第66話 魔王軍の諜報活動と、最後通牒
魔王軍の諜報活動は、壊滅的な成果に終わった。
「街の様子を見てきてちょうだい」というエレノアの穏やかな勅命を受け、ザラキアスとゴウガは、それぞれ渾身の変装をして街の酒場に潜入したらしい。
ザラキアスは「正体を隠すには、逆に目立つのが一番だ」という謎理論に基づき、金ピカの刺繍が入ったマントを羽織った「流浪の吟遊詩人(ただし楽器は弾けない)」に。
ゴウガは「俺はこれでいい」と、いつも通りの姿でカウンターに陣取った。変装とは何か。
結果、二人は酒場で「最近、湖畔の館にヤベェ奴らが住み着いた」「ああ、あの伝説の魔女だろ? 部下も脳筋とナルシストらしいぜ」という、極めて正確な情報を耳にして激昂。テーブルをひっくり返し、店を半壊させ、俺が賠償金を払うために呼び出された。
「申し訳ありません! うちのアホどもが!」
「カイト殿、俺はアホではない! 我が君を侮辱する愚民に、鉄槌を下したまでだ!」
「お前が一番のアホだ!」
俺がザラキアスの頭にゲンコツを落としていると、ドワーフの棟梁が慌てた様子で走ってきた。
「カイト! 大神殿の正式な使者が、館に…!」
俺たちが家に駆け戻ると、リビングには、白銀の鎧に身を包んだ、いかにも堅物そうな神殿騎士が数名、直立不動で立っていた。その中心にいる隊長らしき男が、リビングに設置された、エレノアこだわりの「体を包み込むソファ」に座る、普段着のエレノアを睨みつけている。
「貴殿が、魔王を名乗る魔女エレノアか」
「ええ、そうですが。あなたも、どうぞお座りになって。長旅でお疲れでしょう」
エレノアがソファの隣をポンポンと叩くと、騎士は「なっ…!」と顔を赤くして後ずさった。硬派な騎士には、この母性あふれる魔王は刺激が強すぎたらしい。
騎士は咳払いを一つすると、懐から巻物を取り出した。
「我らは、大神殿を中心とする『宗教国家連合』からの使者である! 魔王エレノアよ! 速やかにその称号を捨て、我らの下へ投降し、神の裁きを待つことを勧告する! これが、我らの最後通牒だ!」
ついに来たか。セラフィーナの個人的な宣言が、正式な武力行使の予告になった瞬間だった。
リビングの空気が、張り詰める。
エレノアは、ゆっくりと立ち上がった。そして、緊張する騎士たちの前を通り過ぎると、キッチンカウンターに置いてあった焼き立てのクッキーを一枚、隊長の口にそっと入れた。
「…もぐっ!?」
「お伝えくださいな」
エレノアは、目を丸くする隊長に、悪戯っぽく微笑みかける。
「私は、私に与えられた役割を、最後まで果たします、と。…それから、このクッキーのレシピも、よろしければ差し上げますわよ?」
その頃、大神殿では、リリアがセラフィーナの前に跪いていた。
「…母は、拒んだのですね」
「ええ。残念ながら」
セラフィーナは、悲しげに首を横に振る。
「彼女は、完全に闇に堕ちてしまった。もはや、言葉は通じません。ならば、我らが為すべきことは一つ」
セラフィーナは、リリアの肩に手を置き、その目をまっすぐに見つめた。
「聖女リリアよ。あなたに、神と連合の全権代理として、魔王討伐の指揮を命じます。あなたのその聖なる光で、世界に巣食う闇を、あなたの母であったものを、討つのです」
リリアは、静かに立ち上がった。その瞳に、もはや迷いの色はない。
「…御心のままに」
魔王城(仮)では、追い返された神殿騎士たちが「な、なんだこのクッキーは…! うますぎる…!」「これが魔王の力だというのか…!?」と混乱していた。
その様子を呆然と見送る俺の隣で、エレノアは「あら、お砂糖、少し多かったかしら」と首を傾げている。
もう、めちゃくちゃだ。だが、賽は投げられた。
クッキーの甘い香りが漂うこの家が、これから、世界中を敵に回す戦いの、最前線になる。




