第21話 虎の威を借るカイト(ただし虎は魔女様)
俺の悪評……もとい、「街での評判」は、良くも悪くも定着しつつあった。
チンピラは俺を避け、裏路地の情報屋は妙に親切。それはまあ、結果オーライ……なのかもしれない。だが、ギルドでの生暖かい視線や、時折聞こえてくるトンデモな噂話には、未だに胃がキリキリする。諦めたとはいえ、慣れるものではない!
そんなある日、エレノアさんが「少しお買い物にお付き合いいただきたいのですけれど」と俺を誘ってきた。リリアは別の依頼で出かけている。二人きりだ。……嫌な予感しかしない。
「買い物、ですか? 俺でよければ……」
「ええ、助かりますわ。少し、交渉が必要な品がありまして」
交渉? エレオノアさんが? この街で、彼女に逆らえる人間なんて……あ、一人いた。
連れてこられたのは、街で最も大きな商人ギルドの立派な建物だった。どうやら、お相手はここのギルド長らしい。彼は、強欲で偏屈、魔術師や冒険者を快く思っていないことで有名な人物だ。エレノアさんですら、正面からの交渉では骨が折れる相手なのかもしれない。
「あの、エレノアさん。俺なんかが付いてきても、足手まといになるだけじゃ……」
「あら、そんなことありませんわ。カイトさん、あなたはただ、わたくしの隣に立っていてくだされば結構ですのよ」
エレノアさんは、にっこりと微笑む。その笑顔には、しかし、有無を言わせぬ圧があった。
「服装も、今日は少しだけ、きちんとしたものを用意しましたから」
そう言って渡されたのは、俺が普段着ている安物の冒険者服とは違う、シンプルだが仕立ての良い上着。……なんでそんなものまで用意してるんですか!?
半ば強制的に着替えさせられ、俺はエレノアさんと共にギルド長の執務室へと通された。
部屋の中央には、恰幅の良い、いかにも『狸親父』といった風情の男が座っていた。あれが、ギルド長のドルマン氏か。
「これはこれは、エレノア様。このような場所へ、わざわざご足労いただき恐縮ですな。……そちらの若者は?」
ドルマン氏は、エレノアさんには営業スマイルを向けつつも、俺を一瞥し、怪訝そうな顔をする。
「わたくしの……ええ、信頼できる協力者ですわ。カイトさんとおっしゃいます」
エレノアさんは、さらりと言う。協力者……まあ、間違いではない……か?
「ふん。して、本日のご用件は? エレオノラ様ほどの魔女が、このわしに頼み事とは、珍しい」
ドルマン氏は、探るような目でエレノアさんを見る。
「単刀直入に申し上げますわ。現在、ギルドで管理なさっている『星屑の砂時計』を、一つお譲りいただけないかしら?」
「ほう……『星屑の砂時計』、ですと? あれは、わがギルドでも秘蔵の品。そう安くはお譲りできませんぞ?」
ドルマン氏の目が、ギラリと光る。ここからが、値段交渉の本番、というわけか。
エレノアさんは、少しだけ困ったように微笑むと、ふと、俺の方に視線を向けた。
「ええ、もちろん、相応の対価はお支払いいたしますわ。ですが……最近、少々物騒な輩もおりますでしょう? わたくし個人としても、娘のためにも……万が一に備えて、信頼できる『力』は確保しておきたいのです。そのためにも、あの砂時計がどうしても必要でして……ねえ、カイトさん?」
……は? い、今、俺に振りました!? しかも、なんだか妙に意味深な言い方!
俺は、突然話を振られて完全にフリーズ!
(な、なんだ!? 俺は何て答えれば……!? 『力』って何!? 俺のこと!? いやいやいや! 落ち着け、ポーカーフェイスだ!)
内心で絶叫しながらも、俺は必死に無表情を装い、とりあえずコクンと頷いてみせる。……不審者以外の何物でもない!
だが、その俺の挙動不審な(そしてエレノアさんの意味深な)態度が、ドルマン氏には別の意味で捉えられたようだった。
彼の額に、じわりと汗が滲む。俺とエレノアさんを交互に見て、何かを必死に推し量っているようだ。……おそらく、俺の「悪評」(謎の男、魔女の寵愛、etc.)と、エレノアさんの言葉を結びつけて、とんでもない想像を繰り広げているに違いない!
「……ふ、ふむ……。なるほど、左様でございますか……。いやはや、エレノノラ様も、お大変ですな……」
ドルマン氏は、なぜか急に態度を改め、作り笑顔を浮かべた。
「よろしいでしょう! 『星屑の砂時計』、特別に、こちらの価格でお譲りいたしましょう! これも、日頃お世話になっているエレノラ様への、わしからの誠意ということで!」
提示された価格は、驚くほど良心的なものだった。
「まあ、助かりますわ、ドルマン殿。感謝いたします」
エレオノラさんは、優雅に微笑む。
こうして、交渉はあっけなく成立した。
俺は、ただ隣に立って、怪しい動き(内心のパニック)をしていただけなのに……!
商人ギルドを出た後、俺はエレオノラさんに詰め寄った。
「エレオノラさん! さっきの、どういうことですか!? 俺、何もしてませんよ!?」
「あら、カイトさんは、そこにいてくださるだけで、十分『お仕事』をしてくださいましたわよ?」
エレオノラさんは、くすくすと笑う。
「あなたのその『評判』……ドルマン殿のような方には、特に効果的だったようですわね。わたくしの言葉に、良いスパイスを加えてくださいました」
……やっぱり、俺の悪評、利用されたーー!!
しかも、本人はその自覚すらないまま、ただ存在しているだけで、凄腕の商人ギルド長を(勝手に)威圧してしまったらしい!
(……もう、わけがわからない……)
俺は、自分の存在そのものが、もはやこの街のパワーバランス(?)に影響を与え始めているのかもしれない、という恐ろしい事実に気づき、眩暈を覚えた。
「ふふ、これでまた一つ、カイトさんの『有用性』が証明されましたわね? これからも、頼りにしていますわよ?」
エレオノラさんの悪魔の囁き(にしか聞こえない)が、俺の耳に響く。
ああ、俺の平穏は、本当に、本当に、どこにもない……。
俺は、エレオノラさんが手に入れた『星屑の砂時計』を、複雑すぎる思いで見つめるしかなかった。




