第73話 調和の結界と、聖女の枷
俺は、魔王城(仮)の最大の懸案事項…混沌の極みである防衛線(庭)の改修に着手していた。
もはや、口で言って分かる相手ではない。俺は、ザラキアスとゴウガ、二人の作品…もとい、罠の数々に向かって、静かに『調停の権能』を行使した。
(お前ら、もっとこう…調和しろ。仲良くしろ…)
すると、庭全体が、淡い金色の光に包まれた。
次の瞬間、俺の目の前に広がったのは、信じがたい光景だった。
ザラキアスが召喚した邪悪な闇の茨は、その棘をすべて落とし、代わりに可憐な白い花を咲かせている。ゴウガが掘った無骨な落とし穴は、清らかな湧き水で満たされ、縁には可愛らしい苔がむしている。殺意の塊だった我が家の庭が、まるで妖精でも出てきそうな、幻想的なイングリッシュガーデンへと変貌を遂げていた。
「「我が魂の作品がァァァッ!!」」
庭の変わり果てた姿を見て、ザラキアスとゴウガが悲鳴を上げた。どうやら、俺の力は、あらゆる物事の「攻撃性」や「敵対心」を、強制的に「美しさ」と「調和」に変換してしまうらしい。
防衛能力は、完全にゼロになった。
「まあ、素敵なお庭になったわね。後でお茶にしましょうか」
テラスから顔を出したエレノアは、全く動じていなかった。この肝の据わりっぷりこそが、真の魔王の器なのかもしれない。
その頃、リリアは決意を固めていた。
禁書庫で見つけた真実。〝外なる脅威〟の存在。セラフィーナへの疑念。
もはや、ここに留まっている時間はない。彼女は、連合軍の最高指揮官という自らの権限を使い、単独での「長距離偵察任務」を計画していた。セラフィーナの監視から離れ、真実を探るための、苦肉の策だ。
だが、彼女の計画は、あまりにもあっけなく打ち砕かれる。
「――全軍に告ぐ! 三日後、我らが聖女リリア様による、『大祈祷会』を執り行う!」
セラフィーナの名で発せられた布告が、野営地中に響き渡った。
「聖女様の祈りによって、神々のさらなるご加護を賜り、魔王討伐への決意を新たにするための、神聖なる儀式である!」
リリアは、自室の天幕で、その布告を唇を噛んで聞いていた。
逃げられない。この儀式の主役は、自分だ。ここで任務を強行すれば、敵前逃亡と見なされかねない。セラフィーナは、リリアを「聖女」という華やかな鳥かごに、再び閉じ込めたのだ。
その夜。
俺は、美しくなりすぎた庭を眺めながら、途方に暮れていた。
この力は、戦うための力じゃない。争いを止めるための力だ。でも、敵が本気で殺しに来た時、俺は、この家を、エレノアを守れるのだろうか。
遠く離れた野営地で、リリアもまた、天幕の隙間から、兵士たちの熱狂的な顔を見つめていた。
(私は、操り人形じゃない…)
だが、その声は誰にも届かない。彼女の周りには、「聖女様」への期待と信仰という、見えない鎖が幾重にも巻き付いていた。
俺も、リリアも、それぞれの役割に、囚われている。
まるで、壮大な物語の登場人物のように。その脚本を書いているのが、一体誰なのかも知らずに。俺は、そんなことをぼんやりと考えていた。




