第22話 星屑の砂時計と、時間のいたずら
商人ギルドでの一件以来、俺は悟った。この世界では、俺自身の意思や評判など、些細なことなのだと。重要なのは、俺が「エレノアさんとリリアにとって『特別』な存在」である(と、周囲に認識されている)という事実だけ。もはや、それに抗うのは諦めた。利用されるなら、されるがままに……なるべく被害が少なく済むことを祈りながら……。
「カイトー、ちょっとボーッとしすぎじゃない?」
「え? あ、ああ、悪い……」
リリアが俺の目の前で手を振る。俺たちはエレノアさんの店の工房で、彼女が例の交渉で手に入れた『星屑の砂時計』を囲んでいた。見た目は、星屑のようなキラキラした砂が入った、手のひらサイズの美しい砂時計だ。
「それで、母さん。これ、何に使うの?」
「ふふ、これは『時の残滓』を視るための魔道具ですのよ。特定の場所や物に込められた、過去の出来事の断片を垣間見ることができるのです」
エレノアさんは、砂時計を愛おしそうに撫でながら説明する。過去を視る……なんだかすごい道具だな。
「実は最近、この街で少し厄介な魔法窃盗事件が起きていましてね。犯人の手がかりが掴めないのですけれど、この砂時計を使えば、何か分かるかもしれないと思いまして」
エレノアさんは、工房のテーブルに置かれた、盗難現場から回収されたという『魔力が込められた宝石』を指差した。なるほど、それでギルド長と交渉してまで、この砂時計を手に入れたのか。
「では、早速使ってみましょうか。……カイトさん、少しだけ、マナの安定化を手伝っていただけるかしら? この砂時計、少々気難しいようでして」
「えっ!? 俺がですか? 俺の魔力なんて、豆粒みたいなものですけど……」
「量ではありませんわ。あなたのマナは、質が……少し特殊なようですから。ほんの少しで結構ですのよ」
特殊……? やはり、異世界人だからだろうか。俺は、言われるがままに、砂時計にそっと手を触れ、覚えたての拙いマナ操作で、魔力を流し込もうと試みた。
エレノアさんも砂時計に手をかざし、呪文を唱え始める。砂時計の中の星屑が、ふわりと輝きを増し、サラサラと流れ始めた。
すると、砂時計の上部の空間に、ゆらりと陽炎のようなものが立ち上り、ぼんやりとした映像が映し出され始めた!
「おおっ! 見えてきた!」
リリアが声を上げる。映像は不鮮明だが、確かに何者か(フードを被った人影?)が宝石を盗み出す瞬間のように見える!
(すごい……本当に過去が……)
俺が感心しかけた、その時だった。
キィン!!
砂時計が、甲高い音と共に、一際強く輝いた! 俺が触れていた手を通して、ビリビリとした感覚が走る!
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
「まあ!」
瞬間、工房全体がぐにゃり、と歪んだような感覚に襲われた!
目の前の景色が、まるで水面のように波打つ!
「な、なんだ……!?」
俺は、立っていられずに床に手をつく。リリアも、エレノアさんも、驚いた顔で周囲を見回している。
そして、奇妙な現象が始まった。
「――イト、大丈夫!?」
リリアの声が、ほんの少し遅れて聞こえる。いや、違う。口の動きと、声が合っていない!
「――さん、マナの逆流ですわ! すぐに手を離して!」
エレノアさんの声も、同じようにズレている!
(なんだこれ!? 時間が……ズレてる……!?)
視界の端で、エレノアさんが呪文を唱えているのが見える。だが、彼女の口はまだ動いていない。
リリアが俺に駆け寄ろうとしている。だが、その動きはコンマ数秒後の未来のようだ!
俺自身も、何か言おうとしても、言葉がすぐに出てこない。思考と行動が、微妙に噛み合わない! まるで、オンラインゲームで高ラグ状態になった時のような、気持ちの悪い感覚だ!
「――いったい……どうなって……!?」
俺の声が、ワンテンポ遅れて工房に響く。
「――時計が……カイトさんのマナに過剰反応を……! 時の流れが、この空間だけ……乱れて……!」
エレノアさんが、なんとか状況を説明しようとしているのが、ズレた音声で伝わってくる。
「――なんか、気持ち悪いー!」
リリアが、頭を押さえてうずくまる。
俺は、必死に砂時計から手を離そうとするが、なぜか吸い付くように離れない!
(くそっ! このままじゃ……!)
その時、エレノアさんが何かを決意したように、強く杖を床に打ち付けた!
閃光!
そして、ぐにゃりとした時間の歪みが、急速に収束していくのを感じた。
「……はぁ……はぁ……」
気づけば、俺は床にへたり込んでいた。リリアも、ぐったりとしている。
工房内の時間のズレは、どうやら収まったようだ。
「……大丈夫ですの? お二人とも」
エレノアさんは、少し息を切らせながらも、俺たちに声をかける。
「な、なんとか……。今のは、一体……?」
「どうやら、この砂時計は、カイトさんのような『世界の理から外れたマナ』に対して、非常に敏感に反応するようですわね……。わたくしの想定以上に、時空に干渉してしまいました」
世界の理から外れたマナ……やっぱり、俺の存在って、この世界ではイレギュラーなんだな……。
「……それで、犯人の手がかりは?」
リリアが、ぐったりしながらも尋ねる。
エレノアさんは、テーブルの上に残った砂時計(今はもう輝きを失っている)を見た。
「……ええ、ほんの一瞬でしたが、確かに視えましたわ。犯人が使っていた、独特な短剣の形状……そして、逃走経路を示す、微かな魔力の残滓……」
どうやら、とんでもない副作用に見舞われながらも、目的の情報は得られたらしい。……割に合わない気もするが。
「……頭、痛ぇ……」
俺は、ズキズキと痛むこめかみを押さえた。異世界のマナと俺の体が、相性が悪いのか……?
「カイトさん、少し休んだ方がよろしいですわ。リリアもね」
エレノアさんは、俺たちの様子を見て、心配そうに言った。
結局、その日はもう何もできずに、俺は宿に直行することになった。
『星屑の砂時計』は、確かにすごい魔道具だったが、俺にとってはとんでもない『呪物』でもあるらしい。
(……俺の体質って、一体どうなってんだ……?)
新たな悩みの種を抱えながら、俺は重い足取りで宿へと帰る。
エレオノラさんが言っていた、「カイトさんの有用性」……。それは、こんな危険な形で発揮される可能性もある、ということなのかもしれない。
……やっぱり、俺の平穏は、どこにもない。




