第68話 開戦、そして神子の覚醒
ついに、その日は来た。
地平線の彼方から、宗教国家連合の軍勢が、鋼の津波となって押し寄せてくる。
俺は家のテラスから、一つの覚悟を決めてその光景を見ていた。
「いいか、お前ら。作戦は昨日話した通りだ。ゴウガが前衛で敵の突撃を食い止め、ザラキアスが後方から魔法でかく乱する。無理はするな、目的は敵の殲滅じゃない。エレノアを守り、この家(城)を死守することだ」
「ふん、百の兵も千の兵も、俺の爪牙の前では赤子同然よ」
「我が魔王様に仇なす愚かなる子羊たちに、我が究極魔法の洗礼をくれてやろう!」
会話は相変わらずアホだが、その目には確かな闘志が宿っていた。
号令と共に、先陣を切る騎士団が突撃してくる。
「ゴアアアアア!」
ゴウガが雄叫びを上げて迎え撃つ。その一撃は大地を割り、突進してきた騎士たちを人馬もろとも吹き飛ばした。
同時に、屋根の上に陣取ったザラキアスが、高らかに詠唱を始める。
「闇よ、雷よ、我が声に集え! 『黒雷の葬送曲』!」
紫電の槍が豪雨のように降り注ぎ、騎士団の陣形をめちゃくちゃにかき乱した。
意外と、いけるか…!?
だが、その甘い期待は、一人の少女によって打ち砕かれる。
リリアだ。彼女が、ゆっくりと前線に出てきた。
「――聖なる光よ、邪を払う刃となれ」
彼女が掲げた手から放たれたのは、もはや魔法というより、天そのものが放つ粛清の光だった。それは、ゴウガの剛勇も、ザラキアスの黒雷も、全てを飲み込み、浄化しながら、俺たちの家へと迫る。
「…そこまでよ」
その光の奔流の前に、エレノアが静かに立った。
彼女がそっと手をかざすと、家の前に、古代ルーン文字が幾何学的に編み込まれた、巨大な魔法陣が展開される。リリアの聖なる光が、その魔法陣に触れた瞬間、まるで水面に落ちた雨粒のように、音もなく吸収され、消滅した。
格が、違う。リリアも、騎士団も、そして俺でさえも、エレノアの本当の実力の一端を初めて目の当たりにし、息をのんだ。
リリアが、母親の圧倒的な力を前に、呆然と立ち尽くす。
その時だった。彼女の後ろに控えていたセラフィーナの様子が変わったのは。
「…仕方ありませんね。予定より早いですが、〝神〟の御力、お見せしましょう」
その声は、もはやセラフィーナのものではなかった。冷たく、無機質で、男女の区別もない、この世ならざる者の声。
彼女の瞳が、白銀に輝く。天から、これまでとは比較にならない、禍々しくも神々しい、巨大なエネルギーの塊が降臨し始めた。
あれは、ダメだ。防げない。エレノアも、リリアも、敵も味方も、全てを消し去る、無慈悲な一撃だ。
俺の脳裏に、これまでの全てが走馬灯のように駆け巡る。
エレノアの笑顔、リリアの泣き顔、アホな四天王たちの顔。
(誰一人、死なせたくない…!)
(やめてくれ…! みんな、やめてくれ!)
俺が心の底からそう叫んだ瞬間。
世界から、音が消えた。
俺の体から、金色の光が、穏やかな波紋のように広がっていた。
セラフィーナが降ろした神罰の一撃は、俺の頭上でピタリと静止している。騎士たちの振り上げた剣も、ザラキアスの詠唱も、全ての時間が止まったかのように、世界が沈黙していた。
ただ一人、俺だけが動ける、この奇妙な空間で。
エレノアが、リリアが、そして神の使いをその身に降ろしたセラフィーナが、驚愕の目で見ているのは、この俺だった。
なんだ、これ。
俺の体から溢れ出す、この温かくて、懐かしいような力は、一体――。
聖女と魔王の戦場に、第三の極が生まれた。
それは、誰よりも戦いを望まない、ただの男が起こした、ささやかな奇跡だった。




