第69話 調停者と、戸惑う聖女
時間が止まったかのような静寂の中、最初に動いたのは、敵であるはずのセラフィーナだった。
いや、あれはもはやセラフィーナではない。その身に〝何か〟を宿した、ただの器だ。
「……ありえない」
その声は、戦場に響く、冷たく無機質な神の声。
「なぜ、人の子が『調停の権能』を持つ…。貴様、何者だ…!?」
〝それ〟は、俺が放つこの金色の光を、明確に理解し、そして…恐れていた。
調停の権能? 俺にそんな大層なものが?
俺は、ただ、みんなに生きていて欲しかっただけだ。エレノアにも、リリアにも、家の前で暴れてるアホ二人にも。
俺は、本能的に、両陣営に向かって叫んでいた。
「もう、やめよう。こんな戦いは、誰も幸せになんかならない!」
俺の言葉に呼応するように、金色の光がふわりと強まる。
頭上で静止していた、世界を終わらせるほどの神罰の一撃が、まるで初夏の雪のように、キラキラと輝く光の粒子となって、音もなく消えていった。
「――っ! 我が権能を、無にだと!?」
〝それ〟は、初めて焦りの声を上げた。
「『調停者』よ…! 世界の理を乱すイレギュラーめ…。この件、覚えておくがいい!」
その言葉を最後に、セラフィーナの体からフッと力が抜ける。彼女の瞳から神々しい光が消え、糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
それと同時に、膠着していた連合軍が、まるで夢から覚めたかのように動き出す。彼らは、指導者を失い、統率を失って、混乱しながらも撤退を開始した。
嵐は、去った。
後に残されたのは、めちゃくちゃに荒れた大地と、静寂だけだ。
金色の光が俺の体から消えていくと、凄まじい疲労感が全身を襲った。視界がぐにゃりと歪み、膝から力が抜ける。
「カイト!」
俺が倒れる寸前、その体を柔らかく、そして力強く支えてくれたのは、エレノアだった。
「あなた、その力は…! 大丈夫なの!?」
彼女の顔が、心配そうに俺を覗き込む。
背後からは、ザラキアスとゴウガが、血相を変えて駆け寄ってきた。
「カイト殿が…光って…おられた…」
「むぅ…今のカイトは、少しだけ強そうだった…」
お前らの感想はそれか。
俺は、エレノアに身を預けながら、遠くを見つめた。
撤退していく軍勢の中、ただ一人、リリアがこちらを振り返っていた。
その顔は、怒りでも、悲しみでもない。ただ、目の前で起きたことが理解できず、自分の信じてきた世界の全てが、足元から崩れていくのを呆然と見つめているような、そんな顔だった。
聖女でも、魔王でもない。
ただの転生者で、エレノアの隣にいるだけの男だと思っていたカイトが、神の力を無力化した。
彼女の世界が、今、激しく揺らいでいる。
「…大丈夫だ、エレノア」
俺は、安心させるように、彼女の手に自分の手を重ねた。
「ただ、少し…疲れただけだ」
それが、俺の意識が保てた、最後の言葉だった。
遠ざかるリリアの戸惑う顔を、俺は夢うつつに見つめていた。




