第61話 二人目の四天王と、聖女の涙
魔王城(仮)での平穏は、常に唐突に破られる。
俺がザラキアスに「庭の家庭菜園に、勝手に『魔瘴竜の骨粉』とかいうヤバそうな肥料を撒くな」と説教していると、玄関の扉が、凄まじい勢いで吹っ飛んだ。
「ゴアアアアアアアアッ!」
轟音と共に現れたのは、身の丈3メートルはあろうかという、巨大な獣人だった。筋骨隆々たる肉体は傷だらけで、その目は燃えるような闘志に満ちている。
「我こそは『百戦のゴウガ』! 新たなる魔王に我が牙を試さんと、はるばる参上した! 魔王はどこだ!」
「ああ、扉が…先週、修理したばかりなのに…」
俺が頭を抱えていると、キッチンからエプロン姿のエレノアがひょっこり顔を出した。
「あら、お客様? ごめんなさいね、今、手が離せないの。カイト、お茶を出しておいてくれる?」
「この状況でお茶!? どう見ても、道場破りだろ!」
俺のツッコミも虚しく、ゴウガはエレノアの姿を認めると、その巨大な体を震わせた。
「な…なんと…。魔王とは、これほどまでに愛らしいおなごだったのか…。だが、我は容赦せん!」
「待て、ゴウガ殿!」
割って入ったのは、なぜか胸を張るザラキアスだった。
「我が君に刃を向けるなど、この四天王筆頭ザラキアスが許さぬ! だが、貴殿のその覇気、気に入った! 我が君の配下となるならば、この俺が直々に鍛え上げてやろう!」
「何だと、貴様が四天王…? 面白い、まずは貴様から血祭りにあげてやる!」
こうして、俺の家のリビングで、四天王(自称)と四天王候補による、熾烈なポジション争いが始まってしまった。俺はもう、何も考えたくなかった。
その頃、大神殿の最奥にある「祈りの間」で、リリアは膝を突き、一心不乱に祈りを捧げていた。
彼女の目の前には、巨大な水晶が安置されている。水晶は、微かに黒い靄のようなものを発していた。
「祈るのです、リリア」
背後から、セラフィーナの鈴を振るような声が響く。
「その水晶は、人々の心に溜まった『淀み』を映し出す魔法具。あなたの祈りで、その淀みを浄化するのです。世界を救う聖女となるための、最初の試練ですわ」
リリアは、言われた通りに祈りの言葉を紡ぐ。しかし、水晶の黒い靄は、なかなか晴れない。むしろ、彼女の焦りに呼応するかのように、より濃くなっていく気さえした。
「なぜ…届かないの…」
「あなたの祈りには、まだ迷いがあるからです」
セラフィーナは、リリアの肩にそっと手を置いた。その手は氷のように冷たい。
「あなたの母君…魔王エレノアへの情を、完全に断ち切るのです。彼女はもはや、あなたの知る優しい母ではない。世界を闇に染める、邪悪の根源なのですから」
「母様は…邪悪の根源…」
その言葉が、鋭い棘となってリリアの胸に突き刺さる。
脳裏に浮かぶのは、いつも優しく笑っていた母の顔。だが、セラフィーナの言葉が、その記憶を黒く塗りつぶしていく。
――世界のため。人々を救うため。
リリアは奥歯を強く噛み締めた。その瞳から、一筋の涙がこぼれ落ち、祈りの間の冷たい石畳に吸い込まれていく。
「そうです、それでいいのです」
娘の涙を見て、白の聖女は、恍惚とした笑みを浮かべていた。
その日の夕方。
魔王城(仮)では、なぜか意気投合したザラキアスとゴウガが、エレノアの作ったアップルパイを頬張りながら「我が君の作る菓子は宇宙の真理!」「うむ、この甘さが闘争心を癒す…!」などと語り合っていた。
どうやらゴウガも、四天王(二人目)の座に収まったらしい。
騒がしい食卓の片隅で、俺は一人、窓の外を見つめていた。
リリアの涙など知る由もない。ただ、空に浮かぶ月を見て、あいつは今、何を想っているのだろうかと、胸を痛めることしかできなかった。




