第44話 持ち帰った情報と、託された希望
エレノアさんの店に戻り、ようやく人心地ついた俺たちは、改めて工房のテーブルを囲んでいた。淹れ直してもらった温かいハーブティーが、さっきまでの恐怖で冷え切った体に染み渡る。……生きている。その事実が、今は何よりもありがたかった。
「……改めて、整理しましょう」
エレノアさんが、落ち着いた声で切り出した。彼女も、先ほどの脱出劇でかなり消耗したはずだが、その表情には既にいつもの冷静さが戻っている。
「わたくしたちが、あのアジトで聞き出した情報……。まず、『星屑の砂時計』は、サイラスの手によって、既に『納品』された可能性が高い、ということ」
「納品……ってことは、もうあのアジトには無いってことか……。どこに運ばれたんだろ?」
リリアが、悔しそうに唇を噛む。
「それは分かりませんわ。ですが、サイラス自身も、しばらく身を隠す、と言っていました。我々の動きを警戒しているのは間違いないでしょう」
エレノアさんは続ける。
「そして、気になる言葉がありましたわね。『月の雫』……犯行に使われたとされる、何らかの道具か、あるいは魔法薬か……」
「聞いたことない名前ですね……」
俺が言うと、エレノアさんは頷いた。
「ええ、わたくしも初耳です。ですが、あの状況で名前が出たということは、ギルドの切り札、あるいはサイラスの得意技に関わるものかもしれません。これは、後で調べてみる必要がありそうですわ」
そして、もう一つ。俺にとっては、非常に聞き捨てならない情報。
「……あの、『魔女の連れの小僧にあんな価値があるとは』って……あれ、やっぱり俺のこと、ですよね……?」
俺が恐る恐る尋ねると、エレノラさんは、ふふ、と意味深に微笑んだ。
「さあ、どうかしら? ですが、少なくとも、あなたがわたくしと共にいることが、何らかの形で彼らの計画……あるいは、あのギルド長との交渉に影響を与えた、と考えてもよさそうですわね」
……やっぱり! 俺の悪評、しっかり利用されてるじゃないか! まあ、結果的に助かった(?)場面もあったのかもしれないけど……複雑すぎる!
「……とにかく、状況ははっきりしましたわ」
エレノアさんは、テーブルを軽く叩き、俺たちの顔を順に見回した。
「敵は、プロの暗殺・窃盗集団『月影のギルド』。実行犯は、隠密と罠解除の達人『サイラス』。彼らは、我々の動きを警戒し、おそらくはあのアジトも放棄、あるいは警戒レベルを最大に引き上げているでしょう」
彼女の言葉に、俺とリリアはごくりと唾を飲む。
「……正直に言って、これ以上、わたくしたち三人だけで深追いするのは、あまりにも危険すぎます」
エレノラさんが、きっぱりと言い切った。
「え……じゃあ、もう……?」
俺は、少しだけ安堵を覚えながら、尋ねる。
「ええ。潮時、ということですわ」
エレオノラさんは頷いた。
「幸い、我々は多くの情報を得ることができました。アジトの場所(たとえ放棄されたとしても)、実行犯の名、彼らの手口、そして盗まれた品……。これだけの情報があれば、街の衛兵や、冒険者ギルドの本部も、本格的に動かざるを得ないでしょう」
「……ギルドに、報告するってこと?」
リリアが尋ねる。
「そうですわ。わたくしが責任を持って、これまでの経緯と、得られた情報を正式に報告します。あとは、彼ら専門家の手に委ねましょう」
その言葉に、俺は……心の底から、安堵のため息をついた。
よかった……! これで、あの恐ろしい連中と、直接対決するような事態は避けられる……かもしれない!
「……それが、一番いいよ、母さん!」
リリアも、少しだけ残念そうな顔はしていたが、最終的には納得したように頷いた。彼女も、今回の潜入で、相手の危険さを肌で感じたのだろう。
「ただし……」
エレオノラさんが、付け加える。
「例の『月の雫』については、わたくし個人としても非常に気になります。これについては、ギルドへの報告とは別に、引き続き調査を続けたいと思いますわ」
彼女は、俺とリリアを見た。
「カイトさん、リリア。もしよろしければ、その調査を少し手伝っていただけませんか? もちろん、危険のない範囲で、ですが」
危険のない範囲で……。その言葉を信じたい!
「はい! やります!」
「母さんがやるなら、私も手伝うよ!」
俺たちは、二つ返事で頷いた。(俺の内心は、若干の不安を伴っていたが)
こうして、俺たちの『月影のギルド』及び『サイラス』に対する直接的な追跡は、一旦、終わりを告げることになった。事件の解決は、街の治安維持組織へと託される。
肩の荷が、少しだけ下りた気がした。
「では、わたくしは早速、報告書の作成に取り掛かりますわ。カイトさん、リリア、今日は本当にお疲れ様でした。ゆっくり休んでくださいな」
エレオノラさんは、そう言うと、足早に工房へと向かった。
残された俺とリリアは、顔を見合わせる。
「……なんか、すごい一日だったね」
「ああ……。生きて帰れて、本当によかった……」
俺たちは、工房から聞こえてくる、エレノノラさんが羽根ペンを走らせる音を聞きながら、ようやく訪れた(かもしれない)平穏の気配に、ただただ安堵するのだった。
もちろん、この平穏がいつまで続くかなんて、誰にも分からないのだけれど。
そして、あの『月の雫』という言葉が、新たな波乱を呼ぶことになるなんて、この時の俺は、知る由もなかったのである。




