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第89話 スコーン外交と、女神の沈黙

 連合軍の野営地の中央広場は、もはや戦場とは呼べない、奇妙な熱気に包まれていた。数万の兵士たちが、つい数時間前まで殺意を向けていた相手…魔王軍(構成員わずか五名、うち二名はピクニック気分)を取り囲み、目を輝かせながらスコーンと紅茶に舌鼓を打っているのだ。


「おお! このスコーンという菓子は…! 口の中で、幸福の味がする…!」 「紅茶も美味い! 魔王様は、こんなものを毎日…!?」 「ジャムはオレンジマーマレードが至高であろう!」 「いや、イチゴだ!」


 兵士たちの興奮した声が飛び交う。その中心で、ザラキアスは得意満面に胸を張り、エレノアの素晴らしさを熱弁していた。 「ふははは! 驚くがいい、愚民ども! 我が君、エレノア様は、このスコーンを『世界平和のいしずえ』と呼んでおられるのだ! 一口食べれば、いかなる闘争心も、甘美なる幸福感へと昇華される! まさに究極の平和魔法よ!」 「うむ。おかわり」  隣では、ゴウガが黙々とスコーンを食べ続け、空になった皿を差し出している。兵士たちは「おお…!」「さすがは魔王軍四天王…!」と、なぜか感心していた。…何に感心してるんだ、お前ら。


 俺は、そのカオスな光景を眺めながら、ようやく隣に座ることができたリリアに、そっと紅茶を注いでやった。彼女は、まだ少し俯きがちだったが、その表情は先ほどまでの硬さが取れ、戸惑いと、ほんの少しの安堵が混じっている。


「…本当に、良かったのか? こんなことして」  俺が小声で尋ねると、リリアはカップを両手で包み込みながら、ぽつりと答えた。 「…分からない。でも…あのままセラフィーナ様の隣にいたら、私はきっと、本当に母様を…あなたを、憎んでいたと思うから」 「…………」 「私…怖かったの。自分が、どんどん自分でなくなっていくみたいで…」


 その告白に、俺は胸が締め付けられる思いだった。俺たちが気づかないうちに、リリアは一人で、どれだけの重圧と戦っていたのだろう。


「大丈夫よ、リリア」  エレノアが、リリアの肩に優しく手を置いた。 「あなたは、何も間違っていない。自分の心に、正直に従っただけ。それこそが、一番大切で、一番強いことなのだから」 「母様…」


 ようやく、三人の間に、本当の意味での穏やかな空気が流れ始めた、その時だった。  広場の入り口が、再び騒がしくなった。兵士たちが道を譲る中、現れたのは、セラフィーナ…ではなく、宗教国家連合の最高司令官である、厳格な顔つきの老将軍だった。彼は、目の前の光景…和気藹々とお茶会を楽しむ自軍の兵士たちと、その中心で優雅に紅茶を飲む魔王を見て、信じられないものを見るかのように目を見開いた。


「…な…何たる、不様…!」  老将軍の声が、怒りに震える。 「貴様ら! 敵の甘言に惑わされ、軍規を忘れたか! 即刻、武器を取れ!」


 その号令に、兵士たちはハッとして動きを止める。楽しげな空気は一瞬で消え去り、再び緊張が走った。スコーンを頬張っていた兵士が、慌てて口元を拭い、剣の柄に手をかける。まずい、振り出しに戻る…!


「お待ちくださいな、将軍閣下」  エレノアが、静かに立ち上がった。彼女の声は穏やかだったが、その場にいる全ての者を従わせるような、不思議な響きを持っていた。 「ご覧の通り、わたくしどもは、武器を持っておりません。ただ、娘と、そして皆さんと、お茶を飲みに来ただけですわ」


「黙れ、魔女め! そのような戯言が通用すると…!」 「では、問います」エレノアは、老将軍の言葉を遮り、まっすぐにその目を見据えた。「あなた方が、本当に戦うべき『敵』とは、一体何ですの? このわたくし? それとも、世界を混沌に陥れようとしている、別の『何か』では、ありませんこと?」


 その問いかけは、核心を突いていた。老将軍は、ぐっと言葉に詰まる。彼は、セラフィーナの神がかり的な言動と、昨日のカイトが見せた不可解な力との間で、板挟みになっていたのだ。


「…セラフィーナ様は、今、神殿にて祈りを捧げておられる」将軍は、苦しげに答えた。「新たな神託を、お待ちしているのだ」 「あら、そうですか」エレノアは、ふふ、と微笑んだ。「では、ちょうどよろしいですわね。神託が下るまで、もう少し、このお茶会を続けましょう。…あなたも、いかがかしら? スコーン、まだ温かいですよ?」


 エレノアは、老将軍に、ティーカップを差し出した。  その、あまりにも大胆で、あまりにも予想外の行動。  将軍は、差し出されたカップと、エレノアの顔、そして周囲の兵士たちの、期待とも困惑ともつかない視線の間で、完全にフリーズしてしまった。


 俺は、内心で叫んでいた。 (エレノアさん、あんた最高だよ!)


 セラフィーナ(あるいは、その背後にいる〝それ〟)の沈黙。それは、俺たちにとって、最大の好機だった。  この奇妙なティーパーティーは、今や、世界を動かすための、最も重要な外交のテーブルへと変わっていたのだ。  一杯の紅茶が、再び世界の運命を左右しようとしていた。

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