第30話 片目のジャックと、影への一歩
片目のジャックに導かれ、俺とエレノアさんは『嘆きのセイレーン』の奥へと足を踏み入れた。騒がしいホールとは打って変わり、狭い通路は薄暗く、埃とカビ、そして染み付いた酒の匂いがした。……雰囲気ありすぎだろ。
通されたのは、小さな個室だった。粗末な木のテーブルと椅子が二つだけ。壁には由来不明のシミがあり、窓もない。まさに密談にうってつけ、という感じの、息が詰まりそうな空間だ。
ジャックは、どかりと椅子に腰を下ろし、俺たちに座るよう顎で示した。エレノアさんは優雅に、俺はぎこちなく椅子に座る。ジャックは、無言で安煙草に火をつけ、紫煙をくゆらせながら、その鋭い隻眼で俺たちを改めて観察している。値踏みされている……!
(うう……怖い……! なんだこの威圧感……!)
俺は、内心で悲鳴を上げながらも、必死にポーカーフェイスを保とうと努める。エレノアさんの「堂々としていなさい」という言葉を思い出すが、無理だ!
沈黙を破ったのは、ジャックの方だった。
「……それで? 『月影のギルド』について、何が知りたい?」
その声は低く、感情が読めない。
エレノアさんが、静かに口を開いた。
「わたくしたちは、この街で最近起きた、ある『厄介事』を調査しておりまして。その過程で、どうやらそのギルドが関与している可能性が浮上したのです」
彼女は、核心(砂時計のこと)には触れず、あくまで曖昧に、しかし有無を言わせぬ口調で言う。
「わたくしたちが知りたいのは、彼らがこの街で、現在どのような『活動』を行っているのか……特に、『回収』や『窃盗』に関わるような動きについて、何かご存知ではないかと」
ジャックは、ふーっと長い煙を吐き出した。
「……ずいぶんと、物騒な話だな、奥様」
彼は、エレノアさんを値踏みするように見る。
「月影のギルド……奴らに関わるのは、賢明じゃねぇ。あんたほどの魔女なら、分かるだろう?」
「ええ、承知しておりますわ。ですが、見過ごせない事情もございまして」
エレノアさんは、そこで言葉を切ると、テーブルの上にそっと『霧隠れ草』の包みを置いた。
「これは、情報への『誠意』ですわ。もし、わたくしたちの求める情報を提供していただけるなら、さらなる礼も用意いたします」
ジャックは、霧隠れ草の包みにちらりと目をやったが、すぐには手を伸ばさない。代わりに、彼の視線が俺に向けられた! ぎくっ!
「……そこの若ぇの」
「は、はい!?」
俺は、飛び上がりそうなほど驚きながら返事をする。
「あんた……エレノラ様の『協力者』だそうだが……。こんな危ねぇ話に、首を突っ込んでる理由はなんだ?」
試すような視線。まずい、何か気の利いたことを……いや、余計なことを言ったらボロが出る! 俺はエレノアさんの指示通り……!
「……それは……」
俺が言葉に詰まっていると、エレノアさんが助け舟(?)を出した。
「彼は、わたくしが信頼している者ですわ。わたくしの目が届かないところで、色々と『働いて』もらっていますのよ。……今回の件も、彼自身の強い『意志』があってのこと」
強い意志!? ないです! 断じてないです! 巻き込まれただけです!
俺は内心で絶叫するが、口には出せない。ただ、必死に「そうです」という顔(たぶん引きつってる)を作る。
ジャックは、俺とエレノアさんを交互に見比べ、やがて、ふん、と鼻を鳴らした。
「……なるほどな。魔女様も、人が悪い」
彼は、ようやく霧隠れ草の包みを手に取り、自分のポケットにしまった。
「……いいだろう。一つだけ、教えてやる」
俺たちは、息を呑んで彼の言葉を待つ。
「月影のギルド……奴らは、いくつかの『細胞』に分かれて活動してる。それぞれ、得意な仕事が違う。あんたたちが追ってるのが『盗み』や『回収』なら……それは、おそらく『サイラス』と呼ばれる男が率いる細胞の仕業だろうな」
サイラス……! 新しい名前が出てきた!
「そのサイラスという男は……?」
エレノアさんが尋ねる。
「……腕は立つ。特に、隠密行動と、罠の解除にかけては一流だ。仕事は常に単独か、ごく少人数で行う。痕跡もほとんど残さねぇ……。最近、この街で派手な『仕事』をしたという話は聞かねぇが……奴らなら、やりかねん」
ジャックは、そこまで言うと、再び煙草に火をつけた。
「……俺が知ってるのは、そこまでだ。それ以上は、このコインを使っても聞き出せねぇ。深入りはするな……忠告はしたぜ」
話は終わった、とばかりに、ジャックは煙を吐き出す。
これ以上の情報を引き出すのは、無理そうだ。だが、大きな手掛かりを得られた。『サイラス』という実行犯(?)の名前と、その特徴。
「……感謝いたしますわ、ジャック殿。有益な情報でした」
エレノアさんが、立ち上がりながら礼を言う。俺も慌てて立ち上がる。
「……フン」
ジャックは、短く応えただけだった。
俺たちは、一礼してその薄暗い個室を出た。酒場のホールを抜け、外の空気を吸った時、俺は全身の力が抜けるのを感じた。……生きてる!
「……やりましたわね、カイトさん」
エレノアさんが、俺を見て微笑む。その顔には、満足そうな色が浮かんでいた。
「あなたの『代理人』役、見事でしたわよ?」
「い、いや……俺は、ほとんど何も……」
ただ、内心でパニックになっていただけだ。
「いいえ。あなたの存在が、ジャック氏の警戒心を解く一助になったのは確かですわ」
……そうだろうか? いや、そうであってほしいけど……。
ともかく、俺たちは『サイラス』という新たな手掛かりを得た。
だが、それは同時に、俺たちがプロの暗殺者集団の一部を追っている、という事実を改めて突きつけるものだった。
(……これから、どうなるんだ……?)
俺は、エレノアさんと共に歩きながら、さっきまでの緊張とは違う、重い不安を感じていた。
俺の異世界ライフ、いよいよ本格的にヤバい領域に足を踏み入れてしまったようだ……。




