第63話 魔王の決意と、最初の勅令
俺は、セラフィーナからの手紙を握りしめ、半壊したリビングを歩き、キッチンのエレノアの元へ向かった。背後では、ザラキアスとゴウガが「壁の色は漆黒こそ至高!」「いや、血の赤こそ戦士の色だ!」などと、まだ言い争っている。この日常と、手紙に込められた悪意のギャップが、俺の正気を削っていく。
「エレノア」
俺の硬い声に、彼女は振り向いた。そして、俺の顔を見るなり、その表情からふっと笑みを消した。
「どうしたの、カイト。怖い顔をして」
俺は黙って手紙を渡した。エレノアはそれを受け取ると、優雅な所作で読み進めていく。
読み終えても、彼女の表情は変わらない。だが、その瞳の奥に、めったに見ることのない、冷たい光が灯るのを俺は見逃さなかった。
「セラフィーナ…あの子、昔から少し野心が強すぎるとは思っていましたけれど。まさか、ここまでとはね」
「知り合いなのか!?」
「ええ、少しだけ。私がまだ、神殿に出入りしていた頃に」
エレノアは手紙を丁寧に畳むと、まっすぐに俺の目を見た。
「カイト、心配はいりません。リリアは、私の子です。あの子が自分の道を見失うなら、親として、正してあげるまでですわ」
その声は、いつものように穏やかだった。だが、そこには母親としての愛情だけでなく、一つの道を極めた「伝説の魔女」、そして世界からその座を望まれた「魔王」としての、絶対的な覚悟が宿っていた。
その時だ。ドワーフの棟梁が血相を変えて部屋に飛び込んできたのは。
「魔王様! 大変だ! 王都の『魔法水晶』が、大神殿からの緊急放送を流してる!」
棟梁が設置したばかりの巨大な魔法水晶に、白亜の大神殿が映し出される。そして、民衆を前に、純白の衣装をまとったセラフィーナの姿が大写しになった。
『――愛する民よ! 恐れることはありません! 新たなる魔王の闇が、この地を覆おうとも、天は我らを見捨てなかった!』
セラフィーナは、隣に立つ少女の肩を抱いた。リリアだ。彼女は、固い表情で前を見つめている。
『天は、我らに新たなる光の御子を遣わされた! その名はリリア! 自ら闇の血族を捨て、正義のために立ち上がった、真の聖女候補です! この聖女リリアと共に、我らは魔王を討ち、世界に真の平和を取り戻しましょう!』
民衆の熱狂的な歓声が、水晶を通してここまで響いてくる。
セラフィーナは、リリアを「悲劇のヒロイン」に、そしてエレノアを「娘を捨てさせた諸悪の根源」に仕立て上げ、世界に向けて宣伝しているのだ。
「…なるほど」
エレノアは、静かに呟いた。
そして、未だに壁の色で言い争っていたザラキアスとゴウガの方へ、ゆっくりと向き直る。
「ザラキアス、ゴウガ」
その声には、もう普段のほんわかとした響きはない。凛とした、支配者の声だった。二人はハッとして、その場で直立不動になる。
「私たちの『お城』の周りを、少しきれいにしましょうか」
エレノアは、にっこりと微笑んだ。だが、その目は全く笑っていない。
「招かれざる客が、うっかり迷い込んでしまわないように、ね」
それは、魔王エレノアによる、最初の勅令だった。
ザラキアスとゴウガは、一瞬顔を見合わせた後、これ以上ないほど獰猛な笑みを浮かべ、同時に跪いた。
「「はっ! 御意のままに、我が君(魔王様)!」」
彼らが初めて、真の忠誠を誓った瞬間だった。
俺は、この奇妙で騒々しいだけの〝家族ごっこ〟が、今日、完全に終わりを告げたことを悟った。
俺たちは、否応なく一つの勢力として、世界と対峙することになる。




