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第100話 調停者のキスと、神様の退場

「カイト! だめっ!!」 「戻ってきて!!」


 エレノアとリリアの悲痛な叫びが、轟音にかき消される。  セラフィーナ(それ)から放たれる、世界を『無』に帰そうとする力の奔流が、俺の体を包み込み、焼き尽くそうとしていた。熱い、という感覚すらない。ただ、俺という存在そのものが、この世界から『削除』されていくような、絶対的な恐怖。


「愚かなる『調停者』…!」  セラフィーナ(それ)は、俺の無謀な行動を嘲笑うかのように、その美しい顔を歪ませた。 「自ら『混沌』を差し出すとは! 〝神〟の『秩序』の前に、その歪んだ存在ごと、消えなさい!」


 力の奔流が、俺の金色の光を飲み込もうと、その勢いを増す! S 「カイト殿ーーーっ!」 「ぬううっ!」  ザラキアスとゴウガが、俺を守ろうと飛び出そうとするが、エレノアとリリアの結界が砕け散った余波で、動くことすらままならない。


 絶体絶命。  だが、俺は、その絶対的な力の嵐の中心で、確かに「見て」いた。  セラフィーナの、憎悪に歪んだ瞳の、その奥の奥。  真っ暗な、冷たい氷の世界で、ただ一人、膝を抱えて震えている、小さな「セラフィーナ」の魂の姿を。


(…あんたが、望んだ世界は…こんなんじゃないだろ)


 俺は、最後の力を振り絞り、その氷の世界に囚われた彼女に向かって、手を伸ばした。  俺の『調停の権能』は、〝神の使い〟の力そのものではなく、その力の源泉…セラフィーナの魂と〝神〟とを結ぶ、歪んだ『契約』そのものに狙いを定める!


「…っ!」  セラフィーナ(それ)が、初めて焦りの色を浮かべた。 「馬鹿な…! 我が『契約』のことわりに、直接干渉する気か!? 人間ごときが…!」


「うるせえ!」  俺は、力の奔流を突き抜け、ついに、その手をセラフィーナの額に―――


 いや、違った。  俺の手が向かった先は、その憎悪と嘲笑を浮かべる、彼女の唇だった。


「――むぐっ!?」


 俺は、全ての力を使い果たし、前のめりに倒れ込みながら、セラフィーナに、キスをした。  それは、ロマンチックなものでは到底ない。どちらかと言えば、事故に近い。あるいは、人工呼吸か。  俺の唇から、残された全ての『調停の権能』…金色の光が、セラフィーナの魂へと、直接流れ込んでいく!


 時が、止まった。


 エレノアも、リリアも、ザラキアスも、ゴウガも、そしてセラフィーナ(それ)さえも、目の前で起こった、あまりにも予想外すぎる光景に、完全にフリーズしていた。


「……」 「……」 「……(な…何を…? キス…? された…? 我が…この、〝神〟が…?)」


 セラフィーナ(それ)の脳内が、理解不能な情報によって完全にショートした、その瞬間。  俺の『調停』が、発動した。


 俺が調停したのは、『契約』ではなかった。  もっと単純なこと。  〝神の使い〟の、その完璧すぎる『秩序』と、俺が持つ、ごちゃごちゃした人間の『情愛』。  その二つを、無理やり、調和させたのだ。


「あああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 〝神の使い〟の、絶叫が響き渡る。  その声は、もはや神々しいものではなかった。 「な…なんだ、これは…! この感情は…! この、胸が温かく、しかし同時に、わけもなく切なくなるような、この…この不快な『混沌』はーーーっ!?」


 〝神の使い〟は、自らの『秩序』が、カイトの『調停』によって、人間の「恋心」だの「愛おしさ」だのといった、最も理解不能で、最も非合理的な感情によって上書きされていく感覚に、耐えられなかったのだ!


「い…いやあああああ! 我が完璧なる『秩序』が…汚される…! こんな、不合理な感情など…いらぬ! いらぬわーーーーっ!!」


 金色の光と、禍々しい神気が、セラフィーナの体内で激しく衝突し、やがて、〝神の使い〟は、その絶叫と共に、セラフィーナの肉体から、まるで弾き出されるかのように、黒い影となって霧散していった。  もう、二度と、人間の肉体に宿るなど、ごめんだとでも言うかのように。


「……はぁ…はぁ…」  神気が完全に消え去ったホール。  後に残されたのは、全ての力を使い果たし、セラフィーナに寄りかかる(というか、倒れ込んでいる)俺と、  キスされた唇を押さえ、顔を真っ赤にして、ぷるぷると震えている、素の「セラフィーナ」本人だった。


「……」  彼女は、自分に何が起こったのかを理解し、そして、自分を救った(?)男が、どんな方法でそれを成し遂げたのかを理解し、 「……………この、無礼者ォォォォォォーーーーーー!!!!!」


 バチコーン!!!


 聖女様の、それはそれは見事な平手打ちが、俺の頬にクリーンヒットした。  俺は、その衝撃で、意識を手放した。


「カイトォォォ!」 「カイト殿!」


 エレノアとリリアの悲鳴が聞こえる。 「(…ああ…殴られた…)」  意識が遠のく中、俺は、そんなことをぼんやりと考えていた。


 こうして、世界を恐怖に陥れた〝神の使い〟は、魔王のスコーンと、調停者のキスによって(主に後者が原因で)、この世界から退場することになった。  後に残されたのは、恋に(?)目覚めてしまったかもしれない元・聖女様と、とばっちりで殴られた俺と、そして、呆然と立ち尽くす、俺の家族たちだった。  戦いは、本当に、終わった。…たぶん。

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