第76話 宣戦布告は、お茶会の招待状
嵐が去った翌朝、魔王城(仮)の空気は奇妙なほど穏やかだった。 地平線の彼方には、〝神の使い〟が遺した『神離の結界』が、不完全なまま巨大なオーロラのように揺らめき、世界を分かっている。あれが、昨日の死闘の痕跡でなければ、ただ美しいだけの光景だったろう。
俺たちの朝食は、昨日と何も変わらない。エレノアが焼いたパンと、俺が淹れたコーヒー。ただ一つ違ったのは、四天王(二人)が、なぜか俺を挟むようにして座り、スクランブルエッグを巡るいつもの攻防を繰り広げていないことだった。
「…カイト殿。昨日のあの御力…神々しく、そして何より、我らの魂を震わせるほどの優雅さに満ちていた…」 「うむ。少しだけ、強そうだった」 ザラキアスとゴウガの視線が、やけに熱い。どうやら、俺の『調停の権能』は、彼らの敵対心だけでなく、俺への忠誠心(のような何か)まで調和させてしまったらしい。居心地が悪いこと、この上ない。
「あらあら、二人とも。カイトをあまり見つめないであげて。照れているから」 「照れてない!」 エレノアがおっとりと微笑む。この日常。昨日、世界が終わるかもしれなかったなんて、嘘のようだ。だが、俺は分かっていた。本当の戦いは、ここから始まるのだと。
その頃、連合軍の野営地では、白の聖女セラフィーナが、各国の司令官を前に巧みな演説を繰り広げていた。 「昨日の現象は、神が我らに与えたもうた試練! 魔王の邪気に呼応し、世界に生まれ落ちた混沌…『調停者』カイトこそが、我らが真に警戒すべき脅威です!」
彼女は、俺の力を「世界を無に帰す危険なもの」と断じ、魔王城(仮)を「その混沌を育む魔窟」として、改めて断罪した。彼女の言葉は、混乱していた兵士たちの心を再び一つにまとめ上げ、その敵意を、魔王エレノアと、そして新たに「混沌の化身」と名付けられた俺に向けさせていた。プロパガンダの天才か、この人は。
「…さて、どうしたものかしら」 エレノアが取り寄せた魔法水晶には、セラフィーナの演説が中継されていた。水晶に映る、ザラキアスたちが作った禍々しい防衛線(現イングリッシュガーデン)の残骸が、彼女の言葉の信憑性を高めてしまっている。
「このままでは、イメージ戦で負ける…」俺が呟くと、ザラキアスが立ち上がった。 「ならば、我が究極魔法にて、あの野営地ごと消し飛ばし…」 「却下だ」 俺は、庭に視線を移した。俺の力で、殺意の塊から美しい庭園へと変貌した、あの場所。そこに、答えがあった。
「…エレノア。お茶会を開こう」 「「「え?」」」 俺の突拍子もない提案に、エレノア以外の全員が、素っ頓狂な声を上げた。
「セラフィーナが、俺たちを『混沌』と呼ぶなら、俺たちは、圧倒的な『調和』を見せつければいい」 俺は、決意を固めて言った。 「この美しい庭で、世界で一番優雅なティーパーティーを開くんだ。セラフィーナの嘘を、焼きたてのスコーンの香りで打ち破る。それが、俺たちの反撃だ」
エレノアは、一瞬きょとんとした後、嬉しそうに、そして悪戯っぽく微笑んだ。 「…素敵ね、カイト。あなたらしい、とても素敵な作戦だわ。腕によりをかけて、『世界を平和にするスコーン』を焼かなくては」 「おお…! 我が君のスコーンを武器に、敵の士気を内から砕く高等戦術か! さすがはカイト殿!」 ザラキアスが、勝手に壮大な作戦として納得している。ゴウガはただ一言、「スコーン…」と呟いて、ゴクリと喉を鳴らした。お前はそれが目当てなだけだろう。
遠く離れた野営地。リリアは、自室の天幕で一人、心を閉ざしていた。 セラフィーナの言葉も、兵士たちの熱狂も、今の彼女には届かない。脳裏に焼き付いて離れないのは、全てを救おうとしたカイトの金色の光と、母の圧倒的な力、そして、自分が信じてきた正義が崩れ去る音だった。
その日の午後。 一羽の純白の鳩が、連合軍の野営地の上を舞い、リリアの天幕の前に、一通の招待状を落としていった。 美しいカリグラフィーで書かれた、その表題。
『魔王軍主催:湖畔のティーパーティーへのお誘い』
リリアは、その招待状を、震える手で拾い上げた。 それは、世界で一番奇妙で、場違いな宣戦布告だった。武力ではなく、一杯の紅茶と、焼きたてのスコーンによって始められる、新しい戦いの狼煙だったのだ。




