第95話 静寂の王都と、歪んだ救済者
王都は、死んでいた。 人々の喧騒も、市場の活気も、全てが嘘のように消え失せ、支配しているのは墓場のような静寂だけだった。大通りに立ち並ぶ家々の扉は開け放たれ、露店の商品は無残に散らばっている。そして、そこかしこに、人々が「いた」。 逃げ惑う母親、それにしがみつく子供、剣を抜こうとする衛兵、荷馬車から転げ落ちた商人。その誰もが、人生の最後の瞬間を切り取られたかのように、恐怖と驚愕の表情のまま、黒い『影』の糸に絡め取られて停止している。まるで、悪趣味な彫刻が並ぶ美術館のようだった。
「…なんということだ…」 老将軍が、絶句したまま立ち尽くす。一人の騎士が、道端で固まっている少女に恐る恐る触れようとした。 「待ちなさい!」エレノアの鋭い声が響く。「触れてはだめ。あれは、ただの彫像ではないわ。肉体を核にして、魂そのものが『影』に囚われている状態よ。下手に干渉すれば、彼らの魂は二度と戻らない」
S 「魂が…囚われて…」 リリアが、目の前の惨状に、震える声で呟く。これが、セラフィーナの言っていた「救済」だというのか。
「ふはは…! なんという非効率、なんという無駄! 魂を刈り取るならば、もっと華麗に、一瞬で葬り去るべきだろう!」 ザラキアスが、目の前の光景を「美しくない」と断じる。 「うむ。生かさず、殺さず。中途半端だ」 ゴウガもまた、彼らなりの感性で、この状況の異常性を分析していた。
その時、王城のバルコニーから、鈴を転がすような、しかし魔法によって増幅された声が、静寂の王都に響き渡った。 「――ようこそおいでくださいました。愚かなる者たちよ」
全員が、声の主…セラフィーナを見上げる。彼女は、遥か高みから、まるで舞台を見下ろす観客のように、俺たちを眺めていた。 「ご覧なさい。これが、わたくしの…いいえ、〝神〟が与えたもうた、真の『救済』です」 その声には、もはや何の感情もこもっていない。ただ、絶対的な真理を語るかのような、冷たい響きだけがあった。
「救済…だと…?」老将軍が、怒りに声を震わせる。「これが…! 民をこのようなおぞましい姿に変えておいて、それが救済だと申すか!」
「そうですとも」セラフィーナは、心の底から不思議そうに、小さく首を傾げた。 「人は、なぜ苦しむのかご存知? 迷うからですわ。愛し、憎み、恐れ、そして迷い続ける。それこそが苦しみの根源。わたくしは、彼らをその苦しみから解放してさしあげたのです。もう迷うことも、苦しむこともない、永遠の静寂の中へとね」
その、あまりにも歪んだ、独善的な論理。俺は、怒りよりも先に、強烈な吐き気を覚えた。 「ふざけるな…!」 俺の代わりに叫んだのは、リリアだった。彼女は、固く拳を握りしめ、セラフィーナを真っ向から睨みつけていた。 「それは救済なんかじゃない! ただの、あなたの自己満足よ! 人の心を、命を、おもちゃみたいに弄んで…! それが、あなたの言っていた『光』なの!?」
「哀れな子羊…リリア」 セラフィーナは、リリアを見て、心底から憐れむように、悲しげに眉を寄せた。 「あなたも、まだ『迷い』に囚われているのですね。ですが、ご安心なさい。あなたも、すぐに、あの者たちと同じ、永遠の安らぎの中へとお連れしますから」
その言葉は、リリアに対する最後の通告だった。 俺は、一歩前に出た。 「…セラフィーナ。いや、あんたに宿ってる『何か』に聞く」 俺は、バルコニーの女を睨みつけた。 「あんたの目的は、こいつらみたいに、世界中の人間を『影』の置物に変えることか?」
「いいえ」セラフィーナ(それ)は、俺を見て、初めて楽しそうに微笑んだ。「これは、ただの『準備』ですわ。〝神〟がこの世界に真に降臨なさるための、舞台装置。この星の魂を、一度『無』へと調和させ、新たなる理で満たすのです」
「…させねえよ」 「あら、なぜ?」 「理屈じゃねえんだよ」俺は、棍棒(いつの間にかザラキアスが装飾を施していて、少しだけ強そうだ)を構え直した。「人が迷ったり、苦しんだり、それでも誰かと笑い合ったり…そういう、ごちゃごちゃした全部をひっくるめて、生きてるって言うんだろうが! あんたみたいな、一方的な押し付けで、全部『無』になんてされて、たまるかよ!」
俺の、あまりにも人間的で、あまりにも単純な反論。 セラフィーナは、その言葉を聞いて、ふふふ、と喉を鳴らして笑った。 「…やはり、あなたこそが、この星における最大の『不協和音』…『調停者』カイト。〝神〟が最も忌むべき存在」
彼女は、ゆっくりと両手を広げた。 「ならば、まずは、あなたから『調和』させて差し上げましょう」
その言葉を合図に、俺たちの周りで固まっていた、『影』の市民たちが、一斉にギギギ、と音を立てて動き出した! その瞳は虚ろなまま、黒い影の糸に操られる人形のように、その手を、俺たち連合軍へと伸ばしてくる!
「うわあああっ!」「動いたぞ!」 兵士たちが、恐怖に叫ぶ。 「斬るな! 相手は市民だぞ!」老将軍が叫ぶが、もう遅い。 王都は、巨大な罠と化した。
「リリア、兵士たちを守れ!」エレノアが叫ぶ。 「ザラキアス、ゴウガ、道を切り開け!」俺が叫ぶ。 「「御意!」」
絶望的な静寂は破られ、王都は今、悪夢のような戦場へと変貌した。 俺たちは、囚われた市民たちを傷つけずに、この影の軍勢を抜け、セラフィーナの元へとたどり着かなければならなくなったのだ。




