第10話 思考停止のススメ、あるいは諦めの境地
あの『ものまね子猫』騒動から数日。俺の心は、かつてないほど平穏ではなかった。
いや、物理的には平和だ。凶悪なモンスターに襲われるわけでも、命がけの罠に挑むわけでもない。だがしかし、精神的な平穏が、まるでない!
原因は、もちろんアレだ。あのクソ……いや、可愛らしいミミック・キトンが、俺の秘めたる(?)心の声を、白日の下に晒してしまった一件。
エレノアさんを「美しい」と思ったこと。
リリアを「頼りになる」と思ったこと。
……他にも、なんか色々と思考が漏れていた気がするが、脳が自己防衛のために記憶を封印している。思い出せない。だが、あの時の二人の、なんとも言えない表情は、ばっちり脳裏に焼き付いているのだ!
その結果、どうなったか。
俺は今、エレノアさんやリリアと顔を合わせるたびに、頭の中で必死に思考を検閲する羽目になっている。
(エレノアさん、今日の服も似合ってるな……って、ダメダメダメ! 考えるな!)
(リリア、また訓練で無茶してる……心配……いやいやいや! 無心、無心!)
まるで修行僧だ。煩悩(主に母娘に関する)を打ち消そうとすればするほど、逆に意識してしまう。挙動不審にもほどがあるだろう、俺!
そんな俺の奇行(?)は、当然、二人にも気づかれていた。
その日、俺たちは依頼を終え、エレノアさんの店でお茶をご馳走になっていた。いつもの光景のはずが、俺だけが妙にカチコチになっている。
「……」
「……」
「……(お茶、美味しいな……って思考も危険か!?)」
重い沈黙。気まずい。誰か、何か喋ってくれ……!
「……カイトさん」
ふいに、エレノアさんが穏やかな声で俺の名を呼んだ。
「は、はいっ!?」
俺は、ビクッと肩を揺らして返事をしてしまう。
「ふふ。そんなに緊張なさらないでくださいまし。……今日は随分と静かですけれど、もしかして、またわたくしのことを『美しい』とでも考えて、口に出さないように必死に堪えていらっしゃいますの?」
エレノアさんは、にっこりと微笑む。だが、その瞳は確実に笑っている! からかっている!
「なっ……!? そ、そんなこと、考えてません! 断じて!」
俺は、顔を真っ赤にして全力で否定する! ……が、その慌てぶりが、逆に図星であることを示しているようなものだ。
「あらあら、顔に書いてありますわよ? 『エレノアさん、今日も綺麗だなぁ』って」
追い打ちをかけるエレノアさん! 悪魔! この人、絶対Sだ!
「ち、違いますって!」
「ふふふ」
俺がしどろもどろになっていると、隣で黙ってお茶を飲んでいたリリアが、ぷいっと顔を背けた。
「……別に、カイトが母さんのこと綺麗だって思うのは、当たり前だし……。私だって……その、カイトに『頼りになる』って思われてたのは……ちょっと、嬉しかった、かも……しれない、し……?」
……え?
リリアが、蚊の鳴くような声で、そんなことを呟いた。顔はやっぱり赤い。
「え、あ、いや、その……」
予想外の反応に、今度は俺が言葉に詰まる。
「まあ!」
エレノアさんが、楽しそうに声を上げた。
「リリアったら、素直じゃありませんのね? カイトさんに褒めていただけて、本当は嬉しくて仕方ないのでしょう?」
「ち、違うってば! ちょっとだけだって!」
「あらあら」
母娘の(いつもとは少し違う種類の)やり取りを見ているうちに、俺はなんだか、力が抜けていくのを感じた。
(……ああ、もう、ダメだ……)
隠そうとすればするほど、意識してしまう。
取り繕おうとすればするほど、ボロが出る。
この美人母娘の前では、俺のちっぽけなプライドや羞恥心なんて、何の役にも立たないのだ。
「……はぁ……」
俺は、深いため息をついた。それは、諦めと、ほんの少しの安堵が混じったような、複雑なため息だった。
「……もう、いいです……」
「え?」
「カイトさん?」
俺は、テーブルに突っ伏した。
「どうせ俺の考えてることなんて、お二人にはお見通しなんですよ……。隠すだけ無駄でした……」
降参。完全降伏だ。
しーん、と店内が静まり返る。
やがて、くすくす、という笑い声が聞こえた。
「ふふ、ようやく諦めがつきましたのね、カイトさん」
エレノアさんの声は、どこまでも楽しそうだ。
「もー、カイト、変なところで頑固なんだから!」
リリアの声も、呆れながらも、どこか吹っ切れたような響きがあった。
顔を上げると、二人はいつもの(?)笑顔で俺を見ていた。
気まずさは……まだ少し残っている。でも、さっきまでの重苦しい空気は、嘘のように消えていた。
どうやら、俺が諦めたことで、逆にこの場の空気はリセットされたらしい。……解せぬ。
「さて、カイトさんが素直になった(?)ところで、そろそろお店の在庫整理を手伝っていただこうかしら?」
エレノアさんが、にっこり笑って言った。
「えー! 私も手伝う!」
「はいはい……」
結局、俺はその日、エレノアさんの店の倉庫で、大量の魔法薬の材料整理を手伝うことになった。リリアは隣で、相変わらずの調子で話しかけてくるし、エレノアさんは時々、意味深な視線を送ってくる。
(……思考を読まれる(かもしれない)って、めちゃくちゃ恥ずかしいけど……)
でも、さっきまでの、あの息が詰まるような気まずさに比べれば、こっちの方がずっとマシだ。
もはや羞恥心はマヒした! ……かもしれない。
「カイト、そこの『マンドラゴラの根っこ』取って!」
「はいよ……って、うわっ!?」
「あらあら、カイトさん、足元にお気をつけあそばせ?」
俺のドタバタ異世界ライフは、新たなステージ(諦めの境地)へと突入したようだ。
心の声が漏れる心配(?)をしながら、それでもこの美人母娘に振り回される日々は、まだまだ続いていくのだろう。
(……もう、どうにでもなーれ……!)
俺は、半分ヤケになりながら、マンドラゴラの根っこ(元気に悲鳴を上げている)をリリアに手渡すのだった。
 




