュラーかもしれない。刑事だからな」




 加羅は、奥の赤い階段を見ている。四方木が昇っていった階段。




「刑事だから、そこまで脅威か?」




「そうだ。しかし、イレギュラーでない場合があるな」




「というと?」




 平川の質問に、加羅は首を振った。




「刑事がいることによって、犯人に何かメリットがある可能性」




「捕まる可能性が増えるだけじゃないのか?」




「そうかもしれないが、何かあるのかもしれない。俺たちは招待状でここに集められた。各々に招待状を送られた理由は不明。神楽秋野さんが招待状を企画したと思われるが、俺たちの共通点は不明。確実なのは、俺たちの中、または館の外に殺人犯がいること。いずれにせよ、まとまって行動していればある程度は対策になる」




「館の外では人が潜むことは短時間しか出来なそうですが、それでも犯人が潜んでいると?」




 七雄が口を出す。窓ガラスの外は雨。




「あり得ない話ではありません。三週間前の事件……」




 低い声の加羅。




「アイドル。北央七瀬」




 刀利が言い切った。青い目が鋭い。




「そう。それが事故死ではないとすれば、北央七瀬が実は生きているか、あるいは北央七瀬は殺されていて、崖から突き落とした犯人がいるか」




「だとして動機は?アキラさんが殺される理由は?」




 滝瀬は無表情で尋ねた。




「二つあります。刀利、変わってもらえるか?煙草を吸わないと頭が回らない」




 加羅はポケットから煙草を取り出した。吸っている場合かと刀利は思ったが、すぐに察した。離れる理由があるのだ。




「任せてください」




 刀利は笑顔になった。殺人事件の起きた館としては、相応しくない笑顔。


 その感情は、冷静に、理性によりコントロールされているものだった。





 加羅は、煙草を吸いに部屋の隅に向かった。


 平川も吸いたかったが、刀利の話を聞くためにその場に残った。刀利が説明を始める。加羅と刀利が、以心伝心だ。




「ええとですね……まず、アキラさんに恨みがあった場合です。なんらかのトラブルがアキラさんとの間にあった。よくある話です」




「恨みがあるとしても、なんでこんなところで殺人を?天候だって悪い。逃げられないだろ」




 滝瀬の追及。




「迷彩でしょう」




「迷彩?」




「普通に、殺人を犯したら簡単に捕まります。特異な状況を作り出して、雲隠れするつもりでしょう。全てをうやむやにして、国外にでも行けばいい」




「警察だって馬鹿じゃない。ちゃんと調べれば必ず見つかる」




「そうですね。しかし、少なくとも迅速な解決は出来ないと思います。その隙がある。そして、この天候を利用して雲隠れ」




「犯人にとって、この天候は予想内だった?」




 白井が口を出した。黒いサングラスが光る。




「いえ、天気予報では曇りでしたから、完全に想定外だと思います。この天候では船の出入りは出来ません。犯人は船で逃げるつもりだったのかもしれません。もしかしたら、焦っているのではないかと」




「アキラさんが殺された、二つ目の理由は?」




 滝瀬がさらに割って出た。




「二つ目は、アキラさんの持っていたマスターキーを奪い取るためです。それさえあれば館内を自由に行ったり来たり出来ます」




「そんなことをしてどうなる?鍵を取るためだけに、人一人殺したっていうのか?なんで?」




「マスターキーがあれば、館の中の人を無差別に殺せます」




 刀利が瞬き一つせず言った。


 雷が鳴った。場に緊張が走った。




「鍵を取るためだけに人を殺すのか?異常だ」




 道間は眉間に皺を寄せている。




「殺人をしている時点で異常ですから……」




 道間の妻、道間夫人が言った。




「それはそうだが、だとすれば我々はどうすればいいのだ?」




 道間は緊張した様子を見せながらも、常に建設的な発言をしているようだ。




「全員で一緒にいることが最善です」




 刀利の演説の元に加羅が戻ってきた。煙草で思考力は回復しただろうか。


 刀利が加羅に右指で丸を作ってウインクした。ばっちり説明したという意味だろう。加羅は片手を上げた。




「俺は全員で一緒にいるのはごめんだね。大体、寝るときも全員一緒とか無理がある。そこまでちゃんと考えたの?」




 滝瀬が反抗的な様子を見せた。




「そういう意見の方もいると予想しています。全員で一緒にいることは出来ないという方は、どれくらいいらっしゃいますか?」




 加羅が辺りを見回しながら訪ねた。加羅と刀利のペースである。


 幾つか手が上がった。


 滝瀬、白井、七雄。三人だ。




「七雄さん、なんでですか?」




 反抗的な滝瀬はともかく、七雄に関しては刀利は予想外だったからか、目を見開いた。




「アキラを殺した犯人をつきとめる。やれることはある」




「危険では?」




「許してはおけない」




「冷静になるべきだと思います」




「君が冷静すぎるだけだ」




 七雄は刀利に言い切った。確かに、七雄の立場と刀利の立場は違う。七雄とアキラの関係は刀利にはわからなかったが、仲が良かったのかもしれない。




「僕が護衛しましょう」




 煙草を我慢していた平川が、七雄に名乗り出た。




「いいのですか?」




「七雄さんが危ないですから。しかし……」




 平川は、白井と滝瀬の方を見た。




「俺には殺される理由なんてない。したがって俺を殺すメリットはない。俺に危険はない。誰でも殺す横暴殺人鬼なんて、居やしないよ。勝手にやらせてもらう。コックの仕事もあるし」




 滝瀬は言い切った。


 しかし、人間は見えない所で、恨みを買っていたりするものだ。学生時代など、思い当たるところがあるのではないだろうか。無意識に他人を傷つけてしまうことが、人間にはあるのだ。




「ずっと一緒にはいられないし、怖いから集まるのは賛成ですけど、完全に一緒にいるのは抵抗感があります」




 白井が言った。そして応接室の奥の階段を見た。




「秋野さんは気絶しているんですかね。秋野さんが起きるまでは、私も皆さんと一緒にいます」




「そのあとは?」




 刀利が白井に問いかけた。どうやら、全員が同じところに集まるのは難しいようだ。




「さあ……寝室に案内してもらいますかね。きっとどこかに寝室があるでしょう。鍵もかかるでしょうし、比較的安全かと」




「マスターキーがあるから、鍵は無意味では?」




「まあ、寝室の扉くらい簡単に開けられそうですが、先ほどの方が言っていましたが、私も人に殺されるような覚えはありません。一人の方が向いていると思います。危険といえば都会も危険です」




「無意識に何かをしていたというものがあります」




「確かにそうですね。しかし、私は誓って殺されるようなことをした覚えはありません。それは間違いなく」




「そこまで言うなら……止めはしません」




 刀利は諦めた。しかし、犯人を追うために頭脳は回転していた。そう、犯人を捕まえてしまえばいいのだ。七雄が調査をしようとしているように、刀利も調査をすれば良いのではないかと思っていた。現時点では情報が少なすぎる。



「全員が集まることが難しいことはわかりました。俺には拘束力もない。みなさんの意見を尊重します」




 加羅も諦めた。というよりも、何か予見しているようだった。


刀利はそんな様子を見て、もしかすると加羅も調査をするつもりなのかもしれない。そう思った。




「しかし、一人殺したやつがいるんだ。そう思うと……」




 道間が早口で呟いた。




「私がお守りしましょうか?七雄さんと行動を共にすることになりますが」




 平川が道間を気遣うように言った。




「それは、助かります……刑事さんがいれば安心だ」




 表情を緩める道間。




「わ、私も刑事さんとご一緒していいですかね……」




 コックの権田が横から口を出した。全身黒いジャージ姿なので、夜中だったら不審者だったかもしれない。いかにも職務質問されそうな恰好である。偏見だが。




「ええ、一緒にいましょう。加羅、俺は不安な人と一緒にいる」




 平川は、みんなの不安を払拭するような優しい声色で話した。




「お前がいれば安心だな。気をつけろよ。俺は少し調査をする」




「どうやって?」




「気になる点がいくつかある。それを当たってみる」




「そうか。お前も気をつけろよ」




「私がいるから、大丈夫です!」




 笑顔の刀利。




「君がいる方が不安なんだけど……」




 平川は、まいったというように額に手を当てた。




「ふっふっふ。師匠、これでも私の頭脳のキレは確かですよ。キレキレです。ただのキレではないのです」




「キレって、切れ味があるってこと?」




「そうですとも。大船に乗ったつもりでいてください」




「嵐の中の大船に乗っている気分になりそうな気がするよ」





 そして、刀利と加羅。




「それで、加羅さん。何から調べるんですか?」




「まず、この部屋の階段の上の、神楽秋野さんと四方木さんの様子を見にいく」




「ふむ。まあ、重要人物ですもんね……しかし、秋野さんと四方木さんが犯人の可能性は低いでしょうか」




「鍵のことか?」




「鋭い。そうそう、そうです。秋野さんと四方木さんはマスターキーを持っている。だからアキラさんのマスターキーを現場から持ち去っていく必要はないです。そういうことでしょ?」




「そうだな。まあ、犯行の目的が鍵でなければ、犯人の可能性もある。鍵を持ち去ったのはフェイクかもしれない。マスターキー目当ての犯行に見立てさせるためのな」




「秋野さんと四方木さんが、人を殺すとは思えないですけどね。秋野さんに限っては、返り討ちにあってしまうのでは?まだ少女です。体格の差というものがあります。しかし、そうですね。先入観はよくないですね」




「とにかく話をしにいこう。平川、皆さんを頼む」




 加羅の言葉に平川が頷いた。





 返事を聞いた加羅と刀利は、応接室の上に続く赤い階段を昇り始めた。一階から、左から流れる階段と、右から流れる階段が上で合流している。絨毯は綺麗な赤色だ。


 その階段を上ることにした。階段を昇っていくと、上のフロアが見渡せた。左手にとても大きなソファが見えた。赤いソファである。しかし、ソファが設置されているだけで通路などもなく、ただ広いだけの空間だった。椅子が何脚かあり、上には灯り。本棚がいくつかと、酒棚も見えた。すべて茶色い木製作りの棚である。


 ソファに誰かが横になっている。加羅と刀利が近づくと、それは秋野だとわかった。秋野は目覚めている。秋野が加羅と刀利の接近に気づくと、身体を起こし二人の方を見た。      


その動きが、まるで人形のようだった。


 ロウソクで塗り込まれたような白い肌。


 不自然なまでの関節の柔らかさ。


 そして、両の目が人を吸い込むように加羅と刀利を見つめている。




「秋野さん、目が覚めたんですね」




 加羅は無表情ではなく、少し優しさを加えたような顔色で話しかけた。不安を払拭させるためもあった。




「はい。ええ、すみません……あの、皆さんは無事ですか?」




「下で集まっていたり、調査をしに行ったりしています」




「調査、ですか……アキラさんのことですよね。。警察に任せた方が良さそうな気がしますが。何もしない方がいいのでは?」




「この天候がいつまで続くかわかりません。警察の到着前に、犯人がまた犯行に及ぶかもしれません」




「全員が揃っていれば犯罪は起きないのでは?」




 そう発言する秋野に、加羅は現状を説明した。




「状況はわかりました。悪天候で船が出入りできないとなると、やはり……」




「今、館にいる人間か、外に潜んでいる第三者が犯人です」




「この天候で外に潜めますか?」




 秋野の瞳。深淵。




「厳しいと思います。しかし、刀利が食事の前に、館の外の物影を見ています」




「お言葉ですが」




 秋野の傍に寄り添っていた四方木が口を挟んだ。




「見たという確証があるわけではないでしょう。現に、刀利様以外は誰もその影を見ていません。館内の人物が殺人を犯した。そういうことなのだと私は思います」




 四方木が語った。


 刀利は少し反論したくなったが、話の正当性を認めて黙っていた。確かに、刀利以外には誰も見ていないのだと。そして、もう一つ黙っていた。管制室にアキラを呼びに行ったときに、あなたは。四方木さんはアキラさんを殺せたのではないかと。しかしこれも想像にすぎない。憶測で犯人呼ばわりするのは良くない。




「下に行きましょう」




 秋野はハッキリとした口調で言った。立ち直ったような態度。毅然としている。




「お嬢様、大丈夫ですか?」




 四方木は秋野の顔を見ている。心底、心配そうに。それほど秋野の事を大事にしているのだろう。




「問題ありません。全員が一緒にいられない状況では、少しでも何かしたほうが……」




「そうですね。四方木さん、一ついいですか?」




 加羅が頷き、質問に移った。




「なんでしょう。答えられる範囲なら」




「管制室にアキラさんを呼びに行ったとき、鍵がかかっていたと言いましたね。確かですね?」




「あの時ですか。誓って確かです。中に呼びかけもしました。しかし返事はありませんでした」




「ありがとうございます」




 加羅は四方木に頭を下げた。




「何か、わかりました?というよりも、気づきました?」




 刀利が加羅に尋ねた。刀利の思考は少し止まっていた。事件全体がぼんやりとしている。霧がかかったように。この悪天候のように。




「わからない事はある」




「ですよね。しかし、わかることも?」




「危険な状況である、というくらいだな。全体像がいまいち見えない。……煙草が吸いたいな。秋野さん、先に下に行っています」





 一階、応接室の隅の銀色の灰皿の前にて。加羅と刀利はそこにいた。


 優しい風が吹いている。換気しているのだろう。一緒についてきた刀利は不服そうだ。




「煙草吸ってる場合じゃないですよ!」




「ここならお前と二人で話せる。そして、平川も煙草を吸いに来るだろう」




 加羅はポケットから煙草を取り出し火をつけた。




「二人で話すために、秋野さんを置いてきたんですか?」




「それより平川が来ることのほうが重要だが、そうだな」




「私に何か言いたいことが?」




 刀利はわけがわからない。


 その刀利にゆっくりと加羅が近づき、刀利の耳元で囁いた。




「俺以外の人物に一人たりとも油断するな」




「え?一人もですか?」




「そうだ。平川も含まれる。迂闊に動くなよ」




「平川、さん……?加羅さんのことだから、もう何か気づいているんですね。気を付けますけど、理由は?」




「理由は」




 加羅が説明しようとした時、秋野と四方木の姿が見えた。二人で階段を降りている。そのまま、加羅達の元に来るものと思われた。加羅は言葉を切った。煙草を吸いながら、秋野達の様子を見ていた。秋野の足取りはしっかりしている。そして四方木の足取りも。




「とにかく平川を待つ」




「いつ来ますかね。とにかく、気を付けますけど。なんでかなぁ」




「そう長くはかからないはずだ。調査と言っても、時間は知れてるだろう」




「平川さんは……権田さんと道間さんと、七雄さんと一緒でしたね」




 刀利は、顎に手を当てて考えている。


 今、応接室に平川達の姿は見えない。七雄の調査に同行しているのであろうか。どこを調べているのかがわからない。




「とりあえずここで待っていれば、確かに平川さん達が見つかるでしょうね。この応接室、全体に繋がってるみたいですし。それがアリバイを証明しているわけですけど」




「そうだな。応接室は全体に繋がっている……。俺はもう一度、管制室に行きたい。現場を保存するために鍵をかける前に、やっておくべきことがあった」




「調べることがありますか?凶器?それとも他に……」




「ある」




 この加羅の口調は鋭かった。




「椅子……」




 加羅が呟いた。


 一方、刀利は頭からパーカーを被っていた。遠くを見るような目で思考をめぐらしている。


 どうやって殺したのか。それが問題。アキラの死亡推定時刻。これは、警察が到着しないとわからない。しかし、加羅達が館に入った時は生きていたということだけはわかる。




 加羅たちの元に、秋野と四方木がやってきた。加羅が吸い殻を灰皿へ。未成年の前で吸うわけにもいかない。




「加羅さん」




 秋野は凛々しい表情で加羅に尋ねた。




「調査なんてする必要、ないですよね?警察にまかせておけばいいですよね?」




「警察がいつ到着するかわかりません」




「それでもいいのでは?放っておけば」




 秋野は微笑した。凍てついたような微笑だった。アキラに興味がないようにも思える発言だった。館の住人であるはずなのに。




「しかし、七雄さんはアキラさんの無念を晴らすと言って、調査をしています」




 刀利は、秋野の毅然とした態度に少し恐怖感を持った。


 何かが違う少女。自分と同じ匂いを感じたのは確かだ。だが、どこか異質なのだ。




「刑事さんがいるとはいえ、素人では犯人を見つけることは難しいでしょう。調査するより、安全に身をおいたほうがいいと思います。アキラさんには殺される動機があったのでしょう。悪いことをしたのでしょう。しかし、他の皆さんには殺される動機などないのでは?部屋でゆっくり休んでもらうのがよろしいかと思います。寝室もちゃんとありますし」




 秋野が笑顔で首を傾けた。隣の四方木は表情を変えずに佇んでいる。冷静極まりない。


 刀利は勢いに押されて、確かにそうかと思った。加羅は無表情。




「冷静ですね。それは、ありがとうございます。寝室の……部屋を使わせてもらってもいいですか?」




 加羅は寝室を利用するつもりのようだ。あるいは調査なのか。




「もちろんです。今、寝室の方へ繋がるドアを開けますね。多分鍵がかかったままです。寝室には、番号が振ってあります。寝室の鍵は、寝室に入ってすぐの場所にあります。自分の部屋しか開けられない鍵です。各寝室に設置されています。マスターキーを除けば、部屋のドアを開けられる鍵はその部屋にある鍵だけです。ご安心を。すぐに行きますか?」




「なるほど。いえ、すぐには行きません。俺はここで刑事の平川を待ちます」




「わかりました。では、私は先に寝室へ向かうドアを開けてきますね。行きましょう、四方木」




 秋野が華麗にお辞儀した。


 そしてくるりと身を翻し、今いる喫煙スペースから応接室の青いドアへと向かっていった。四方木もあとに続く。まるで四方木は護衛のようだと加羅は思った。



 喫煙スペースに加羅と刀利が取り残された。灰皿は何も喋らない。銀色。灰皿が話すはずもない。だが、どこか銀の光が寂し気だった。




「平川さん、来ないですね」




「何か手がかりでも見つけたのかもしれない」




「犯人の残した致命的ミス的なアレですか。これで決定的!犯人破れたり」




「もしそうなら、事件解決だな」




「めでたしめでたし」




 刀利が笑顔で、顔の前で両手を合わせた。そんなに都合が良いわけがない。




「加羅さん、質問です」




「なんだ?」




「犯人は、管制室にどうやって侵入したと思いますか?外から鍵を開けた?鍵がかかっていなかった?アキラさんが内側から鍵を開けた?」




「想像してみればシンプルだぞ」




「シンプル?」




「管制室でアキラさんが仕事をしている時。おそらくは何かの作業をしていただろう。もし仕事をしていなかったとしても、アキラさんの死因は背中の傷。いかに知りあいだったとて、背後を取れる確証があるかは難しい」




「あ、そうですね。そっか……私は、四方木さんがアキラさんを呼びに行った時に殺したという可能性も考えましたが、返り血が残った服を処理出来ないんですよね。応接室が全てに繋がっているというのが……。だから、四方木さんも犯人じゃない。もっと前。私達がアキラさんに入り口の扉を開けてもらって館に入った時と、四方木さんがアキラさんの様子を見にいった間が犯行時刻。うん、少し難しくないですか?管制室には応接室を通っていかなければいけませんよね?応接室に返り血を浴びた人間が通れば、誰かに気づかれる可能性もあるのでは?」




「咎めるだろうな」




「む、なんか私、置いていかれている気がします。もう何かわかっているんですか?返事が淡泊です」




 刀利は頬を膨らませた。不満のようだ。加羅は何かに気づいているようだ。


 そこに平川と七雄、それに権田と道真の姿が見えた。平川達は、応接室の赤いドアからぞろぞろと出てきた。


 加羅はまだ、赤いドアの先を知らない。


 しかし予想することは出来た。おそらく遊戯室だ。消去法である。遊戯室を利用してもいいと、言われたはず。とあれば、館内に遊戯室があるだろう。緑が厨房。黒が管制室。青が寝室への扉。


 七雄が一行の先頭を歩いていたが、平川が、加羅達が喫煙スペースにいるのを発見すると、一行は進路を変えて加羅達の元へ向かってきた。


 加羅が平川に軽く手を振った。刀利は大きく手を振った。




「何か見つかったか?」




 加羅は煙を吐き出す。紫煙の煙が煙たい。




「遊戯室にいってみたんだが、何も。ビリヤード台とか……そういう、事件に関係ないと思われるものばかりだった。遊戯室には、奥に進むドアがあったな。開けてみたが、入り口へと繋がる廊下に出たよ。そこから入り口まで行けるのも確認した。僕達が館に入ったときに見た三本の廊下の一つだな。加羅、煙草を一本くれ」




 平川は加羅に手を伸ばした。加羅はポケットからすっと煙草を一本取り出し、平川に一本手渡した。黒いライターで火もつけてやった。面倒なことだ。




「遊戯室と厨房が怪しいと思うんですがね……血痕などはありませんでした」




 七雄は腑に落ちないような表情をしている。




「そう、そうですよね。その二つが一番怪しいです。返り血を浴びて応接室で大胆に歩いていては、目立ってしまう。でも、管制室へ向かうドアから遊戯室と厨房までのドアまでなら、急いで移動すれば、見つからないかもしれません」




 刀利が手を胸の前で合わせている。しなやかな手。管制室から応接室に出ると、すぐ隣に遊戯室のドア、正面に厨房のドアがある。




「いや、厨房からは誰も通っていませんよ」




 ジャージの権田が渋い顔をした。




「権田さんと滝瀬さんの両方がいたわけですから、権田さんが言うならそうなのでしょうね」




 一人だけだったらわかりませんが、という言葉を刀利は飲み込んだ。嘘もつけますよね、の意図。




「ところでお嬢は?」




 七雄は辺りを見回している。




「寝室のドアを開けに行くと言っていましたよ」




 加羅がまた煙を吐いた。今、秋野と四方木の姿は応接室には見当たらない。




「四方木さんがいるから安心ですよね。あの人、ご高齢だと思うのに、すごく、こう……重厚な感じがしますよね」




 刀利は本心を話した。




「よ、四方木さんが犯人だったら、秋野さんと二人きりにしておくのは危険なのでは?」




 道真の意見。




「それは行き過ぎな気がしますね。確かに、殺人が起こった今、疑心暗鬼になるのはわかりますが、冷静に対処しなければなりません。四方木さんが秋野さんを殺すとは考えづらい。確実に犯人が特定出来ますから。そして……犯人の姿が見えないということは、犯人は身を隠すつもりがあるということです」




 加羅は煙草を灰皿で揉み消した。




「失礼を承知で言うのであれば、犯行が可能な人物は限られてきます」




 刀利はまた頭を回転させていた。切り替えが速い。喋りながら考えている。




「おそらく一番怪しいのは、マスターキーを持っていた人達です。管制室に内側から鍵を掛けられていた場合、犯行そのものが行えなくなります。神楽秋野さん、四方木さん。アキラさんとリッキーさんは除外してもいいか……アキラさんは被害者だし、リッキーさんは島の外」




「それじゃあ、二人しかいないじゃないですか。ますます危ないではないですか」




 道真は疑問のようだ。




「最初は管制室に鍵はかかっていなくて、犯人がアキラさんを殺して鍵を奪って、部屋から出てアキラさんから奪ったマスターキーで鍵をかけた。そういう可能性もあるんじゃないか?」




 平川は煙草を指に挟んでいる。




「あり得ますね。しかし、それは若干不確定な要素が多くて、犯人はそれを選ばなかったと思います」




 刀利は自信ありげだ。




「不確定?」




「アキラさんの気分です。鍵が開いていたら確かに中に入れたでしょう。しかし鍵が中からかかっていたらそれで終わりです。引き返すしかありません。殺人は出来ないことになります。確実にドアが開いている保証があれば別ですが」




「となると、確実に侵入出来た秋野さんと四方木さんが必然的に……」




 平川が煙を吐いた。




「ちょっと待ってください」




 七雄が早口で割り込んだ。




「お嬢はそんなことはしません。もちろん四方木さんも。仮説を話しているだけでしょうが、異議を申し立てます」




「七雄さんがお二人に思い入れがあることもわかります。しかし仮定の話です。常に冷静に判断を下さなければなりません。それが推理、そして推論です。そんなことはしない。その先入観が、命取りとなる場合となる事象もあり得る」




 刀利は少し申し訳なく思ったが、持論は取り下げなかった。そして加羅に話を振る。




「加羅さんはどう思いますか?」




「ここでは話せない」




 加羅は推理に参加しなかった。




「それはどういう意味だ?」




 平川が煙草をもみ消した。




「情報を迂闊に公開するわけにはいかない」




 加羅がいった。




「つまり、ここに、話を聞かれてはいけない人物がいるということか」




 平川は頷いた。この場にいた人間にとっては、加羅の発言は緊張するものだった。




「しかし、まさかこんなことに……怖くて仕方がありませんよ」




 コックの権田が呟いた。ジャージ姿は変わっていない。




「秋野さんと四方木さんに、全員で話を聞きに行くべきでは?寝室も確認できるのでしょう?」




 道真がいった。道真の発言は、いつも先に進もうとする意志のような物が感じられた。建設的である。


 言葉は不思議だ。人間の心を表すように表情を変える。道真の発言が常に先へ進むような発言なのは、本人の頭が切れるからだろう。どうするか、どうすれば、という思考。




「冷静な意見です」




 加羅は頷いた。煙草はとうに消し終えている。




「秋野さんと四方木さんに、二人ともずっと一緒だったかとか、アリバイを聞くんですか?」




 刀利が首を傾げている。




「その前に……僕達は客として五人で訪れたわけですが、僕達より先についた人が、お嬢と四方木さんのアリバイを証明出来るのでは?」




 七雄の発言。そう、加羅達が到着する前の時間に、館の人物がどう動いていたかもわからないのだ。




「そのアリバイを証明しても意味はないと思います」




 刀利は人差し指を口に当てている。挑戦的。




「刀利さん、それは?」




「犯行時刻です。私達が館に着いて、七雄さんがアキラさんと話をしていたはずです。その時アキラさんは生きていた。だから、私達が館に入って以降の時間が問題なんです。その間のアリバイを証明できなければ、意味はありません。だって普通に生きていたんですから」




「それは……正しいですね」




 七雄は頷いた。




「秋野さん達に話を聞きにいきましょう」




 加羅はジャケットをすっと着直した。


 煙草を吸えた平川も、平常運転に戻ったようだった。何を考えているだろうか。


 加羅達が目指すは、寝室へと繋がる青色のドア。



 ぞろぞろと、加羅達は集団で青いドアまで歩いていった。これだけの人数がいるのだから、という安心感があった。


 ただ、同時に不安に思う者もいた。安全が確保されているからこそ危険を感じる。


 人間の本能なのか。自分が安全だからこそ他の危険性を想像する。平和であれば戦争を想像する。戦争であれば平和を想像する。


 寝室に続く青いドアは、空いていた。秋野が開けたのだろう。


 加羅が先頭で、遠慮なくその中へ入っていく。


 ドアを抜けると、細長い廊下が現れた。白い壁の廊下に茶色のドアがいくつか見える。左右に均等にドアが設置されており、それが先へと続いている。まるでホテルのようだった。


 細長い通路の先に、加羅は秋野と四方木の姿を発見した。


 左右の茶色いドアを無視して、秋野と四方木の方へと向かう加羅。その際、軽く扉の外側を見たが、特に変わったところはなさそうだった。


 秋野達が加羅に気づいたようだ。


 秋野が笑顔で手を振っている。年相応の若い反応に見える。そう、秋野はまだ成人してもいないのだ。少女である。しかし、謎めいている。雰囲気そのものが違うのだ。


 加羅達と秋野達が、お互いに近づいた。




「みなさん、お集まりですね。集団行動は安全ですね。一度、二階へ行きませんか?軽い飲み物があります。ソファでくつろいで頂いても結構です」




 秋野は加羅達を見回している。


 その言葉に応じるように、加羅達は秋野と四方木についていき、応接室の二階へ上がった。




「どうもありがとうございます、秋野さん。秋野さん達にお尋ねしたいことがありまして」




 加羅はいくつかの返答をシミュレーションしながら返した。




「なにか?」




「今日の行動を教えて下さい」




「今日の?ああ。……疑っていらっしゃるのですね?館の中に、元々いたのだから。当然の流れですね」




 秋野はまた笑顔になった。




「わかりました。ええと、どこから話せばいいでしょうか?」




「今日起床してから、今に至るまでです」




「わかりました。私は、この廊下の寝室でいつも眠っています。青いドアから入って一番近いドアが私の寝室に繋がっています。朝起きて、顔を洗って応接室に出ました。私と四方木とリッキー、そしてアキラさんしか館にはいませんでしたね。ちゃんと目撃しましたよ。私の知る限りでは。コックさんもその時はいませんでした」




「コックは後から来た」




 刀利は呟いた。意味深に。




「わかりました。それで?」




 加羅が先を促す。




「アキラさんの姿は一度だけ見ましたが、朝からずっと管制室にかじりついていたようです。映画でも見ていたのかもしれません。あそこにはモニターがあるので。リッキーは船での送り迎えの準備。私は四方木と一緒に話をしていましたね。他愛もない話です。食べものの美味しさ、世の中の構造のこと。ただ、ずっと一緒だったわけではありません。四方木が用事で外したり、また、私が一人で遊戯室に行くこともありました。しかし、基本的には応接室の階段の上にいましたね。お客さんを楽しみにしていました」




「階段の上から、管制室への扉に入る人物に気が付きましたか?」




 加羅が重要な所をきいた。ここが重要である。この証言が得られれば、人物を絞り込める。




「いいえ。もしかしたら誰か通ったかもしれませんが、あの階段の上から応接室から管制室に入るドアを確認するのは、少し難しいです」




「そうですね……確かにそうだ。逆もしかり」




 さきほど階段を上がった加羅は同調した。赤い絨毯の階段を昇った先では、管制室へのドアすら確認出来なかった。


 秋野は続ける。




「そして、まずコックさんがやってきました。権田さんと滝瀬さんです」




「なるほど。ちなみに、どういった交通手段で?」




「リッキーが送り迎えをしてくれました。本当に、リッキーには感謝をしないといけません。私に尽くしてくれる、頼れる人です」




「ということは、船でコックさん達を迎えに行っていたリッキーさんを除く、秋野さんと四方木さん、アキラさんの三人だけという時間が出来たということですね」




「ええ、そうなりますね。そして、私と四方木はずっと一緒にいたわけではないので、疑われても仕方ないですね」




「先を続けてください」




 加羅は優しい表情で言った。その顔が意外だったので、秋野は少し安心した。




「はい。リッキーが、権田さんと滝瀬さんを連れて戻ってきました。船着き場の監視映像でも確認できると思います。監視映像は、管制室に入らないと見ることは出来ませんが。権田さんと滝瀬さんが、私に挨拶に来てくれました。権田さんは私と、滝瀬さんは四方木と少し会話をしました。みんな笑っていたと思います」




「なるほど。ところで……四方木さんが、応接室の上のスペースで携帯電話に出ませんでしたか?」




 加羅が急に尋ねた。早口だったかもしれない。挟み込むような質問。




「え?ええと……ああ、権田さんと滝瀬さんが来る前に四方木に電話があったような」




「確かに、電話がありました。私は一旦席を外しましたね。力石から電話があったもので」




 四方木が秋野の隣から事実を認めた。落ち着いている。力石とは、リッキーの本名だろう。




「着信履歴を見せていただいてもいいですか?」




 加羅はこだわっている。




「はい。少しお待ちを。ええ、こちらになります」




 四方木は、スーツの胸ポケットからスマートフォンを取り出し、加羅に見せた。確かに、リッキーからの着信があった。九時五十二分に一回。盾上力石。その通知以外もさりげなく目を通した加羅だったが、不審な点は見当たらなかった。加羅はスマートフォンを四方木に返した。




「どんな電話内容だったのですか?」




 加羅が追求している。刀利は不思議がっている。電話がどうしたというのだろうと。何かの鍵を握っているのだろうか、と。




「コックの権田と滝瀬が、一緒に島に着いたという電話でした」




 スマートフォンをしまいながら答える四方木。無駄がない。洗練されている。老齢だが、端末を使いこなしている。




「なるほど。それで、コックの方々は来客に向けて準備し始めたというわけですね。コックさんが館に入るときは、やはりアキラさんが扉を開けたのですか?」




「そうです。いや、おそらくそうです。館の入り口の黒いドアは、自力で動かすのは不可能です。鍵穴がありません」




「わかりました。アキラさんは、普段は管制室で何を?」




「モニターをチェックする仕事も少ないもので、映画等を見たりしていたようです。それに、前は監視の仕事などありませんでしたから」




「アキラさんにはたくさん空いた時間があったのですね。わかりました」




 加羅は頷いた。何かに納得したのだろうか。確かに、情報は増えた。




「それで、権田さんと滝瀬さんが合流されて、その後は?」




「リッキーが、今度は道間夫妻を迎えに行きました。リッキーが館に帰ってきてすぐのことです。リッキーも大変だったと思います。彼はいつも忙しいのです」




答えたのは秋野。秋野がリッキーを気遣うように言った。




「コック、道間夫妻、俺達、合計で三往復ですね。大変だったでしょう」




「そうですね。その間に、滝瀬さんは四方木と話をしたりしていました。四方木が言っていた……」




「それは、どの場所で?」




「確か、厨房だったと思います。権田さんが見ていると思います」




 急に話を振られて焦る権田。




「は、はい。四方木さんは、滝瀬と話をしておりました。確か、空手の話だったような。滝瀬も楽しそうでした」




 権田は落ち着かない様子だ。しかし、滝瀬と四方木が話していたのは確からしい。




 こうして情報をまとめて確認してみると、やはり秋野は寂しいのではないかと、加羅は思った。島に常駐しているのは四方木とアキラだけ。リッキーは船で働き、七雄もたまに来る程度だろう。




「秋野さん、あの、寂しくはないですか……?私も両親を失って、悲しくて……私は、加羅さんが相手をしてくれていますけど……その、秋野さんは……」




 刀利が悲しそうな表情できいた。彼女もまた、傷ついた人間だ。




「いいえ。四方木がいてくれますから。私はあまりやりませんが、インターネットとかでも人とは交流出来ますし。そう、四方木がいてくれるから私は幸せです。リッキーも懸命に尽くしてくれています。暮らしにも困らない。恵まれていると思います。そう、恵まれている。圧倒的に」




 秋野の口調には、一切の迷いがなかった。


 自分を恵まれていると表現した秋野。成熟している。刀利はそう思った。自分の環境を呪っていない。


 刀利も自分の現状を嘆いているわけではなかったが、秋野の見せた凛とした態度に、少し感銘を受けた。そして、引け目を感じた。




「お嬢様……」




 秋野の隣で聞いていた四方木が、目を潤ませていた。目を拭う。




「どうしたの?四方木」




「私はお嬢様にお仕えできて、本当に幸せ者です。神楽さん一家にお仕えできてよかった。この四方木、決してお嬢様は裏切りません」




 四方木は俯きながらいった。





 四方木は、かつて結婚していた。しかし妻に先立たれ、一体この後どうすればよいのか、また、それすらも考えられないくらい荒れていた。


 都会のバーで、酒を誰と飲むわけでもなく一人で飲んでいた四方木。そこに秋野の両親、神楽夫妻が相席してきたのだ。相席を断ることも、四方木には出来た。しかし四方木はそれをしなかった。


 寂しかったのだ。人と話す時間が欲しかった。


 四方木は神楽夫妻にたくさんの話をした。


 神楽夫妻は四方木の身の上を真剣に聞いた。


 妻を失い、荒れている自分にはもう何もない。そう四方木は語った。もう失うものも無くなってしまったと。四方木の資産に余裕があるわけでもなかった。


 四方木は話をしているうちに驚いたものだ。神楽夫妻が泣いていたからである。夫妻は涙を流しながら四方木を励ました。


 夫妻は、よかったら新しい人生を歩んでみないかと、四方木を使用人に誘った。


 神楽両親も四方木のように、自分たちの境遇を四方木に話した。小さい子供がいること。資産には余裕があること。孤島で暮らしていること。


 四方木は戸惑った。そして嬉しさという感情を感じていた。夫妻が涙を流してくれたことに、言いようのない感情を覚えたのだ。救われた、といったほうがいいかもしれない。自分でもいいのでしょうかと夫妻に尋ねると、夫妻は喜んでと言って、四方木は使用人になることになった。




 そして四方木は、神楽達の元で働き始めた。それは四方木にとって、とても充実した日々だった。荷物の運搬。館の事務。楽しい食卓。まだ小さい秋野も、四方木に懐いていた。


 自分の人生はまだ終わっていないのだと思った。


生きがいを神楽達に与えられた。四方木は暮らしの中で、心を決めていた。


 神楽一家のためなら、なんでもすると。




 少し感傷に浸ってしまった四方木だったが、秋野の言葉で引き戻された。




「四方木、どうしたの?」




「いえ。なんでもありません。申し訳ありません」




「四方木さんは、秋野さんに本当に尽くしているのだと思います。話の先を伺ってもいいですか?秋野さん」




 加羅は四方木のことを、尽くしていると表現した。実際にそう見えたのだ。




「はい。ええと、リッキーが道真さんを迎えに行きました。船で本陸まで行って……すぐにこの島に戻ってきました。リッキーは疲れていなかったみたいですが」




 秋野が思い出したように語る。




「リッキーさんが道真さんを連れてきたときは、電話の連絡は無かったのですか?」




「え?」




「権田さんと滝瀬さんが来たときは、四方木さんに到着したという電話がありましたよね?しかし、先程拝見した通話履歴では、リッキーさんからは一回しか電話がかかってきていなかった」




「なるほど。島についたら連絡しないといけない決まりでもないのです。コックと共に島に到着したときに連絡があったのは、気まぐれでしょう」




 四方木が説明した。連絡は、決まりではないらしい。




「どの道、アキラさんがいるから、到着したら無事わかりますね。そうか……リッキーさん、三往復かぁ……私達が送ってもらった時、疲れていたのかな……」




 刀利は呟いている。感謝の念が湧いてくる。人間にとって感謝とは必要な感情だし、また、それを持たない人間もいる。


 一方、加羅は少し黙っていた。タイミング。タイミングによっては。




「ちなみに、今日はここで過ごすとして、誰が明日迎えに来てくれるのですか?明日もまたこの天候だったら、危険性が……」




 刀利は思いついたことを言ってみた。未来の心配である。




「リッキーが来てくれると言っています。電話で事情を話しました」




 秋野が安心したような様子で答えた。




「なるほど!リッキーさん、今頃心配しているでしょうね」




「リッキーは本当に良くしてくれています」




 秋野は目を閉じながら言った。人のために尽くすこと。それは、簡単かもしれないし、難しいかもしれない。尽くしてくれる人がいることは幸せだろう。不幸の傷を癒やすように。尽くされて感謝する人間もいるだろうし、当たり前だと甘えでしまう人間もいる。


 加羅が考え込んでいる。




「七雄さん」




 加羅が低いトーンで話しかけた。意味深である。




「なんでしょうか?」




「警察はいずれ島に到着するでしょう。そうすれば、わかってしまいますよ」




「……何がですか?」




「アキラさんの死亡推定時刻です」




 加羅が断じた。




「加羅さん、死亡推定時刻はそんなに重要じゃないんじゃないですか?だって、私達が着いた時にはアキラさんはまだ生きていて、その後亡くなられたのですから、死亡推定時間は警察が来なくてもわかるはずです。違いませんか?」




 刀利は否定的だった。加羅の指摘に意味があるとは思えなかったのだ。


 しかし、加羅は七雄の方を向いた。




「七雄さん、僕が何を言いたいのかわかりますか?」




 七雄の方を見る加羅。




「要領を得ない。わかりませんね。どういうことでしょう?」




 七雄は肩を竦めた。




「あなたは、僕達が館に到着した時、僕達を置いてインターホンに向かった。そしてアキラさんに扉を開けてもらった。そうですよね?」




「もちろん。見ていたはずです」




「話の相手は、本当にアキラさんでしたか?」




 加羅は鋭い目で七雄を見つめている。七雄の表情は動かない。




「本当に?そうですよ。だって、そうでなければドアは開きませんからね」




「アキラさん以外が扉を操作した疑いは、間違いなくあります。いや、そうでなければならない。証言の結果、アキラさんを殺すのは状況的に不可能に近い。死亡推定時刻。それだけがノイズとなって結論を遠ざけているんです。しかし、亡くなった時間がもっと広ければ犯行も可能になる」




「僕が嘘をついて何になるんですか?それに、アキラが扉を操作したのでなければ、誰が入り口の扉を開けたのですか?」




「四方木さんの可能性が高いです。秋野さんではない」




 加羅は、今度は四方木の方を見ながらいった。




「四方木さん、あなたならわかるはずです。判明するのは時間の問題だと。認めてください。疑いは秋野さんにも向くのですよ」




 加羅が語る。


 四方木は黙していた。何か、考え込んでいるようだった。納得しているようにも見える。そして、目を伏せため息をついた。七雄の方を見た。そして天井を見上げる。また深い溜め息をつき、四方木は語り始めた。




「そうです。私が入り口の扉を操作しました。七雄さんは悪くありません。私から七雄さんに、お願いしたのです」




「四方木さん!」




 七雄が四方木に向かって叫んだ。周りの者は驚いている。




「七雄さんがインターホンでアキラと会話をしたことにすれば、死亡推定時刻をずらせる。アキラさん、いや、アキラはみなさんが来たときには既に死んでいました。管制室の死体の横で、私は入り口の扉を操作しました。アキラを殺したのも私です。楽な殺しでした。背中を向けて映画を見ているアキラをナイフで刺しました。抵抗もされなかった。アキラから浴びた返り血は、持ち込んだ鞄で同じ服に着替えをして、血のついた服は綺麗にしまいました。そして携帯用のアルコールで、僅かに体に付着した体や顔の血も洗い、お嬢様に見られないように、素早く管制室を出ました。これが事件のすべてです」



 四方木は背筋を伸ばしながら淡々と語った。凛々しく見えた。


 それを聞いていた者は、驚きや警戒の感情を抱いた。話を聞き終えた平川が、銃を四方木に向けている。それはそうだろう。用警戒人物である。




「動かないでください」




 平川は、四方木に険しい声色で命令した。


 いとも簡単に、四方木は両手を上げた。




「何故ですか?四方木、何故アキラさんを殺したのですか?到底信じられることではない」




 秋野が目に涙を潤ませ四方木にいった。




「お嬢様。北央七瀬をご存知でしょう。アイドルの北央七瀬は、お嬢様の姉にあたります。本名は、神楽七瀬です。正真正銘、お嬢様の姉上なのです。そして、七瀬様の死は事故死ではありません。アキラが殺したのです。私は、アキラと飲んでいた。その時、酒を大量に飲んだアキラは、口を滑らしました。自分が崖から海に突き落としたと。七瀬様はアイドルの仕事をしながらも、お嬢様のために、家族のために一緒に暮らすという覚悟で白良島に来てくれたのです。アイドルを辞めることまで考えて。それを、それを……」




 四方木が語る。秋野は目を見開き、口に手を当てている。




「アキラが何を思って七瀬様を殺そうとしたのかは、わかりません。しかし私は決断しました。七瀬様の無念。お嬢様の家族の未来を奪ったアキラを殺そうと。しかし私は捕まるわけにはいかなかった。私は牢に入れられてもいい。だがお嬢様を残して捕まるわけにはいかなかった!私がそばにいてあげられなければ、誰もお嬢様の側にいてあげることが出来ない。ご恩を返すことも出来ない。お嬢様を悲しませる。だから、だから」




 四方木は俯きながらいった。刀利が口に手を当てて驚いている。平川はピストルを四方木に向けたまま。




「あなたを部屋に閉じ込めます。警察が到着するまで幽閉します。異存は?」




 平川が刑事らしくいった。加羅も発言はしなかったが、賛成だった。




「その通りにします。お嬢様、七雄さん、申し訳ない」




 四方木はうなだれた。




「アキラが悪いんだ!四方木さんは正しいはずだ!」




 七雄が叫んでいる。


 正しいの定義は難しい。二人の人物がいて、相容れない正しさをお互いに持って対立することもある。




「四方木」




 秋野が泣いている。ただ、立ったまま泣いている。




「まだ、力石がいます。彼を頼ってください。お供出来ずに申し訳ありません。この四方木、あなたに仕えられて本当に幸せでした」




 四方木の言葉の後、沈黙が辺りを包んだ。

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