恋敵、或いは
レグナリス王国の首都はとても華々しくて賑やかだ。他の国の首都も総じて同じなのだろうけれど、他国へ行ったことのないフィオナは、この国の王都が最も活気があって栄えていると信じている。
天使のレリーフが飾られた大理石製の巨大な噴水。広場の四方八方へのばされた色とりどりのガーランド。串焼きや鉢植え、飴細工、新鮮な果物や野菜を売る露店。コーヒーハウスの軒先にはペパーミントグリーンのオーニングが張り出し、煉瓦で囲われた花壇には、紫や黄や白のパンジーがたっぷりと植えられている。バゲットがはみ出した茶色い紙袋を抱える妙齢の女性、風船をもらって喜ぶ小さな子ども、赤子を抱いて歩む夫婦、ベンチに腰掛けて日向ぼっこをしている老夫婦。
賑やかな街並みを馬車の窓から眺めながら、王都の中心部へ来るのはいったいいつぶりだろう、とフィオナは考える。祖母が元気だった頃は、よく二人で日用品や食料、薬草の買い出しにきたり、年に一度開かれるお祭りを楽しみにきたものだ。けれども一人になってからは、基本的に買い物は近場で済ませることが増え、薬草の調達も配達式を選ぶようになった。もちろんお祭りにだって足を運んではいない。
二年ほど遠ざかっていた王都は、以前と変わりない姿を残しつつも、新しい建物があちこちに建っていたり、時計台や小橋が新しくなっていたりと、街の至るところに変化は確かに存在していた。真っ白な漆喰の壁がまばゆいパン屋、蔦や花の絡みついたバルコネットが幾つも並ぶ集合住宅、幾何学的な模様のタイルで飾られた宗教施設。
二年――。もうそんなに長い時間が過ぎたのかと少しばかり驚きながら、フィオナはゆっくりと瞬きをし、車窓から目を逸らす。長いようで、でも、短くもあった二年。その間に祖母が亡くなり、そして、エリオがいなくなった。彼の父親が営む薬屋はまだあるのだろうか。少し気になったけれど、しかしフィオナはかぶりを振って、その考えを頭の中から追い出す。今更様子を見に行ったところで、何になるというのだろう。
そんなことをつらつらと考えている間に、フィオナを乗せた馬車――アレンが手配してくれた――は、堀に架かる跳ね橋を超えて城門塔を潜り、敷地内へと入ってゆく。御者が騎士団員のマントをつけているからか、或いは事前に情報が伝達されていたからか、門の両側に立つ見張り役は馬車を一瞥はしたものの、声をかけ呼び止めることはしなかった。
馬車はそのまま道なりに進み、幾つもの塔や庭園を抜け、そうして宮殿前の広場で漸くとまった。御者がキャビンの扉を開け、律儀に手を差し出してくれたものの、乗っている人間の素性を思い出したのか、彼は申し訳無さそうに苦笑をこぼしながらその手を引っ込める。彼には“忘却の呪い”は働かないけれど、巷ではその呪いについてあれこれと――事実とは異なる尾鰭をつけて――広まっているのだから、そういう反応をされても致し方ない。
御者にお礼を告げながらステップを降り、目の前に聳え立つ荘厳な建物をじっと見上げる。白一色で統一された壁、ネイビーブルーの屋根がのった尖塔やタレット、大小様々なアーチ型の窓。豪華絢爛というより、清らかで美しい、といった方がしっくりくする王城は、百年以上も昔に、当時有名だった建築家の指示のもと造られた。あまりに巨大なその建物は、入口から見上げても、その全体像は少しも把握出来ない。
入口の扉脇に立っていた守衛に名前を告げ、フィオナは緊張しながら王城の中へと足を踏み入れる。守衛の説明では、通路を真っ直ぐ行ったところにある中庭を抜け、その先に王太子の執務室がある建物の入口があるそうだ。言われた通りに、大理石の敷き詰められたエントランスを抜け、両左右の壁に掛けられた絵画や、天井のフレスコ画を見たりしながら中庭を目指して進む。何本もの蝋燭がたてられた巨大なシャンデリア、レグナリス王国をつくった初代国王の胸像、赤色の絨毯が敷かれた巨大な階段。
突き当りの小さな扉から外へ出ると、急に視界がぱあっと明るくなり、その眩しさにフィオナは思わず目を細める。どうやら中庭へ出たようで、白色の太い柱が均等に並ぶ回廊の真ん中に、広々とした庭園が広がっていた。藤の花がたわわに咲いたパーゴラ、桃色の花がびっしりと絡みついたアーチ、丁寧に刈り込まれた灌木、道の両側いっぱいに植えられた純白の薔薇。
その素晴らしい光景に、なんて美しいのだろう、と感嘆の息を漏らしながら見惚れたのは、ほんの一瞬だった。白薔薇に囲まれた道を歩む男女の姿が目に留まった瞬間、フィオナは大きく目を見開き、そして息を呑んだ。
壁のように連なる薔薇の木の向こう側に、遠目からでも美麗だとわかる男女が、仲睦まじげに腕を組んで歩いている。毛先にかけて緩くウェーブのかかった艷やかなブロンドの髪の毛。スリムなウエストラインからふわりと広がるテールグリーンのドレスに、開かれた前から覗くたっぷりとフリルのあしらわれた白いペチコート。片手にはレース地の華奢な日傘を持ち、薄い日陰の下で、くっきりとした美麗な顔ににこやかな笑みを湛えている。その姿はまるで、童話に出てくるお姫様そのものだ、と思った。白馬に乗った王子様が迎えにきたり、舞踏会で一目惚れをした王子様に求婚されるような美しいお姫様そのものだ、と。
そしてそんな彼女の隣には、正に童話の中から出てきたような王子様が立っている。春光を浴びて淡い光を帯びる白銀の髪の毛、切れ長の目の真ん中で輝くアイスブルーの瞳、すっと通った鼻筋、形の良い唇。見慣れたラフな格好でも、騎士団の制服でもなく、今の彼が纏っているのはもっと品格の高い上等な服で、右肩には金糸の飾緒が、胸元には王族であることを示す勲章が飾られている。
見間違いか、と思った。それは多分、見間違いであってほしい、という願いだったのだろうと思う。見紛うはずなんてないのに。それでも。
フィオナは咄嗟に柱の陰へ身を隠すと、戦慄く唇を片手で塞ぎ、そうして柱に背をつけたまま、ずるずるとその場に崩折れた。見てはいけないものを見てしまった、という気がした。それは自分にとってなのか、はたまた彼――シリウスにとってなのかは、分からないけれど。それでも無性に、見てはいけないものを見てしまったという気がしてならなかった。心臓が、どくどくと激しく、煩く鳴っている。どくん、どくんと、ひとつひとつの動きが大きく、くっきりと。その鼓動が、皮膚を通り、更には布を通り、そうして胸元を握り締める手に、ひしひしと伝わってくる。
楽しそうだった。とても楽しそうに笑い合っていた――。眼にこびりついたその光景から逃げるように、フィオナはぎゅっとかたく瞼を閉ざす。そうすることで少しでも落ち着きたかった。息苦しさや心の痛みを鎮めたかった。それなのに、瞼の裏側の暗闇にも、白薔薇に囲まれた華やかで美しい光景が焼き付いていて、より感情を掻き乱す。逃げ場がなかった。どこにも。ただ柱の陰に身を潜め、彼らがどこかへ行ってくれるのを、ただ願うことしか、今のフィオナには出来なかった。




