第46話 詩が導く謎と、魔女の書庫
『……銀の夜、影歩む者の手を取りて、”月の雫”は闇に溶ける……』
エレノアさんの店に戻った俺たちは、例の詩集の、その一節を改めて読み返していた。たった一行の、抽象的な言葉。だが、これが今の俺たちにとって、最も重要な手掛かりだった。
「『銀の夜』……これは、満月の夜、あるいは単に月明かりの夜を指すのかしら……」
エレオノラさんが、顎に手を当てて思案する。
「『影歩む者』は、間違いなくサイラスのような隠密行動を得意とする者……月影のギルドそのものを指している可能性もありますわね」
「『手を取りて』ってのは? 協力するってこと?」
リリアが首を傾げる。
「あるいは、その『月の雫』という『物』を手に取る、という意味かもしれませんわ。そして、『闇に溶ける』……これは、姿を消す、つまり隠密性や不可視性を示唆しているように思えます」
エレオノラさんの分析は、鋭い。詩的な表現の裏に隠された、具体的な意味を探り当てようとしている。
隠密性……不可視性……月の光……。キーワードはいくつか出てきたが、まだ『月の雫』そのものが何なのかは分からない。
「市立図書館の一般的な資料では、これが限界のようですわね……」
エレオノラさんは、ふぅ、と息をつくと、立ち上がった。
「こうなれば、わたくしの『個人的な書庫』を当たるしかありませんわ」
そう言って、彼女は工房の奥にある、重々しい扉へと向かった。
エレオノラさんの個人的な書庫……。それは、店の裏にある工房の、さらに奥に隠された部屋だった。普段は厳重に施錠されており、俺はもちろん、リリアですら滅多に入ることが許されない場所だという。
扉が開かれると、古い羊皮紙と、乾燥したハーブ、そして未知の魔力が混じり合ったような、独特の匂いが漂ってきた。中は、壁一面が天井までの本棚で埋め尽くされており、そのどれもが、いかにも曰く付きといった雰囲気を醸し出している。
「うわ……なんか、すごい……」
リリアも、さすがに少し気圧されているようだ。
「ここに収められているのは、表の図書館には置けないような、少々……いえ、かなり専門的で、危険な知識も含まれる書物ばかりですわ。取り扱いには、くれぐれも注意してちょうだい」
エレオノラさんは、俺たちに釘を刺す。
俺たちは、エレオノラさんの指示に従い、『月光』『影』『隠密』『錬金術』『幻術』といったキーワードで、書庫の本を調べていくことになった。
「うげっ! この本、なんかヌルヌルする……!」
「リリア、それは『粘液生物大全』だから……。こっちの『月光下の錬金術秘本』を探してくれ」
「えー、なんか難しそう……。あ、見てカイト! この本の挿絵、変な生き物がいっぱい!」
「遊ぶな!」
相変わらずのリリアと、そんな彼女を宥めつつ、慣れない手つきで古文書をめくる俺。そして、膨大な知識の中から的確に必要な情報を探し出そうと、驚異的な集中力で書物を読み解いていくエレオノラさん。……いつもの構図だが、場所が場所だけに、妙な緊張感が漂う。
どれくらいの時間が経っただろうか。俺が、埃っぽい錬金術の古書をパラパラとめくっていた時、ある記述に目が留まった。
『……月長石の粉末と、夜陰草の露を、満月の光のみで三夜熟成させし時、それは”月光の涙”となる。一滴、地に落ちれば、たちまち周囲の光を歪め、その姿を闇夜に融かす幻惑の秘薬なり。古より、”影”に属する者ども、これを”月の雫”と呼びて、密かに用いたり……』
「……! エレオノラさん、これ……!」
俺は、興奮してそのページをエレオノラさんに見せる。
「……これは……!」
エレオノラさんも、その記述を読むと、目を見開いた。
「『月光の涙』……またの名を『月の雫』。錬金術によって作られる、強力な光学迷彩、あるいは一時的な不可視化の効果を持つ秘薬……! まさに、詩の記述とも一致しますわ!」
ついに見つけた! 『月の雫』の正体! それは、特殊な材料と製法で作られる、高度な隠密行動を可能にする錬金術の秘薬だったのだ!
サイラスが痕跡も残さず、厳重な罠を突破できた理由の一端が、これだったのかもしれない!
「やったー! 見つけた!」
リリアも、思わず声を上げる。
「ですが……」
エレオノラさんは、新たな疑問に思い至ったように、再び表情を引き締める。
「この『月の雫』、材料もさることながら、その製法は非常に難しく、扱える錬金術師はごく少数のはず……。サイラスは、これをどこで手に入れたのかしら? ギルドが独自に製造しているのか、それとも、外部の協力者が……?」
謎は解明されたと同時に、新たな疑問を生んでいた。
だが、大きな一歩であることは間違いない。
「ふふ、またしてもお手柄ですわね、カイトさん」
エレオノラさんが、俺を見て微笑む。
「いえ、俺は偶然見つけただけで……」
「その偶然を引き寄せるのも、あなたの才能の一つかもしれませんわよ?」
そう言って、彼女は楽しそうに笑った。
『月の雫』――その存在が明らかになったことで、俺たちの捜査は、また新たな局面を迎えることになる。
この秘薬を手掛かりに、サイラス、そして『月影のギルド』の核心に迫ることができるのだろうか?
俺は、エレオノラさんの書庫に満ちる、古い知識の匂いの中で、次なる展開への予感(と、少しばかりの達成感)を感じていた。




