第74話 聖女の演舞と、魔王の食卓
三日後、連合軍の野営地で『大祈祷会』が始まった。
俺たちは、エレノアが引っ張り出してきた古代の魔法具『千里鏡』を通して、その様子を遠く離れた我が家から窺っていた。
「ふん、小賢しい真似を。あのようなまやかしの儀式で、我が君の威光に傷一つ付けられるものか!」
「だが、あの兵の数…侮れんな。一人一人は弱くとも、群れとなれば脅威だ」
屋根裏部屋で、ザラキアスとゴウガが、鏡に映る光景に野次を飛ばしている。俺は、何も言わずに、ただその光景を見つめていた。
鏡の向こうは、まさに壮観だった。数万の兵士が、一糸乱れずに跪いている。その中央に設けられた純白の祭壇に、リリアが静かに登っていく。儀式用の豪奢な衣装をまとった彼女は、遠目にも、神々しいまでに美しかった。
「…綺麗になったわね、あの子」
ぽつりと、隣のエレノアが呟いた。その声には、寂しさとは違う、娘の成長を認めるような、不思議な響きがあった。
リリアが、祭壇の中央で祈りの言葉を紡ぎ始める。
その瞬間、彼女の体から、凄まじい光の奔流が、天に向かって突き上がった。それは、この前の戦いで見せたものよりも、さらに純度が高く、圧倒的な力の柱だった。兵士たちから、どよめきと歓声が上がる。
「素晴らしいわ、リリア」
祭壇の下で、セラフィーナが恍惚とした表情で空を見上げていた。
そして、彼女はそっと祭壇に近づくと、祈りを捧げるリリアの背中に、優しく手を触れた。その瞬間、俺は肌に粟を生じるのを感じた。
「…カイト?」
「エレノア、あれは…」
俺の目には、見えていた。兵士たちの祈りと、リリアが放つ莫大な聖なる力が、セラフィーナの体に、まるで渦を巻くように吸収されていくのが。彼女の周りだけ、空気が、世界が、歪んでいる。
あれは、この前の〝神の使い〟だ。儀式を利用して、力を蓄えているんだ。
「ええ、分かるわ」エレノアの表情が、厳しくなる。「あれは、聖なる力などではない。もっと冷たくて、空っぽな何か…。リリアの力を、利用しているのね」
鏡の中のリリアは、自分が利用されていることなど露知らず、ただ一心に祈りを捧げている。
(母様、カイト…私は、何と戦えばいいの…?)
その心の叫びは、誰にも届かない。彼女は、今や世界で最も喝采を浴びる、孤独な少女だった。
儀式が終わる頃、我が家では、いつも通りの夕食の時間が始まっていた。
「今日のシチュー、最高だぞ、我が君!」
「うむ、肉が柔らかい」
「二人とも、おかわりならたくさんあるから、ゆっくり食べなさいな」
俺は、シチューを口に運びながら、鏡に映っていた光景を思い出していた。
あの華々しい儀式も、数万の軍勢も、神の力も。この家の、温かいシチューの湯気の前では、どこか遠い世界の出来事のように思えてしまう。
だが、あの光の中心にいたのは、間違いなく、この食卓にいるべきだった、俺たちの家族なのだ。
俺は、リリアを囲んでいた、あの眩しすぎる光を思い出す。
あれは、聖女の光輪などではない。
美しく、そして残酷な、鳥かごの柵だ。
いつか、必ず、あいつをあの鳥かごから出してやる。そのために、俺にできることは何だ?
俺は、自分の手のひらを見つめながら、今はまだ出ない答えを探していた。




